高石市
[取石連合]
町 名 | 新調年 | 大 工/彫 師 | 屋根型 | 氏 子/所在地 |
新 家 | 不 詳 | 不 詳/不 詳 | <切妻> | 等乃伎神社/取石 |
購入元/購入年 | 昭和六十年堺市深井澤町から購入(有志) | |||
変 遷 | 備 考 | ◇ 平成十二年の大修理により、大阪型から折哀型に改作 ◇ 35年ぶりの地車復活 昭和六十一年より曳行 |
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花 車 | ○ 地車復活まで使用 | |||
先 代 | ◎ 昭和二十六年売却 その後、休止 | |||
現在の地名/読み方 | 取 石/しんけ |
町 名 | 新調年 | 大 工/彫 師 | 屋根型 | 氏 子/所在地 |
大 園 | 昭和九年 | 絹井楠次郎/玉井行陽・開正藤 、生a |
切妻 | 等乃伎神社/取石 |
購入元/購入年 | 岸和田市流木町新調 / 平成二十五年五月岸和田市流木町から購入 | |||
変 遷 | 先 代 | ◇ 31年ぶりの地車復活 ◎ 昭和六十一年 当該町新調 ○ 平成二十四年まで曳行 同年兵庫県淡路市群家里組 |
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花 車 | ○ 昭和五十年〜地車復活までは、六代に渡って使用 | |||
*先々代* | ◎ 昭和三十年村の人に売却 その後、休止 | |||
現在の地名/読み方 | 綾 園、西取石/おおぞの (おぞの) |
町 名 | 新調年 | 大 工/彫 師 | 屋根型 | 氏 子/所在地 |
土 生 | 昭和五十五年 | 池内福治郎/木下頼定 | 入母屋 | 等乃伎神社/取石 |
購入元/購入年 | 堺市小阪新調 / 平成二十三年二月堺市小阪から購入 | |||
変 遷 | 備 考 | ◇ 平成十六年より等乃伎神社へ宮入を行うようになる。 平成二十二年高石連合へ参入。 ◇ 平成二十三年、連合コースには乗り入れるが連合パレードへは 不参加、翌二十四年より完全参入 |
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町内地車U | ◎ 平成十四年堺市深井中町西から購入 平成二十二年まで曳行 ○ 平成二十三年和泉市納花町 (子ども地車) |
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花 車 | ○ 昭和六十一年高石市綾井から購入 | |||
町内地車 | ◎ 昭和五十一年新調 和泉市舞町へ | |||
先 代 | ◎ 明治末期購入 ◎ 大正十二年まで曳行 その後、室戸台風により小屋ごと倒壊 |
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◎ 明治末期購入以前にも、地車があった | ||||
現在の地名/読み方 | 取 石/は ぶ |
町 名 | 新調年 | 大 工/彫 師 | 屋根型 | 氏 子/所在地 |
綾 井 | 平成二年 | 天野藤一/栗田 剛 | <二重破風> | 等乃伎神社/取石 |
変 遷 | 先 代 | ◇ 約20年ぶりの地車復活 ◎ 昭和五十八年 太鼓正新調 ◎ 昭和六十三年まで曳行<翌年曳行自粛> ◎ 平成元年大阪市東住吉区育和連合へ |
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花 車 | ○ 地車復活までの間、二代に渡って使用 | |||
初 代 | ◇ 昭和二十八年東西合併により、西の地車を綾井の地車とした ◎ 明治初期〜中期 高石市綾井西新調 ◎ 昭和三十八年和泉市尾井町へ |
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現在の地名/読み方 | 綾 園、加 茂/あやい |
○ 綾井地車統合以前 ○
町 名 | 新調年 | 大 工/彫 師 | 屋根型 | 氏 子/所在地 |
綾井西 | 明治初期〜中期 | <十一代目>川崎仙之助/彫又一門 | ||
その後の行き先 | ◇ 昭和二十八年東西合併により、綾井の地車となる | |||
現在の地名/読み方 | 綾 園/あやい-にし |
町 名 | 新調年 | 大 工/彫 師 | 屋根型 | 氏 子/所在地 |
綾井東 | 不 詳 | 不 詳/不 詳 | ||
その後の行き先 | ◇ 東西合併により、昭和二十七年高石市2区へ | |||
変 遷 | 先 代 | ◎ 明治十二年 高石市5区新調 堺市小阪の大工「大藤」へ | ||
現在の地名/読み方 | 綾 園/あやい-ひがし |