堺 市
[津久野地区]
町 名 | 新調年 | 大 工/彫 師 | 屋根型 | 氏 子/所在地 |
神石市之町 | 大正十四年 | 絹井楠次郎/玉井行陽 | 切妻 | 石津神社/石津町 |
購入元/購入年 | 貝塚市王子町新調/平成七年貝塚市王子町から購入 | |||
変 遷 | 備 考 | ◇ 平成十四年より津久野連合に参入 | ||
先 代 | ◇ 約25年ぶりの地車復活 ◎ 明治二十年 岸和田市積川西新調 平成二年岸和田市積川西から購入 ○ 平成七年和歌山県橋本市小田原へ |
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リース地車 | ○ 次の地車購入直前は「太鼓正」から地車をリースする | |||
先々代 | ◎ 大正四、五年淡路から購入 ○ 昭和四十年頃堺市八田南之町へ その後、休止 |
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*初 代* | ◎ 戦火により焼失 | |||
現在の地名/読み方 | 堺区-神石市之町/かみいし-いちのちょう/神市(かみいち) |
町 名 | 新調年 | 大 工/彫 師 | 屋根型 | 氏 子/所在地 |
宮 山 | 平成五(六)年 | 天野行雄/松並義孝 | <二重破風> | 踞尾八幡神社/津久野町 |
変 遷 | 先 代 | ◎ 江戸期に堺市津久野宮山の庄屋が購入し、同町へ寄贈 ○ 平成五年兵庫県尼崎市大官町へ |
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現在の地名/読み方 | 西区-津久野町、宮下町/みややま |
町 名 | 新調年 | 大 工/彫 師 | 屋根型 | 氏 子/所在地 |
神野町 | 平成十一年 | 大下孝治/木下彫刻工芸 | 入母屋 | 踞尾八幡神社/津久野町 |
変 遷 | 先 代 | ◎ 明治期 大阪市住吉区遠里小野?新調 大正三年大阪市住吉区遠里小野から購入 ○ 平成十年まで曳行 平成十一年大阪市西淀川区姫島へ |
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現在の地名/読み方 | 西区-神野町/こうの-ちょう |
町 名 | 新調年 | 大 工/彫 師 | 屋根型 | 氏 子/所在地 |
下田町 | 平成十三年 | 池内幸一/木下彫刻工芸・岸田恭司・近藤 晃・小西清和・山本善徳 | 入母屋 | 踞尾八幡神社/津久野町 |
変 遷 | 先 代 | ◎ 明治十年代 大阪市住之江区粉浜新調 昭和五十七年堺市毛穴町から購入 ○ 平成十二年まで曳行 平成十三年堺市鶯谷へ |
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先々代 | ○ 堺市大庭寺へ | |||
現在の地名/読み方 | 西区-下田町/しもだ-ちょう |
町 名 | 新調年 | 大 工/彫 師 | 屋根型 | 氏 子/所在地 |
大 東 | 平成十七年 | 北本工務店/木下彫刻工芸 | 切妻 | 踞尾八幡神社/津久野町 |
変 遷 | 先 代 | ◎ 昭和五十九年 当該町新調 ○ 平成十六年まで曳行 平成十七年河内長野市西代へ |
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先々代 | ◎ 大阪市住吉方面新調 昭和五十三年堺市堀上町から購入 ○ 昭和五十八年まで曳行 昭和五十九年堺市隠へ |
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三先代 | ○ 昭和五十年は不参加 昭和五十二年まで曳行 | |||
現在の地名/読み方/通称 | 西区-津久野町/おおひがし/ひがし |
町 名 | 新調年 | 大 工/彫 師 | 屋根型 | 氏 子/所在地 |
西 組 | 平成十九年 | 七野徳重/近藤 晃 | 切妻 | 踞尾八幡神社/津久野町 |
変 遷 | 先 代 | ◎ 明治末期購入(購入元については諸説がある) ・ 堺市大鳥の建材屋で野ざらしにされていた地車を購入した説 ・ 堺市野田の先々代説 ・ 大阪市住吉区上住吉から購入した説など ○ 平成十八年まで曳行 同年十月東大阪市森河内の個人へ |
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先々代 | ◇ 堺市津久野西組と合同で曳行していたという説がある ○ 堺市津久野宮山の個人へ |
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現在の地名/読み方 | 西区-津久野町、宮下町/にしぐみ |
町 名 | 新調年 | 大 工/彫 師 | 屋根型 | 氏 子/所在地 |
中 組 | 平成十九年 | 田中隆治/山本仲伸 | 入母屋 | 踞尾八幡神社/津久野町 |
変 遷 | 備 考 | ◇ 地車製作隆匠&山本仲伸氏 出世地車 | ||
先 代 | ◎ 江戸末期新調 明治四十四年大阪市住之江区安立二丁目南町から購入 ○ 平成十八年まで曳行 平成十九年九月富田林市東板持へ |
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先々代 | ◇ 堺市津久野西組と合同で曳行していたという説がある ○ 堺市津久野宮山の個人へ |
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現在の地名/読み方 | 西区-津久野町/なかぐみ |