旭の目蓋。ぎゅうと閉じられていたそれがバネ仕掛けの勢いでぱんと跳ねあがる。丸く大きく、目が開かれる。
天井、自分の部屋の。見える、もう明るい。
(あ…)
恐る恐る、胸元に手をやる。手のひらには、Tシャツの感触。
(…服、着てる…)
(…夢か…)
はあー、と大きなため息が、思わず口から出た。暑い。動悸すごい。息も落ち着かない。寝汗もかなり。
(…ああー…、びっくりした…)
いったいなんだったのだ、あの夢は。
(…あ、)
はたと気づいて、隣りを窺う。スガはまだ、眠っているようだ。
(…よかったー)
小さくほっと息をつく。おそらく自分は夢にうんうん唸っていただろう。見られていたら、きっと、どうしたの、と、
心配されただろう。
しかしあんなこと、言えるわけがない。
旭は、よいしょ、と、体の向きを横に変えた。着ているものが汗で湿って、少し気持ちが悪い。こめかみに貼り
ついた髪を、指でつまんで剥がした。
(……)
目の前に、スガの顔。目蓋はぴたりと閉じていて、僅かにひらいた口からは、すうすう寝息が漏れている。
昨夜、旭の手足を抱いていたときと同じ格好で、横たわっている。
今ちょうど、ふたりは向かい合う形。
(…ご、ごめんなスガ)
(あんな夢、勝手に見ちゃって)
気まずい。とても気まずい。頬が火照る。どうしてあんな夢を見てしまったんだろう。たしかに、昨夜、互いの
手足と手足が触れあう感触は、しっとりとあたたかくて、とても気持ちがよかったけれども。
(けど、それはあのとき寒かったからで)
(だからあったかいの、気持ちよくて、だからくっつきたいと、思った、だけで)
おかしな下心なんて、絶対にない。
(あんなこと)
(したいとも、されたいとも、思ってない、のに)
思ってない。絶対に思ってない。
(ああ!)
(ほんとごめん!)
風邪をひくから、と、親切で床に招き入れてくれた相手に、優しく手足をあたためてくれた相手に、こんな。
(なに考えてんだ、俺…)
(はずかしい…)
頭の中でどんなふうにされたか。なにも知らず眠るスガに、旭は本当に申し訳ない気持ちになる。けれど、
理由を話して謝るわけにもいかず。
(…忘れよう、このことは)
夢の中のことを意識して少しでも挙動がおかしくなれば、きっとスガは気づいて、気にして、心配する。
だからなにもなかったように、いつも通りに、変わらず、振る舞う。
それがいちばん、スガを煩わせずに、すむ。
けれど。
(だめだ、顔を見てると思い出す!)
(だって同じなんだもん!夢の中のスガと!)
このままだと、スガと顔を合わせるたびにあの夢を思い出してしまう。あの、姿形を。肌に、触れてくる感触を。
(あー!だめだめだめだめ!)
忘却を困難にする、夢とそっくり、同じ顔。
(スガ、ヒゲ生えないからなー)
(ひと晩経っても、つるんと、きれいなままで…)
どこかはっきり、決定的に、夢のあれとは違うのだと、感じられさえすれば。
たしかな現実で、夢の記憶を上書きして、しまえれば。
(……)
スガはじっと動かずに眠っていて、目を覚ます気配はない。
旭は、タオルケットの中、そっと手探りで、スガの腕に、触れた。
(わ、)
夢と寸分違わない、すべすべした感触。旭は動揺する。
(どうしよう、同じだ。どうしよう)
単純に、スガの肌がもともとすべすべだった、現実が夢と同じなのではなく、夢が現実と同じだったというだけ
なのだが、落ち着きを失った旭は気づかない。
(どうしよう、ほか、ほか、ほかにちがうとこ)
(あ)
(そうだ)
スガを起こさないように細心の注意を払いながら旭は手を腕から脇腹に移す。
夢の中、少しでも力を加えたら壊してしまうのではないかと恐れ、震えあがったあの、腰は。
手のひらに、静かに、力を入れていく。
自分よりだいぶ薄く、細い胴体の形。だが、折れそうなほどではない。くびれている、というほどでもない。
(よかったあー!)
まったく違う、別のもの。にっこりと笑みが零れる。今、手のひらの中の、この感触こそが本当のスガの体。
どこにも存在していない夢まぼろしの感触なんてきっと、すぐに、忘れてしまえるだろう。
心の底から安堵して、伸ばしていた手をひっこめようとした、そのとき。
ぱち。
スガの目が、ひらいた。
「あ、あさひ」
スガの丸い目に、晴れやかな笑顔の旭が映っている。その丸い目が、嬉しそうに細められる。
「ふふ、大きくなった」
愛しそうに、楽しそうに、笑う。しかしふいに、スガの顔から、笑みが消えた。
「なに、してるの?」
この手、と言うスガの声が、低い。眉根が、きゅ、と、少し寄る。
「あ、あの、」
「うん」
「あのっ、これはっ、そのっ、あのっ、これはっ、その、す、スガがすごく、ふ、太ってる夢を見て!!!」
スガの、寄っていた眉がぱっと離れ、目が、きょとんと丸くなった。
いい流れ、そう感じ、旭は、続ける。
「それで、その、気に、なって…」
「触って、たしかめてたってこと?」
「うん、そう」
びくびくおどおど、上目遣いで様子を窺ってくる旭に、スガは小さく、苦笑して。
「大丈夫だよ、太ってないよ」
ほらね、と、旭の手の上に自分の手を重ね、
「わかった?」
と、優しく笑った。
「う、うん、わかった!」
「よかった」
こくこくと頷く旭の手を取り、脇腹の上から、そっとおろす。
「心配してくれたんだ、ありがと」
「あ、いや、」
「けど、こういうことは起きてるときにやれよなー。びっくりするじゃん」
「あ、うん、ごめん」
「はは、いいよ、怒ってないよ」
スガの顔に、すっかり笑顔が戻っている。明るいその表情に、旭は、うまく誤魔化せてよかった、と、心の中で
ほっと、胸を撫でおろした。
そういえば、と、旭は思い出す。スガが目を覚ましたとき、なにか言って、いたような。
「ね、スガ」
「ん?」
「さっき、なにか言ってたよね?大きくなった?だっけ?」
「ああ」
「俺もね、旭の夢を見て…」
と、くすくす、スガが思い出し笑い。旭は、いいなあ、きっと、楽しい夢だったんだ、と、羨ましくなる。
あんな、誰にも言えないような夢ではなかったのだろうな、と。
スガが言ったように、それこそ、大きくなって、困ってしまうような、夢ではなかったのだろうな、と。
「…!」
旭の顔から、すうっと血の気が引いた。
湿り気を帯びている。じめり、と。下着の、前が。
「笑っちゃってごめん、あのね、夢の中で、旭は、」
「スガごめん、ちょっと」
「え、?」
じたばたともがくように後ずさり、旭がタオルケットから飛び出す。素早く立ちあがり、気持ち前かがみになって
部屋の外に走り出る。
「あ、あさ」
何事かと、スガも慌てて体を起こすが、なにも言えず、ただ見送ることしかできなかった。
「…?」
ひどく狼狽した様子を思い出し、しばし考え。
「…あっ!」
続く
(14/06/29) |