「あっ!」

スガも、旭と同じ健康な男子高校生。彼が部屋を飛び出して行った理由は、すぐに察しがついた。途端、つい
先ほどのやり取りを思い出し、真っ青になる。

(えっ、どうしよう、大きくなったって、そのことじゃないんだけど!!!)
(けど、)
(俺のあの、言い方じゃ、そ、そこについて指摘、したって、思われても、)
(しかた、ない、よね、)
(どうしよう、旭怒ってるかも…)



旭は、早朝の静かな家の中をなるべく音を立てないようにしながら急いで階段を駆けおり、昨晩、洗濯物を
干した部屋へまわって素早く乾いた下着を回収すると浴室に走りこみ、片足立ちの上半身を前後や左右に
ぐらぐらとふらつかせながら汚れて貼りつく下着から足を抜き水を出しざぶざぶ、洗い始めた。

(なんだよー!汗かいてるだけだと思ってたのにー!)

目を覚ましたとき、汗で着ているものはどこもかしこも湿っていたから気がつかなかった。それより、隣りの
スガの様子が気になったということもある。
なにより、あの夢は旭にとって、恐ろしい夢、だったのだ。

(怖い怖い、嫌だ、って思ってるのに、カラダはしっかり反応してるとか…)
(なんだよそれ…、恥ずかしい…)

しかもその相手は、自分の頭の中で女性の体にした、スガだ。旭の顔が、耳まで熱く、真っ赤になる。

(と、いうか)
(大きくなった、って、そういうこと!?)
(じゃ、スガはわかってたの?俺が、そういう状態になってたこと)



スガはタオルケットごとじっと膝を抱えながら自分の思わせぶりな言葉を後悔していた。

なんの説明もせず、ただ、大きくなった、とだけ言えば、きっと旭は、なんのこと?と、尋ねるだろう。
そしたら笑って、実はね、と、自分の見たかわいらしくて嬉しい夢のことを話して聞かせよう、そう、思っていた。

小さい旭はかわいかったんだよ、と、一緒に笑いあいたい、ただ、それだけだったのに。

なのにまさか、旭があんなことになっていたなんて。そのうえどうも、旭自身、大きくなったと言われるまで
自分の身に起こっていたことに気づいてなかった様子だ。

(あれじゃまるで、俺は知ってて、それで、旭が気づくまで、ニヤニヤ見てたみたいじゃないか)
(違うのに、そうじゃないのに)
(どうしよう、どうやってそうじゃないって説明しよう)



旭は水でざっと汚れを落とした下着を固く絞り、汚れ物を入れておく籠に放りこむとまた浴室に戻り、今度は、
汚れた局部をシャワーでじゃあじゃあ、洗い流した。

(けど、スガが知ってるって、よく考えたら、ヘンだよな?)
(スガが目を覚ましたときはもう、小さくなっちゃってたわけだし)

先に目を覚ましていた旭にすら、大きくなっていたという自覚がないのに。

(俺が寝ながら大きくしてるときにいちど目を覚まして…?それからもういっかい寝て…?)
(それから、俺よりあとに起きて…?)

そんなめんどくさい手順を踏んでまで、わざわざ他人の局部の様子について指摘したいと思うだろうか。

(思わないよなあ、そんなこと)



スガは頭を抱えて立てた膝の上にがばと突っ伏した。事が事だけにどう触れればいいのかわからない。

(とにかく、からかったわけじゃないってことだけは、わかってもらいたいんだけど)
(けど、)
(もしかしたら、)

もう、なにも言わないほうがいいのかな、とも、スガは思い悩む。

あのとき、断片的にしか口にできなかった、大きくなった、と、夢の中で、という言葉。それを旭が、ちゃんと
聞いていてくれて、覚えていてくれて、そしてそのふたつを繋げてくれさえすれば。

(そしたら、大きくなったのは、なにか夢の中の出来事なんだろうって、考えてくれるだろう、から、)

その場合、旭が恥ずかしく思い逃げるように部屋から出て行った理由は、ほぼ、下着を汚したことと、汚れた
下着のままでいること、に、絞られるはず。

(俺にからかわれて、恥ずかしくなったから、じゃ、なくて)

(だったらもう、なにも気づいてないふりをするのが、いいんじゃ)
(ヘタに謝って、蒸し返すより)



汚れをすっかり洗い流して浴室を出た旭は、濡れた下半身を手早くタオルでぬぐいながら、考えた。

(それに、)
(もしスガが、そんなふうにして気づいていたとしても、)
(わざわざそれを言って、笑うようなこと、)

絶対に、しない、と思う。

スガは、たとえば、自分の気持ち次第でどうにでも変化させられる性格のことなどについてはからかっても、
このような、自分ではどうしようもないこと、までからかって笑うような人間ではない、と、思う。

(うん、スガは、きっとそんなこと、しないよ)



スガは伏せていた顔をあげて、顎を膝の上にのせる。

(けど、それは、俺が、そうなってくれたらいいなー、って、思ってるだけで…)

旭が、言われたことの全てをはっきり覚えているとは、限らない。

(だいぶ、慌ててたしなあ…)

旭が、瞬く間に視界から消えた様子が脳裏に甦る。
あれでは、仮に聞いていても、失念しているかもしれない。

深い深い、ため息がもれる。

(どうしよう、やっぱりからかわれた、って、思ってるかも…)



旭の心が、少し軽くなる。素早く下着を身につける。

(けど、)

また少し、心が重くなった。

(俺、大きくなった、って、スガに言われたこと思い出すまで、気づいてなかったしなあ…!)

下着を汚して、いたことに。

旭は、もしかしたらスガは自分が気づいていないことを見兼ねて遠まわしに指摘してくれていたのでは、という
可能性について考える。
あのとき、自分たちは、どういうやり取りを交わしたのか。それをきちんと、思い出すことができれば。

(もう少し、はっきりするんじゃ…)

スガの発言の、意図が。

(あ、)
(そういえば、夢がどうとか)

ぱっ、と、頭の中に明るい光がさした気がした。

(そうだ、俺の夢がどうとか言ってた!)

話の途中で下着のことに気がついてしまい、最後まで全部、聞けてはいないが。

(たぶん、たぶん、)
(大きくなった、は、なにか夢の中の、ことだ)

自分の体の一部のことではなく。

(そうだよな、気づいてるほうが、不自然だし)
(なにか夢の中のことなんだって考えたほうが、ずっと自然だ)
(よ、)
(よかったー!)



スガは迷う。事の次第を説明するのがいいのか、もう触れないのがいいのか。

(こっちが、からかわれたと思ってるんだと思って、説明したり、)
(謝ったりしたとき、もし、)
(旭のほうでは、知らないふりしてて欲しかった、気づかないふりしてて欲しかったと、思ってたら…?)

恥ずかしかったことを思い出させてしまったら、旭はまた、逃げ出していくかもしれない。
この部屋からだけならいい。もし、自分から逃げていかれてしまったら。

(やだよー、そんなの…)



きっと、スガは自分をからかったわけではない、と、ほっと胸を撫でおろした旭。

(とりあえず、早く戻って、)
(それから、謝ろう)

スガの話を遮り、あたふたと見苦しい姿を見せた。スガの真意がどうであれ、まずはこちらからそのことを詫び
よう。万が一、スガが自分をからかっていたのだと発覚して、傷つくことになっても、まずは先に詫びよう。

(あ、)

洗面台の鏡にふと映った自分の顔。かなりみっともない状態になっているのに気づく。
髪は乱れ、顎には余分なヒゲが黒くポツポツと。お世辞にも、いい見た目とは言えない。

(これはちょっと、まずいよな)



顔がぽっと熱をもって、目がじんわりと潤んでくる。スガは涙ぐみながら、またため息を落とした。

どうしよう、どうしよう、どうしようと思う。触れるべきなのか、触れないべきなのか。

(けど、なにも言わないなら言わないで、旭は気にするかもしれないし)

もし、旭が、自分はからかわれたのだと思っている場合。こちらがなにも言わなかったら、旭は、まだ自分は
ニヤニヤと観察され続けているんだ、と、心の中を不安と恐怖でいっぱいにしてしまいそうで。

(それに旭は気が弱いから、もしからかわれてると思っても、きっと俺に文句言えない…)

黙って、もじもじと困っている。旭はそういうタイプだ。

(だからこっちから、なにか、言ったほうが、)
(たぶん、いい、よね)

まずはっきりさせて、そのあとどうするかを決める。たぶんそれがいちばん、お互いにとって、すっきりする方法
だろうと、スガは思った。

(戻ってきたら、)

旭はおそらく、下着を洗いに行っているのだろう。もう少ししたら、戻ってくるだろう。

(ごめん、て、)
(言おう)



部屋に置いてきたスガのことは気になるが、この姿で頭をさげるのも失礼だろうと思う。
急いで洗顔と髭剃りをすませ、髪をまとめる。

(よし、)

顔を左右に振り、おかしなところがないか確めた。

(大丈夫)

旭は脱衣所を出て、階段に足をかけた。





続く

(14/07/08)

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