スガも考える。
もしも旭が、スガに避けられている理由に思い至り、その理由に驚いたのだとしたら。
なら、その次に旭が思うことは、どちらだろうと。
(なに考えてるんだよ!俺はスガにそんなことしないよ!なのか)
(俺がそういうことスガにしたいってスガにバレた!?えっどうしよう恥ずかしい!なのか)
(どっちだ!?)
「じゃあふたりとも、そういう感じでよろしく頼む…、って、菅原?」
「はっ、はいっ!」
「どうしたんだ?話聞いてたか?」
「はいっ!」
「なんか顔赤いぞ?ジャージも上下着てるし…、寒いのか?風邪か?」
「あ、いえ」
そういうわけじゃ…、とスガはもごもごと消え入るように答える。
「ならいいが…、体調がおかしいと思ったらすぐに言えよ?…お、片付け終わったな!じゃ始めよう!」
烏養がひとつ、ぱん、と手を叩いてコートに向かう。
「あの、菅原さん」
「ん?」
「もしかして、朝練で膝のサポーターが壊れたんですか?もしそうなら、俺、予備のありますよ?」
「あ、いや」
「サイズが合うかはわかりませんけど、もしよかったら試しに」
「あ、いや、大丈夫、ありがとう影山」
「いいですか?」
「うん、壊れたわけじゃないんだ」
「?、わかりました」
首を傾げる影山に、ごめんね、と、詫び、スガは、赤くなってくる顔を影山から隠すように背けた。
コートの中央、ネットを挟んで、あちらとこちらにスガと影山が立つ。
それ以外の部員は半分に分かれ、スガと影山、ふたりのセッターのところにそれぞれ列を作った。
スガには烏養が、影山には潔子が付き、ボール籠から、少しトスを上げにくい返球、という設定で
ボールを出す。
スパイカーは、スガのトスを打ったらコートから出て向こう側にまわり、次は影山のトスを打つ。影山の
トスを打ったら先ほどと同様にコートから出、またスガのトスを…
というふうに、部員たちはコートの周りをぐるぐる回りながらひたすらスパイクを繰り返すのだ。
移動中はスパイクされたボールに当たらないようにしながらついでにその辺に転がっているボールも
拾ってコートに戻れと言われている上に、烏野バレー部は人数が少なくすぐに自分の番が回ってくる
ので、面倒なボールを出されるセッターも大変だが、スパイカーはさらにハードである。
「ね、なんかちょっとおかしくない?」
木下が、縁下の背中をちょんちょんとつついた。
縁下が振り返り、早口で小さく言う。
「旭さんと菅原さん?」
「そう」
「うん、なんか合ってないよね、…あ、旭さんきた。あっ、」
俺の番だ、と縁下が慌てて駆け出す。
縁下がスパイクを打ち、コートから出ていく。それを確かめて木下も走り、飛ぶ。
うん、俺にはふつうなんだよな、と、木下は思う。慣れ親しんだ、ひとつ上の先輩の柔らかいトス。
既にもう三周くらいしているだろうに、ほとんどぶれることもない。
しかし、旭に対しては変なのだ。妙にぎくしゃくしているのだ。
ちょうど、旭の順番だったので、木下は走りながらスガのトスを打つ旭を見た。
よそよそしいな、と、木下は感じる。
互いに互いを見ていない、互いに互いへ意識が行っていない、そういうふうに、木下は感じた。
木下に言われた縁下は、ふと、二年の自分たちが変だと思うんだから、三年間一緒だった主将はどう
思っているのだろうと気になった。
ちょうど、旭の順番だったので、縁下は旭の後ろに並んでいる大地を窺い見る。
鬼の形相だった。
ああ、やはり自分や木下の気のせいではなかったのだなと、縁下はぞっと震える体を両手で押さえた。
極力、旭を自分の視界に入れたくない。
スガはその一心で、旭以外の部員を見ることに集中した。
なので旭以外の部員にはきれいなトスを上げることができていたが、皮肉なことに、それが、スガと旭の
連携の不恰好さをさらに際立たせる。
(どうしよう)
(旭のほう、見られない)
(もし)
(目が合ったとき)
(なんだか気持ち悪いものでも見るような目で旭が俺を見ていたら)
(もしそうじゃなくても)
(なんだか)
(ヘンな目で)
(俺を、見てたら)
そう思うと、スガは旭の順番がまわってきても旭の顔を見られなかった。
最初のうちはまだ、三年間の慣れもあり、足元や体の動きだけでもなんとかタイミングを合わせてトスを
上げられていた。
が、そろそろ自分も旭もくたびれてきて動きに乱れが出始めると、そうもいかなくなってくる。
(マズイ)
(ちゃんと見ないと)
(もう)
(旭にまともなトスを上げられない)
疲れた相手の、どこがどう動かなくなっているのか。
そこを正確に把握しないと相手に合わせることなんてできない。
だから、相手の様子をよく見なければならない、表情も含め。そんなことくらいスガもわかっている。
(だけど)
(怖いよ)
旭が自分をどんな目で見るのか。
旭が今、自分に対してなにを考えているのか。
旭の顔を見ることで、それがわかってしまうのが、スガは怖かった。
(だけどどうしよう)
(カンだけではもう)
(最後までもちそうにない)
五周したらいったん終了と言われている。今、四周目の始めだ。
(………)
旭にケガをさせることだけはあってはならない。
くっ、と、小さくスガは呻いた。
(仕方ない、少しだけ)
旭を見よう。そのとき、旭が自分のほうを見ていなければいい、そう、スガは心底願っていたのに。
(旭は…)
(あっ!!!)
(見てる!こっち!)
スガが、スパイカーである旭のコンディションを把握しようと、そちらに目を向けた瞬間、旭と、がっちり
目が合ってしまった。
スガを見ていた旭の顔が、ぼっ、と火を噴いたみたいに赤くなる。
(えっ!?)
(なんで!?)
(やっぱり)
(旭は、俺とそういうことを)
(したいってこと!?!?)
旭が、スガから目を背けた。
(わ、ちょっと)
(ちょっと待って)
(ちょっと待って!!!)
あ、トス、とスガが思った瞬間にはもう遅くて。
「あっ」
スガの頭に、きちんとトスとして上げられなかったボールが直撃し、
「えっ?」
旭は、スガから目を背けたままジャンプして、盛大に空振りした。
スガの額に当たって跳ね返ったボールが、とん、とん、と、コートの外に転がり出て行く。
体育館の中にいる全員が、凍りついた。
「なにやってるんだ!お前ら!!!」
大地の怒鳴り声に、旭とスガがびくりと首を竦める。
「ふたりとも、今日はぜんぜん集中できてないな。外走ってこい。頭が冷えるまで戻ってくるな」
大地は冷淡な口調でそう続けた。
しかし次の瞬間、はっと何事かに気づいた様子で、烏養を見る。
烏養は、大地に応えるように頷き、それから旭とスガに、澤村の言う通りだ、行ってこい、と、言った。
「はい…」
ふたりは、居たたまれないという顔で、小走りにコートから出ていく。
がらりと扉を開けて外に走り出るスガ。慌てて上にジャージを着てスガのあとを追う旭。
旭が外に出ていくのを待って、大地は、
「コーチ、すいません、俺勝手に」
と、烏養に頭を下げた。
「いやいい、俺もどうしようかと思ってた」
「え?」
なんだかおかしい、そう思っても、どのタイミングでどう声をかけたらいいのやら、と、烏養は苦笑する。
「あのふたりに関しては、きっと三年間一緒にいるお前が正しいんだろう。正直助かった」
「烏養さん…」
大地は、ほっとしたように、眉尻を下げて少し笑った。
スガは第二体育館から飛び出すと、その周りの砂利の多い地面をじゃりじゃりと走り出す。
(トスを、上げそこなうなんて)
自分と目が合った瞬間、真っ赤になった旭は、真っ赤になって自分から目を逸らした旭は、
(やっぱり、その)
(俺のこと)
(そ、そういう目で)
見てるんだって、だから恥ずかしがって赤くなったんだって、そう思って、動揺して、
(ちょっと待って!)
(こっ、こっちくんな!)
(と、思って、しまって)
あのとき、自分が今どこにいて、なにをやっているのか、一瞬、ぜんぶ、とんで、
(わからなく、なってしまった)
(恥ずかしい)
(情けない)
もっと、こう、進路のこととか、家族の、病気とか失業とか借金とか、そういう深刻な悩みで頭がいっぱい
だったのならともかく、よりにもよって、
(俺は、旭にそういう目で見られているのか?旭は俺に、なにかしたいと思っているのか?だなんて)
(そんなことで俺は)
(頭をいっぱいにして)
(トスを)
(空振りなんかして)
ボールを額で受け止める、なんて失態を。
(だけどまあ)
(旭にぶつけたりしなくて、よかったけど)
(あと、落としたボールを、旭が着地のときに踏まなくてよかった。踏んだら危なかった)
(旭は…)
(俺が、ちゃんとトスを上げると思って)
(飛んでたんだな)
(……)
(なのに、俺は…)
旭が本当に自分に対してそういうことを考えているのか、それがはっきりわからない状態で、ひとり、
勝手に慌てふためいて、危うく、旭にケガをさせてしまうところで。
(ごめん)
(ごめん旭)
(だけど)
(あそこで赤くなられたらやっぱりびっくりするよー!!!!!!!)
(俺に対してやましいところがあるんじゃないかって思うよー!!!!!!!!)
練習で、ミスをしてしまったことは本当に申し訳なく思っているし、謝罪だってしたい。
(だけど)
(旭が、俺に対してなに考えてるのかわからない状態で)
(旭と話すのは)
(なんだか、怖いっていうか)
話す以前に、どんな顔をして旭の前に立てばいいのか、もうそこからわからないのだ。
(どうしよう)
(もし、旭にさっきのこと謝って)
(許してやるかわりになにかしろとかさせろとか言われたら…!!!!!!)
これから先、自分がミスをするたびに触らせろとか触れとかそういうことを言われたらどうしよう。
(いやいやいや)
(旭に、そんな度胸があるわけ)
(けど、わざわざ、俺にそっくりな)
(あんなDVDを)
(手に入れようと、してたくらいだし)
(もう、旭の)
欲望はそこまで高まっているんだろうかと考えかけて、スガはいやいやそんなまさかと首を振る。
(…だけど)
(俺、このさき)
(旭と、部室でふたりっきりになってもいいんだろうか)
(あっ、旭はっ)
(俺より、背も、高いし、体も、大きいし)
(力も、あるし)
本気でそういうことをしようとされたら、
(勝てないよ…!)
あの大きな手で腕を掴まれたらきっと振りほどけないし、抱きしめられたら逃れられないだろうし、上に
のっかられてしまったら、自分の力では押しのけられないだろう。
(う、うわあああ…!!!)
部室の畳の上に押し倒されるところまで想像して思わず本当に叫びが口をついて出そうになったとき、
スガは背後からじゃりじゃりと迫る人の気配を感じた。
(ひっ!)
(きっと、旭だ)
そういえば、サポーターを外したり、ジャージを着ようとしたりしていたのを思い出す。顔を合わせたく
なかったのでそのまま置いてきてしまったが、追いついてきたのだろう。
(夜、自分の前を歩いてた女の人が)
(いきなり走り出したときはびっくりしたし、犯罪者扱いされたみたいでちょっとショックだったけど)
(だけど今なら)
(そうしたくなる気持ち、わかるな)
逃げようか、逃げないでいようか、スガは迷って、少しだけスピードを上げた。
あとを追って慌てて外に出たら、ちょうど、スガが第二体育館の角を曲がるところだった。
(速いよ、スガ)
待っててくれても、と思ったけれど、
(そうだ、スガは)
(俺のことが、嫌かもしれないんだった)
(いや)
(こんなふうに、置いていくってことは)
(嫌かもしれない、じゃなくて、嫌、なんだろうな)
なら、待ってるわけない、と、旭は思い直し、走り出す。
(あのとき…)
飛んで腕を振り上げたらそこにあるべきボールがなくて、えっ?、とまぬけな声を出して、空振りして、
そのまま着地した、あのとき。
(なにが、起こってたんだろう?)
思い返せば、練習の一周目から既にスガの様子はおかしかった。いつもならするアイコンタクトもない。
(だから)
(ああやっぱり、スガは俺の顔を見るのも嫌なんだって、思って)
しかしスガはそれでもちゃんとトスを上げてくれていたので、旭は、まだ本当のことを告げられず、誤解
させたままなのにありがたいな、と思う。
(だから、せめて)
(俺がしっかり、スガを見て、ちゃんと、スガのトスに合わせようと)
少しでも、スガの負担を減らしたくて。けれど、疲れてくるとそれも難しくなってくる。
(だから)
(ああ、スガが少しでいいから)
(こっちを見ていつもみたいに)
(俺の動きに合わせたトスを上げてくれたら、って)
あのときはもうわりと本気で切羽詰まっていて、心から、ああスガ頼むから俺を見ていつもみたいに俺を
見てと思っていた。そしたらスガが見たのだ、自分を。
(あのときはほんとに)
(思ってることが、言わないのに)
(スガに通じたみたいで)
びっくりした、のと同時に、ああ今自分がスガ助けて助けてと内心で情けなく懇願していたのがバレて
しまったみたいで、そんなことあるわけないとわかっていても、それでも急に恥ずかしくなってしまって、
するとその恥ずかしくなってしまったことを引き金にして、それまで考えていたスガに関する色々なことが
一度に思い出されてしまって気持ちがいっぱいいっぱいになってしまって、
(そうしたらもう、赤くなっちゃって)
(すごく、頭にも顔にも、血がのぼってしまって)
(そんな顔を見られるのも)
(なんか恥ずかしくて)
だから思わず目を逸らしてしまった。
(だけど)
(スガはあのときの、俺のあの)
(スガと目が合って、赤くなってしまって、目を逸らした、あれを)
(どう)
(感じたんだろうか?)
目を逸らしてから、飛んで、着地して、大地に怒鳴られるまでの間。
(スガがどんなふうだったか、俺は知らない)
あのとき、なにが起こったんだろう?スガは両手を上げていた。トスを上げる体勢だった。けれどボールは
自分の足元をてんてんと転がっていた。出されたボールにスガは触れられなかった?なぜ?
なににそんなに気を取られて?
(うーん…、そこは、やっぱり)
(俺の顔を見て)
(なにか、嫌なことを)
(思い出した、というか)
(やっぱり)
(俺がスガを、そういう目で見ている、って、思って)
(うげっ、とか、見るな!とか)
(そういう…)
旭の気分が沈む。
(そうだ、あのとき俺、赤くなっちゃったし)
(そうだ、あれじゃ、まるで)
(悪いことして、それがバレたときみたいな)
(ああああああ)
旭は頭を抱えてのたうちまわりたい気分になった。
(やっぱり、まず)
スガが三組にやってきた、あのときの状況を説明するのが、いちばん手っ取り早いよな、と旭は思う。
あれは俺のじゃない、落し物を拾っただけなんだと。
(でもさ)
(それを言うって、ことは)
(スガがあれを見て、とにかくなにかを気にしているってことが)
(前提なわけで)
(だけどさ)
スガは俺があれをスガの代わりにしていて、ほんとはスガにそういうことをしたいと思ってるって思って、
それで俺を避けてるのかもしれないけど、だいじょうぶ、そんなこと、ぜんぜん思ってないから!なんて、
そんなこと、
(言いにくいわ!!!)
(もし俺がスガの立場でも、色々と気になってても、それでも言われたらなんかイヤだわ!)
(誰もあなたにヘンなことしませんよ、とか、逆にヘンなこと考えられてるみたいでイヤだわ!)
ぞわぞわと気持ちの悪さがこみあげてきて、旭はそれから逃れるようにだだっとスピードを上げた。
急な加速に呼吸が追いつかず、いくらも経たないうちに苦しくなってきたので、また元のスピードに
落とす。
たったたったと走りながら、旭は思い悩んだ。
(どうしよう)
(どうやって切り出そう)
(ああ、もういっそ)
(スガのほうから痺れを切らして)
(旭、あれはいったいなんなの!?とか、聞いてくれないかなああああ)
おとなしそうな外見のわりには意外と気の強いスガの、その強さを今こそ発揮してくれたら、なんて、
ずいぶん自分勝手な望みだな、とは、旭も自覚しているが。
(でも、言い出しにくくて…)
これから先もずっとこんな状態なのかと思うと、泣きそうになってくる。
けれど、自分に対していつも強気なスガが、すぐに自分を問い質すことをせずに、逃げ出して、月島と
影山の間に隠れてしまうなんて、それはきっと、それだけスガも動揺したのだということで。
(そうだよな…、びっくりするよな…)
(不安にも、なるだろうし)
(やっぱり、俺がなんとかしないと)
(けど、ほんと、どうすれば…!)
考え事をしながら下を向いて走っていたので気がつかなかったが、ふと顔を上げると、スガの背中が
もうだいぶ、旭の目の前に迫ってきていた。
少し前を走るスガのうなじが、立てたジャージの襟から、ちらりと見える。
(俺に比べて、色が白いなあとは思ってたけど…)
改めてちゃんと思い出すと、スガは、肌の色はすごく白いし、髪の毛も、ふわふわしてて柔らかそうだし、
ヒゲもほとんど生えないし、ニキビができているのも見たことないし、顔のかたちも女の子みたいに、
(きれいだし)
(俺はそんな話、一度もスガから聞いたことないけど)
(もしかしたら)
(俺が知らないだけで、スガは誰かからそういう目で見られたことがあるのかもしれない)
(嫌な思いを、したことがあるのかもしれない)
なのに、俺はお前のことそういう目で見てない、などと、スガにとって嫌なことを想起させるかもしれない
ことを自分は、
(スガに言ってしまっていいんだろうか)
(いや言わなきゃどうにもならないってそれはわかってるけど)
(…どうしよう)
一方、スガには、黙って自分の後ろを走る旭の思惑がつかめない。
(旭、なんで黙ってるんだろう?)
(なにか、言うことはないのか?)
(大地は、たぶん)
(俺たちが、なにか揉めてるなら外に行って)
(誰もいないところで解決してこい、って意味もこめてああ言ったんだと思うけど)
(だけど旭がなにも言ってこないのは)
(やっぱり)
(あのDVDは一方的に押し付けられたか、たまたま拾うかして、別に旭が見たくて持っていたわけじゃ)
(ない、のか?)
(俺が)
(気にしすぎているだけ、なのか?)
(なにも悪いところがないから)
(なにも言ってこないのか?)
(それとも)
(本当に)
(後ろ暗いところが)
(あるのか)
(どうしよう、俺からなにか言ったほうがいいのか?)
(……)
(う、)
(後ろから)
走る旭の、はっはっと少し荒い息づかいが聞こえてくる。
(……)
(あのDVD、見たら)
(旭は、こんなふうに)
息を荒げて、その、そういうことを、
(って!旭がぜいぜい言ってるのなんて練習とか試合のときとかさんざん見てんじゃん!!!!!)
(いっしょだし!それと!)
(もう、なんでこんなことばっかり考えちゃうんだよお)
旭は旭で、スガに話を切り出すタイミングが一向につかめなかった。
(どうしよう)
(呼び止めようか)
(でも)
(呼び止めて)
(すごく機嫌悪そうに、なに?とか言われたらもう俺それだけで心折れる…)
(どうしよう)
考えこむ旭の目の前を走っている、スガの、ひとまわり小さい背中。
(小さいな、肩も)
(背も)
(そうだ、並んで話すとき、スガはいつも俺を見上げるんだ)
(上目遣いで)
旭は、自分を見上げるスガの笑顔を思い出す。
(今まで、特に気にとめたことはなかったけど)
(そうだ、スガのあの顔って)
(かわいい)
円陣で抱く肩は自分より小さくて、腕も脚も自分より細くて、ハイタッチで触れる手は小さくて。
スガの体は、
(腕の中に抱いたら、ちょうど、すっぽりおさまる)
(サイズ)
(じゃなくて!!!!!!!!!!!そうじゃなくて!!!!!!!!!!!!!!!!)
(そんなことを考えるんじゃなくて!!!!!!!)
(どうしたら、スガの誤解をとけるか、だろ!?!?!?)
(もうなに考えてるんだよ俺ー!!!)
旭が内心頭を掻き毟っていたころ、スガは。
(それにしても)
(あのDVDの内容、いったいどんなのなんだろ…)
(その内容と、同じことを旭は俺に、したいのかな?)
(なんだろう…)
(ひどい、こととか)
(痛いこととか、だったら、イヤだな)
(って!優しくされたらいいのかよ俺はー!!!!!!)
(そうじゃなくて、そうじゃなくて、そうじゃなくて)
(だけどだってあんまり似てるからああもう!)
(違う人でも嫌じゃん自分にそっくりな人が痛い目に遭わされたりとか泣かされたりとかそういう!!!)
(そうだよ、あんなにそっくりなんだから、気になるよ、だって、ほんと)
(同じ)
同じだった。化粧の有無と、性別が違うだけで。
(あの…)
(同じ、顔の)
(俺と同じ顔の人が喘ぐの見て、旭はするのかな)
(そういうことを)
(俺の喘ぐ顔も、旭は見たいとか思ってるのかな)
(うわ)
(てゆーか)
(けっこう今までもしてたかもしれないそういう顔。しんどい練習のときとか暑いときとか)
はあはあ言いながら、襟元をひっぱってぱたぱたさせたりして。
(あ、旭は)
(それを見て、覚えていて)
(家で)
(わわわわわわわわ)
もしかしたら、合宿の風呂での裸や、寝顔なんかも。
(あー!もうやだ!もうやだ!こんなことばっかり考えちゃうのもうやだ!!!)
(もうなんで旭はなにも言わないんだよ!!!)
(もう)
(早く)
(あれは俺のじゃないとか、俺のだとか、言えば)
(いやいやいや待て待て待て)
(もしあれが旭ので)
(それで)
(どうしよう、こういうの見たくなるくらいお前が好きなんだとか言われたらどうしよう)
(ほんとはこんなのじゃなくてお前がいいんだとか言われたらどうしよう)
(どうしよう)
(どうしよう)
(どうしよう)
(俺なんて答えれば)
(どうしよう)
誰もいない部室で好きだって言われて抱きしめられて押し倒されて服とか脱がされちゃったりしたら!
(どうしよう!!!!!!!)
その瞬間、砂利に足を取られてスガは前方に大きくつんのめった。
「わっ!!!」
「スガ!」
両手が先に地面に届く。砂利が痛い。痛む両手だけでは体重を支えきれずに、両膝も地面に崩れ落ちる。
「スガ!!!」
後ろからすごいスピードで旭が駆け寄った。前に回りこんで屈み、スガの手を取ろうとする。
「大丈夫か!手!」
「うわっ!!!!」
スガは、自分に触れようとする旭の手を思わず強い力で払いのけてしまった。旭はむっとくる。
「スガ」
それを隠し切れず、つい、呼ぶ口調がキツくなってしまった。
スガの気持ちを考えたら、触られて驚き、嫌だと思うのも致し方ないのかもしれない。
だけど、ただ心配なだけなのに。
スガがケガしたかもしれないこんなときにまで、スガになにかしようとか、そういうことで頭がいっぱいの
人間なのだとスガから思われているのかと思ったら、旭としてはおもしろくない。
「な、なんだよ」
スガは、耳まで真っ赤にして俯いてしまった。旭からは、スガの頭のてっぺんのつむじだけが見える。
(………)
いつも旭に対して辛辣なスガが、旭になにかされるかもと思って、こんなふうに赤くなっている。
旭は別にスガになにかしたいわけではないけれど、こんなふうに赤くなって、転んで、手をついて、小さく
なっているスガは、
(なんだか、かわいいな)
小さい子供が拗ねてるみたいだ、と、旭はなんだかほのぼのとあたたかい気持ちになってしまった。
先ほど感じた腹立たしさや、おもしろくなさ、そんなものはどこかに行ってしまった。
拗ねてるし、こちらがどう出るか怯えながら待ってるし、なのに強がっていて、それがなんだかこう、
旭には、とても、微笑ましく感じられて、
(守ってあげたい、みたいな)
胸に、じん、と、感動のようなものを覚えて、旭は、落ち着きを取り戻した。
「顔上げてよ」
「…」
「こっち見てよ」
スガが、ゆっくりと赤い顔を上げる。一瞬、旭を見て、しかしすぐに逸らしてしまった。
上げた顔も、またゆっくりと、下を向いてしまう。
「スガ」
名前を呼んで、旭はスガの両手首に触れた。スガが驚いて手を引こうとするのを握って離さない。
「あっ、旭っ」
「俺は、スガに嫌がられるようなこと、なにも考えてないから」
スガがはっと顔を上げた。けれど、また、力なく目を逸らし、俯いてしまう。
それから少し震える声で、尋ねた。
「俺が…」
「ん?」
「嫌がるようなことって…、俺が嫌がるようなことって、なんだよ…?」
旭はスガを安心させるように、手首を握る手の力を弱め、さするように少し上下に動かす。
「それは…、それは…、質問に質問で返すことになっちゃうけど、じゃあどうしてスガはさっき俺の手を
振り払ったの?俺に、なにかされると思ったの?」
「そ、それを俺に聞く!?」
スガは今度は怒りで顔を赤くして旭に食ってかかった。
「だ、だって、聞かなきゃわかんないじゃん…!」
おどおどと目を逸らす旭。それでも手を離さない旭。スガは、なんだかそれを、少し、嬉しいと思った。
恐れや怒りではなく、照れで、スガはまた赤くなって下を向く。
「なにかって…、なにかって…、それは…」
「うん」
「あっ、あのDVDみたいなこと…、しっ、仕方ないだろ!あんなの見ちゃったら…!」
ああ、やっぱり、と旭は思った。そしてはっきりしたことに、ほっとした。旭はスガに優しく笑いかける。
俯いたスガがそれを見ていなくても。それでも。
「あれ、クラスのヤツが落としていったんだ」
「えっ?」
「やっぱり心配?あ、ああいうものを、誰かが持ってるって、その…」
「あ、うん、えと、す、少し」
「じゃあ、明日返すときにでも聞いておくから」
「わ、かった」
「スガ、手、大丈夫?」
旭はスガの手首を持ち上げて、ゆっくりと手のひらを上に向けた。
「あっ!血が出てる!」
「へっ、平気だよこれくらいっ…、水で洗えば、こんなの…」
スガは、旭の手から自分の手を引き抜くと、背中の後ろに隠した。
「膝は?」
「大丈夫、手を先についたから」
「そう。立てる?」
旭が立ち上がって、スガに両手を差し出す。
「あ、手、痛いだろ?腕だけ出してくれたら手首つかんでひっぱるから」
「うん」
顔を下に向けたまま、スガが両腕を旭に伸ばす。旭は手のひらの傷口に触らないように注意して手首を
つかみ、スガの体をひっぱった。
(やっぱり、スガは軽いな)
(手首も、細い)
もしこのまま、強く引いて、抱きしめたら、スガは、びっくりして、また真っ赤になって怒るだろうか。
(ちょっと、見てみたい気もする)
(いやいや、だめだめ)
嫌がるようなことはなにも考えてないと言った、舌の根も乾かないうちに、そんなこと。
立ち上がったスガに、旭は手首を握ったままでもう一度尋ねる。
「大丈夫?足、どこも痛くない?」
スガは足首を回したり膝を曲げ伸ばししたあと、
「うん、大丈夫」
と、下を向いたまま答えた。
「よかった」
ありがとう、とスガが口を開こうとしたとき、じゃりじゃりと砂利を鳴らして誰かが近づいてきた。
「旭さーん!スガさーん!」
「あ、田中だ」
「え?田中!?」
旭に握られたままの手首をスガが慌てて、それでも控えめに、少し引く。旭も察して、手を離した。
「な、なんだよ、田中っ」
「え?いや、大地さんに様子見てこいって言われて…」
なんだか機嫌の悪そうなスガと、苦笑している旭を、田中は不思議そうに交互に見た。
「そうか。わざわざありがとうな田中」
「あ、イエ」
「スガが転んだんだ。手当てしたら、すぐ戻る。心配かけて、悪かった。大地にも、そう伝えておいてくれ」
「え?大丈夫っすか?」
「手を少しすりむいただけだから」
「わかりました。じゃあそう伝えときますね!」
田中が嬉しそうに笑って元気に走って行く。旭はスガのほうを向いた。
「先に水道のところまで行ってて。俺は部室からタオル取ってくるから」
「うん」
「手を洗ったら、一緒に戻ろう」
スガは黙って、頷いた。
次の日。三年三組。
「はい」
「よかったー!東峰が拾ってくれてー!もし先生に見つかってたらと思うと…!」
旭が袋ごと差し出したDVDを、クラスメートはぎゅっと抱きしめた。
そしてキラキラした目で彼が旭に尋ねる。
「見た?」
「見てない」
「そうなんだ。好みじゃなかった?」
俺は大好きなんだけどなー、かわいいのに、これを見る気にならないなんてわけがわからない、とクラス
メートが不思議そうに首を傾げた。旭は曖昧に笑って誤魔化す。それから、話題を変えるように旭は彼に
質問をした。
「あのさ、俺の友達の菅原、って、知ってる?俺と同じバレー部なんだけど」
「すがわら?知らないなあ」
「そっくりなんだよ、その子と」
と、旭は彼の腕の中のDVDを指さした。
「えっ!?バレー部ってなに!?女バレのほうなの!?だったら紹介して俺に紹介して!」
「ちがうちがうちがう男バレ男バレ!菅原は男!」
「なーんだ!!!」
クラスメートが目に見えて落胆する。
「あのさ、それでさ」
「うん」
「その、俺の友達の菅原がここにきても」
「うん」
「似てるからって、その、あんまり変な目で見ないでやって欲しいんだけど」
「へん?」
「うん」
「あー、変て、コイツ男のくせに女みたいな顔してるなー、とか、そういう?」
「うん、まあ、そういう感じ」
「そうだな、じろじろ見られるのは嫌だもんな。
わかった。だけどそんなに似てるんだったら俺も見たい。そっとバレないようにちらっとだけ見る」
「え…、あー…、うん…」
「なんだそのはっきりしない返事。いいだろ、ちらっと見るくらい」
「う、うん…」
「なんだよ、言いたいことあるならはっきり言えよ」
「いや、あの、その、顔がすごく似てるからって、その」
「うん」
「好きに、とか」
「えっ!!!」
「えっ!?」
「いやだって、そいつ男だろ!?いくら俺の好みの顔にそっくりでも、さすがに男はムリ!」
俺は柔らかくて大きなおっぱいとむっちりした太ももが好きなの!と、クラスメートは胸を張って笑った。
■■■■■
■後書き
男子クラスメートで始まり男子クラスメートで終わる(笑)
彼はもうほんとに女の子にしか興味ないので、旭の心配はさっぱり理解できないし、この先スガを見て
三角関係になるとかそういうこともありません(笑)
(だけどすごくびっくりはすると思う。それくらい似ているという設定で書いてました)
そしてDVDは兄貴から借りてるという設定。(だからもし見つかったらしばかれたよ(苦笑))
とにかくふたりが各自で妄想たくましくしてもにょもにょしてるだけの話なので、その後のこととかはもう
今回は書かないということで。
スガにも旭にもそれぞれに対する気づきとかはあるけど、それについてなにかするとしたら、また別の
話で改めて。
ところで、最初、校舎と部室棟と第二体育館はそれぞれそこそこ離れているものとして書いていたのですが、
よくよく見たら部室棟って第二体育館のすぐそばにあるのな!(´▽`;
(一巻の大地のもういちどあそこへ行く、のシーンでもう後ろに見えとる(苦笑))
(まあたしかにそりゃ遠かったら不便よね(苦笑))
だから、行きづらい旭は最初、その距離を利用して、テキトーに行きつ戻りつぶらぶらして体育館に行く、
というふうに書いていたのですが、もう目と鼻の先でとてもじゃないけどそんなことやってられる距離じゃ
なくて(苦笑)
で、あんなふうになりましたが、旭が遅くなる理由を考えてそれに合わせて本文書き直すのにだいぶ時間
食った(;▽;)
(こういうとき、見取り図があるテニスはありがたいなー、と思います。早くハイキューもそういう設定が詳しく
わかるファンブック出すのだ(苦笑))
最初は、せいぜい大地と日向だけでしたが、(大地が走れっていうのと、サーブ練習のときの日向の描写は
最初から考えてたので)、成田を出したところからだんだん増えていって、最終的には部員全員が出演(笑)
田中も入れられてよかったわー(´▽`)
あ、成田と木下に関してはもうほとんど捏造ですんで(苦笑)
(原作のあれだけじゃ、おとなしそうでそんなに気が強くてやる気のあるタイプではなさそうだなーくらいしか
わからないし(苦笑))
あと書いてみてわかったけど、東西ってすごく書きやすいね。ボケ役とツッコミ役の役割分担が明確なふたり
というのはこんなに書きやすいんだー、と思いました。だからといって東西にはならないけど(苦笑)
(13/07/11) |