「ネガティブー、退散!!」

そう言って、あっちを向いてる旭の横っ腹を横薙ぎに薙いだら、俺の左手は思った以上に旭にめりこんで、
旭は、うめいて、体をよじった。

あっ、やば。

次に自分たちがここにくるとき、そのときはいくらか暑さがマシになってるかという話になった途端、旭が、
びくりがたがたと震えだすから俺はてっきり、

そんなに関東の暑さが堪えたのか、イヤなのか。

と思って、だからちょっとした軽い笑いでも提供して、なごませようとしたのに、

旭は聞いてないし、大地にはどうしたんだって言われるし、そもそも旭が気にしてるのは残暑のことでは
なかったし!

ぷっとふき出すくらいはしてもらえるかと思ってたダジャレが滑ったのが恥ずかしくて、誤魔化したくて、つい、
大声でネガティブヒゲ!!!とキレたし、旭にチョップも入れてしまった。

そしたらそれが、冗談では済まない痛さだったみたいで。

しまった。
きっとすぐ、旭は、痛いよスガー、と、涙目で振り向くだろう。そうしたらちゃんと謝らなきゃ。

なのに、
なのに俺にされたことにはまったく触れずに大地の言い方が影山に似てるとか言い出すから。

あれ?平気だったの?

とりあえず俺は、これ以上旭の機嫌を損ねたくなくて、旭が似てるって言う大地のモノマネに似てる、と、
賛同の意を示した。旭はもっかい、と大地にねだったけど、俺にはなにも言わなかった。

あれ?それとももしかして、口もききたくないほど、怒ってるの?

怒って、もう喋りたくない!と思って、大地の話にしたのなら。辻褄が合わないこともない。

どうしよう、もう、完全に謝るタイミング、失った。

外から、そろそろ始めますよと呼ぶ声が聞こえる。大地がほら行くぞ、と、体育館の中にいるメンバーを
追いたてた。

旭はなにも言わずに俺の前を歩いている。斜め後ろから見える旭の表情は穏やかで、とくに怒っているようでも
ない。これは、なにも気にしてないのかな?

本人に、たしかめたいと思ったそのとき、

武田先生から、

スミマセン、手があいているのならこれを洗ってあそこのマネージャーさんたちに渡してもらえませんか

と、俺と旭は呼び止められ野菜の入ったボウルをハイと手渡され洗い場に向かうこととなった。

あっ、よかった、これならふたりだけだし、話せる、

と、ほっとしたのもつかの間、俺たちの向かいにマネージャーがひとりやってきて洗い物を始めた。

あー、スイマセン、ありがとうございます、量が多くて…、と、ぺこりと頭をさげて俺たちの労をねぎらってくれる
彼女に、旭も、あー、デカイ男子がこれだけいればねえ、と笑って応じる。

あー、話せる雰囲気じゃなくなったなー…

俺たちは黙々と野菜を洗い、マネージャーたちがまな板や包丁を広げているテーブルに届けた。
ありがとうございます、助かりました、あとは私たちがやりますんでふたりは行ってください、ほら、もうそろそろ
最初に網にのせたのが焼けるころですよ。女子たちが促す。周りを見ると男子たちがみんな監督たちのもとに
集まっている。
旭はありがとうじゃあよろしくお願いしますとにこやかに言い、たっと足早に向こうに歩き出した。俺も、ついて
いった。

今日はよく食うな、スガ。
また、そう言ってくれないかと期待して、トングを持ってみたけど、なにも言われなかった。

がやがやと人がたくさんいて、旭とはなかなかふたりになれそうもない。
それに、もし近づいていって、万が一、それとなく避けられるようなことになったら、俺はもう立ち直れない。

スガくん、と、音駒の夜久くんから声をかけられる。何事かと彼の指さすほうを見ると、うちのマネージャーが
美味しそうに焼けた肉や野菜を取り囲んでいる大男たちの後ろでうろうろしていた。

あの子のあの身長じゃ、そりゃ近寄りがたいわな、

行って、助けてあげたほうがいいな、そう思ったとき、生川の主将が彼女になにか言っているのが見えた。
言っていることはよく聞こえないが、どうやら彼女が食材に近づけないことに気づいて、手助けしようとして
くれているみたいだった。

だったら、行かなくてもいいかな、大丈夫かな、と考えた瞬間、やっちゃんが肉なんだか野菜なんだかよく
わからない物体をさっと箸で挟み口の中にほおばった。俺も一緒に見ていた音駒のふたりも目を丸くする。

旭が慌てた様子で近寄ってきた。すげー黒かったけど大丈夫!?、と心配している。夜久くんが、あっ、と
声を上げた。
先輩がきてくれたならもう大丈夫だな、と。うん、だな、と、俺も曖昧に笑って頷く。
旭が彼女に水の入ったコップを差し出している。いいなあ、俺も黒コゲ食べようかなあ。

あれだけあった食材もあらかたなくなり、日も傾いてきた。そろそろお開きという、空気。
俺の前で話している主将ふたりの話を後ろ手に手を組んで聞くでもなく聞く。つま先で地面を、とん、と突いた。

結局、旭とぜんぜん話せなかったな…

なにもかもがキレイに片付けられて、宴の名残もなくなって。駐車場に向かう道、背後から旭と西谷の楽しげな
お喋りが聞こえてくる。
旭は俺のこと怒ってるのかもしれないけど、けど俺が旭に近寄らずにいれば大丈夫なのかな、そうしていれば
旭は楽しくいられるのかな。だったらいい。いいと思って俺はちょっと無理して笑った。

振り返って、関東の三校に手を振る。俺たち烏野だけが、階段を下りる。旭が少し、近くにいる。
旭は俺になにも言わないけど、近づいてはこないけど、けど、避けている、という雰囲気でもない。
柔らかい顔をしている。
怒ってないのかな?どっちだろう?

たしかめ、られたら。

だからバスの座席は、初めての東京遠征からの帰りと同じになればいいなと思った。
ふたりがけの座席をひとりで使う旭と、その横のひとりがけの座席を使う俺。最初から隣りに行ったら、旭は
嫌がるかもしれないから。

旭が別の席に座ったときのこともあれこれ考えていたけど、みななんとなく以前と同じような位置を選び、俺は
無事に旭の横の席に陣取ることができた。

バスが車体を震わせて動き出す。振動が心地よく、最初は少し騒がしかった車内も、すぐに静かになった。
旭も、眠ってしまったかもしれない。そっと目を向けると、旭の丸い目もこっちを見ていた。
日も暮れて、薄暗いバスの中、外の明かりに光る旭の目が細められる。

「スガ、起きてたんだ」

驚いて、頷くのがせいいっぱい。ささっと周りを見て、みんなが寝ていることを確認したあと、

「旭、ちょっといい?」

と、隣りの座席に身を乗り出す。旭は少し首を傾げながら、うん、いいよ、と、窓に体を寄せた。
俺はほっと、ありがとう、と、旭の隣りに腰を下ろした。

「あ、あのさ、旭」
「うん」
「あの、ごめん、痛かった?」

ああ、やっと言えた!

旭は不思議そうに、

「へ?なんのこと?」
「あの、ここ…」

自分の右脇腹をちょんちょん、と指さす。あー、そういえば、と、旭は少しびっくりしたような声で応えた。

「あのとき、旭、」

けっこう痛がってたわりには痛いと文句を言ったりすることもなかったからもう俺とは口もききたくないくらい
怒ってるのかと、
と俺はそう言いかけたけど、けど、それではなにも言ってくれない旭が悪いと責めるみたいになってしまうと
思い、

「いや、あの、俺、あのときちょっと力が入りすぎちゃったかなって」

それで、気になって、と口ごもる俺に、小さく苦笑して、

「あー、そうだな、後ろからいきなりやられて、」

うわー!どうしよう!やっぱり怒ってた!?
どうしよう!

旭は続ける。

「無防備な脇腹に入ったからちょっとびっくりしたしけっこう痛かったけど、けどスガが俺に突っこむのなんて
いつものことだし」
と笑った。

「あっそれは、そうなんだけど、」
だったらなぜ、あのときなにも言ってくれなかったのさ、と、恨みがましいことが頭に浮かぶ。そんなことは
言えないと言葉を探したとき、旭が言った。

「あっもしかして昼ごはんのときぜんぜん喋んなかったけどもしかしてそれずっと気にしてたの??」

「あっ、あっ…、うん…」
「なんだー、俺はぜんぜん気にしてなかったのに」
旭が、また笑う。
「ほんと?」
「本当」

「そっか、よかった…」
肩に入っていた力が抜ける。
「えっ、そ、そんなに気にしてくれてたの…、じゃあ、あんまり楽しくなかったんじゃない、バーベキュー」
「えっ…、あっ…、」

旭の言う通りほんとに楽しくなかったんだけど、けどここで正直にうん楽しくなかったと言うと旭が気にして
しまう。けどだからといってそんなことなかったと言うのも旭を痛い目に遭わせたことぜんぜん気にしてない
みたいでそれはそれでひどい、

答えに、窮する。

「あーごめん、なんか、答えにくい質問したな、俺」

鼻の頭をかきながら、旭が苦笑して言った。

あっ、いや、あの、
咄嗟に、俺は。

「けど、いま旭が許してくれたからそれまでのことはもういいんだ!」
旭が目をまん丸く見開く。ああ、大きな声を出してしまった。恥ずかしい。頭を抱えたい。消えてしまいたい。

「そっか、なら俺も今ほっとした」

旭。

あー!よかったー!

それから俺たちは、眠気に勝てなくなるまで長かったこの合宿のことや、これからの烏野バレー部のことを
話した。
眠気に負けたあとは、肩と肩をくっつけて深く眠った。





(15/12/31)

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