放課後、スガが体育館の扉をがらりと開けると、中にはまだ、誰もいなかった。
(お、いちばん)
広々とした体育館を、今だけはひとりじめ。スガはうーんと大きく伸びをして、床にぺたりと腰をおろした。
まっすぐ前に伸ばした足を、大きく広げ、腕を前に伸ばし、体を倒す。
(あー…)
スガが気持ちよく筋肉を伸ばしていると、また、扉ががらりと音を立てた。
体を起こして、そちらを見る。
「あ、旭」
「スガ、もうきてたんだ」
早いね、と言いながら旭が近づいてくる。
「ううん、俺も今きたとこ」
「あ、そうなの?じゃあまだ始めたばかりだ。手伝う?」
旭が両手を前に出してなにかを押すような仕草をする。
柔軟を手伝ってやろうかというのだ。
「いいの?じゃあ、お願いしようかな」
ん、と小さくひとつ頷いて、旭がスガの背後にまわった。
「じゃ、ゆっくり力かけていくから。痛かったら言ってね」
「わかった」
旭の両手が、ひたりとスガの肩に触れる。
(わ、大きいな、旭の手)
(こんなに、大きかったっけ?)
(いつのまに)
(ハイタッチなんて、一瞬だもんなあ)
(気がつかなかったよ)
スガが少しずつ体を倒す。腕を伸ばしたら肩も動いたので、旭の手がするりと背中のほうにずれた。
肩甲骨のあたりに手をのせていた旭が、ふと、あることに気づく。
(あれ…?)
(なんか…)
(やわらかい…?)
(スガの、背中)
(というか、カラダ)
以前、スガとこういうことをしたのはいつだったか。旭は記憶を辿る。
部から逃げ出す前、まだ二年生だった頃だ。
あのときは、もう少し、手に触れるスガの体は硬かった気がする。
(硬いというか、もっとこう、骨の感じがわかるというか…)
(肩甲骨も、もっと出てたんじゃないかな?)
(まさか…)
もう少し、肩甲骨の下のあたりまで、手を移動させてみる。
(やっぱり、やわらかい…)
(背骨の感じが、はっきり、しない)
「あ、あさひ」
「はっ、はいっ!?」
「おきる」
「あ、うん!」
旭は慌てて力を緩めた。体を起こしたスガが、気持ちよさそうにふいーとため息をつく。
「やっぱり人に押してもらうと自分でするよりよく伸びる感じがするわー」
「そ、そう?よかった」
「あと五回くらい、今と同じことしてもらっていい?」
「うん、いいよ」
またスガが腕を前に伸ばす。旭は、肩に手を置くような素振りで、まず二の腕に手のひらを置き、そこから、
ゆっくり、肩へと手を、動かした。
(えっ、なに?)
スガが動きを止める。しかし旭が体重をかけてきたので、スガも、今の旭の手の動きはなんだったんだろうと
気にしながらも、また体を、前に倒した。
(ああ、やっぱり、スガは)
(少し太った)
(ような、気がする)
五回してくれと頼まれた中で、旭はスガの肩、背中、腰のあたり、手が滑ってしまった振りをして脇腹のほう、
そこまで手を、あててみた。
最後は少しわざとらしかったのか、スガが、うんっ、と小さくうめいて動きを止めた。
「あ、さひ、くす、くすぐったいよ」
「あ、うん、ごめん」
「じゃ、じゃあ、あの…、もういっかい」
「う、ん、うん、わかった、押すね」
スガは恐る恐る、体を倒す。
(なんだろう…、さっきから…)
(腕とか…)
(腰とか…)
(そこまでさがったらもう、押しづらいだろ…!)
どう考えても、柔軟を補助するのに必要ないところまで触られている。
(どうして…!)
(わ、わきばらとか、ヘンな声、出ちゃったし…!)
(なんなんだよう、もう!)
(けど、お願いするって言ったのに、やっぱりもういい、って言うのもなんかヘンだし…)
旭の親指が、肩甲骨のあいだの背骨を、ぐっ、と、下から上へと撫でた。
(あ、あっ)
(なん、で)
(ど、どうしよう)
これが五回目だ。終わったら、適当な理由をでっちあげてこの場から、一度離れてしまおうか。
(トイレとか)
(あっでも一緒にとか言われたらイヤだ!)
体を倒せる限界のところまできて、スガはじいっと動きを止め、筋を伸ばす。
旭の十本の指が、スガの肉をまさぐるように、ぐぐ、と、Tシャツの布地に少しずつ、食いこむ。
(ああー!)
スガの爪が、体育館の床をかり、と、ひっかいた。
(あっそうだ!)
(交代するって言えばいいんだー!!!)
スガが息を吐ききって、吸った。起こす気配に、旭がすっと手の力を抜く。
言いにくいけれど、言わなければ、と、旭は決心した。
体を起こしたスガの肩にまだ、手をのせながら、口を開く。
「あの、スガ」
旭の手が、ほんの僅か上下する。
「な、なに?」
「うん、あの」
「う、うん」
旭の手に、力がこもった。スガが体を固くする。耳が赤くなっていはしないかと、急に気になった。
「スガ、あの、怒らないで聞いてね?」
「ん?うん?」
旭は、すっと息を吸い、吐きながら言った。
「あの、スガ、太った?」
「え?」
「あっごめん、ごめん…」
旭がバネ仕掛けみたいにぴょんと立ち上がってスガから離れた。
スガも床に手をついて立ち上がる。
「なん、て」
(え?俺、今、旭に、なんて言われた?)
(ふとっ、た?)
(太った?って、言われたのか?)
首から顔、頭に、じわりとしみわたるように血液が上がってくるのをスガは感じた。
(だから、触ってたのか)
(俺が太ったか、たしかめるために)
(俺だけあんな、なにか、意味があるんじゃないかって)
(気にして、バカみたいだ)
泣きたい。泣きそう。旭にうなじが見えるほど、スガは深く、下を向いた。
「あの、スガ…、ごめん、俺」
む、無神経で、と、口ごもる旭の目の前で、スガの短い前髪がふるふると左右に揺れる。
「あの、その、あんまりその、アレだとさ、着地のとき、膝とか足首とかに負担かかるしさ」
「…うん」
「だから、その、もし、スガに、そのそういう、自覚があるなら…」
「……」
「あの、それで余分に運動しようとか思ってるなら、その、俺も付き合うし、俺もブランク埋めなきゃだし、その」
「…うん」
スガはゆっくりと、少しだけ、顔を上げた。
「うん、あの…、体重計にはのってないからはっきりはわからないけど、そういう自覚はちょっとあった」
「そうだったんだ」
「ユニフォームが、ちょっとね…」
けどそれは筋肉がついたからだと思ってましたとスガが早口でごにょごにょと呟く。
「あ、いや、それもあると思うよ」
「そ、そう?」
スガがちらりと上目遣いで旭を見た。
「けどほら、合宿のとき、スガすごくはりきって食べてたし、それからもその、食べてただろ?はりきって…」
「はりきりすぎました」
しゅん、と俯くスガのそばに、旭があたふたと近寄る。
「あ、ごめん、スガ、ごめん」
「ううん、いいんだ、本当のことだし」
スガがすっかり顔を上げ、苦笑する。旭もほっと、笑みを浮かべた。
「な、スガ」
「ん?」
「もしよかったら、今日の帰り、一緒にスポーツショップ見に行かない?」
「スポーツショップ?」
「どうせやるなら、プロテインとか摂ったほうが効率いいかと思ってさ」
「そうだね」
「ありがとう、旭」
嬉しそうに微笑むスガに旭が照れ笑いを返したとき、体育館の扉が開きがやがやと後輩たちが入ってきた。
「じゃスガ、部活終わったら」
「うん、部活が終わったら」
終
7巻のスガさんがむちむちしてたので痩身祈願で考えた話だったんですが8巻で痩せててよかったよ(苦笑)
(13/12/31) |