菅原、孝支、という人を、
俺が初めて知ったのは、ちょうど三年前の、今みたいに暑い、夏の、大会。
これ本人に言ったら絶対ぶっとばされるだろうから言わないけど、
え?女の子?
と、思った。
スガは今でも体型は華奢なほうだし、顔立ちも女性的だけど、当時はもっと背も低くて、手足も、体も
細くて、顔も、もっと柔和で、幼くて、かわいらしかった。
けどいざ試合が始まってみれば、俺のスパイクにも臆せず手を出してきて、あっ意外と負けん気強いなって
感じだったし、
ミスしたチームメイトには積極的にだいじょうぶ!と笑顔で声をかけていて、
ああ、こういう子がいるチームっていいな、と、思ったのだった。
それから秋と冬を越して、春、
烏野高校に入学してバレー部に行ったら、そこに、あのときの女の子みたいな子がいて。
あっ、同じ高校だったんだ、ここでもバレーやるんだ、一緒にバレーできるんだ、楽しみだな、と、思ったんだ
けど…
初めての部活の帰り、今年入部の一年は三人しかいないし、みんなで仲良くしようね、的な雰囲気で
歩いていたとき、そうそうと俺が、
あずまね、って、ちょっと言いにくいだろ?だから名前で、あさひでいいよ、って言ったんだ。
すると大地も、
じゃあ俺もさわむら、より、だいち、のほうが短いし、大地でって言って、
ここまできたら当然、じゃあすがわらじゃなくてこうしで、って流れになると思ったのに、なのにスガは、
こうしだと絶対論語って言い出すヤツいるから嫌だ
と、きっぱり拒否し、スガでいいよ、中学のときもそう呼ばれてた、と笑うので、
じゃあ菅原はスガな、ということになった。
大地旭スガなんて、なんだかひとりだけよそよそしい気もしたけど、スガが嫌だと言うなら仕方ない。
たしかに、こうし、より、すが、のほうが短いし呼びやすいし、こうしは行使とか講師とか格子と紛らわしいし、
だからスガはスガでよかったと思うんだけど、
けどこのとき俺は、
あれ?なんだかずいぶんはっきりモノをいうタイプだな、と、思ったのだった。
なんだか想像していたのとちがう、と。
そう、スガは、かわいい見た目に反して、実はあんまり性格かわいくなかったよね。
むしろ、俺よりずっと男らしかったよね。
最初は控えめな上目遣いで俺を見ていたスガの目が、俺が大きな外見に反して気は小さいのだとわかった
とたん、急に強気な光を帯びてきて、
以来、その、なんというか、兄というか、親というか、親戚のおっちゃんというか、とにかくそういった、年長の
人間が子供にするような弄り方というか、構い方をするようになって、
俺はなんだか、ひどく、えっなんなの騙された!みたいな気持ちになったりも、したけど、
けどそれが、スガなりの、親しみの、愛情の表現なのはわかったので、
まあ、そんなに嫌な気持ちはしてない、というか、ときに母親みたいになにくれとなく俺の世話を焼いてくれる
のが心地よいときも、あったので、
俺はそのまま、そのあたたかいお湯につかっているような関係を、享受していた。
高二の終わり、これでやっと部活のめんどくさい上下関係ともオサラバ、と解放的な気分になっていた矢先の
試合で、俺はひたすらにブロックされ、なにも出来ないまま、チームも、負けた。
本当になにも出来なくて、スガや西谷や他のチームメイトのがんばりを俺が全然点に繋げられなかったのが
辛くて、
それを誰も責めないのが辛くて、責めないどころか庇われてしまったことがもっと辛くて、
俺は部から、逃げ出した。
年度が改まるときというのは忙しい。しばらく、誰からも連絡はなかった。
そっとしておこうということなのか、それとも、見捨てられたのか。
俺はどうすればいいんだろう?春休み、家にこもって、そればかり考えていた。
部活に行かないならせめて、と、広げた教科書やノートの中身も、さっぱり頭に入ってこなかった。
新学期が始まってしばらくして、久しぶりに、本当に久しぶりに、スガが訪ねてきた。
なんでも、すごい一年が入ってきたから、だからもう、俺ばかりに負担はかからないから、戻ってこいと言う。
なんだ、それ。
そうじゃない、そうじゃないんだ、スガ。
俺は俺にかかる負担のことなんかいいんだ、気にしてない。気にしてるのは、俺が悪いのに、誰もそれを、
責めないことだ、叱らないことだ。
あれは、甘やかされていいことじゃない、と思ったから、辛いんだ。だから俺は。
なのにスガは、そんなことばっかり。
このときばかりは、スガのその過保護な母親のような愛情が疎ましかった。腹も少し立った。
だから進路指導にかこつけて、さっさと席を立ったんだ。
俺のことを考えて心配してくれてるのはわかったけど、だからといって、ハイそうですかじゃ戻ります、なんて、
そんなの言ったら、
そんなの言ったら、めちゃくちゃカッコ悪いじゃないか。
だって俺はラクしたいわけじゃない。
結局、いちばんおっかない大地から復帰の了承が得られた?みたいなカタチになって、意を決して体育館に
行ったらあれよあれよという間に練習試合にひっぱり出されて、
それでまた、俺はこうして、バレー部に戻って、こうして、スガと一緒に、ふたりで並んで帰ってるんだけど。
…けどなんかスガ、さっきからずっと黙ってるな。
疲れたのかな、暑いし、話したくない気分なのかな、自販機があったらそこでなんか買ってちょっと休もうか
とか言ったほうがいいのかな、とか思ったけど、
けど自販機はないし、坂ノ下はとっくに通り過ぎちゃったしで、昔のことを思い出しながらぼんやり歩いてる。
あのとき、スガが訪ねてきてくれたとき、同じように教室まで訪ねてきた日向に、
俺はエースじゃないよ、
と言った、とき、ちらと視界の端に入った、スガの傷ついた顔が、ふいに思い出された。
心配して、くれてたのに、ごめんな。
俺はそんな態度だったのに、それでも俺の目の前で、また自分のトスでスパイカーが止められるのは怖い、
怖いけどまたあげる、と言い切ったスガ、すごくカッコよかった。
けど、なのにスガは、俺が部にいない間に、レギュラーの座を影山に奪われていて、
もし俺がずっと部にいたら、俺とスガの連携だって日向と影山のそれに負けてないでしょともっとコーチに
アピール出来てたら、
そうしたら、もしかしたら、スガは、と思うと、申し訳なくて、だから、だから俺は、俺がもっと
…あ。
前から自転車がきたので、脇に避けた。
当然、隣りのスガも気づいて、俺と一緒に避けるだろうと思っていたのに、こっちにくる気配がない。
え?
おかしいと思ってスガを見たら。スガ下見てる。前見てない!
「!、スガ!」
咄嗟に腕を伸ばして肩を掴んだ。引っぱった。力いっぱい。だってもうすぐそこまで自転車が迫っていたから。
そしたら、
軽っ!!!
思った以上にスガの体は軽くて、スガの体は想定外のスピードでこっちに飛んできて、と思ったらスガが肩に
かけていたカバンが振り回されて揺れてスガも俺も、少しよろめいたから俺は、スガの腕を掴んで、両手で、
スガの体を、自分の胴体で、受け止めた。
「あー… びっくりした…」
だって避けないし、それに、
それに、こんなに軽くて、俺の、俺の腕の中に、すっぽり、すっぽり収まってしまうくらい、小さい、とは。
そりゃ、見れば、それくらいわかった、けど。けど、ほんとにそうとか、ほんとにそうとか。
ほんとにすっぽり収まるんだって実際にそうしてほんとにそうなんだってわかったらそれはそれでびっくり
なんだよ!
と、俺が、あーびっくりした、あーびっくりした、と、とにかくびっくりしている間、スガがじっと動いてないのに、
はた、と、気づいた。
そうだよな。スガのほうが、事故りそうになって、びっくりしたよな、怖かったよな。俺、いきなりすごい勢いで
引っぱっちゃったし。
「あ、ごめんな。びっくりさせて」
スガが顔をあげないので、俺は腕を掴んでいた手を離して、スガの背中をぽんぽんと叩いた。
「…」
それでもスガは動かない。どうしよう、よっぽど驚かせてしまったみたいだ。
「前から自転車が来てるのに… スガが避けないから、それで、俺も慌てて… ごめん」
こうすれば少しは落ち着くかなあと、内心、よしよし、よしよしと念じながら、そっとスガの背中を撫でる。
すると、目の前のスガの耳にすっと赤みがさした、かと思うと、
「ほ、ほっといてくれても、大丈夫だったよっ、たぶん!っ、過保護!」
えええええ。
スガが俺の体を押す。慌てて腕をどけると、スガは俺から離れて向こうを向いた。
耳、も、うなじのあたりも、赤くなっている。
あ、そっか、恥ずかしかったのか。けどほんと、危なかったし、その、
「…ううん、ごめん、助けてくれたのに、ごめん」
恥ずかしがってるスガになんて声をかけたら、と思ってたら、スガからごめん、て言ってきてくれた。
「スガ…」
いいよ、照れ隠しで言っただけなんだろ?怒ってないよ、
そう、言おうとしたら、スガがずんずんずんずんと歩き出した。え?なんで??
「ああ、もう、旭は、そんなふうに、」
え?俺のこと?
「強くて、カッコよくなるから、悔しー!!!」
…どういうこと??
カッコいい、って、なに?ぶつかりそうだったのを、助けたこと?けど別に、そんなの、当たり前だろ?
…?
…。
ああけど、気の小さい俺の面倒を、母親のようにみてきたスガからしたら、俺がもうその世話を必要としない
みたいになっちゃうの、嫌なのかな。
カッコいいの悔しいって、俺がカッコいいとダメなの?
けど、
けど、俺だって、あのとき、部活サボってたとき、みんなに迷惑かけたから、心配してくれたから、だから、
もうヘタレじゃなくなろう、
俺もスガみたいに、怖いけど、けどがんばる、をやろうと思っているのに、
けどそれダメなの?俺がスガを見習うのはダメなの?
「ちょっと待って、スガ」
追いかけて、スガの手を取った。指が少し絡む。
「待って」
スガは素直に立ち止まった。いいんだと思って手を引いた。スガは引かれるままこっちを向いた。
「スガ」
呼ぶと見上げてくる。スガの顔が赤い。
スガはうん、と返事をして、すっと目をそらした。
少し絡んだ指はそのままに。
スガは俺が、スガの世話焼きを必要としなくなっちゃうみたいで嫌なのかもしれないけど、けど聞いてよ。
「スガ」
それでも聞いてよ、の気持ちをこめて名前を呼ぶと、スガが小さく、ん、と答えてくれたので、言った。
「俺は、一度、バレーから逃げたから。それで、スガや、みんなに、迷惑、かけたから」
心配もしてくれたのだろうなとは思ってる。けどここで心配という言葉を使うのは、あまりにおこがましくて、
ずうずうしい気がして。
「だから、今度こそ、ちゃんと、もうみんなに迷惑かけないように、しっかりしようと、思ってるん、だけど」
思ってるんだけど、思ってるんだけど、だけどスガは、もう俺が、スガに世話焼かせないですむ様に、って
思うこと、を
言い淀んでいると、スガが続きを促すように、うんと頷いた。
「けど、スガは、それ、イヤ?」
言って、俺は返事を催促するみたいに、スガに触れる指に少し、力をこめる。
…
返事はない。
「スガは、俺が、気弱な、ヘタレのままが、いいの?」
「…、…いくない」
「いくないんだ」
ヘタレなままではよくないと、成長してもいいと、スガもそれは思ってくれてるんだ。よかった。
「いくない。いくないけど…、けど…、けど…」
けど?
「…悔しいよ。やっぱり、ちょっと…、俺、負けてるって、思う…」
負けてる?スガが?俺に?どうして?そんなことない。
だって俺が今こうしてがんばってられるのは、怖くてももう一回とスガが言ってくれたから。
スガがそう言って、がんばるところ、見たから。
だから俺も、
だから俺も、もっとがんばって、がんばって勝ちに必要なスパイカーになって、そして、
俺にトスをあげるのは、影山じゃなくてスガがいいですって、
そう、言えたらって。
「そんな… スガだって…」
「がんばってるって、言ってくれるの?」
そうだよ。俺にトスあげたいって言ってくれたことも、チームが勝つために自分に情けはかけるなとコーチに
釘を刺しに行ったことも、夜中こっそり、サインのメモ書いてたことも、他にも、いろいろ、
スガはいつも、自分に今、出来ることを、いつもがんばって、
「う、うん、そう!スガだって、がんばってる、影山には出来ないけど、スガには出来ること、たくさんある」
「はは、恐ろしくない笑顔とか?」
「恐ろしいって…」
そういえばなんか企んでる顔みたいなこと、言われてたなあ。思い出して、思わず噴き出してしまう。
「たしかに影山は凄く上手いけど、けど俺は、今でもやっぱり、スガのトスのほうが、打ちやすいんだよ?」
「えっ!?ほんと!?」
俺としてはごく当たり前のことを言ったつもりだったのに、言ったこっちが驚くくらい、スガの顔が輝いた。
喜んでくれたのなら、俺も嬉しい。
「ホント」
「…ありがとう、旭。嬉しい」
嬉しい、と細める目元が、ぽわっと赤い。照れた顔がかわいい。繋いだままだった指を、スガがきゅっと握る。
よかった、と返事するように、俺も握り返した。
ふふ、とスガがまた嬉しそうに笑う。
俺も嬉しくなって、笑った。
そっと指が離れて行く。スガが、うーんと大きく伸びをした。
「あー!元気出た!明日も練習がんばれそー!」
そうか。よかった。
「あ、そうだ、旭」
「ん?」
「さっき、みんなに迷惑かけた、って言ってたけど」
「あ、」
「かけてないから。かけてたのは、迷惑じゃなくて、心配だからね?」
俺がさっき、ずうずうしいかなって思って、口に出さなかった言葉。
「スガには、かなわないなあ」
早く心配かけないように自立したいけど、それはまだもう少し、先みたいだ。
(14/05/19) |