『ねえ旭』
俺の就職が決まって、スガも大学の合格通知を手にして、あとは卒業を待つばかり。
久しぶりに部活に顔を出して、後輩たちの練習相手になった、その帰り道で、スガが、口を開いた。
『なに?』
答えると、スガは黙って立ち止まる。俺も立ち止まる。誰もいない道。隣に並んでいたスガが、俺のほうを
向く。俺も、スガのほうを向いた。
『もし、どうしても、この人と一緒になりたい、という異性が現れない限り。それまでは、
誰のものにもならないで、俺と一緒にいてください』
それは、どういう意味だったのか。今でも、はっきりわかっていない。
けど俺は、そのとき
『うん』
『わかった』
と、頷き、返事をしたんだ。
スガが小さく笑って、俺に手を、差し出す。俺はその手を取って、しっかり、握った。
そのあと俺たちは、俺の会社とスガの大学の中間に部屋を借りて、一緒に暮らしている。
今は、リビングの代わりにも使っている広いほうの俺の部屋で、俺は俺のベッドに寄りかかりながら、スガは
五月の夜はまだ寒い、と、俺の脚の間にすっぽりと収まって俺を座椅子代わりにしながら、見るともなく、
テレビの情報番組を見ていた。
「ね、スガ」
お尻を引いて姿勢を正し、腕を腹にまわして、スガを抱える。
「んー?」
「スガは、いつから俺のこと、そういうふうに思ってくれてたの?」
スガは、んー…、としばし唸り、答えた。
「旭が、その逞しくて強そうな外見とは裏腹に、ヘタレで、気が小さいんだって、わかったときから?」
「ヘタレって…」
「そのときから、かわいいな、とは、思ってたよ?」
「かわいいって…」
「かわいいじゃないか」
ふふっとスガが笑う。胸からその震えが伝わる。しかしそれが、不意に止まった。
「好きとか」
スガはすっと背筋を伸ばすと、少しだけ体を前に倒した。俺から、離れる。
「好きとか、キライとかじゃなく、旭を他の人に取られたくないっていうか、俺が、旭の、って」
「…」
「初めてそう思ったの、あの、町内会の人たちとの、試合のとき」
「あの、試合のとき?」
俺が部に戻る、きっかけになった、あの。
「うん。あ、テレビ消していい?」
「あ、うん」
しんとした部屋に、スガの声が、ぽつぽつと、零れる。
「あのとき、烏養さんに、セッターをひとり、貸してくれって言われたとき、こっちには、俺と、影山がいて」
「うん」
「俺は、お前に、凄いセッターが入ってきた、だから戻ってきてくれって、言った、だから」
「うん」
「だから俺は、本当なら、影山に、影山向こうに行ってくれないか、って、言わなきゃ、駄目だったんだ」
「…」
「言って、お前に、影山のトスを、見せて、お前に、」
「…うん」
「影山のトスは、凄いだろ?って、これで、お前のスパイクの成功率は、飛躍的に上がるって、お前はもう、」
「…」
「お前はもう、ブロックに、捕まらないで、済むんだって」
「うん」
「言うのが本当だった。けど俺は、あのとき、どうしてもそれを、言いたくないって、思って、しまったんだ」
スガが、スガの腹にまわしている、俺の腕を、くっと掴んだ。
「俺はたぶん、影山にレギュラーを取られる。ここで、影山に行かせてしまったら、もう、俺は、お前にトスを、」
「あげられないかもしれない」
「…」
「…それに、旭はさ」
「?」
「旭は、気が弱いから、あそこまできたら、もう、やっぱり部に戻るのイヤです、なんて、言えないだろ?」
「あ…、うん…、そうかも…」
ははっと苦笑すると、スガも少し笑った。力の入っていたスガの手が、緩む。
「影山のトスが、お前の気に入ろうが、気に入らなかろうが、お前は部に戻ってくる。戻ってきて、俺とは」
「…」
「俺とは…」
「…?」
「俺とは、なんとなく、気まずい…、気まずくて、ぎくしゃくした…、そんなままなのかな、って、思ったら」
「…」
「俺は、レギュラーから外されて、部外者みたいな立場から、お前と影山を、ただ見ているだけなのかなって」
「…」
「そう思ったら、あのとき、ああ言わずには」
「うん」
「いられなかったんだよ、今はまだ、俺が旭のセッターでいたいんだって、」
「俺がお前に、トスをあげたいんだって」
「恐いけど、でも、」
「もう一回、もう一回だけでもいいから、また、前みたいに、お前と」
「旭に、どうして新しいセッターじゃなくて、お前がでしゃばってくるんだって、思われたら、どうしようって、」
「恐かったけど、」
「それでも俺は、もう一回だけでもいいから、お前と、」
「バレーがしたかったんだ」
「どうしてもお前と、一緒に、バレーしたかったんだ」
「影山に、そっちに行って欲しくなかったんだ」
「だから」
「うん、ありがとう、スガ」
人の話を聞いてて、こんなに、胸がいっぱいになったのは、生まれて初めてだ。
知らなかった、自分が、こんなに大事にされていたなんて。こんなに、求められていたなんて。
あらためて、腕をぎゅっとまわして、体を倒して、スガにぴったりとくっつく。
「あ、あさひ」
「ありがとう、あのときはごめん、ありがとう、スガ」
嬉しくて嬉しくて、俺はスガの後頭部に、顔をうずめる。なんだか今とても、くっつきたかった。
「こ、こら、くすぐったいおもい!」
スガがじたばたするので、俺はスガを抱きかかえたまま、後ろに倒れ、ベッドにもたれる。
俺の体重から解放されたスガがほっと、息をつく。
しかしまたすぐに、力を入れて、じたばたと体を動かし始めた。
「あー!ちょっともう恥ずかしい!あー!たくさん喋ってのど渇いた!コーヒー!コーヒーおかわりしたい!」
「うん」
「うんて言うなら離してよ!ほらもう、旭のも淹れてくるから、ほら!」
「うーん」
「なんなのそれ!?イヤなの!?」
「だって、嬉しかったから、すごく」
「あさひ」
「だから、だからもうちょっとだけ」
「…」
「もうちょっとだけで、いいから」
スガの体から、力が抜けた。
「…ほんと、ちょっとだけだかんな」
「うん、ありがとう、スガ好き」
俺がそう言うと、スガの体がぴくっと跳ねて、それから小さく、俺も好き、と、聞こえた。
(14/05/27) |