「ぐっ……」

最後のチカラを振り絞ってぶつけた闇の魔力は、まるで悪魔のように禍々しい姿の剣がその身を粉々に
砕くのと引き換えにかき消された。
体が言うことをきかない。地に崩れ落ちる。
勇者とその同行者を葬り去り大樹に守護された伝説の剣を奪う。ウルノーガから下されたその命令、もはや
果たせそうにない。

「ホメロスを追って、来てみれば…」

ああ…

グレイグ。来たのか。そして王…、ウルノーガも。

「グレイグよ、この者の姿を見るがよい…」
ロウ様とマルティナ姫が口々に俺の所業をグレイグに訴える。終わりだ。ウルノーガのもとで、俺の望みを
叶えるために尽力することは、もう。

「…っ!?」
人の気配が近づいたと思ったら、利き腕を掴まれ背中に押し付けられる。ぐっと、重みがかかる。誰が。
「グレイグさ…、グレイグ将軍!早く!早くこの人を捕まえてください!」
この声。勇者。なぜ。知っていることを喋らせるため?
だが無駄だ。俺は何も喋らないし、仮に喋りたくても喋る前にウルノーガが俺の口を封じてくれる。だから
安心してじっとしていた。勇者が退き、グレイグがのしかかっても、じっとしていた。

ウルノーガ…
鈍いグレイグや城の外で暮らす王国の民は騙せても、十六年もの間離れていたとはいえ実の娘である
マルティナ姫と、賢王と呼ばれたロウ様の目を欺くことは容易ではあるまい。
どうか、俺にかぶせられるだけの罪をかぶせて派手に処刑してくれ。俺を見せしめに衆目を集め、国民の
支持を得、それを隠れ蓑に事を運び、あの大樹を落とせ。
そうすれば、そうすれば俺は…、俺は…

「ホメロス」
頭上から、グレイグの声が降ってくる。
「…なんだ」
「痛くはないか?」
何を言っている。罪人相手に。お前は俺が何をして今こうなっているかわかっているのか。
「…気遣いなど、不要だ」
だが、と、グレイグは少し押さえるチカラを緩めた。
「戦いに敗れ、倒れた者をさらに痛めつけるような非道なことはできぬ」
なんだと?
あまりの屈辱に、カッと、全身が熱くなる。
「ホメロス、俺は、俺と共に国を守ると誓い合ったお前が自ら進んで魔に服従するとは思えない。きっと、何か
事情があったのだろう。それを打ち明け、心から謝罪すれば、きっと王も許してくださるはず」
グレイグが何を言っているのか、理解できない。許す?俺のしたことを?なぜ、そんなふうに思える?
返事をせずにいると、グレイグは俺の体を起こし地面に座らせ正面から両肩を掴み、俺の顔を覗きこんだ。
「お前のその頭の良さは得難いもの、失ってはならぬ国の宝だ。俺と一緒にやり直そう。大丈夫だ。安心しろ。
俺がお前を守ろう。俺はどんなときだってお前の味方だ」
「…グ、レイグ」
俺がどんな気持ちで、どんな理由でお前を裏切ったのか知りもしないでよくもそんなことを軽々しく言えるな。
英雄様だからか。
強くて強くて強い英雄グレイグ様だから、親友から手ひどい裏切りを食らってもなんともないと、それどころか
慰め慈しみ守ると、そう言うのか。

お前の、そういうところが、俺は…!!!
だから俺は、大樹を。だから、俺はウルノーガの誘いに…!

はたと気づくとそばの勇者もうんうんと頷いている。どうしてだ。いやそんなことより、これは。
まずい。これは下手したら助命の嘆願が聞き入れられるかもしれない。王も英雄と勇者の頼みを無下にする
わけにはいくまい。
ならばこのまま生きて、ウルノーガが大樹を落とすのを待っていれば?世界を破滅に導こうとして死ぬまで
牢に繋がれる極悪人として俺がグレイグの、勇者の、世間の目を引きつけておけば、きっと事を運びやすく
なるはず…
しかしもし、もしも、デルカダール王の正体がばれて勇者に倒されてしまったら?そのとき俺は、死ぬまで
グレイグの手元に置かれ、死ぬまでグレイグに守られながら生きるのか?死ぬまで?死ぬまで?

そして大樹がこの世界にある限り、生まれ変わって、また、
また、
グレイグと。

「…嫌だ」
「?」
「そんなことは、もうごめんだ」
「ホメロス?」
「いい加減にしろ!!!!!!」
渾身のチカラでグレイグを突き飛ばし、駆け出した。ざわめきと、そして、よい、グレイグに任せておけ、という
王の声が耳に届く。ありがとう。空に向かって大きく伸びる大樹の枝へと一心不乱に足を動かす。

「待ってくれ!ホメロス!」

嫌だ。俺はもうお前から逃れたい。

「待て!このままでは本当に反逆者として殺されてしまう!」

とうの昔に殺されてたよ。英雄グレイグ、お前の存在は俺を殺し続けていた。
俺を守る?そんな関係は対等な友人関係とは言えない。俺はお前と対等でいたかった。同じところに、立って
いたかったんだ。

けど、それは絶対に叶わない。俺がどんなに努力しても願ってもグレイグ、お前がいる限り絶対に。

だからもう、この苦しみを、終わらせる。ここで。

グレイグの荒い息が近づく。改められもしなかった鎧の腕の覆いの中から小剣を取り出す。頭にひりと痛みを
感じるか否かの刹那、それで髪の結び目あたりをばっさりと薙いだ。あっと忌々しげな声。髪を掴んで引こうと
したグレイグがよろめくのが気配でわかった。振り返らない。大樹の大きな枝の先端まで行く。
髪を束ねていた紐がはずれて落ち、不揃いな長さの髪がばさばさと強風に嬲られた。目の前にあるのはもう、
空だけ。

「…ホメロス」
振り向くと、グレイグは少し離れたところに立っていた。強張った顔。さすがの英雄も少し踏み出せば落ちる
この枝の先端は怖いと見える。
そしてまだ、手には切り捨てられた俺の髪を掴んだまま。未練がましい。腹が立つ。強く睨めつける。
「お前が、故郷バンデルフォンの小麦畑によく似ていると言った髪なぞもういらぬ」
グレイグが息を飲んだ。そんなに意外か?俺が今、主君と仰ぐ相手はお前の美しい故郷を滅ぼした魔王
ウルノーガだぞ?それをお前は、許すだの、守るだの。呆れて物も言えない。

「ホメロス、なぜ…」

なぜ?なぜと問うのか?しかしその問いに答えても俺の言葉はお前に届くまい。理解できまい。
強い英雄様はその強さで俺を包み愛し慈しみ見守ろうとするだけで俺と同じところには立ってくれない。俺と
同じ痛みを感じてはくれない。

俺はお前と同じところにいたかった。しかしいられないというのならもういなくていい。未来永劫いなくていい。
大樹を落とし、転生の循環を断ち切る。行き場をなくした魂はやがてすべて消滅する。お前も、俺も、みんな。
俺はお前と同じところに立てない。そして、他の誰かが立つこともない。
グレイグ、それがお前との誓いを破ってでも叶えたかった俺の望み。

「ホメロス!そこは危ない!ひとまず戻れ!」
グレイグがじり、とこちらに近づき手を伸ばそうとする。
「くるな!!!」
「嫌だ!!!」
くそっ!こうなったらグレイグは頑固だ。
「追い詰められた反逆者を捕らえようとして共に大樹から落ちてしまうなどバカの極みだ!国一番の英雄が
いい笑い者だ!!!」
「俺はそれでも構わん!!!」
「グレイグ!!!」

だから…

目の奥が熱くなる。見えているものが歪む。あふれて頬を濡らす。

「だから、俺はお前が、大嫌いなんだ…」
「ホ、メロス…」
急にしおらしくなった俺に驚いたのか、動きを止めたグレイグの足元に小剣を飛ばす。避けようと気を取られた
ほんの僅かな隙に腰の剣を思い切り、顔を狙って投げつけた。大丈夫、あいつなら致命傷になりはすまい。
「ぐう!」
うめいたグレイグの額のあたりから赤いものが飛び散る。バカだな、そんな髪、後生大事に持っているから。
最初に小剣を受けたとき、追撃に備えて右手で剣を抜いていればまだマシな対処もできただろうに。
流れる血が入るのか、目を開けていられないようだ。額を押さえて、動けずにいる。
お別れだ、グレイグ。
大樹が落ちるのを見届けることはもう叶わないが、しかし、今のこの体ならばおそらく。望みの、半分だけは。

「闇に染まった俺の体はもう魔物のそれだ!死ねば骨も残さず消えてなくなり、魂が大樹に還ることもない!」
「ホメロス!」
「二度と人として生まれてくることもない!二度とお前と会うこともない!心の底からせいせいする!さよなら、」
「待て!ホメロス!」
「さよならグレイグ!永遠に!」
「ホメロス!!!」
身を翻す。グレイグの目は開いていただろうか。俺を見ていただろうか。双頭の鷲が羽ばたくのを、その目に
焼き付けただろうか。
デルカダールの双頭の鷲。俺はお前と本物の双頭の鷲になりたかった。けれどその望みが叶えられることは
もう永遠にない。そのことに、心から安堵する。

祈ろう。最後の瞬間まで。いつか、大樹が落ち、世界が死に絶える日がくることを。

グレイグ。何もかもがなくなってしまった世界で、お前を待っている。





(18/02/12)

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