おばあちゃんのうしろにくっついてゆっくりと階段をおりる。
いっぽ先に、二階の廊下におりたおばあちゃんが、手すりに手をかけたまま、うしろのぼくを振り返った。

「キース」
「なに?」
「手紙を書くと言っていたけれど、キースは、便箋や、封筒を持っているのかい?」
あまりかわらない高さにあるおばあちゃんの目が、じっとぼくを見る。

「え、と…、うん」
「そう。ならよかった」
おばあちゃんはにこりと頷くと、手すりから手をはなして、一階へおりる階段のほうへ向かおうとした。

「あ…、でも…」
「?」

ぼくがもっているのは、白いびんせんと白いふうとう。とてもシンプルな。
まじめなことを書くとぴったり、な感じ。
でも少し、ひややか、な感じ。

やさしくて、あたたかいことを書くのには、ふさわしくない、感じ。

「どうしたの?」
もういちど振り返ったおばあちゃんが、ふしぎそうに首をかたむけた。

「うん…
あのね、もってるんだけど、それはただ真っ白なだけで…」

おばあちゃんはそこで、ああ、と、なにかに気がついたような顔になった。

「なるほど。
わかった、キースはそれでは、少し素っ気ないんじゃないかって、思うんだね?」
「そっけない…
うん!そう!ぼくはあれだとそっけない、って、思う!」

そう、それだ。そっけない、だ。
おばあちゃんは、わかったよ、と答えるみたいにひとつ頷く。

「じゃキース。おばあちゃん、今、部屋からおばあちゃんの持っているもの、出してきて見せてあげるから。
気に入ったものがあったら、持ってお帰り」
「ほんと?ありがとう!おばあちゃん!」
「だから、キースは先におりて、テーブルの上をかたづけておいておくれ」
「わかった!」
「よろしくね」

これはおばあちゃんがしまっておくよとぼくから懐中電灯をうけとり、おばあちゃんは、二階にあるじぶんの
部屋へと向かった。
ぼくも、のこりの階段二段をぴょんと飛びおり、いちもくさんに一階にかけおりる。

ダイニングキッチンに戻ると、ぼくはまず、かかえた辞書を大事にカバンの中にしまった。
それから、空になったカップや、皿を、洗い場までもっていく。

ケーキののった皿はテーブルのはしに寄せ、
クロスの上に少し、こぼれていたケーキのかけらは、手で集めてくずかごに。

よし。これでおばあちゃんがたくさんびんせんをもってきてくれても、だいじょうぶ!

「おまたせ、キース」
おばあちゃんが、両手で箱をもってそろそろと歩いてくる。
「おばあちゃんありがとう。テーブルのうえ、かたづけておいたよ」
「うん、ありがとうね」

おばあちゃんはテーブルの上に箱を置き、ふたをあけた。
「さ、どれでも好きなものをお選び」
「うん!」

ぼくは、箱のなかのものを両手でつかんでテーブルの上に出した。
そっと、手でひろげてみる。

「わ…」

色も、大きさも、手ざわりも、模様も、さまざまな。
たくさんある。
いったい、どれがいいだろう?

シウの、喜びそうなもの。シウに、似合いそうなもの。

「…うーん…」

ぼくは、いっしょうけんめいに、今日、じぶんの目に映った、シウの姿形を、じぶんの感じたシウの雰囲気を、
あたまの中に思い浮かべた。
そして、そのあたまの中のシウと、今、目のまえにある紙を、ひとつずつ手にとってあたまの中で合わせて
みる。

「……」

あ。

薄いグリーン。少し暗い。少し小さい。模様はない。つるつるしてない。けど、触るとやさしい、やわらかい。

なんだか、ほっとする。
ぼくの目と手がかんじるその、ほっとする、かんじに、ぼくのあたまの中のシウも、ほっと、笑った気がした。

優しい緑の紙。
同じ紙でできたふうとう、これもほかのものよりひとまわり小さい。

……

これに字を書いて、折りたたんで、ふうとうに入れて、シウにわたす。
シウは、
これを両手でうけとる。大切に、むねにかかえる。シウのなかに、すっぽりおさまる、小さなふうとう…

うん!

「これにする」
ぼくは、そのびんせんと、ふうとうを、手に取った。

「おばあちゃん、ぼく、これにするよ」

座って、ぼくがびんせんをえらぶのをじっと見ていたおばあちゃんが、少しのりだして、ぼくと、ぼくのもって
いる紙のたばを、かわるがわるに見る。

「それだけでいいのかい?
他にも、いろいろ持って帰ってもいいんだよ?」
「ううん、ぼく、これがいい。これが、いちばんシウに、ぴったりな気がする」
「そうかい。キースが、言うなら、きっとそうなんだね」
「えへへ」
「もし、書き損じがあると大変だから、その束ごとぜんぶ持ってお帰り。
余ったら、また、おばあちゃんに返すなり、シウくんに手紙を書くなり、すればいいから」
「うん、ありがとう!おばあちゃん!」

ぼくは、えらばなかったびんせんとふうとうを、箱の中にしまった。
それから、えらんだびんせんと、ふうとうを、折れてしまわないようにきちんとノートにはさんで、カバンの中に
入れた。

「ああ、そうだ、キース」
「ん?なに?おばあちゃん」
「大事なこと、決めていなかった。お招きする日は、いつにしよう?」
「あっ」

そうだなあ、と、ぼくは考える。
学校のあとじゃ、あんまりゆっくりできない。
初めて招くシウを、帰りが遅くなるから早く飲んで!早く食べて!と、せかしてしまうようなことはしたくない。
なら…

「おばあちゃん、じゃあ、次の日曜でもいい?」
「次の日曜…、ああ、三日後のだね?」
おばあちゃんは、メガネのまんなかを指で押しあげながら、じっと、カレンダーを確認して、言った。
「うん」
「大丈夫だよ。時間は…、何時からにする?」
「そうだなあ…、じゃあ二時から!」
「わかった。お茶と、それからサンドイッチケーキ、用意して待っているからね」
「うん!ありがとう!」

あとはもう、決めることはなかったよね。
あとはもう、ぼくが、家に帰って、手紙を書いて、シウにわたすだけ。

「じゃあ、おばあちゃん、ぼく、帰ってすぐ手紙書くね!お茶とケーキ、ごちそうさまでした!」
ぼくは、カバンをもつと、勢いよく立ちあがった。
「どういたしまして」
おばあちゃんも、テーブルに手をついてゆっくりと立ちあがる。

ぼくが玄関で上着をきていると、おばあちゃんが、
「そうだ、キース」
と、ぽつりと呟いた。

「なに?おばあちゃん」
「おばあちゃん、今思いついたんだけどね」
「うん」
「念のために、英語で書いたお手紙も、一緒に渡しておくといいかもしれないね」
「、? どうして?」
「英語の手紙を、シウくんは読めないかもしれないけど」
「うん」
「だけどきっと、ご両親か、近しい大人の人の中に、英語がわかる人が必ず誰かいると思うんだよ」
「うん」
「万が一、キースの書いた中国語の手紙に間違いがあったとしても、同じ内容の英語の手紙があれば」
「あっ、そうか!」
おばあちゃんは、こくりと頷いた。

「誰かわかる人がそれを読んで、シウくんに、きっと、キースの手紙の内容をね、伝えてくれると思う」
「そうだね!
うん、わかった。
おばあちゃん、ぼく、そうする」
「うん、そうしておきなさい」
おばあちゃんは、そう言ってにこにことほほえみながら、ぼくの曲がった上着のえりを、そっと直してくれた。

「じゃ、おばあちゃん、また日曜日に!」
「うん。もうだいぶ日が陰っているから、気をつけて帰るんだよ」
「わかった!」

ぼくは大きく手をふって、おばあちゃんの家をあとにする。

ああ、やっぱりおばあちゃんのところにきてよかった!
嬉しさでからだがはちきれそう。たまらなくなって走り出す。
シウ!
ぼくは!はやくキミと友達になりたい!!

足を動かしながら、考えた。

家に帰ったら、すぐに手紙を書きたいけどまずは宿題。
手紙にどれだけ時間がかかるかわからないから、まずはそれを先にやってしまおう。
宿題をやってこなくて怒られる、なんて、そんなかっこわるいところ、シウにはぜったい見られたくない!
家に帰ったら、たぶん、すぐにごはんだろうけど、それまでに必ず終わらせよう。

宿題を終わらせて、ごはんのあとは、いよいよ手紙だ。
てがみ…

びんせんは、よぶんにあるけど、それでもあんまり無駄にはしたくない。
シウにきっと似合うと思った、その色、その手ざわり。
また、手紙を書こうと思うことがあるかもしれない。大事にとっておきたい。

そうだ。まず、べつの紙にいちど書いてみよう。
辞書で…
ひとつひとつ、調べながら?
…ううん。
作文しながら、辞書もひくのはたいへんそうだ。
まずは英語で作文してみて、それから、その言葉をひとつひとつ、中国語にかえていこう。

中国語に、かえる…
うん…
作文は、短く、しよう。
ほんとは、たくさん、シウに言ってあげたいこと、あるけど。
長い文を書いて、かえるとき、間違えたら、たいへん。
中国語は、字もむずかしい。
言葉は少なく、ひつようなものを、選んで。

シウに書く手紙のことを考えているうちに、あっというまに家についた。

「ただいま!」
お母さんのおかえり、の、お、しか聞こえないスピードで、ぼくは二階のじぶんの部屋に駆けあがる。
カバンをおろし、
中から辞書と、びんせんとふうとうのたばを、そっと、ベッドの上に、とり出して、置いた。

大切なもの。これはまた、あとでね。

それから宿題で使うノートや本をひっぱり出し、急いで制服から着替え、ぼくは、
机の椅子をひっぱるとそこにどすんと腰をおろし、宿題にとりかかった。

はやく終わらせてしまおう。
ぼくはいっしょうけんめいにえんぴつを動かした。
うん、
なかなかいい調子。

…宿題を急いですませる。手紙を書く。その手紙をシウが喜んでくれるんじゃないか、喜んで、笑ってくれる
んじゃないか、
そう考えると、そう考えただけで、元気が出てくる。嬉しくて走り出したくなってくる。
ぼくはそのきもちの勢いのままに、
宿題の問題について考え、答えを出し、それをノートに書くことが今、できていた。

きもち、いいなあ。

うん、これなら、ほんとに晩ごはんまでに宿題をすませることができるかも。

そして手紙を書いて、その手紙をシウにわたして、シウはそれを見て喜んで…
ああ、うれしいなあ…!

と思っていたのに、

「キース!帰ってから手を洗ってうがいした?
もうご飯だから、もししていないならその前にちゃんとしてきてちょうだい!」

下から、お母さんの声が聞こえてきた。
もう!
せっかく、調子よくすすんでたのに!

…。

ぼくは立ちあがり、ドアをあけてさけんだ。
「お母さん!?もうごはんなの!?」
「そうよ!冷めちゃうから、早く降りてきてね!」

……、
行かないと、怒られちゃう。

…計画がくるってしまった。
すると、なんだか、もうこのあとのことも、ぜんぶ、くるってしまうような、気が、して、きて…

中国語、むずかしいし…
ぼくは、学校でいちどシウを、びっくりさせて、いるし…

急に、心配になってくる…

…けど…、
おばあちゃんに、
『その子と友達になりたい、その子がつらかったらキースもつらい。だからやさしくしてあげたい、たとえ、
言葉が、わからなくても。』
って言われたとき、ぼくは、うん、って言った!!!

ちょっとくらい、計画がくるったから、なんだ!
だったらそのぶん、ごはんをはやく食べてしまえば、いい!

ぼくは部屋から出てドアをばたんとしめると、廊下を走り、だかだか階段をおりた。
洗面所にかけこみ、大きく蛇口をひねってばしゃばしゃと手を洗い、がらがらとうがいをした。

ふう、さっぱりした!
はやく食べて、部屋に戻って、宿題のつづきだ!

そう思って、ぼくが急いでごはんを食べていると、
「キース、どうしてそんなに急いでいるの?」
と、おかあさんがふしぎそうに首をかたむけた。

「あ…、ああ、あのね、今日は、宿題がたくさんあるんだ」
「あら、そうなの?」
「う、ん、…あ、だから、今日は少しおそくまで起きているかもしれないけど、心配しないで」
「そう。わかったわ」

やった!
もしも手紙を書くのに時間がかかったとしても、これでもう、夜おそくまで起きてても、
はやく寝なさい、って言われる心配もなければ、
廊下の足音に耳をすませて、誰かきたらさっとベッドに入って寝たふりしなきゃ、って心配もしなくていいぞ!

ほんとうに、宿題が終わったあとだったら、こんなこと、言おうなんて思いつかなかっただろうな。

…ごめんね、おかあさん。
ぜんぶがそうじゃないけど、嘘ついて。

だけどぼくにとっては、すごく大事なことなんだ。すごく。
どうしても、今日書きたいんだ。明日、わたしたいんだ。

「ごちそうさま!」
空になった食器を洗い場までかたづけ、ぼくはまた、急いで部屋に駆けあがった。

机に向かい、そのままひろげっぱなしにしていた宿題にまた、とりかかる。

…んー…

なんだか、さっきにみたいに調子が、出ないな…

おなかいっぱい。どうしよう、少し、ねむい…
さっきみたいに、問題がすらすらととけない、書けない。

…けど、

だけど、ここでがんばれないと、手紙を書くことも、がんばれないんじゃないかって、気が、した。
ここで今、がんばることができないと、ほかのことも、うまくいかないんじゃないかって、気がした。

…シウと、友達になれない気がした。

ぼくはぎゅうと両手でほっぺたをひねりあげる。
痛い。
けどこれで、だいぶねむたくなくなったぞ。
さあ、がんばろう。はやく宿題をすませて、書くんだ。シウに。手紙を。

シウに…

うん。シウが、ぼくの書いた手紙で喜んで、笑ってくれるかもしれない。
そう思ったら、元気が出た。がんばろう。

ぼくはまた、いっしょうけんめいにえんぴつを動かす。

………、

…、

よし、終わった。
思っていたより、時間がかからなかったな。よかった。

ぼくは念入りに、ほかにやり忘れたことがないかたしかめる。
うん。ない。もう。

そのあと、明日の授業で使う本やノートをそろえて、カバンに入れた。

これで、手紙のほかにしなければいけないことは、終わり。

あとはもう、シウのことだけ、考えるんだ。

ぼくはベッドの上から辞書と、びんせんとふうとうのたばをもってきて、机の上に、そっと、のせた。

椅子に座って、その、辞書と、紙のたばをじっと見て、それから目をとじて、すう、と、ひとつ息を大きく、すう。

今から、ぼくは、シウに手紙を書く。

まだ使っていない新しいノートを出して、そこからいちまい、紙をやぶった。
まずは、別の紙にいちど、英語で最後まで書いてみるんだ。

……、

親愛なる、リン・シウ様、と、書こうとして、ぼくは、
大事な、シウの名前のつづりを知らないことに、気がついた。

あ…、どうしよう…

ええと…

ぼくは英語を中国語にする辞書をめくって、英語でリン、と発音する言葉のとなりにある中国語を書いたら
いいのかな、と思ったんだけど…
だけどなんだかそれは… ちがうような?気がする…

英語でリンと発音する言葉のとなりにあるこの中国の言葉。
ふたつの言葉の、意味、は、同じはずだ。
けど、発音も同じかどうかまでは…

…字を見ても、わから、ない。

ど、
どうしよう。
どうしよう、こんな、最初からわからなくなってしまうなんて。
どうしよう、ぼくは、シウに、

シウに、なにも、伝えられな


…ん?


…あれ?


…あ。


そうだ。たぶん。きっと。シウも、今、

こんなきもちなんだ。きっと。
シウも今、こんなふうに、わからなくて、困って、どうしようって、思ってる。たぶん。きっと。

…ああ、そうだ。

だからぼくは助けなくちゃ、って思ったんだ。シウを。
助けたい、困ってなくしたい、笑ってほしい、って、思ったんだ。ぼくは。

そうだ。だから、がんばらなくちゃ。がんばりたい。ぼくは。シウのために。うん。

だから、もっと、考えるんだ。
なにか、いい方法が、ないか。どこかに、いい方法がないか。

あ、そうだ。
おばあちゃんが言ってた、
『英語で書いたお手紙も、一緒に渡しておくといいかもしれないね』
これ。これだ。

そこにちゃんと、
『ごめんなさい。名前のつづりがわからなくて、ここは英語で書きました』
って、書いておけば、きっと、たぶん、だいじょうぶ、な、はず。たぶん。

…うん、しかたない。どうしてもわからないところはもう、そうするしかない。

時間をかけて調べても、その間に、シウが、ひとりで、どんどんしょんぼりしていったら、嫌だ。
ぼくがもたもたしてる間に、誰かが、先に、シウとともだちになったら、嫌だ。

シウ。ごめんね。大事な、シウの名前を、ぼくは書くことができなくて。
シウと、友達になったら、いちばん最初に、そのことを謝るから。許して。

ぼくは紙に、リン・シウ、と、アルファベットでつづった。

『親愛なる、リン・シウ様

ぼくと、友達になってください。
ぼくのおばあちゃんの家で、ぼくといっしょに、お茶を飲みませんか?
おいしいケーキもあります。
次の日曜の午後一時に、学校の門まできてください。』

…これで、いいかな?

じゃあ今度はこれを、中国語にかえていかなくちゃ…

ぼくはもういちど、ノートから紙をいちまい、やぶった。
そして、言葉をひとつずつ辞書で調べて、英語の言葉を、中国語の言葉に、おきかえていった。

けど…

字がむずかしい。どう書いたらいいのかな?これ。
字をひとつ書くのにもすごく時間がかかる。やっと書けた字も、ぜんぜんキレイじゃない。

むずかしい…、うまく書けない…
辞書の小さい字、見るだけでもたいへん…、さがすのもたいへん…

ごつん、と、机の上にあたまをつける。


どうしよう…、もう、英語の手紙だけにしてしまおうか…?
もらった手紙になにが書いてあるかわからなくても、きっと、シウが、じぶんでなんとかしてくれるだろう…
まわりの英語がわかる大人に、シウがじぶんでたずねてくれるだろう…



…ん?

たずねてくれるだろう、って、

…なんだ?それ。

なんだそれ。ぼくはいったいなにを考えてるんだ。

机にくっつけていた、あたまをあげる。

ぼくはシウを喜ばせたいのに、笑ってもらいたいのに、そんな、また新しくシウを困らせるような、
シウがわからない英語の手紙をわたして、シウを困らせるような、そんなこと、

していい、わけない。

していいわけない。そんなことしたくない。
英語の手紙をもらったシウは、きっとがっかりする。
そんなこと、ぼくはしない。

……。

もういちど、よく見て。

ぼくは、使ってないノートをひろげて、まずは大きく書いてみた。
なれるんだ。中国の字に。
同じ字を、何回か、書く。
うん、だんだん、キレイに、なってきた。なれてきた。中国の字に。これなら…!

「キース!お風呂の時間よ!」
「え?」

もうそんな時間なの?

調子が出てきたところで、また…
いいや、おふろもはやくすませてしまおう。

おふろで、あたまを洗いながら考える。
字を、ぎりぎりまで練習したい。なら、大人の人への手紙を、先に書いてしまったほうが、いいかも…

急いでおふろをすませて、髪をかわかして、またふくを着る。
はやく部屋に戻ろう。

英語がわかる大人の人に読んでもらうつもりの手紙は、できるだけぼくが考えていることをくわしく書いた。

『シウくんのお父さんか、お母さんか、シウくんに近しい大人の人へ

はじめまして。ぼくはシウくんの新しいクラスメートの、キースといいます。

ぼくは、ぼくのクラスに転校してきたシウくんを見て、友達になりたいと思いました。
けどぼくは、中国語がぜんぜん話せません。
だから、手紙を書こうと思いました。
話せなくても、辞書で、中国語を調べて、手紙を書くことなら、できるんじゃないかと、思ったからです。

だけど、リン・シウ、のつづりがわからなくて、ここだけ、アルファベットで書いています。
大事な、シウくんの名前なのに、ちゃんと書けなくて、ごめんなさい。

手紙は、最初、英語で書いてみて、それから、英語の言葉を、ひとつひとつ、中国語に、かえていきました。
けど、ほんとうに、正しく、おきかえられているのか、ぼくは自信がありません。ごめんなさい。

なので、こうやって、英語の手紙も、いっしょに、書いています。
シウくんの近くに、きっと、英語がわかる大人の人が、いると思うからです。

お願いです、もし、ぼくの中国語がまちがっていて、ぼくが書いたことがシウくんに伝わっていないときは、

「ぼくと、友達になってください。
ぼくのおばあちゃんの家で、ぼくといっしょに、お茶を飲みませんか?
おいしいケーキもあります。
次の日曜の午後一時に、学校の門まできてください。」

と、書いてあるのだと、どうか、シウくんに伝えてもらえないでしょうか?

ぼくは、シウくんを、お茶に招待したいのです。
いっしょに、おいしいお茶を飲んで、おいしいお菓子を食べれば、きっと、シウくんも、喜んでくれるんじゃ
ないかと、ぼくは思っています。

おばあちゃんがいれてくれるお茶は、とてもおいしいです。
おばあちゃんが作ってくれるおかしは、とてもおいしいです。
おばあちゃんの家はいつもきれいで、かたづいていて、日がよくあたって、あたたかくて明るくてきもちが
いいです。
庭には、きれいな花がさいています。芝生は、やわらかくて、ねころがると、きもちがいいです。

きっと、シウくんも、楽しいと思ってくれると思います。

だから、どうか、お願いします。
ぼくがシウくんをお茶に招待したいことを、伝えてください。お願いします。』

…これで、いいかな。

もういちど、読んでみた。
うん。これを、びんせんに、書こう。

ぼくは同じことをもういちど、今度はびんせんにできるだけていねいに書いて、それから、ふうとうにしまった。

宛名は、『シウくんのお父さん、お母さんへ』、にする。

そうだ、ここは、シウにもわかる言葉のほうがいいかも。
お父さんや、お母さんに、ちゃんと、わたしてもらわなくちゃ。

ぼくは、辞書で、お父さん、と、お母さん、を、調べて、英語の宛名の下に、書きくわえた。

さあ、あとは、シウへの手紙だけだ。

ぼくは、すこし考えて、先に、ぜんぶの言葉を、中国語におきかえてみることにした。
何回か辞書をひいているうちに、文字にも、かんたんなものと、むずかしいものとがあるんだって、気づいた
から。

ぜんぶ、書いてみて…

むずかしくて、うまく書けない字だけ、くりかえして、練習する。
もう、ねむい。
ぼくは、ぱんぱんとほっぺたを両手で叩いた。

もう少し、もう少しだけ、きれいな字を、書きたい…!
シウに、シウに、喜んでもらいたい…!

ぼくは、髪の毛をつかんでひっぱった。痛い。痛い。
だけどこれで、最後に、びんせんに書くまで、ちゃんと目を、あけていられそうだ。

練習した文字を、ひと文字ずつ、ゆっくりと、おちついて、ていねいに、ていねいにびんせんに書く。
書き終わったびんせんをふうとうに入れ、
ふうとうの表に、リン・シウ様、うらに、じぶんの名前を書いたとき、ふにゅ、と、からだの力がぬけた。

うん、やった。できることは、ぜんぶやった。
ぼくは、よっこらしょと椅子から立ちあがり、着替えもしないで、ベッドにねころがった。





次の日。

教室に入る。シウは、まだきていない。
ぼくはそわそわと、手紙を机の中のいつでも出せるところに入れて、シウが入ってくるのを、待っていた。

授業がはじまる、鐘がなる。

先生が、教室に入ってきた。そのあと、シウもいっしょに入ってきた。

…どうして、先生といっしょなの?

休み時間は、昨日とおなじ。
先生が、シウを連れて、いっしょに出て行ってしまう。
お昼休みも、いない。

シウは、どこでお昼ごはんを食べているんだろう…
シウは、どこにいるんだろう…
シウは、だれといっしょにいるんだろう…

どうしよう、いつも、先生といっしょで、シウに、手紙をわたすことができない。
先生と出て行くときに、呼びとめようか?
それとも、シウの机の中に、入れておく?

だけど、シウは、ぼくが、キース、だってことも、知らない。

授業が終わって、そのときもまた、先生に連れて行かれそうになったら。
仕方ない、そのとき、呼びとめて、わたそう。

…先生が見てるところで、そんなことをするのは、なんだか、嫌だけど、仕方ない。

授業が終わった。
先生がシウを見る。シウが立ちあがる。シウが、先生のところに向かって、歩きだす。

あ、

シ、と、言いかけて気づいた。
シウのカバンが、そのまま机に置いてある。

よかった、シウはまた、ここに戻ってくる。
よかった。じゃあここで、シウを待っていよう。

キースは帰らないの?うんちょっと用事が。そう、じゃあバイバイまた明日。
こんなことを、クラスメートに何回か言いながら手を振っているうちに、教室の中は、ぼくひとりになった。

…緊張、するな。
ぼくは、手にもっている手紙を、じっと見た。

先生と、いっしょに戻ってきたら、どうしよう。
そしてそのままずっと先生といっしょに、カバンをもって、帰っていきそうになったら…、

と、考えていると、教室の前のほうの扉が、がらがら、と、音を立てた。

扉がひらいて、シウが入ってくる。

ひとり、で。

シウは、ぼくがまだいるのに気がついて、びっくりした顔になった。
シウはぼくから目をそらして、急いでじぶんの机に向かう。
ぼくも立ちあがると手紙を一通ずつ両手にもって、シウの机に向かう。
シウの足が、はやくなる。
「シウ」
ぼくの声に、シウが、ぼくを見た。シウの机の前で、シウが足を、とめる。

ぼくは、シウの前まで行って、シウに、両手で手紙をさし出した。
「シウ。これ、読んでほしい」
ゆっくりと、はっきりと、シウに、言う。
シウは、ぼくの言った言葉がわからなかったのかな?
なにも答えず、ぼくの手もと…、手紙を見た。そして、

「あ…」

と、小さく、声をあげた。

…見てる。シウが、ふうとうの表に書いた、お父さんと、お母さんの、ところを!

シウは、じぶんにわかる言葉が書いてあったのが嬉しかったのかな?
ほんのちょっとだけ、シウは、ほっとしたような、顔になった。
シウの寄っていたまゆげが、ふわ、と、はなれた。

やった!がんばって書いて、よかった!!!

シウは、ぼくのほうをちらっと見あげると、ひとつ頷いて、それから手紙を受けとった。

「あ、ありがとう!シウ!」
シウがわからないとわかっていても思わず言ってしまったその言葉にも、シウはやっぱり答えなかった。
ただ、また頷いて、うつむいたまま急いで手紙をカバンの中にしまった。
それからぼくのほうは見ないで、けどぼくには向かって、小さく手を振って、シウは教室から出て行った。

よかった…!受けとってくれた…!

ぼくはシウがぼくの手紙を受けとってくれたことが嬉しくて嬉しくてたまらなくて、
ああ、あれを読んでくれたら、きっと、ぼくがシウと友達になりたいって思ってることが伝わって、
きっと、明日には、きっと…!!!

きっと、シウは、ぼくに向かって、笑ってくれる…!!!



そう、思っていたのに。次の日、シウは学校にこなかった。





(12/12/21)

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