夏の大会が終わって、三年生が引退した。
エスカレーター式に上に上がることができる青学では、受験勉強のために時間を取られることがない。
引退した三年生はその後、高等部へ移るまで体をなまらせないためにも、引き続き部活動には参加し
後輩の指導に当たるのが常だった。


三年生は引退後、一切公式試合には出場しなくなる。
それまで、三年生とダブルスを組んでいた大石の新しいダブルスのパートナーに、同じ二年生の中から
菊丸が選ばれた。

「おーいし。これからヨロシク!」
「こちらこそ。英二」

お互いにっこり笑って握手したはいいが、二人とも、僅かに違和感を感じずにはいられなかった。
全然プレイスタイルの違う自分達。ダブルスなぞ組んで、大丈夫なんだろうか…
同じ部活の部員として、仲は悪くなかったが、だからと言ってそれがそのままプレイに反映されるかは
疑問だった。
全然プレイスタイルの違う自分達だからこそ、お互いに自分にないものを補い合うことができるかも
しれない。個性がうまくかみ合えばすごいダブルスになるかもしれないなと思えなくもない。
そのかわりお互いの個性が相手のそれを殺すことになったら目も当てられないことになるだろう…

(大石と俺でダブルスかぁ…。なんかヘンな感じ、かも。
でもま、それはこれから練習してけばいいことだし!)
さっきまでの自分と同じことを考えていたのか、どこか不安げな風情で黙ったままの大石に、菊丸はもう
一度にこっと笑った。


練習の甲斐あって、二人のコンビネーションは段々さまになってきた。
三年生のコンビにはなかなか勝たせてもらえないが、それでも、お互いにお互いのクセや呼吸のような
ものを、掴んで、理解しかけていた。

練習後も、二人であれはああすればよかった、ここはこうしないほうがよかった、今度はこうしてみよう、
などといつまでも話していることが多くなり、その時間の量に比例して二人のダブルスは上達していった。


しかし、段々それも行き詰まってきた。

「うーん…。なんだか、最近うまくいかないね、大石」
久しぶりに先輩コンビにこてんぱんにやられた日の帰り道、菊丸が小さく呟いた。
「うん…。俺たちのダブルスはさまになってきたけど、そうなったらなったで今度は相手に動きを読まれ
やすくなってしまっているな。対策を、考えないと…」
「そうだね」


次の日。
「英二」
「なに〜?」
練習の休憩時間に、大石が菊丸の側に走りよってきた。
「昨日帰りに話してたことなんだけど」
「うん。」
「乾に聞いてみたんだ。俺たちの練習試合を録画してるテープはないのかって。
ほら、アイツ時々自分のビデオカメラ持ち込んでるだろ?
そうしたら、一番最近のだけあるそうだ。」
「えっ。アレかよ〜。一番ひどいときのじゃ〜ん」
菊丸は頭を抱えてしゃがみこんだ。
「もーどうしてよりにもよってそれだけ撮ってるかな〜。乾もさ〜」
「なんだか、そろそろいるんじゃないかなって思ったから撮っておいた、って言ってたけど…」
「うわー、さっすが乾!伊達に分厚いメガネかけてないね!あの目はごまかせないね!」
俺たちがそろそろ壁にぶつかること、わかってたんだぜ〜きっと!こわ〜!
そう言って、菊丸はぱっと立ち上がって自分の腕を、寒いときにそうするみたいにごしごしと擦った。
「でもありがたいことはありがたいよネ!助かる〜!」
そしてさっきまで怖がる素振りを見せていたくせに、今度は遠くに見える乾のほうを向いて目を閉じ、
両手を合わせて神妙な顔で大袈裟に拝み始めた。
ころころ変わる菊丸の表情に大石は噴きだす。
「なんで笑うのさ〜!」
ほんとにありがたいと思ってるのに〜!と大石をぽかぽか殴るふりをする菊丸も笑っている。
「こら。英二やめろよ」
菊丸の両握りこぶしを自分の両手で受け止めて、包み込んで、下に下ろさせた。
菊丸もおとなしくされるままになる。
「ねーおーいしー。それいつ見られるのかな?」
「他の映像も入ってるから、見易いようにちゃんと別のテープに編集してから渡すって」
「うわーん、嬉しいことしてくれるじゃん!乾大好き!」
今度はさめざめと泣くふりをする菊丸。その菊丸に困ったように笑って大石は言った。
「…俺たちのデータ取るついでだってさ」
「…あ、そう」

乾がデータを取りながら編集したテープは、土曜の朝練後、二人に手渡された。

「英二、明日うち誰もいないんだ。だから、俺のところで見ないか?」
「うん。いーよわかった!ちょーどよかった〜。うち明日全員家にいるんだ〜」
家中人口密度高くてどっか外出たかったから嬉しーな!と菊丸は笑った。
ふと、なにかに気づいたように、あっ、と声を上げる。
「おーいし。誰もいないんだよね?
じゃあ俺がお昼作って持ってってあげるよ!
うまいよ、俺、ご飯作んの。」
「へえ〜。じゃあ、明日のお昼は英二に任せるよ」
「りょ〜〜かい!」
菊丸は、ぴっと頭の横に手を当てた。


日曜、約束の時間きっかりに、菊丸は大石宅の呼び鈴を鳴らした。
「こんにちは〜!!」
がちゃりと玄関の扉が開いて大石が顔を出した。
「いらっしゃい。
…道、わかりにくくなかった?大丈夫だったか、英二」
「ん!大石の書いてくれた地図わかりやすかったから全然へーきだったよ!
すぐわかった!」
「よかった。あ、上がって。」
「ほいほ〜い。お邪魔しま〜す!」

二人で菊丸の作ってきた弁当を食べながらビデオを見、それについてあれこれ話しているとき、
ふと、菊丸が大石のほうを見て言った。
「おーいし。坊主、もっさりしてきたね」
「そうか?」
大石はぽんぽんと自分の頭を手のひらで触ってみる。
「うん。ボリューム出てきた」
「そっか…。また誰かに切ってもらわないと…」
「あれ、大石ってそれうちで切ってるの?」
「そうだよ。だって、別にお金を払って切ってもらうほど
凝った髪型でもないだろう?」
「そっか、そうだよね。
じゃあさおーいし!それ俺が切ってもいい!?」
菊丸が目を輝かせた。
「え、でも」
「俺に頭触られんの、や?」
「そんなことないけど…。いいのか?
せっかく来てもらったのに、わざわざそんなこと…」
「いーの!やってみたい!」
「…わかった。じゃあ、とってくるよ。ちょっと待ってて」
「うん」


数分後、大石が紙袋を下げて部屋に戻ってきた。
部屋の中央に敷いてある絨毯をくるくると巻いてそのままころころと脇へ転がしてどけると
剥き出しになったフローリングの床に手際よく紙袋の中身を広げていく。

菊丸が珍しそうに見てるあいだに、電気バリカンの設定を調節し、コンセントを電源に差し込み
机から椅子だけ部屋の中央に引っ張り出してくると、くるりと散髪用のケープを首に巻きつけて
椅子に腰掛けた。

「おーいしはほんと段取りいいと言うか…」
「切ってもらう側だからな。これくらいは自分でしないと」
だからって、もうちょっと散髪屋みたいなマネもしてみたかったのに…
あれ、首に巻いてみたかったなあ…
と菊丸は思ったが、申し訳なさそうな大石の笑顔にその言葉は飲み込む。

「じゃ、頼むな」
「よっし!じゃあいっくぞ〜!」
ぽちっとな!と菊丸は電源スイッチを入れた。刃が細かく振動する音が部屋の空気を震わせる。

恐る恐る機械を大石の頭に当てると、その瞬間ぱぱぱと彼の髪が飛び散って菊丸はびっくりして
機械を離した。
「英二?」
「あ、ごめん。…ちょっとびっくりして」
「使ったことないのか?」
「うん。あったんだけどさ、俺んちにも。でも俺はいつもやってもらう側だったから」
「英二も、坊主のときがあったんだ?」
なんだか、全然想像できないな、と大石は笑った。
「ううん、ぼーずにしたことはないよ。使ってたのは襟足揃えるときとかだけ」
「ふうん」
「よし、もっぺんいくよ…。動かないでねん」

菊丸はもう一度当ててみた。今度は大丈夫。ゆっくりと地肌に沿って動かす。


「…俺が大きくなって、こういうことできるようになるころにはもう、兄ちゃんも姉ちゃんも
すっかり色気づいちゃってさ。俺にされんのなんかやだ〜って誰もさせてくれなかったんだ」
「ふーん…」
「俺、髪いじられるの好きなんだ。気持ち良くてさ。だから大きくなったら兄ちゃん姉ちゃんも
気持ち良くしてあげようと思ってたのに」
「うん」
「…おーいし。気持ちいい?」
「うん」
「…嬉しい。あーでも、もう終わっちゃった」
菊丸は名残惜しそうに、電源を切ると、大石の頭に張り付いたままの髪屑を、ゆっくりと
払いのけた。

「あれ〜?」
「どうした?」
「…なんか。あんまり変わってないような」
「…え」
大石は、床に出していた大ぶりの手鏡に手を伸ばした。
「…ほんとだ。
あ。英二、ちょっとそれ、貸してくれないか?」
大石は鏡を下ろすと後ろに立っている菊丸を振り返った。
「これ?」
菊丸は手に持ったままの機械を大石に差し出した。
「…ああ、やっぱり」
「どしたの?」
「ごめん。俺が設定合わせ間違えてた。
……これで、オッケー、と。
すまん、もう一回頼む」
「ほい」


「なあ、英二」
「ん〜?」
「さっきから、頭の下のほうばかり切ってないか…?」
「…ん〜」
「英二」
「いいから、おーいしはちょっと黙ってじっとしてて…」


「よっし!でっきあっがりぃ!
おーいし!鏡で見て見て!」
「ははは、なんだか不安だな…」
そんなことない、カッコいいよ?の声を聞きながら大石は鏡に自分の顔を映してみた。

第一印象、水泳キャップ。

「…………」
「ど!?なかなかのもんっしょ?」
得意そうに微笑む菊丸が、大石の顔に自分の顔をくっつけるようにして鏡を覗き込んだ。
鏡の中の菊丸の顔は上機嫌で。
「…う、うん」
悪くない、悪くはないが、諸手を上げて喜ぶほどかと言うと、それは、ちょっと…

「おーいしぃ…、…いや…?」
大石の耳元で菊丸が掠れた声を出す。かかる温かい息に、大石はびくっと体を震わせた。
「英二!!」
「きゃはは!」
菊丸が腹を抑えて丸くなる。
「おーいし耳真っ赤…。あはは、へえ〜、慣れてないんだ、こういうの…」
思わず立ち上がってしまった大石は、菊丸を上から見下ろしたまま固まった。
「…え、英二は、慣れてる、のか?こ、こういうの…」
猫のように丸くなったまま床から大石を見上げた菊丸はにや〜りと人の悪い笑みを浮かべた。
「おーいしと同じ歳なんだよ〜?慣れてるわけないじゃん…
赤くなったり、固まったり、秀一郎も、おっとしごろ〜〜!!にゃはは」
「からかうのはよせ」
「だって、反応が面白いんだもん」
「英二」
「…うー…、わかったよ〜」
菊丸はよいしょっと体を起こした。

「ね、それ嫌?俺はいいと思うんだけどな」
向かい合った菊丸は、真っ直ぐ大石の目を見上げてくる。
「…………
…嫌、じゃ、ないよ」
「じゃ、しばらくそうしててよ。」
あんまり評判が悪いようなら、また俺が切ってあげるからさ!と菊丸は笑った。

大石は、頷いた。

「英二、ほら、髪切った後の床に転がるから…」
菊丸の全身のあちこちに、細かい髪屑が付着していた。
「あ…」
片手で菊丸の肩を掴んで動かないよう固定し、空いたほうの手で上から丁寧に払い始めた
大石を見て菊丸は思った。

てるてる坊主。

「…細かくて、取りにくいな…。英二」
「…へっ、な、なに?」
「…手で払っても取れないから…。掃除機取ってくるよ」
「あ、うん」
「そこでじっとしてるんだぞ」
でないとあちこちに散らばるからな、と大石は言って、首からケープをはずすと扉を開けて下に下りていった。
てるてる坊主。終了。
菊丸は、ぷっと吹き出した。
これからたぶん、雨が降るたびに今日の彼のことを自分は思い出すのだろう。

「お待たせ」
「うん、待ったよ」
と菊丸は掃除機を手に戻ってきた大石に満面の笑み付きでそう言った。


新しい髪型の評判は概ね悪くなかった。
いいカンジに地味さが薄くなってなかなかいいんじゃない?というコメントが多数を占めたことに、今までの
俺っていったい…と大石は少し遠い目になったりもしたが、それでも良いと言われて嬉しくないはずがない。
英二も嬉しそうだし、しばらくはこれでいこうと大石は思った。

それからしばらく経って、季節がすっかり秋から冬へと移ってしまったある日。

研究と努力の甲斐あって、あれから壁一つ超えた二人のダブルスだけれども、それでもふとしたミスから
先輩コンビに僅差で負けてしまった。
「おーいしー、今日はひさびさ、反省会だねっ」
「そうだな…」

二人は少し前に見つけた見晴らしのいい高台の上にぽつんと放置してあるコンテナへ急いだ。

以前、もう閉めるからと部室を追い出されて、それでもまだ二人で話したくて、もう別れなくてはいけない
道に差し掛かっても離れがたくて、だらだらと二人どちらの家にも向かわない方向へ歩いていた時にたど
り着いた場所だった。

人気がないから多少議論が白熱しても誰にも迷惑をかけることはなかったし、なによりこの高さから眺める
町はとてもいい眺めで、負けて心が挫けそうになっても、ここに来て夕日に照らされる町や、日没後の薄暗
がりにちかちかと明かりが浮かぶ町を見ると、また元気が出てくるのだった。

コンテナによじ登って、腰を下ろす。一度町を見渡して、大きく伸びをして、反省会開始だ。

「…、で、あそこは英二が無理に行くより、俺がフォローしたほうが良かったんじゃないかと思うんだけど…
英二?」
大石が顔を上げると、菊丸が大石の顔をじっと見つめている。
「英二?俺の顔に何かついてるのか?」
「角」
「角…??」
丸く目を見開く大石に、菊丸は大石の額を指でちょんちょんと指した。
「ごめん。この前俺が髪切ったとき、ここだけ刈り残してたみたい。
…ここ、伸びて、角みたいになってる」
「…ここか?」
大石は菊丸が触れたところを自分でも触ってみた。なるほど、菊丸に言われたとおり、少し長く伸びた
毛先が、指先につんつんと当たる。
「…わかった。家に帰ったら自分で」
「おーいし!面白いから伸ばしてよ!それ!!」
切り揃えるよ、と言おうとした大石を、菊丸の声がさえぎった。

「…えっ?」
伸ばす?大石は想像した。前髪が二房つんと立ってる自分を。大石は想像した。二房の前髪が額に垂れ
下がってなびいている様を。

「…え、英二。それはちょっと…」
言外にそんなの嫌だという思いをこれでもかと滲ませた、それはちょっと、だったが。
「えーいーじゃん。個性的だよ?」
菊丸は可愛らしく小首を傾げて言った。
「そんな風に可愛く言って見せてもダメ」

「…面白いのに?」
「英二。面白いからダメなんだよ」
「つまんない…」
「さ、さっきの続きをし」
「…今日、俺誕生日なのに」
「え、そうなのか?」
「誕生日なのに負けちゃった俺をかわいそうだと思わないのかよ〜!」
「それとこれとは話が違うだろう!?」
「これからダブルス組んでやってくパートナーの年に一度の誕生日なんだよ!
一つくらい俺の言うこと聞いてくれてもいいだろー!!?」
「だからって、英二……」
「いいじゃんかー。ちょっとおもしろおかしいだけじゃんか〜!」
「そのおもしろおかしいのが嫌なんだよ俺は!」
「俺が面白い大石のほうが好きだって言ってもダメ!?」
「ダメ!」
「ケチ!」
「ケチと言われてもダメなものはダメ!」
「イジワル。
…あーあ、俺の一生に一度しかない十四歳の誕生日がこんな風に終わっていくなんて…」
「ちょっと待て。家でもお家の方がなにかお祝いして下さるんだろ?」
「家族と友達は違うもん。
…友達にこんな風に手ひどく拒絶されて、俺の誕生日は終わるんだ…ああああ」
「…英二」
「一生の心の傷になる〜…」
「ならないよ」
「なるよ。
だって俺大石のこと大好きなんだもん。
不二に断られても堪えないけど、大石に断られたら一生もんの傷になるよ」
「………」
「…だから、いーでしょ?」
「………」
「ね、おーいし」
「………………………………………………………………………………仕方がないな」
「わーいやったあ!ありがとー、大石大好き!
俺も、おーいしの誕生日にはなんでも言うこと一つ聞いてあげるね!」
がばっと菊丸が抱きついてきた。
「……それは、嬉しいな、英二…」
菊丸の痩せた体を受け止めながら、それだったら今すぐこの少し不自然に伸びた髪を切らせて欲しいな、
と大石は心の中で思って苦笑した。

「あ、そうだ」
ぴょこん、と大石の腕から抜け出して菊丸が言った。
「せっかく伸ばすんだからさ、その前髪に願かけようよ。
…そうだな、全国大会で俺たちダブルスが優勝するまで切っちゃダメ」
「えッッ!!」
「大丈夫。目に入って邪魔になる手前まで、ってことにしとくから」
それ以上伸びたらちゃんと邪魔にならないよう俺が整えてあげるから、と菊丸は花が咲くように笑う。

「…英二」
「がんばろうね、おーいし」



(02/07/31)

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