待ち合わせ場所である広場の上空は全て白い雲で均等に覆われている。
雲に光が拡散して、夏特有の強い陽射しと濃い影のコントラストがなくなるこの天気が乾は
あまり好きではなかった。
どこもかしこも光がのっぺりと均等に降り注いで、その薄気味悪い均質さがなんだかどこにも
逃げ場がないような気にさせるのだ。
「…………」
乾は、じわりと額に滲んだ汗を洗い立てのリストバンドで静かに拭った。
「貞治」
かけられた声に、額に当てた腕を下ろすと、自分の前で旧友が手を上げているのが見えた。
「蓮二…」
「待たせて悪かったな」
「いや…」
乾が小さく首を振ると、柳は暑いな、と呟いて溜息を落とした。
「貞治、どこか入らないか?
待たせたお詫びにお茶でも奢ろう」
「ああ…。うん」
「それで、昨日関東大会の決勝で会ったばかりだと言うのに、一体俺に何の用なんだ?
蓮二」
地上から数階上の眺めのいい喫茶店へ連れて来られた乾は、窓際の席に着いて水を一口
飲むなり徐にこう、切り出した。
「昔の友人と久しぶりに会って話したいと思うことが、そんなに変か?貞治」
と柳がのんびりと答える。
「蓮二、俺は、黙って急にいなくなったお前を許してるわけじゃない。
あんなことをされた俺が不快に思ってるとは思わないのか」
「思っているよ」
「じゃあまず何か言う事があるんじゃないのか?
今でも俺たちの関係が友人関係だというのなら」
「謝罪しろと?」
「…………」
「それは出来ないよ、貞治…」
「どうして」
「俺は、あの時、ああするのが、俺たち二人にとってベストなことだと思ったから。
謝れない」
「なぜだ」
「なぜ?
はは、もう察しはついているくせに」
柳はくすくすと肩を揺らす。
「……………」
「自分の口から言うのは嫌か?貞治。
まあいい」
続けて柳が何か言いかけたその時、乾が憮然とした様子で口を開いた。
「俺たち二人ともシングルスプレイヤーだったからだろう。
ダブルスは続けられないと思ったからだろう」
その言葉に柳が小さく微笑んで頷く。
「そうだ、貞治。
俺はお前と初めてダブルスを組んだときからいつもそのことが気にかかっていた。
始めはごく小さな引っ掛かりが、俺の中でお前と過ごす時間が増える度に大きくなっていった。
パートナーとしてお前を理解しようと集めたお前のデータが増える度に、ほんとは俺達二人とも
ダブルスに向いてないんじゃないかと思うようになったよ」
「俺達は、似ていたからな………」
「ああ、似ていたな、とてもよく………
だからこそ、ダブルスに向いてない二人であそこまでやれたんだ。
互いに互いを、よく分かり合えたから」
「…………」
「お前のデータが集まって、貞治はダブルスプレイヤーに向いてはいないと確信したとき、
俺はお前とのダブルスを解消しようと決めた。
お前が向いていないという事は、お前とよく似た俺も同じくらい向いていないということ
だからな」
「そう決めたのは、あの最後の試合か」
「そうだ。
二人でやった、四年前のシングルスの試合だ」
「だったら」
「なあ貞治。なぜ俺があんな別れ方を選んだと思う?」
「……俺は………
お前から習ったデータテニスが楽しくて、お前とのダブルスが楽しくて、夢中だったからな」
「貞治は、とても優秀な生徒で、俺が教えたことも、俺のことも、よく理解してくれた。
このままダブルスを続けてお前との関係を手離さずにいることも考えた。迷った。
でも、わかるだろう?貞治。
今の…、お前なら………」
「………ああ。」
「俺は、俺が集めたデータから俺が導き出した結論が正しいかどうか試さずにはいられなかった
んだよ。
俺とずっと一緒にと言ったお前から、あんなやり方で離れてしまうのはお前を悲しませると
わかっていても、自分の出した答えが正しいかどうか確かめたい誘惑には勝てなかったんだ」
「……ああ、わかってるよ…。」
「昨日の試合で、俺が正しかったことを、貞治はこれ以上ない形で証明してくれた。
嬉しかった、すごく。ずっと待っていた、あの時を」
「それは、どうも」
どこか拗ねたような言い方に、柳は苦笑する。
「冷たいんだな、貞治」
「あの日から、俺はお前のことを忘れた日はないよ。
だから、そうすぐに昔のようには出来ない」
「当然だな。
でも、お前だって悪い。お前がなかなかレギュラーに定着しないから」
「うちは層が厚いんだ。
お前たちが抜けたら切原だけになるそっちと一緒にするな。
……それにしても蓮二、ずいぶん身勝手な言い草だな。俺が悪いだなんて」
「…でも、お前が俺の立場だったら」
「同じことを言うな」
「だろう?」
柳は大人から誉められた小さな子供のような無邪気な笑みを浮かべた。
「今日…、突然話がしたいと呼び出したのは、この話をするためか?蓮二」
「種明かしして、また親しい友達になりたかったんだ。博士と」
「蓮二…」
「また昔みたいになりたいんだ」
「……………」
「『構わない』って、言うだろ…?貞治………」
「…先回りされるのは、結構腹の立つものだな……」
「じゃあ、次からはよそう」
言外に正解だと言われた柳が嬉しそうに笑う。
ぽつ、ぽつ、とガラスを叩く音が聞こえる。
「…降りだしたな」
「ちょうどいい。四年分の話をしよう」
(04/05/07)
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