(もう、二人とも寝たのかな…)
未来のリョーマは昼間半端に眠ってしまったせいか、布団に入って目を閉じてもなかなか寝付けずにいた。
豆電球の灯った薄暗がりの中耳を澄ますと、二人分の規則正しい寝息が聞こえてくる。
ふと隣りの手塚の方を見ると、彼の片腕が布団から大きくはみだしてこちらに伸びているのが見えた。
(先輩…)
手塚の指先にそっと自分の指先を触れ合わせる。もしどちらかが目を覚まして、その指先を見咎めてもわざと
ではないと言い逃れ出来るようにほんの爪の先だけ。目を閉じて、眠ったふりをして。偶然を装って。
(…先輩、俺の事、すぐ気がついたからびっくりした…
俺があの言葉を知ってるってだけですぐに信用した事も…
本当に、先輩は、俺の事を…
…それで俺が、どれだけ胸を打たれたか、アンタわかりますか…?)
その時、手塚の指先が未来のリョーマの方へほんの少しだけ伸ばされた。
驚いて、声が出そうになるのを息を詰めて堪える。
(…びっくり、したー…。
ほんともう…、ほんと、もう…、この人は…)
未来のリョーマの視界が滲んだ。
(…ありがとう、先輩。
明日は、最高の試合をすると約束します。
あなたを悲しませるような結果には絶対に、しない)
自分はここから消えなくては。
こちらの手塚の為に。あちらの手塚の為に。
未来のリョーマは静かに目を閉じた。
カーテンの隙間から日の光が射して、手塚の顔に当たる。
(眩しい…)
目を開けると、ちょうど未来のリョーマが上体を起こして欠伸をしながら大きく伸びをしているところが目に
入った。
「…リョー、マ」
「…すいません。起こしちゃいましたね」
「ん…いや、いいんだ…
…もう八時半か…
ずいぶん眠ったな」
「昨日は朝早くからいろんな事がありましたしね。仕方ないですよ」
「…でももういい加減起きないと…」
手塚は枕元の眼鏡に腕を伸ばす。
「…そうすね。
すいません、俺トイレ行きたいんで…
先輩、起こしといてもらえます?」
と未来のリョーマは、顔の半分まで布団にうずもれて眠っている現在のリョーマを指差した。
「…わかった」
未来のリョーマが出ていった後、手塚はもそもそと布団から出ると現在のリョーマの側に座った。
「…越前」
現在のリョーマは、名前を呼んでもぴくりとも動かない。
「越前、もう朝だぞ。起きろ」
彼の顔を覆う布団を少しずらしてみる。
朝のひやりとした空気が顔にかかるのが寒くて嫌なのか、現在のリョーマは少し身じろぐと
「…やめてよ、カルピン…」
とまたずぶずぶと布団の中に沈み込んでいった。
(…悪かったな…、猫じゃなくて…)
「越前、起きろ」
肩を揺さぶってやると、やっと現在のリョーマは重たそうに目蓋を開いた。
そのままぼんやりと寝惚け眼で手塚の顔を見る。
「…?」
現在のリョーマはなぜここに手塚がいるのかわからないようだ。手塚はひとつ咳払いをして、
「おはよう」
と声をかけた。
「!!」
やっと状況を理解したらしき現在のリョーマががばと体を起こす。
「…あ、ああ…
そうか…。先輩んちに、泊まったんだっけ…」
「…そうだ。
目は、覚めたか?」
「…はい…
あ、あの人は…」
現在のリョーマは未来のリョーマの布団が空なのを見て、手塚を見上げた。
「…もう起きて、向こうにいる」
「…そうすか…」
手塚の目にも明らかなくらい、現在のリョーマはがっくりと肩を落とした。
「心配しなくても、試合をすれば帰る事が出来るから…」
「ええ…」
(…それが嫌なんですよ)
おそらく今の自分より強い未来の自分と試合をすれば、手塚の頭の中が彼の事でいっぱいになるであろう
事は容易に想像がつく。
手塚と未来の自分が親しげに振る舞おうがそれは知った事ではないが、手塚の中のテニスに関係する部分
では常に自分が彼にとっての一番でないと嫌なのだ。
(…だから嫌なんですよ)
「越前、体は大丈夫か?」
不機嫌そうな顔が、具合が悪そうに見えたのだろう、手塚は心配そうに現在のリョーマの顔を覗き込んだ。
「…なんとも、ないです…」
「そうか。ならもう起きろ。
朝食にしよう」
「はい…」
三人は着替えて朝食をとった後、未来のリョーマの道具を用意する為に手塚の部屋へ入った。
「靴は履いてきたのがありますんで、ウェアとラケットだけお願いします」
「わかった。
じゃあ、まずウェアはこれで…、いいな?」
手塚は箪笥の中から服を取り出して未来のリョーマに渡した。
「はい」
「後はラケットか…」
「俺の使う?」
下に置いてある俺のバッグに三本入ってますけどと現在のリョーマは言った。
「ありがと。
でも君のじゃもう軽すぎるんだ」
(悪かったな、チビで非力で)
三年経った自分が今の自分より弱い事の方がずっと問題だと頭ではわかっていても、やはり今ここで
こうして差を見せ付けられるのは面白くない。
「…そう。なら俺のは出さなくていいすね」
「しかし…
いくら軽すぎるといっても、やはり使い慣れていたものの方がいいんじゃないか?」
比べてみろ、と手塚は自分のラケットを未来のリョーマに手渡す。
未来のリョーマは、受け取ったラケットをすっと手塚の喉元に突きつけると
「これくらいのハンデないと、アンタ、俺といい試合すら出来ませんよ?」
と真っ直ぐに手塚を見て、言った。
「…なら、それでいいな?」
「はい。
これ、お借りします」
荷物が多くなると面倒だからと、服は着替えてから、三人は手塚の家を出た。
高架下のコートへ向かう電車の中、現在のリョーマはほとんど口をきかず黙り込んでいた。
自分の手で倒すまで手塚には誰にも負けて欲しくない。
自分は三年経っても今の手塚には及ばないのかと思い知らされたくない。
おそらく今の自分よりずっと力が上の未来の自分に、手塚の関心を奪われたくない。
(見たくない…
でも、見ずにいるのは、もっと嫌だ…)
この場から逃げ出す事も、逃げない事も、どちらも同じだけ苦しい。
(もし、試合しても帰れなくて、ずっといる事になったら…
何回も、試合する事になったら…)
その度にこんな気持ちを味わうのかと思うと、それだけで背筋が凍りつく思いがした。
(…どうすれば)
試合をされるのも嫌。帰ってもらえないのも嫌。
しかし試合はせずに未来の自分を元に戻す方法も思いつかない。
(この試合一回だけで帰れるように、祈る事しか出来ないなんて…)
現在のリョーマはぐったりと電車のドアにもたれかかった。
高架下のコートは、まだ午前中だからか日曜にも関わらず誰もいなかった。
未来のリョーマと手塚の二人は、金網越しに見ている現在のリョーマに一番近いコートを陣取る。
「では、始めようか」
「…よろしくお願いします」
握手を交わす。
「サーブはお前にやる」
「なんで?」
「早く…
お前のテニスが見たい」
「…わかりました」
未来のリョーマはその場で何度かボールを弾ませた後、サーブを放った。
(速い…!)
手塚は一歩も動く事が出来ない。
「言ったでしょ?
ハンデないといい勝負出来ませんよって」
「無駄口はいい。
早く試合を再開しろ」
「はーい」
手塚は何とか次のサーブは拾う事が出来、打ち合いが続く。
(打球が、重い…
それに動きも今の越前よりずっと速い…)
重たい打球はアウトにせずに打ち返すのがやっとで、なかなか自分の思った通りの回転をかける事が
出来ずにいる。
今のリョーマが追いつけない場所に打ち込んでも、未来のリョーマはいとも簡単に追いつき、打ち返して
しまう。
試合開始直後でまだはっきりわからないが、打球の緩急のつけ方の幅もぐっと広がったようだ。
回転のかけ方も巧みだ。
少し打ち合っただけなのに、もう嫌なやりにくさを感じる。
(…腕を上げたな、越前…!)
大きな口を叩くだけの事はある。
ここまで相手に圧倒される事など、何年ぶりだろうかと手塚は思った。
(…面白い)
(やっぱり、今の俺の方が強い)
手塚の打ってくる打球は軽く、動きは遅く感じる。
体格こそ未だ自分の方が劣るものの、他の部分では全て上回っていると感じた。
使い慣れていないラケットの使用など、到底ハンデにならないほど。
(ワンポイントくらいは取ってくれないと、こっちの俺に愛想つかされちゃいますよ、先輩!)
全力で振り抜くと見せかけて、ボールに触れる直前、ラケットの速度をふわりと緩める。
ネット際に落ちたボールは、ころころと転がって未来のリョーマの方へと戻って行った。
「それは、俺の…」
手塚は思わず息を飲む。自分の技である零式ドロップを、完全にコピーされている。
「…どう?」
笑顔で額の汗を拭う未来のリョーマを、手塚は睨みつけた。
(…俺も、あの時はあんな顔して先輩に向かっていってたのかな…)
自分に向けてくる手塚の真剣な面持ちが、嬉しくもあるがどこかこそばゆい。
いつも自分は挑戦する側だったから、不思議な気分だった。
再びしばらくラリーが続いた後、手塚がボールを打とうとした瞬間、ずっと後ろの方にいた未来のリョーマは
全速力でネットまで飛び出した。
「…!!!」
「アンタ、負けず嫌いだから、次のポイントは絶対に零式で取りにくると思ってましたよ」
落ちるボールを柔らかく掬い上げて、ぽおんと手塚の頭上高く打ち上げ、ライン際にぽとん、と落とした。
「だから注意して見てました。
…乾先輩が言ってたラケットヘッドが下がる癖、まだ直してなかったんですね」
「…このまま、終わらせたりは…しない」
未来のリョーマは嬉しそうに微笑む。
「…そう、こなくっちゃ…!」
次に放たれたサーブを、手塚は両手で渾身の力を込めて、撫でるように打ち返した。
(回転を、かけ…!?)
「うっ!」
手に馴染んでいないグリップの違和感に一瞬気を取られて、ラケットに伝える力の加減が微妙に狂う。
目いっぱいかけられた回転の威力を殺し損ねたそのボールは、中途半端な高さのロブになった。
(しまった!)
そう感じた瞬間、手塚の強烈なスマッシュがコートに突き刺さっていた。
(…やられた)
手塚を見ると、ぱっと輝くような、心の底から嬉しそうな顔で笑っている。
まるで、子供みたいな。無邪気な。無防備な。
(…先輩)
圧倒的に実力が上の相手と対峙した時、手塚はこんな顔を見せるのか。
こんなに楽しそうに、テニスをする人だったなんて。
今目の前にいる手塚は、挑戦者として相手をどう切り崩すか、それを考えるのが楽しくて仕方がないという
顔をしている。
(あんな顔、初めて見た…
悔しいなあ…。今までやってた俺とのテニスは楽しくなかったって事…!?)
自分が次に手塚のこんな表情を拝む事が出来るのはいつの事になるやら。
未来のリョーマは苦笑いするしかなかった。
ゆっくりと深く、深呼吸をすると、未来のリョーマはサーブを打つ為に位置につく。
(強くなりたい…。今よりも、もっと!もっと!!)
高くボールを放り投げ、コートの深い場所に力いっぱいボールを叩き込んだ。
(どうして、今あそこで先輩とテニスしてるのが、俺じゃないんだ…!)
現在のリョーマは唇を噛んだ。
(どうして、先輩にあんな顔をさせるのが、俺じゃないんだ…!!)
自分と試合をする時は、いつも上から見下ろすような、表情のない顔をしているくせに。
どうして今は、そんなに悔しそうにしてるんですか。
どうして今は、そんなに楽しそうにしてるんですか。
(どうして…!!)
決まっている。未来の自分とのテニスが手塚にとって心躍るものだからだ。
それが、現在のリョーマには耐えられないほど悔しかった。
未来から来た自分が元の世界に帰る為に、帰れる可能性のある事は片っ端からやった方がいいのだと
わかっている。
しかしそれでもこのこみ上げる悔しさや嫉妬や屈辱感がぐちゃぐちゃに混ざった感情を完全に抑える事は
不可能だった。
(やめて…)
きりきりと頭が痛む。今までの頭痛の中で一番酷い。
おぼつかない足取りで目の前の金網に近づき、両手の指を絡める。
(やめてよ…!!)
手に真っ赤な跡が残るくらい、ぎりぎりときつく金網を握りしめた。
試合は徐々に相手のペースに慣れてきた手塚が粘りに粘り、未来のリョーマは手塚を突き放す事が
出来ず、スコアは6-5になっていた。
手塚がこのゲームを取れば、タイブレークまで縺れ込む。
(やるじゃん、先輩…)
正直、ここまで手塚が食らいついてくるとは思わなかった。
挑戦者としての手塚は、しつこくて諦めが悪くてやりにくい。
でも
(面白い…!)
(…やっぱり、途中でやめる事なんて、出来ない)
ちらりと横目で伺い見たこちらの自分は、遠目からもはっきりわかるほど真っ青な顔で金網にしがみつき、
こちらを見ている。
(…ごめん)
未来のリョーマは、手塚からの打球に備えて構える体にぐっと力を入れた。
その時突然
「すいません!!!!」
と大声がして、手塚も二人のリョーマも驚いて声がした方を見た。
作業服姿の男性が金網の外でぶんぶんと手を振っている。
「すいませーん」
その男から一番近い場所にいた手塚が、歩み寄った。
「…何ですか?」
試合に水を差された不快さからか、手塚の顔つきも口調も自然不機嫌なものになる。
その迫力に押されたのか男はぺこぺこと頭を下げた。
「すいません、今日はこれからコートの整備をするんで…
悪いけど、今日は帰ってもらえないかな?」
男はびくびくと手塚を見上げた。
「…コートの整備…?
そんな告知はどこにもされてませんでしたが」
「いや、してたよ。
ほら…」
男は、コート入口近くの金網を指差す。
そこには、ガムテープが四枚、貼り付いているだけだった。
「あ…。ない…」
「…そう言えば、一昨日の晩は、雨が降っていましたね…」
濡れた紙は破れてはがれ、どこかへ飛んで行ってしまったのだろう。
(コートの、整備……)
未来のリョーマは事態を飲み込んだ瞬間、全身からすうっと力が抜けた。
(はー…
決着つけたいなんて欲出したから、バチが当たったかな…?)
やはり、この世界の人間でない自分と、この世界の人間である手塚とのテニスなんて、ありえない事を
無理矢理に完遂しようとしてはいけなかったのだ、と未来のリョーマは思った。
ここはおとなしく引き下がるべきだろう。元々決着はつけないつもりだった。これでよかったのだ。
それに…、と先ほど伺い見たこちらの自分の表情を思い出す。
(…悔しがらせるって目的は、果たせたよね…)
帰る方法と、その具体的なやり方を思いついた時と全く同じ感覚で強く確信する事が出来た。
(終わった…)
何もかも。たぶんもうすぐ自分は消える。
「先輩、帰りましょう」
「だが…」
「そういう事情なら、仕方ないっすよ」
「でも、お前は…」
まだ帰る事が出来ないでいるじゃないかと言いたそうにしている手塚に小さく首を振る。
「また、来ましょう」
「…仕方が、ないな…」
「どうしたんすか!?」
すっかり帰り支度をして出てきた二人に、現在のリョーマが心配そうに駆け寄る。
「これからコートを整備するんだそうだ…
試合は、これで終わりだ」
「終わり…」
現在のリョーマはへなへなとその場に崩れ落ちた。
「おい!越前!!」
手塚が現在のリョーマの肩を抱き起こす。
「どうした!?」
「…大丈夫、なんでもないっす…」
しかしその体には全く力が入らないようだ。手塚の手に重たく体重がかかる。
「真っ青だ…。
帰ろう」
「俺の家は嫌ですよ…」
「わかっている」
手塚は未来のリョーマを振り返った。
「悪いが、俺のバッグを持ってくれないか?」
「はい」
「ほら、越前…」
手塚は現在のリョーマを背中に背負った。
「帰ろう」
背中に背負われたままぐったりと眠って動かない現在のリョーマを起こさないように、未来のリョーマと
手塚はほとんど口をきかずに家まで帰ってきた。
「悪いが、俺のバッグから鍵を出してくれないか?」
「あ、はい」
未来のリョーマはバッグを探って鍵を取り出し、手塚に手渡した。
手塚は現在のリョーマを負ぶったまま大儀そうに扉の鍵を回しながら、未来のリョーマに尋ねた。
「越前を寝かせたら、すぐに昼食にするから。
何か食べたいものは…」
「先輩」
「なんだ?」
「…さよなら」
「…!
リョーマ…!?」
手塚が振り向くと、そこには誰も立っておらず、手塚のテニスバッグが地面に転がっているだけだった。
「越前………」
とりあえずまず現在のリョーマを寝かせようと、手塚は自分の部屋へ入った。
すると、昨日きちんと畳んで箪笥の上に置いてあった未来のリョーマの制服がなくなって、かわりにそこには
今朝貸した自分のテニスウェアが綺麗に畳まれて置かれている事に気がついた。
(戻った、んだ…)
(ん…)
手塚のベッドの上でリョーマがうっすらと目を開けると、自分が横になっているベッドの縁に腰掛けている
手塚の横顔が見えた。
午後遅い暖かな色味の光に照らされた手塚の顔は、ぼんやりと、どこか遠くを見ているような表情をして
いる。
「…先輩…」
「気がついたか」
ぎし、とベッドを軋ませて手塚がリョーマの方を見た。
「…あの人…
帰ったんですね…」
「…ああ」
リョーマは手塚から、家の鍵を開けようと扉と向かい合っているその僅かな間に未来から来た自分が消えて
しまった事を聞かされた。
「…あいつは…、無事に、帰れただろうか…」
「大丈夫。帰ってますよ」
なんとなくわかりますよ、自分の事ですからね、とリョーマは自信に満ちた笑みを浮かべた。
(そう。
あの人が自分だとわかった時と、同じ感覚で、わかる)
「だから心配しなくても大丈夫ですよ、先輩」
「…そうか。お前がそう言うのなら、大丈夫だな…」
手塚はぎこちなく笑って頷いた。
「寂しい?」
「え…、あ…」
リョーマは返答に詰まる手塚にくすりと笑うと、起き上がって言った。
「冷たいようですけど、俺は寂しくないですよ」
「え…」
「自分とアンタを取り合うなんて、そんな疲れる事、もう二度とやりたくないですよ」
とリョーマは腕を回して手塚の背中にしがみついた。
「取り合う…?
越前、どういう事だ…」
「さあね。
一晩寝たら頭痛いのも治ります。明日は俺とテニスして下さいよ?」
手塚が体を離して向き合おうとしたがるのを、ぎゅっとしがみついて邪魔しながらリョーマは一筋つっと涙を
流して微笑んだ。
「越前…」
時折小さく震えるリョーマの手に自分の手をそっと重ねて、手塚は、どうやらこれで何もかもが丸く収まった
らしいのだな、と思った。
「リョーマ!ご飯よ〜!」
自分を呼ぶ母親の声にリョーマははっと目を覚ました。
(ここ…、自分の部屋だ…)
ふと自分の体を見ると、学校から家に帰って来て、そのまま眠り込んでしまった時と同じように制服を着て
いる。
(俺…、帰ってきたのか…?
それとも…、夢…?)
でも、夢じゃないような気もする。
(…もう、どっちでもいいや)
夢でも現実でも、自分は今帰ってきたいと思った世界にいるのだから。それだけでいい。
(…先輩の声が聞きたい)
手塚も夕食をとっているかもなんて、そんな事、今はどうでも良かった。
無性に手塚と話したくて仕方がない。
(明日テニスしてくれって言ったら、してくれるかな?)
早く声を聞いて直接会ってテニスがしたい。リョーマは、電話のある一階まで駆け下りて行った。
(04/10/17)
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