「せんぱーい」
「…越前。なにか用か?」
「はい、ちょっと…。
今、時間いいすか?」
「構わんが」

「先輩、洋書読んで英語の勉強してるんでしょ?だいぶ前不二先輩から聞いたんすけど…」
「ああ、しているが…」
「で、うちでそういう話したら、うちの母さんがもしよかったら自分がアメリカから持って帰ってきた本を
譲るわよって言ったんですけど…。
どうすか?」
「本当か?」
「はい。もう必要ない本は処分するつもりで纏めてあるから、もし取りに来るならいつでもどうぞって」
「ありがとう。本代も馬鹿にならないからな…。助かる」
「じゃ、次の日曜とか、どうすか?」
「ああ、大丈夫だ」

「そっすか。よかった。あ、ついでにタッパーもお願いします」
「わかった…。
…越前、ひとつ聞いてもいいか?」
「なんすか?」
「お前は、自分の家族に俺の話とか、してるのか?」

「しますけど…。いけなかったっすか?」
「いや、そうではないんだが…。その、どんな風に話しているのか…」
「別に悪口は言ってないっすよ?
本の話は…、先輩がうちにきてケーキ食べてった日、あの日、母さんは先輩がうちで夕飯も食べてくと
思って、たくさん買い物して帰ってきたんす。
帰ったって言ったら、母さん残念がって、そっから先輩の話に…」
「そうか」

「先輩って、結構細かいこと気にするタイプ?」
「そういうわけでは…」
「まあ、嫌ならもうしませんから」
「いや、そういうわけでも…」
「どっちなんすか」
「…………………」
「変なの」




そして次の日曜日。俺はいそいそと越前宅のインターフォンを鳴らした。

「ハイ」
「すいません、手塚と申しますが…」
「あ、先輩?鍵開いてますからそのまま入ってきてくださいよ」
「わかった」

がらがらと引き戸を開けて玄関に入り、家の中に上がる。
家の中に入ったもののどこへ行けばいいんだ?と玄関できょろきょろしていたら、越前がひょこっと顔を出す。
「先輩、こっち」
と、居間に案内された。


「よっ!いらっしゃい!」
「…!」

越前…、南次郎。越前の父親。越前がいつも負けている相手。
これが………

「…初めまして。手塚と申します。リョーマくんには部活動でいつもお世話になっ」
「あーあー、そんな堅っ苦しい挨拶はいいから!気楽にしてちょーだい!」
「…は、はあ」
「親父!余計なこと言ってないでさっさと本出してきてよ!」
「なんだリョーマ父親に向かってその態度はっ!
すいませんねえ、コイツ反抗期で…。部活でもどうせ、生意気な口叩いてるんでしょ?」
「…い、いえ」
「親父!」
「おーコワ。取ってくりゃいいんだろ、取ってくりゃ。じゃ、ちょっと失礼」


「はあ〜…」
「越前、あの、お母さんは…」
「すんません、急用で出かけちゃったんすよ。だから俺が代わりに本を出して持ってくるって言ったのに、
なんか親父が俺にまかせろとか言い出して…。まったく…なんなんだろ…」
「そうだったのか」
「本持ってきたらすぐ追い出しますんで。とりあえず座って待ってて下さい。
俺、お茶入れてきます」
越前はくるりと踵を返すと、台所へと姿を消した。


「ほい!お待たせ!」
越前とほぼ入れ違いに南次郎が一抱えもあるダンボール箱を抱えて戻ってきた。

「あ…、わざわざすみません」
「いいからいいから!いつもリョーマが世話になってんだ。
さっ、息子の大事な先輩のために選りすぐったぜ!どれでも好きなの持ってってくんな!」
と、テーブルの上にどさりと箱が下ろされた。

大事な先輩か…。越前は、俺をそんな風に家族に話してくれているのか…
胸の奥が、じわりと暖かくなる。

「お気遣いありがとうございます」
自分の口元が、自然に笑みの形を作ったのがわかった。
「いいってことよ〜」
南次郎も朗らかに笑っていた。

「おーい、リョーマ、俺はほうじ茶だぞ〜!」
「親父の用は済んだじゃん!ほら、もうすぐお彼岸なんだから寺の掃除でもして来いよ!」
「せっかくお前の先輩がうちに見えてんだ、そんな冷たいこと言うなよ!」
「俺は親父をあんま他人に見せたくないの!」

激しいやりとりにぽかんとしていると、南次郎が
「あんなこと言って、ほんとは照れてるんすよ」
と、首を竦めて笑った。

「そうですか…」
俺は、父親に対してあんな風にものを言ったことはないが、でもこれはこれで、なんでも包み隠さず
言い合える、いい親子関係なのかもしれない。

「ほら、やかましいのがお茶入れてる間に、どうぞどうぞ」
「はい、では…」

ダンボール箱を開けると、かなりの量の本が入っている。
これなら、長い間楽しめそうだ…。ありがたい。
一度に全部は持って帰れないので、しばらくはこちらに通わせていただかなくてはいけないな。

…雑誌もあるのか。いつも読むのは小説だが…。たまにはこういうのも目先が変わっていいかもしれない。
一番上の小説を一冊手にとって、ぱらぱらとめくってみる。


………


………………


これは


もしかして


官能小説というものでは




「どうです?いいでしょ!?」
南次郎がにやにやと俺の顔を覗き込んだ。
「…あ、その」
「あれ?そういうのは好みじゃない?」
「あ、い、いえ、そ、そういうわけでは…」

俺はそそくさと手にした本を戻し、別の本を取り出した。
「あっ!それ!それ一番の俺のおすすめ!
さっすが部長やってただけあって、手塚くんいい趣味してるね!
それ、一番、ヤラシイやつ」

俺は、ばさりと本を取り落とした。
「あれ?どったの?」
南次郎が、怪訝そうな顔で首を傾げた。

「あ…、や…、その…」
「大丈夫、全部持って帰っていいから!どれを持って帰ろうかなんて悩む必要、全くなし!
……あ、それと、それ読んだだけだから。未使用だから。
奥さんいるのにそんなん使わねえから。趣味で読んでるだけだから。イイところでページくっついてるなんて
こと、絶対無いから安心しな!
だから、気にせずもりもり使ってやってよ!」

使う?

使うとは…、その、つまり


「俺は…」

「あッッ!!!親父!何やってんの!!!!!」
「何って…。英語の勉強のために読む洋書を持って帰ってもらうんだろ?
一番能率上がりそうなのを俺が見繕って、そんで今見てもらってるところじゃねえか」

「先輩は、そういうの読まないの!」
「えっ。そうなの」
「そうだよッッ!!母さんの要らない本だって言ってたから、先輩呼んだのに!」
「手塚くん、ほんとかい?」

はいそうですと頷きかけた、そのときふいに。


『猥談もできないなんて…、先輩もまだまだっすね』


まだまだっすね………

まだまだっすね………

まだまだっすね………




越前…!


「いいえ!いただいて帰ります」
「なんだ〜、やっぱりこういうほうがいいんじゃねえか〜」
南次郎が、ほっと胸を撫で下ろす。

「ちょ…、せ、先輩!?」
「一度に全部は無理ですが…
全て、いただいて帰りたいと思います」
「よ〜しわかった!安心しな!俺が責任もって母さんや菜々子ちゃんに見つからないところに隠しておくから!
手塚くん、いつでも取りにきてくれよな!」
「ありがとうございます」

「先輩…………」
「リョーマ!ほれ、突っ立ってないで、お茶!」
「え…、あ、ああ、うん」
越前が、彼にしては珍しくおろおろと俺と父親を交互に見やる姿を横目で見ながら、俺は、本を鞄に入るだけ
詰め込んだ。
「おお…、やる気だね…。いや〜、若いって、イイねえ!!」
からからと豪快に笑う南次郎の声が、いつまでも耳の奥にこだましていた。




越前家からの帰り道。俺はまた駅まで越前に送ってもらっていた。

「先輩…。いいんすか…?
って言うか」
「なんだ…」
「あの…、もしかして、気にしました?
俺が、『猥談もできない男なんてまだまだだね』って言ったこと」

バレている。

「…別に気になどしていない。
俺だって、こういうものに全く興味がないわけでは、ないから…」
「嘘つき」
「越前」
「まあ、いいですけど。どっちでも。
…でも、ごめんなさい」
「…お前が謝る必要などない」
「…すんません」
「…いいんだ」
「…はい」


「じゃ、越前。ここで…」
「あ、はい…」
「また、お前のうちに行かせてもらうから。
全部引き取ると言ってしまったのだし」
「先輩、ほんと、親父には俺から事情話しますよ?」
「やめてくれ。そっちのほうが情けない」
「やっぱり、気にしてたんすね」
「…あ」
「すいません、ほんとに」
越前は俯いてくすくすと笑った。
「…………………」
「じゃ、今日は、お疲れ様でした。
…先輩」
「ん?」
「頑張って下さいね?べ・ん・き・ょ・う!」

そう言って笑う越前の顔を見下ろしながら、俺は苦笑するより他なかったのだった。





(03/04/02)

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