全国大会が終わり、俺達は引退。
公式試合からは身を引く事となり、あとは後輩を鍛えつつ、高等部への進学を待つばかりとなった。

そんな、夏休みももう終わりの、ある涼しい日。

「柳生、全国大会も終わったし、引退だし、中学生最後の夏休みやし、一泊くらいでどっか行かん?」
部活に顔を出したあと、俺はいつもなら途中で別れる柳生にずっとくっついて、そうしてひとりふたりと一緒に
帰っていた部活仲間がいなくなり、柳生と俺とふたりになるのを待って、俺は柳生にそう切り出した。
俺には、柳生とふたりでどこか遠くに行って、やりたい事がある。

「…それは、私とあなたでどこか旅行に行くという事ですか?」
「うん、まあ、そんな感じ」
「……ええと…、お誘いは嬉しいんですけど…
旅行に行くとなると、それなりの金額が必要ですよね。
申し訳ありませんが、私には今自由に使えるお金がほとんどないので… 夏休みの間となるとちょっと…
ごめんなさい」
柳生は、そう言ってぺこりと頭を下げた。
いや、なにもそんなおカネのかかるところに行こうとか言うんじゃないんだけど…

と言うか。

「お金がないって… 柳生は貯金とかしとらんの?
俺、クソ真面目な柳生のことだから、絶対にお年玉、誕生入学卒業進級等各種お祝い金は無駄遣いせずに
貯めとるんや思うてた」
俺だって、そこそこは貯まっているというのに。

柳生は俺にそう問われて、慈母のような、男である柳生に慈『母』というのも変な話だがその時はそう見えた
慈母のような微笑みでこう答えた。
「ああ… 私もそういうものはいただきますよ。
いただきますけど、その時々で必要な学用品を買う事に充てたら、あとはみな、寄付してしまうんです」
「きふ?」
「はい」
とまた、柳生は慈母のような微笑みで俺に答えた。

…柳生の性格からして、そういう事をするのは、わからなくもない。
いや、非常に柳生らしいのだ、が。

「へ、へえ〜…」
正直少し引いた。
ので、俺はこう言ってみる。

「でも、残り全部なんて、ちょっとやりすぎなんじゃ」
ひきつり笑いの俺に、柳生はやっぱり慈母の微笑みで返答する。
「でも、私には住むところも、食べるものも、着るものも、必要なものは全て、十分すぎるくらい、あります。
教育だって… きちんと受けさせてもらっている。
でも、世の中にはそうじゃない人達もいるんです。
だから、私は、自分には必要のないお金を、その時々でお金が必要な、他の誰かに使っていただきたいと」

柳生は、慈母笑みに加え、少し誇らしそうに、そして少し照れていた。

今、俺の目の前で優しく誇らしげにそして少々恥ずかしがっている柳生はとても柳生らしい。
けれど、なんだか、少し。
少し…

不愉快だ。

「…柳生にとって、俺とどっか行く事は、必要な事じゃないんか」
「そんなこと、言ってま、せん」
急に声の低くなった俺に柳生は狼狽し、言葉を途切れ途切れにさせた。
「言ってる」
「言ってないです」
「俺と何かする事は、お前にとって必要な事じゃないって、言ってる」
「言ってないですよ」
「言ってるよ」
「言ってないですってば」
「言ってるってば」
「言ってませんよ仁王くんそうじゃなくて。
あの…
あなたが私と旅行に行きたいと言うのなら、ちゃんとそのぶんは遣わずに残しておきます。
だから…
そんな事言わないで下さい」
柳生は困った顔で静かに、目を伏せた。

「嫌だ」
「仁王くん」
柳生は眉を八の字にして何かを懇願するような声を出した。でも許してなんぞやらん。
「柳生は、突然俺と衝動的に何かしたいと思わないんだな」
「…衝動的に、なにか、って」
「衝動的じゃなくてもいい。
いつか俺と何か、って思わないんだな」
「…そ、そんなの…
だって、何かすると決めてからだって、いいじゃないですか。お金の用意をするのは」
「そうだな、うん、それだっていい。
けど、俺は、お前が俺と何かしたい、そういう未来を微塵も考えてなかった事が泣きそうなくらい悲しいよ」
吐き捨てる。この時の自分の顔はきっととても険しかっただろう。
「俺は思ってたよ。
いつかお前とどこか出かけるなり、なんなりして、お前と一緒に過ごしたいって思って、そう思って、このお金
は遣わずに置いておこうとか、思って、嬉しくなってたりしたよ。
いつかその時の事を考えて、部屋でひとりニヤニヤしたりしたよ」
駄目だどんどん悲しくなってくる。
「仁王くん…」
「でもお前はそうじゃなくて、俺じゃなくて、世界の誰かの事を考えてる。
俺ばっかりお前の事考えてる」
重い。いったい何が俺の肩にのしかかってくるのかわからなかったが、なんだか肩が重くて仕方ない。
肩が落ちる。背中が真っ直ぐじゃなくなっていく。辛い。

「…仁王くん」
「…なに」
「…そんなに不満ですか。私があなたと… 何か、するために、お金を貯めていなかった事が」
「…うん」
「…私は、あなたと知り合って、あなたと、関わって、今まで一緒に色んな事をしてきて、楽しかった」
「……」
「…私はそれで十分なんです。それでとても幸せなんです。
だから、他の人にも、と思いました。
寄付は、あなたと出会う前からしていましたが、あなたと出会ってからは、日々の暮らしにも困っている人達
が、生きて、私にとっての仁王くんみたいな人に出会えれば、いいなと、そう思いながらしていました。
いつも、あなたの事を考えていました」

えっ

「…今日、あなたにこういう事を言われるまで、気がつきませんでしたがね。
でも、私はいつも、自分が今…
あなたと出会って自分が今、幸せだからと、だから他の人にもと、思っていました」

「………」

「…思っているんです」

「………」

口をぽかんと開けたまま、俺は返事が出来なかった。何も言えなかった。

そんな。無意識とはいえ、あの慈母笑みが俺の事を考えて、って事だったなんて。
俺は、頬が熱くなるのを感じた。
柳生もそんな俺を見て、そして自分が今口にした事を改めて思い出し考えてみて、恥ずかしさがこみ上げて
きたらしく
「…あの、私、か、帰ります。
旅行の話はまた今度、改めて」
と、ばっと顔を背けると、叫ぶようにそう言い残してすたすたっとものすごい速さで歩いて行ってしまった。
「…あっ、ああ…」
という俺の返事は柳生の耳に届いたんだろうか。




…いやー…
吃驚した。

だけど。
俺が望んでいるようなのとは少し違うけれど、でも、俺は柳生に自分で思っているより、愛されているらしい。

嬉しい。







(08/08/28)

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