仁王雅治
それは一年の冬の話。
柳生という人間の第一印象は『なんか変わっとるヤツ』だったように思う。
一人称が『私』で、同じ学年の人間にもですます調の丁寧な言葉を使っていた。
これが三十も過ぎた男ならまだわかるが、俺達はまだその頃十二歳だった。
この点に関しては周囲も怪訝にというかぶっちゃけ引き気味だったのだが、しばらく彼を見ているうちに彼の
発言や振る舞いがすこぶる一人称『私』や丁寧な言葉遣いにあまりにも相応しいものだったので、
五月の連休が終わる頃にはもう誰も柳生の一人称『私』や丁寧な言葉を妙だと思わなくなった。今から思えば
それはそれですごい。中学一年生が一人称『私』や丁寧な言葉遣いに相応しい振る舞いをしている時点でもう
どこかがおかしいのに柳生にはどこかそれをさほど変だと思わせることなく周囲を納得させる雰囲気があった。
口さがない同級生が彼のそういう振る舞いを揶揄して柳生を『紳士』と呼んだ。柳生はそう言われても別段
不愉快になる様子でもなくただ少し困ったように微笑んでいた。俺は彼を紳士と呼んでからかっている連中は
からかいながらも柳生の人当たりのいい親切な部分を絶対に愛し求めていると思った。
本人達に自覚はないようだがこういうのは傍から見ているほうがよくわかるのだ。たぶん柳生もそれは感じて
いたはず。だからからかわれても笑っていられるのだ。
紳士という通り名の通り、柳生はいつでも誰に対しても優しくて礼儀正して親切だった。先輩には可愛がられ
ていたし、同級生からも好かれていた。残念ながら女性にはさほど人気はなかったようだ。
優しいので嫌われることはなかったが、あの紳士っぷりを少々とっつきにくいと思っていた女子はかなりいた。
ちなみにどういうタイプが受けていたかというと、テニス部そして俺や柳生と同級生の中ではおねだり上手な
丸井、柳生と同じく物腰は丁寧だが丁寧すぎる感じはしない幸村あたりが女子には人気があった。
つんと澄ました日本人形のような外見の柳は下手するとそこらへんの女子よりよほど美少女めいていたので、
比べられてはたまらんと思ったのか実際に側に寄ってくる女子は少なかったものの、その整った顔立ちは遠く
にいる女子を大いにときめかせていた。
実力者ということで真田も興味を持たれることは結構あったが、一度真田にアプローチしてきた女子はその後
二度と真田に近づいてくることはなかった。
女子がやや敬遠気味だったのと同じく、柳生の丁寧で真面目な優等生ぶりを煙たく思う人間もいたがそういう
人間はすぐに柳生の周りには寄ってこなくなった。そういう人間は大抵部内で実力的にも人間的にもぱっと
しない、明らかにやっかみ混じりだとわかる人間だったので、柳生以前に柳生の比較的近くにいる、イコール
それなりの人達、柳生をやっかむ必要などどこにもないような実力を持つ、柳生の真っ直ぐな振る舞いに勝手
に後ろ暗さを感じて勝手に卑屈になったりしないような出来た人達にも近寄りがたいのだろう。
はなから近寄りたくもないのかもしれないが。
さて、俺は当時柳生をどう思っていたのかというと、一言で言えば
『一度でいいから感情の乱れる様を見てみたい』
だった。
品行方正、礼儀正しく誰にでも優しくて親切で…
怒ることもあったが、それすら相手のためを思ってのものであった。
屈辱にまみれたり、嫉妬に顔を歪めたり、悲しみに泣き叫んだり…
そういう顔を、いったいこの柳生比呂士という人間はするのだろうかと、顔を見るたびに思っていた。
俺のほうはそんな感じだったが、客観的に見て柳生にはあまり気にしてもらってはいないようだった。
ほとんど白に近くなるまで脱色した髪、なんだかよくわからない方言を使って、適当なことばかり言っている
俺を、柳生は親しくなれそうもない人間だと判断したのだと思う。
特別俺を嫌がる素振りを見せたりはしないが、わざわざ近寄ってくることもなかった。
俺は柳生を気にしていたが、だからといって柳生が俺を気にしなくても特に腹が立ったり悲しくなったりは
しなかった。俺は気にする、柳生は気にしない、それは非常に俺らしくて、柳生らしいことだと思った。
前々から薄々思っていたが。
俺と柳生の顔はよく似ていた。
今日、眼鏡を取ってタオルで顔を拭く柳生の顔を間近で見る機会がたまたまあった。
よく見た。確認した。
思っていた通り、同じ顔だった。
このことは、他の誰からも指摘されたことはない。
あまりにもキャラが違いすぎて純粋に顔だけを見比べるのが難しいのだろう。
俺は俺と柳生、こんなに違う二人が同じ顔だなんて面白いなと思った。
そしてそれはたぶん世界で俺だけが知っているのだと思うと、なんだかやけに嬉しかった。
その時は、ただそう思っただけだった。
そうして夏が終わり秋がいき、冬がきて。
期末テストのためテストが実施される一週間前から放課後の部活動が休みになる、そんなある日。
俺は放課後教室の掃除をしながらふと、『柳生の顔が見たい』と思った。
俺と柳生はクラスが違う。彼が掃除当番ならともかく、そうでないならまず会えることはないだろう。それでも
もし会えたらそれは運命だ。
俺は柳生と運命的に出会うことを想像してうきうきした。急いだら駄目だ、急いで会いに行って出会っても
それはそれほど運命的ではない、まず会えそうにない状況で会えるからこそ感動も一入なのだ…
と丁寧に作業をしていたが他のメンバーはさっさと帰りたかったのか俺が丁寧に作業している間テキパキと
手を動かしさっさと掃除を終えてしまった。申し訳ない。というかそんなにゆっくりしたいのなら掃除が済んだ
あともしばらく行かなければ済む話なのだが、そうではない、そうではなくて俺は偶然というものを大事にした
かったのだとても。なぜかその時『偶然運命的に柳生に会う』ということに俺はやたらこだわっていた。
そんな俺のこだわりをよそに掃除道具は片付けられ、窓の鍵と、残っている者がいないか机の脇にかかって
いる鞄の有無を確かめて、全てオーケーで教室の鍵はかけられバイバイまた明日となった。
さあ。
いよいよ。
柳生の教室へ向かう。
授業が終わってそれなりに時間が経過しているプラス今はテスト前で当番等用事がない生徒は速やかに
帰宅する可能性が高い。
普段部活動で勉強に割ける時間がそう多くないとくればなおさら。
暖房も切られるのでひとりもしくは誰かと居残って勉強したい生徒は校内図書館や学校外のファーストフード
店もしくは誰かの家に行くのが常。
こんな中出会えたら本当に俺と柳生は運命で結ばれている。
ひょい、と扉のガラス部分から中を覗き込むと果たして柳生は教室にいた。運命だ。だが柳生ひとりではなく
女生徒もひとり、柳生と一緒にいた。
ふたりはどうやら一緒に勉強をしているらしい。机の上には教科書やノート、手にはペン。
柳生は教室内ほぼ中央やや後方やや窓寄りの自分の席についていて女生徒がその前に座り体をねじって
後ろを振り返っているところを見ると、女生徒のほうが柳生に頼んだのだろう。
きっとあの女生徒は柳生のことが好きに違いない。だってさっきからちらちら柳生のほうばかり見ている。
そして女の片思い。
なぜなら柳生は紳士だからこんな寒いところで勉強しないで図書館へ行きましょうと言うから。
なのに掃除が終わるのを待ってまでここを使っているということは女が柳生とふたりきりになりたくて移動を
拒んだのだろう。そんな独占欲旺盛な彼女はなかなか可愛い容姿をしていた。清楚系で。
柳生は女性の好みなどあまり口にしないが清楚な感じの女性を好ましく思っているというのはずっと見ていた
から知っている。
例えば遠征の電車の中車内で化粧するような女には本人は周りにわからないようにしているつもりだろうが
俺にはごくわずか眉をしかめているのがわかる。
逆に身だしなみがきちんとしていて文庫本を広げたりしているような女を見る目はこれもわからないようにして
いるつもりだろうが俺には優しくなっているのがわかる。
そうしてその女がお年寄りに席でも譲ろうもんならもっとそれは顕著になる。
そういうわけで俺は柳生の好みは控えめで礼儀正しい清楚な女だろうと内心で断定している。
今柳生の目の前にいる女もそういう点ではいい線いっていると思う。だからこそ柳生も頼みを、いや柳生なら
誰の頼みでも聞くか。
さて柳生を好きな女とその女のとりあえず容姿は好んでいるであろう柳生がだんだん暗くなってきたひとつ
教室の中机を挟んで座って向かい合っている。何か起こりそうな予感。すると。
教科書を指しながら何か喋っていた柳生が顔を上げた瞬間、その女は何か一言喋って柳生の唇に自分の
それを重ねた。予感的中。
柳生は目を開けたままびっくりした顔をしていた。動かなかった。押し返すでもなし抱き寄せるでもなし。
じっとして何の反応もしなかった。机を挟んでいるぶん距離があって身を乗り出し首を伸ばして口づけをして
いる女はいい加減くたびれたのか柳生から顔を離した。どうするんだ柳生。
「申し訳ないですが、そういうお話なら私は帰ります」
そう言われた時の女の顔は俺の位置からは見えなかった。そして柳生にキスする前に女が何を言ったかは
ここからでは距離があって聞き取れなかったが、今度の柳生の声はかなりはっきり聞こえた。
「柳生くん、でも、私、本当に」
ああ、あの時、好きです、とかそういうことを言ったんだな。
「すみません。私は今誰かとお付き合いをするつもりはないんです。
勉強のことならいつでも相談に乗りますが、こういうことは二度としないで下さい」
柳生は淀みなく一息に喋った。断り慣れている感じだった。何回か告白を受けたことがあるのだろうか。
「でも…」
「出ましょうか。もう遅い。教室の鍵は私が閉めて職員室に返しておきます」
手早く机の上のものを鞄にしまう。
柳生が全くなびかないことを悟ったのか、女も急いで机の上を片付けていた。俺は興奮していた。柳生はこの
ことを誰にも見られていないと思っている。
もし俺が一部始終を見ていたことを教えてやったらどんな顔をするだろう。どきどきした。柳生は席を立って女を
促す。俺は近くの階段まで行って隠れた。
「では、私は教室の窓と扉の鍵を確認して出ますので。あなたは、お先にどうぞ。急がないと暗くなります」
「うん… ごめんね」
「いいえ」
ふたりは戸口で話しているのだろう、少し距離があったがちゃんと聞き取れた。
軽い足音女のものだろうそれが近づいてきたので階段を少し上がってしゃがみこみコンクリート製の手すりに
身を隠す。階段を降りる足音がする。
首だけ出して見るとやはり女だった。ということはあそこには柳生ひとり。偶然を装って会いに行こうか。
柳生はどんな顔をして俺を出迎えるだろう。
と考えていると足音が近づいてきた。柳生だろう。階段を降りるところを上から声をかけようか。
柳生の上目遣いは嫌いじゃない。
と思っていたら柳生が俺の前を横切って行った。曲がって階段を降りていくと思っていたのにそのまま教室と
反対側へ廊下を真っ直ぐに。びっくりした。びっくりして声も出なかった。
柳生は不愉快そうに顔をしかめて急いでいて速足だった。廊下を急いで歩いている柳生を俺は初めて見た。
誰も守っていない『廊下を走ってはいけません』を柳生は律儀に守っていた。そういう人間だった。さて柳生が
歩いていった先はというと、そこには特別教室と教材を置いている物置みたいな場所とあとトイレがあった。
慌てて廊下に首を出すと柳生はちょうどトイレに入っていくところだった。
俺は階段から離れてそっとトイレに近づく。扉のない入り口から気付かれないように様子を窺うと、夕日射す中、
洗面台で柳生が口元を何度も何度も洗っていた。
うがいをし、お椀型にした両手にためた水の中に口を突っ込み、同じことを水を変えて何度も。
冷たい水に手がかじかんだのだろう最後蛇口を閉める手は力が入らないようだった。正直俺は驚いた。なにも
そこまでやらなくても。女性に優しい柳生のイメージからはかけ離れていた。
が、同時にひどく柳生らしいとも思えた。
柳生…
「柳生」
「…、仁王、くん?」
驚き、というよりぽかんとした柳生の顔。
「何しとるの」
「なんでもありません」
柳生は慌てた様子でポケットを探った。
「顔びしょびしょ」
「だから、なんでもないです」
取り出した、綺麗にアイロンの当たったぴしとしたハンカチで柳生は顔を拭った。
濡れてくちゃくちゃになっていくハンカチ。あんなに洗ったのにまだ柳生は汚されているのだと思うと興奮した。
「のう、柳生」
「…なんですか」
柳生は少し怯えた表情になった。見られていたかもということに思い及んだようだ。警戒している。そして
それを無表情という表情を作ることで懸命に隠そうとしている。だけどそこかしこから綻びて。
見たことのない、柳生の表情。ぞくりとしたどきどきした。
「柳生…」
「…はい」
ハンカチを握ったままの柳生の指先にほんの少し力がこもる。
「俺、柳生に頼みがある」
俺がそう言うと柳生はあからさまにほっとした顔になった。
紳士な柳生は人によくものを頼まれる。女性の告白を手ひどく拒絶する廊下を急ぎ自分に好意を寄せて
くれている女性をまるで汚いもののように扱う、およそ紳士らしくないさっきまでの自分からいつもの普段
通りの優しいジェントルマンに戻れると思ったのだろう。でも、そうじゃない。
「頼み?なんですか?」
笑顔。柳生の。
「俺… 柳生のこと… 好き」
柳生はぽかんとした。そしてみるみる険しい顔になる。
「仁王くん、冗談はやめて下さい」
「冗談やないよ」
俺はつかつかと歩み寄って柳生の頭に手を伸ばしそして後頭部を掴むと強く引き寄せて自分の唇を柳生の
それに押し付けた。
「!」
柳生が俺の腕の中でびくりと体を震わせるのを待ってそしてすぐ手を体を離す。
「…な、にを」
「それでこのあとお前はさも汚いものに触れられたみたいに口、洗うんか?」
「っ…」
柳生は悔しそうに目を眇めた。
「仁王くん、あなた…」
「見とったよ。さっき、偶然通りかかった」
わざわざ脅してなんかやらない。俺は知っているのだとそうほのめかすだけでいい。
頭のいい柳生礼儀正しい柳生、自分のしたことが女性を悲しませるであろう失礼なことだなんてわざわざ
俺が指摘しなくてもわかっている。そして勝手に先回りして柳生は俺に負い目を感じてくれる。
「…そう、ですか」
「それで頼みなんじゃが」
「…あなた、私をからかっているんですか?」
怒った顔。
頼みごとしたり好きって言ったり脅したり?わけがわからない?からかいだと思った?
「からかっとらんよ。真面目に言うとる」
「じゃあ、なんですか。頼みって」
柳生はずっと手に持っていたハンカチを、ここでやっとポケットに戻した。
「俺と入れ替わって」
「…え?」
「いつか、この先、俺とお前でダブルスを組むことがあったら。その時」
「入れ、替わる…?」
全く意味がわからないといった顔だ。
「柳生」
近づく。柳生がびくりと体を竦めた。俺は黙って柳生の眉間に指を伸ばす。柳生は反射的に目をつぶった。
俺は眼鏡の真ん中をつまんで上に引っぱりあげ、柳生の顔から眼鏡を取った。
「ほら」
柳生の肩を抱いてふたりで鏡を覗き込んだ。
「似てると思わんか?俺と柳生」
「そう…ですか…?」
柳生はぱちぱちと目をしばたたかせた。
「あ、もしかして見えん?」
「いえ… そんなことは」
と言って柳生は鏡に顔を近づけた。
「…そう、ですか?」
「似とるよ」
俺は水道で軽く指先を濡らすと前髪を七三に撫でつけ眼鏡をかけた。
「あ…」
「な?」
俺は柳生に興味を抱いていたこと俺と柳生の顔はよく似ているということ俺は柳生の他人に知られたくない
部分を知ったことここが鏡のある場所だったこと。
バラバラで、繋がるとも思えないことが、でも揃った途端俺の頭は高速回転。ひらめき。即。まとまる。
俺はやっぱり柳生に俺を見て欲しい。
そしてそれを実行してもらうのに入れ替わりという手段は非常に都合がいいこと。
そして今なら簡単に、柳生にそれを承諾させられること。
「確かに…」
納得したらしい柳生に俺は眼鏡を返した。
「ですが、入れ替わるとは… どういう…」
「俺が柳生のかっこして柳生が俺のかっこして。
俺がお前のプレイスタイルを真似て、柳生は俺のプレイスタイルを真似てプレイする。
真似だからもちろん力は本人に比べて劣るだろうが…
だけどそこが入れ替わりの肝な。
相手がそれぞれ偽者のプレイに慣れたところで種明かし。元に戻ってパワーアップした俺達に相手びっくり
戦意喪失。どうよ?」
「あなたは… 私に対戦相手を謀れと…!?」
「これも立派な戦術じゃろうが」
「…嫌です」
「…お前が、俺に嫌とか言える立場か」
「え?」
柳生の顔にみるみる恐怖が浮かぶ。俺は慌てたふりして笑って言った。
「冗談だよ」
「仁王くん、あなた…」
柳生の顔からまだ怯えは消えない。
「だから、冗談だって!
…ずっと前から思ってた。俺と柳生は似てるって」
「ずっと前から…?」
「そう。ずっと前から」
柳生にとってはいきなりキスされるよりこちらのこの告白のほうがよほど愛の言葉めいて聞こえるんだろう。
黙り込んでしまった。
「………」
なあ、柳生。お前が、ずっと前?それはなぜだと聞かないのは
「お前のことがずっと前から好きだった」
と言われるのが恐ろしいからなんだろ?
「だから、冗談はやめて下さい」
「冗談じゃない。
俺はお前と組んでみたい思うとったよ。ずっと」
なんだそういう意味ですかみたいな安心した顔を柳生は見せる。
本当はそうじゃない。本当は組みたいと思っていたわけじゃない。それは言い訳で本当は俺はもっとお前を
見る口実を、お前がもっと俺を見るようになるきっかけを欲したからだ。そしてたぶん俺は柳生のことを本当に
好きだ。
「ですが…」
そういうことをするのは嫌か?
「一度だけでいいんだ。一度だけで。一度だけでいい、テニス部全員、いや、この学校全員の度肝を抜いて
みたい」
俺は真剣な顔を作る。俺達が所属するテニス部は周り全員が実力者。
そしてその実力者達は努力も怠らないのだ。そんな中で自分の実力を誇示するのは並大抵のことではない。
柳生もそれは身に沁みてわかっているのだろう、一瞬柳生の目が期待に輝いたのを俺は見逃さない。
「ですが、私とあなた、一緒にレギュラーになれるとは限らないじゃないですか」
「そうか?俺は柳生も俺もいけると思うとるけど」
「………ですが」
「…約束、してくれるだけでええよ」
「…約束」
「そ。約束してくれたら今日のことは俺ひとりの胸に仕舞っておく」
「仁王くん、あなたやっぱり!」
私を脅すつもりですか、か?
俺は安心させるように笑ってみせる。
「ずっと前からお前と組んでデカいことしたかったよ。そのために使える手段があるならなんでも使う」
これは本当は脅迫だ。
でもその上からずっとお前とテニスがしたいという、好意、をかぶせて本当のことを隠す。
愛しているから脅迫めいたこともします、と相手には思わせる。
本当はそうじゃない。愛しているから、ではなく、脅迫する、愛しもする、だ。片方がもう片方の理由なんじゃ
ない。
「…一度だけ、ですよ」
柳生は、しぶしぶといった体で承諾した。
「はは!ありがとな!柳生!」
「ふたりとも、レギュラーになったら、という話ですよ!」
「なれるって!」
「あなたはどうしてそう、軽々しいものの言い方をするんですか」
「本当になれると思うとるよ。俺はお前が真面目に練習してるの知ってる」
俺がそう言うと、柳生の目元が少し赤く染まった。
「私は…
申し訳ありません、どうこう言えるほどあなたのことを見ていなかった」
あらら。
「これから見てくれたらええよ。
てか、よく見ておいて。俺の何もかも。覚えて入れ替わりのとき完璧にお互いになろう。
俺もお前のこともっとよく見る」
今までも見ていたけどこれからはもっと。
「…わかりました」
「よろしくな、柳生」
結ばれよう。縛られよう。お互いに。強く。
(08/02/08)
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