あはははは、と、画面の中の俳優たちが明るく笑う。
彼らの共通の知り合いが行う、酒の席でのおもしろおかしい振る舞いが、話題だった。
祖父と、甥の左助と一緒に見ていたテレビ番組の中でのとある一場面。
左助が俺のほうをちらと振り返って、
「ゲンイチローってふんどしするときもあるんだよね?
いくらふんどしのしかたを知ってるからって、大人になって酔ってこういうことするのだけはやめてね」
と、心の底から嫌そうに言う。
「するか、馬鹿者」
トイレットペーパーをふんどし代わりにするなど。
眠る前、甥とそんなやりとりをしたからか、こんな夢を見た。
「真田」
幸村が、俺の目の前に座っている。
真っ赤な着物を一枚ひっかけて、黒塗りの膳の上の徳利を傾けている。
「何をしているんだ。お前は入院中だろう、」
病気で、と、俺が言いかけるのを遮るように、
「治ったよ」
ほら、と、幸村は帯をするりとといて着物の前を広げて見せた。
幸村の体の縦いっぱい、横いっぱいに、十文字の傷が走っている。
「手術したからね」
そう言って、幸村はにこりと笑った。だからもう、大丈夫だと。
「お祝いだよ、真田」
幸村は傷を隠さないまま、おいでおいでと俺を手招きする。
素足にさらりと心地いい畳の上に膝をつくと、
「はい」
と、幸村が俺に、トイレットペーパーを差し出した。思わず受け取る。
「な、んだ、これは」
「わかるでしょ?」
「わからない」
「嘘」
はは、と幸村は小さく笑う。
「早く、真田」
と、幸村は腕を伸ばしてぐいと俺の浴衣の帯を引いた。
俺の体がごろりと畳の上を転がる。
慌てて起き上がり幸村を見ると、幸村がつい今しがたまで俺が着ていた白い浴衣と帯をぽいとうしろに
投げ捨てている。
「え」
何も身につけていない。トイレットペーパーだけを手にしていた。
早く、と、幸村が笑った。
俺は、膝立ちのまま幸村の前で腰に紙を巻きつけた。
「もういい?真田」
「あ、ああ…」
「真田」
幸村が、澄んだ青色の水鉄砲を俺に見せる。
そしてその中に徳利の中の液体を注いだ。
「これで、今から真田を追いかけまわすから」
「…なんだって?」
「遊びだよ、遊び」
真田も、時代劇を見るならこういう誰かが誰かを追いかけまわす場面はよく見るんじゃないの?と、
幸村があどけない表情で笑う。
たしかに、お座敷遊びというものは、あるにはあるが…
だがそれは、
「お前と俺とで、するようなことでは…」
「え?なに?」
「俺とお前で、こういうことをするのは、おかしい」
幸村はそれを聞いて、なにか俺がおもしろいことでも言ったかのように楽しそうに目を細めた。
「なにを言ってるの?真田」
「えっ」
「したいんだろう?したいから、お前はこういう夢を見るんじゃないか」
「違、違う」
「違わないよ」
「これは、今日、テレビ」
「あれはこんな意味の場面じゃなかったよ」
「しかし」
「もういい」
幸村は、引き金を引いた。
「…あっ」
酒なのに、妙にねばねばした、冷たいような、しかし生ぬるいような、そんな、おかしな液体が俺の胸元に
ぱしゃりとかかった。
つ、と、腹を伝い落ちる感触がむずがゆく、くすぐったい。
そして腰まで垂れたその液体が、体に巻きつけた紙を、少しずつ、少しずつ、溶かし始めた。
「次は当てるよ」
「ゆき、むら」
「全部溶かして落としたら俺の勝ち。中身がなくなるまで逃げ切ったら真田の勝ち」
「ゆきむら」
「俺が勝ったら、俺の言うことをなんでもひとつ聞いてもらう」
「幸村」
「五つ数えてあげる」
さあ、立って、と、幸村は引き金にかけた指に力を込めた。
「わ…、わあああ!!!」
俺は恐ろしくなって走り出した。
赤い格子戸を開けて廊下に出る、すると向こう側に幸村がいるではないか。
俺はくるりと後ろを向いて、また部屋の中に戻った。
赤いへりの畳の上をどこまでもひた走り、赤いへりの襖を幾度も幾度も開け放つ。
しかし、どこまで走っても部屋の中から出ることがない。
「…あっ!!」
撃たれた。腿に当たる。酒だからなのか、じんわりとそこが熱くなり、ねばねばとし、なんだか体が重く
なる。足が、絡む。
幸村は。幸村は今どこにいるのか。後ろ、どれほど後ろにいるのだろうか。もしかして、もう腕を伸ばせば
俺の肩を掴んで引き倒せるくらい近くにいるのか。
恐ろしさに負けて振り返った。
振り返るべきではなかった。そのまま何も考えず走り続けるべきだった。
びしゃり、びしゃり。
まだだいぶ離れている幸村から撃たれた液体が、また胸と、それから首元を濡らした。
ああ、ねばねばする、ぬるぬるする。
気持ち悪い、なんだこれは。
走っているからなのか、風を受けているからなのか、俺の体についた液体が、ずるずるとなんだか意思を
持っているかのように、俺の体の上を這いずり回った。
もう…!!! 嫌だ…!!!!!!
もう幾度めになるか、襖を開けようと手をかけたとき、その手がぬるりと滑った。
「ああ!!!」
しまった、開けられない。
振り向くと、幸村が迫っていた。
幸村が、鉄砲をこちらに向ける、撃つ。
「うっ!!!」
顔にかかった。口の中に入る。なんだかやけに苦い。怖い。目を、開けられない。
びしゃっ、びしゃっ、と、腰を、巻いた紙を、二発続けて撃たれた。
どろどろと、重たくなった紙が、尻や、腰骨や、内腿をぬらぬらと撫でながら、滴り落ちていく。
「あああ…!嫌だ…!幸村…!!!」
めくらめっぽうに手を腕を振り回し襖を開けた。
しかし何か、畳とは違う何か柔らかいものに足を取られて転倒する。
体がもんどりうつ。
ぬの…?敷布…!?
そのすべすべした柔らかい手触りのものを引き寄せ、必死に顔を拭った。目を開ける。
布団だ。俺が転がっているのは布団だ。
真っ赤で、艶のある、沈みこみそうな柔らかな、布団。
手をついて、立ち上がろうとする。
手がずぶりと布団の中にめり込む。つるつると滑る。俺は無様にまた布団に沈んだ。
ひたひたと足音がする。
ぴしゃん、と、鋭く襖を開け放つ音に体ごと振り返ると、足元に、幸村が立っていた。
「幸、村」
幸村は無言で、俺の右足を踏みつけて、動けないようにした。
そして、引き金を引く。
「うっ!!!」
びしゃん、と、俺の体の中心に、幸村の鉄砲から飛んできた液体が当たった。
体にかかったその液体は、ずっと、幸村の手に握りしめられていたからか、幸村の体温のように熱い。
幸村は、引き金を引いた。何度も、何度も。俺の体にこびりついた、白いものを、全てその手で取り除こう
とでもするかのように。
「ああ…っ!幸村ぁ…っ!」
幸村の体温をともなった液体が、何度も何度も皮膚を伝い、その度に俺は悶えた。
おかしいな、あんな子供が遊びに使うような水鉄砲に、こんなに入るわけがない、とぼんやりと考えたが
幸村の鉄砲はそれでも液体を噴き出し続けた。
どれくらいの時間、俺は幸村からそうされ続けたのか。
「…真田」
幸村の、少し荒い息、うわずった声、少し汗ばんで、上気した頬。
「…俺の、勝ちだね」
赤い着物の裾をふわりとなびかせ、幸村が、ぐっしょりと濡れた俺の体を挟みこむように、布団の上に
膝立ちになる。
「幸村…」
「真田」
幸村が、体をかがめて俺の両手で俺の頬に触れた。
頬の次は、首筋、首筋を辿って鎖骨、胸。
幸村はそこで少し体を俺の足元のほうにずらして、また、胸から腹、そして、腰骨の辺りを、しっかりと
掴んだ。
そこから少し、背中のほうに手のひらを滑らせ、幸村のほうに引く。
体を起こせ、ということらしい。
俺は後ろに手をついて、ゆっくりと体を起こした。
膝で立っている幸村のほうが少し高く、俺を見下ろす。
…負けた俺に、幸村はいったい何を命ずるのだろうか。
「真田」
幸村が手を伸ばし、そっと、俺の髪を、梳いた。
その瞬間、
ビシャッッ!!!
「痛ッッ!!!」
何かで、激しく叩かれたのだと思った。
何か、強い力に、俺は叩き伏せられたのだと、思った。
…違う。
全身をぞっとするほど冷たく濡らす、この液体は…
「水…?」
「真田」
俺を呼ぶ幸村の声。俺は慌てて、上を見た。
幸村は、もう、
頬を上気させてもいなければ、息を、荒げても、声を、うわずらせても、いなかった。
ただ、大理石のように、冷たく、硬質な様子で、俺を見下ろしていた。
「ゆ、」
「汚い」
…幸村…?
幸村が立ち上がり、俺に何かを投げつけた。
「ぐ…っ!」
強かに腹を打つ。それは、びしょ濡れの手ぬぐいだった。
「それで、体を拭いて」
「ゆきむら」
「終わったら、これを着て」
それは幸村が脱がせ、投げ捨てた、俺の、浴衣。ばさりと、俺の上に落とされる。
「見苦しいものを、俺に見せるな。真田に俺がしてもらいたいことは、それだけだ」
ああ…!!! 幸村…!!!
ぶるるっと、激しく背筋が震え、体が痙攣した。
「あ、幸、村…」
部屋の中は、まだ薄暗い。
息が苦しい。全力疾走したあとのように、体が疲れている。吐く息が湿っぽく喉の奥にまとわりつく。
熱い…
汗をかいている。浴衣が、上から下までぐっしょり湿っている。
今、身につけている布地のあちこちが、体に、べたべたとはりついていた。
俺は、ずるりと床から這い出、汚れた衣服を全て取り去った。それから、濡れた部分をタオルで拭う。
夜気に当てた裸の肌は、すぐにさらさらと乾いた。
すぐに…
水で流したほうが染みにならないのだとはわかっていた。しかしもう、体が泥のように重い。
それは朝、起きてからにしようと思った。
もうこのまま、床にもぐりこんでしまいたかった。
ところが、喉が、渇きを訴える。
新しい浴衣と、下着を身につけて、俺はよろよろと洗面台に向かった。
蛇口を捻り、水を貪り飲む。
満足して、水を止めた。
顔をあげる、目の前の鏡に、自分の顔が映った。
そのときふいに、
見苦しい、
と、冷たく俺を罵った幸村の顔が脳裏に浮かぶ。
…俺は、病で入院している幸村を相手に、なんという夢を見てしまったんだ…!!!
すまない、幸村すまない、すまない、本当にすまない…!!!
俺は、飲んだ水を全て戻してしまった。
先日見たドラマの1シーンで思いつき書いてしまいました(笑) 真田誕生日おめでとう!(こんなので祝われても!(苦笑)) 130521 |