西暦 出来事
1661 松前藩の地図にマシケ・ゴキヒルの名前が記される
1706 松前藩は、石狩・厚田・マシケの三場所を設置
1785 松前藩はマシケ場所を二分し、マシケ場所(現在の増毛)、ハママシケ場所(現在の浜益)とする
1807 蝦夷地は幕府直轄領となる
ハママシケ場所は幕府直轄地となる
1808 津軽藩が幕府からハママシケの警備を命ぜられる
1821 ハママシケは再び松前藩の所轄となる
1845 松浦武四郎がハママシケに来る
1855 ハママシケは再び幕府直轄地となり、ヘロクカルシ(現在の浜益本村)に代官所が置かれる
1857 濃昼山道、雄冬山道の開削がはじまる
1859 荘内藩が幕府からハママシケの警備を命ぜられる
1860 荘内藩が川下に本陣を置く
1862 川下八幡神社を建立
1864 大心寺を建立
1867 大政奉還
1868 荘内藩がハママシケを退去
1869 ハママシケを浜益と改称
石狩国に編入される
1870 浜益は東京芝増上寺の支配となる
1871 浜益に戸長役場が設置される(浜益村開村)
初代戸長に本間豊七
1872 病院設置
1875 郵便局設置
1878 浜益教育所を開設
1885 浜益鰊(ニシン)漁業組合創立
1889 警察分署が置かれる
1894 茂生(浜益本村)〜送毛間の道路改修工事完了
1896 増毛漁組と浜益漁組の紛争が起こる(雄冬事件)
1897 浜益小樽間に汽船運航する
1898 白鳥番屋(現在の郷土資料館)落成
1902 二級町村制施行
1905 浜益滝川間の道路開削
1907 一級町村制施行
1915 第15代村長に澤谷新三郎就任
1920 浜益運輸会社により汽船浜益丸が小樽・浜益・雄冬・増毛間の貨客の運輸を行う
第1回国勢調査、浜益の人口7258名
1927 浜益電気会社設立、電灯点火
1931 浜益滝川間に自動車が走る
1934 浜益滝川間にバスが運行する
1940 浜益火力発電所が全焼
1945 米軍機が浜益沿岸部を空襲する
1948 浜益丸遭難、乗員十数名溺死
1951 北海道銀行浜益支店開業
1952 小樽浜益間定期貨客船就航
1953 札幌留萌線が二級国道となる
1955 国勢調査、浜益の人口9082名となる
ニシン凶漁におわる
1958 道銀浜益支店閉鎖、中空知信用金庫浜益支店開設
1959 役場の一部消失
1964 群別に自動車教習所開設
1968 村旗、村章を指定する
1971 浜益厚田間の国道が開通
開村100年記念式典
1972 札幌〜浜益間の直通バスの運行が始まる
1977 送毛トンネル開通
1981 国道231号全線開通する
国道231号雄冬トンネル崩落
1988 浜益温泉完成
1990 千本ナラが新日本名木100選に選ばれる
1993 道道滝川浜益線が国道451号に昇格する
1994 浜益村役場新庁舎が完成
1997 毘砂別展望台を新設
2000 ふれあいセンターきらりがオープン
2002 石狩市・厚田村・浜益村合併問題研究会設置
2003 石狩市・厚田村・浜益村合併協議会設置
特別養護老人ホーム完成
2004 合併の可否に関する住民投票実施
2005 10月1日、石狩市・厚田村と合併する
木村村長退任
浜益区誕生 区長が置かれ、役場は浜益支所となる
初代区長に大原さん就任
2006 1月1日、浜益村は密かに復活
HPを大幅にリニューアル
2007 2代区長に宮田さん就任
2008 浜益高校の募集停止
新赤岩トンネル開通(厚田区濃昼 国道231号)
2009 黄金山が国の名勝に指定される
新送毛トンネル着工(国道231号)
区長制度終了 宮田区長退任
浜益区は支所長制度へ
2011 7月〜9月にかけて記録的な大雨に見舞われる
9月5日は日本海と太平洋の台風に挟まれる事態に
2013 浜益区の人口が1600名を割り込む
2014 3月4日 新送毛トンネル開通
8月5日 記録的な大雨により浜益川の水位が上昇
川下・柏木に避難勧告
2015 合併10周年
区制は5年延長
浜益区の人口が1500名を割り込む
2016 1月19日 浜益トンネル開通
(ガマタトンネル、タンパケトンネル、雄冬岬トンネルの名称が消える)
3月 中央バス札幌浜益線廃止
4月 
浜益厚田間乗合自動車(デマンド交通)開始
9月1日 石狩市市制施行20周年
10月 千本なら 真ん中の木が倒れる
2017 9月14日 記録的な大雨で土砂崩れ・住宅浸水
第35回ふるさと祭りは中止
12月25日 暴風雪により浜益全域が停電

浜益の歴史