石垣の上から見えたものは180度の海のパノラマだった。
ここは昔のニシン番屋の跡地。
高台のとても見晴らしの良いところ。
水平線は遥か彼方に見える。
南の岬から北の岬までが縄張りだったのだろう。
幅1メートルくらいの道路がジグザグに海へ続いていた。
道路といっても、背の高い雑草を掻き分けなければならない。
おそらく50年くらい前から使われていないのだろう。
ニシンは昭和30年に姿を消したのだ。

途中、地盤の崩れたところも何とか乗り越え海岸に到着した。
打ち揚げられたのだろうか?
灯油タンクのようなものが落ちているが、人の気配はまったくない。
海岸線は20メートルぐらいの幅があるが、100メートルくらいの岩壁が人を寄せ付けない。
海岸を歩いていてもとても圧迫感がある。
しばらく歩くと、海岸線がなくなった。
海は大時化である。

仕方がないので岩肌につかまって登ることにした。
岩盤は意外ともろく、上手に登れない。
岩の割れ目に足を乗せ、必死にしがみついた。
落ちたら死ぬかもしれないと思った。
途中に止まる所がないから滑り落ちてしまうだろう。
登りきったら今度は降りなければならない。
昔はきっと海岸線があったのだろう。
削られてしまったのか?
クモのように手足を使い降りた。
疲れたのでしばらく休むことにした。

海岸線と平行に石垣が並んでいる。
石垣の上には廃墟になった小屋の跡があった。
背の高い雑草で隠れてしまっている。
潰れてしまっているが、昔は漁師達でにぎわっていたのだろう。
散策してみるといろいろなものが落ちていた。

ニシンを煮るための大釜?
お風呂のような、両手を広げたくらいの直径で、高さも1メートルくらいの釜。
茶褐色にさびているが、まだ使えるかもしれない。

酒樽のようなもの?
高さ50センチ、幅30センチくらいの茶色い焼き物。
持ってみたら意外と重い。
口は小さく、たぶん飲まないときはコルクのようなもので蓋をするのだろう。
酒を飲むことが唯一の楽しみだったのだろうか。

魚をとるための網?
木材に絡まっているが、打ち揚げられたものではないようだ。
たぶんここにいた人たちが置いていったものだろう。

太い柱が数本、倒れないでがんばっていた。
主が帰ってくるのを待っているのだろうか?
斜めになっている柱もある。
石垣だけは整然と残っていた。
あと100年経っても残っているだろう。
昔の人はいい仕事をしている。

海へ目を向けると、大岩の上に太くて短い柱が立っている。
柱にはロープが巻きついている。
海から船を引っ張る為のものだろうか?
最初はトドでも休んでいるのかと思った。
岩も柱もだいぶ波で浸食されていた。

しばらく歩いていると、また海岸線がなくなった。
こんどの場所は水が引くと向こうに渡れそうだった。
チャンスをうかがう事にした。
いまだ!
自分ではそう思ったつもりだったが意外と早く波がきた。
自分より背の高い波だった。
腰ぐらいまで波が押し寄せた。
岩壁に体を押し付けられた。
波に引き込まれそうになるのを足で踏ん張りかろうじてこらえた。
そして必死に走った。

波に飲まれたのは一瞬だったらしい。
ズボンも濡れていなかった。
着いたところは奥行き20メートルくらいの背の高い洞窟だった。
波しぶきを避けるため、一番奥まで行ってそこに座った。
そこから見える景色は、四方が岩肌で、スクリーンには空と海しかない絶景だった。
雨露をしのぐには最適の場所だ。
ここで人夫も海を見ながら雨宿りをしていたのではないだろうか?
その当時と同じ景色を自分も見ているのではないだろうか?

先人達の開拓の苦労を偲ばせる場所がこのまま忘れ去られていくのはちょっとさびしい。
でも、このまま自分だけの秘密の場所にしておこう。
いつまでも後ろを振り返っていても仕方がない。
昔は昔、今は今。
人は前を向いて歩いて行かなければならない。
私はタイムカプセルを閉じた。

さあ、帰ろう!
立ち上がっては見たものの、帰りはこの岩壁を登らなければならない。
振り返ると、海の波が「おいでおいで」と手招きをしているようだった。
私は前だけを見て必死に歩を進めた。