宗教を信じると云うこと
 宗教を信じると云うことは、心に安らぎを与えるものだと信じている。しかし宗教に傾倒しすぎても良くない。私にとって宗教とは、先祖を供養してもらい、子孫の繁栄を願うものにすぎない。人に押し付けたり、家族を犠牲にしてまで信じるものではない。ましてや宗教は金儲けの道具ではない。人の弱みに付け込んで寄付させたり、物を売ったりする行為は、宗教とは云えない。
 私は檀家としては失格である。たまに墓掃除に行くくらいだ。でもそれでいいんじゃないの?私がこれからやらなければならない事は、子孫にご先祖様の功績を伝えていくこと。ご先祖様がいなかったら今の私達の生活もない。私自身もこの世に存在していなかったかもしれないのだ。
 現在の子供達には伝えることが出来なかった。テレビも新聞も毎日無残な記事ばかり。どうしてこうなってしまったんだろう。お金が無くなったら盗み、体を売り、人を殺す。ご先祖様に申し訳ない。勉学は教えても、道徳を軽んじてしまった。
 ご先祖様に手を合わせてみよう。お墓を掃除してみよう。落ち葉を掃き、雑草をむしり、水を撒いて、花を添える。何事も子供達に体験させることが教育であり、道徳は自然と身につくものだ。仏でもマリア様でもかまわない。それが私にとっての宗教である。