東京への長い帰路


10.戦いすんで…
 メインレースが終わって出口に向かう人が目立ってきた。しかしまだ最終12レース(神鍋特別)が残っている。それに
ここで帰ると電車にまともに乗れないのがわかっていたので、このまま残ることにした。当然12レースも馬券を買った
が、1着しか当てられず惨敗。しかし空いてきて前の方に行けたので、ようやくレースの写真が撮れた。

最終12レースのゴール前、奥の方で桜が満開になっているのがわかる。

ターフビジョンを見ると「この後パドックに桜花賞勝ち馬が登場」との意の文字が浮かび上がった。確かに公式プロ
グラムにはパドックでレース回顧のイベントがあるとはあったが、馬自身が登場とは書いていなかった。おそらく急遽
決定したのだろう。

 パドックに行くともう前の方は埋まっていたが、後ろの植え込みの縁に腰掛けてカメラを構えて待った。やがてレース
回顧が始まりしばらくすると、関係者に引かれ池添騎手を背に乗せたアローキャリーがパドックに入ってきた。

池添騎手を鞍上にアローキャリーがパドックを周回、その後池添騎手もレース回顧に参加。

このようなイベントはG1レース開催時には必ず行われるが、勝ち馬が登場するのはちょっと珍しい。また余談になるが
1999年の菊花賞のレース後に杉本清さんと山田雅人さんが勝ち馬(ナリタトップロード)騎乗の渡辺薫彦(くにひこ)
騎手を交えてレース回顧をしていたが、このときはナリタトップロード自身は登場しなかった。話を戻すと池添騎手は
表彰式で畑野浩子さんと握手したらしいが、司会者にそのことを聞かれ「今日は手を洗いません!」と素顔は22歳の
若者らしい答えだった。


11.1人反省会
 イベントも終わり競馬場を後にして先述の地下通路を歩いていると、急に前が詰まってきた。警備員がハンドマイクを
持ちながら「仁川駅は大変混雑しています。只今入場制限を行っております。」と呼びかけていた。確かに駅から
競馬場までは従来の道路と併せてルートが2通りになったが、仁川駅自体は拡張しておらず、もともとの狭い駅のまま
だった。本来3基ある上りエスカレーターを1基に制限していた。これではなかなか進むはずがない。もっとも仁川駅は
競馬場最寄り駅としてはかなり手狭なので、いたしかたがない。

参考写真:阪急電鉄今津線 仁川駅(兵庫県宝塚市) 2000年4月9日(桜花賞当日)撮影
梅田行きの臨時急行発車後も、かなりの人がホームに残っている。

上写真のように西宮北口(梅田)方面のホームはかなり危険な状態とも言える。そこで反対(宝塚方面)に乗り、
宝塚駅で阪急宝塚線(通称:ヅカ線)に乗り換えて梅田に戻ることにした。運賃はどちら回りでも260円だが、西宮北口
経由の方が時間は半分(約30分)で済む。しかし座れないのは確実であり、既に3時間以上立ち詰めだったので、
確実に座れる宝塚経由を選んだ。10分足らずで宝塚に到着、入れ違いで宝塚線特急が発車したのが見えた。もう少し
待っててくれないかなと思いつつ、停まっていた梅田行き急行に乗り換えた。ここまでくるとさすがに疲れがピークに
達したのか、30分ほど爆睡して気が付くと豊中を過ぎていた。

 梅田に着くともう時計は18時を指している。東京に帰る前にどこかで”反省会”をと、JR高架下「新梅田食道街」の
松葉総本店へ向かった。ここは立ち飲みスタイルの正統派串かつ屋で、大阪へ行ったときは必ず立ち寄る場所の1つ
である。カウンターにはそれぞれバットに入ったキャベツとソースがあり、生ビールを飲みながらキャベツをつまみ、
カウンターの上にある串かつを選んで5,6本ほど食べた。会計する段になってビール込みで1000円は超したかなと
思っていると、店の人が「ちょうど1000円です」と言ってきた。思ったより安かったのでビールを数え忘れたのかと思い、
ジョッキを見せ付けるようにカウンターの上に乗せたが、もう一度「1000円です」と言ってきたのでどうやら間違いない
ようだ。なお、会計は皿に乗っている、値段ごとに長さが違う串の数で計算する。あとこういう串かつ屋で注意する点は
「ソースの2度付け」は御法度ということだろう。


12.エピローグ
 反省会が終わるとあとは東京に戻るだけだ。先に購入しておいた自由席特急券で新大阪駅の改札をくぐり、車内で
軽く夕食にと寿司を買ってホームに上がった。自由席にしたのは前にも書いたようにモーターの音を聞きながら電車に
乗るのが好きなので、自分で号車を決められない指定席にしなかっただけである。自由席の内1,3号車はモーターが
ないので(500系は全車両にモーターがある)、比較的空いてそうな2号車に乗車した。

新大阪を発車すると、先ほど買った寿司を早々に平らげ持って来た本を読んでいると、当然のことながら眠気が激しく
なり、途中何度か目を覚ましながら、完全に起きたときにはもう小田原を通過するところだった。ここまで来ると関東圏
に戻ってきたことを実感する。新横浜を過ぎて多摩川を渡る頃になると、もう200km/hを出すことはない。品川駅付近を
過ぎると東京駅到着の自動放送が始まり、短いようで長かった旅の終わりを感じた。東京駅に着き山手線に乗り換え、
日常に戻る自分を痛感しながら正味28時間の”長旅”に幕を閉じた。


 後日談:なぜ阪神競馬場の桜は満開だったのか?
4月14日付け日刊スポーツ誌上のさとう珠緒さんの皐月賞予想コラムによると、JRAの職員が
桜の木の下に氷を埋めて開花を遅らせていたということらしい。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。これでようやく終了です。


2002年4月21日脱稿、まさかここまで長くなるとは思わなかった…。



旅日記の蔵へ戻る


トップページへ