毘沙門天とその近辺
霊厳寺の江戸六地蔵。昔、江戸を囲むように街道の入口に立てられたものだそうです。次は他のお地蔵さんを廻ってみようかなぁと思ってます。それと松平定信(老中、寛政の改革をやった人)のお墓もあるそうです。 
 
 
 
 
 
「毘沙門天」の「龍光院」へ行く道すがら見つけました。何かイイですねぇ。 
 
 
 
 
 
 
何かあるなぁと思ってみると、こんなものが。情緒があってイイですね。
 
 
 
 
 
 
 
                
 
 
 
 
 
 
 
                 
 
途中の「深川江戸資料館」にもよってみました。
 
 
地図のページへ戻る
「毘沙門天」の「龍光院」は、清澄庭園から深川江戸資料館の前を通って東に進み、大きい通りを南下したところです。
「深川江戸資料館」のページへ
「毘沙門天はインド名バイスラバンナ(ベイシラマダヤ)の音写で、元々ヒンズー教の財富の神であったクヴェーラ神が仏教に取り入れられ、仏神となったものです。毘沙門天は我が国では仏教守護から転じて、国土守護の武神として、特に武将の間に信仰されるようになりましたが、中でも上杉謙信が毘沙門天を守護神として崇め「毘沙門の申し子」といわれたことや志貴山の毘沙門天に祈願して生まれた楠木正成が、幼名を多聞丸と名付けられたことなどは、あまりにも有名です。また、毘沙門天は護法と施福を兼ねる仏神として、七福神の一神にも数えられ、民衆に勇気や決断力を与え、財福を授け守る福神として広く信仰されています。」ということです。