橋が出来るまでは花川戸から渡しがあり、安永3年花川戸町伊右門衛門という町人が私費で架け維持のため橋銭を徴収したそうです。
正しい橋名は「大川橋」でしたが「吾妻橋」と呼ばれることが多かったとのこと。
吾妻橋
流失と架け替えを繰り返し明治8年の架け替えの際に正式に「吾妻橋」となります。
明治20年隅田川で最初の鉄橋となりましたが、床部分は板張りだったため大震災のとき焼け落ちたそうです。
昭和6年(1931)3径間アーチ橋として架け替えられ、現在に至っています。