◆◇◆ 『ベイカー街の亡霊』感想 ◆◇◆

ネタバレしております。自己責任でお読み下さいね。回避される方は→


本当は感想はしらを切って書かないつもりだった。
“書きたくない”のではなく、“何をどう書いたらいいのか解らない”状態だったから。

そもそも“『亡霊』てなんやねん!ハニー・チャールストンのDNA?ノアズアークに残留思念的に残ったヒロキ君?それとも、汽車の屋根に出てきたホームズ様?(←シャーロッキアン的になんかイヤ(笑))”
ところが、本来の野沢台本を読ませて頂く機会があり“これこそ、野沢脚本の真骨頂じゃないの!”と、その完成度にビックリした。(読みながら感想を口にする事すら出来ない位。)

疑問だった『亡霊』についても、ゲーム内のJTRを指して「電子信号の亡霊」と明言していた。
毎年恒例『ウソ予告』(失礼)だと思っていた『馬車に飛び移る少年探偵団』は当初の台本ではキチンと存在したり、あれほど反発していたエリート子供達が、コナンを生き残らせなければならない心境に変化していく過程も、削除されたシーンで観客に無理なく認知させることが出来ていた。
また、予告やポスターでヴィクトリア朝の洋服を着ていたのが、原台本では意味を持っていたのにも驚いた。(しかし、あの蘭ちゃんのお召し物は「清楚な服だ」と言えるのかのぅ…)

私が、今まで野沢脚本のドラマを見て気に入っていた部分は『各人の心象を表面には表さずとも、さりげない描写で受け手側に無意識のうちに理解させる』所。
露骨に言動に表して理解させるのは簡単だが、登場人物の言動によって、別の人物が受けていく気持ちの変化など、実に品よく表現されているのが好きだった。

尤も、今回の原脚本では、登場人物各人の行動や、台詞の言い回しが哀ちゃんが「コナン」と呼びかけるなど、『名探偵コナン』として、こなれていない部分があるが、あの脚本に作品を熟知しているアニメスタッフが、後から追加や変更したと聞いている部分(歩美ちゃんと光彦のゲームオーバーのシーンやジェットコースター上での新一台詞回想等)を足す事が時間の関係上無理だったとは言え、もし可能であったら、これはこれでコナン映画史上エポックメーキングと言うか、金字塔として成し得た物ではなかっただろうか!!
『ロード オブ ザ リングス』の様に3時間ぐらい時間がとることが可能であったら……
約100分の作品として作らざるを得なかった野沢氏、制作スタッフ各人の無念、推して知るべし。
(私が制作スタッフだったら「本当はこういう話しだったんです!(上映&制作)時間と予算の制約さえなければ、もっともっと楽しんで貰える作品を作れたんです!」と、どこかで声を大にして叫びたい心境。)
但し、『名探偵コナン』はラブストーリーの要素を多分に持っている作品なので、その部分に目をつぶってしまった野沢脚本に疑問を抱かない訳ではないが、何とかして追補する事が出来たら…ああ、返す返すも残念。
切ない恋愛模様は北川氏、ミステリー部分を野沢氏で最低120分作品としてリベンジ乞う!
(↑わあ、見たい〜〜〜っ!!)

んまあ、出来上がってしまった物は変えようがないし、未練たらしくウジウジと呟いた所でどうしようもないので感想に行ってみましょうかねぇ…

仮に制作サイドの立場で、出来上がる過程を少しずつ見ていたら気が付かないと思うが、
白紙の状態で完成された物を一気に見た我々の大半は、初見時には前半部分に違和感を感じたのではないだろうか?

私が主に違和感を感じたのは3点。

1.自らの身を捨てる3人の登場人物。

今まで鞨鼓として『自殺させない』スタンスが、いきなり冒頭で打ち破られ、
しかも、犯人でも何でもない10歳の少年に飛び降りられた時は、
“本当は生きているに違いない、後半で再登場するはず”と信じていたのに、
樫村氏と、シンドラー社長に「自殺」と明言されたときは、軽い目眩を覚えた。

尤も、コナンの映画を見て目眩がしたのは実は二回目で、
一回目は『暗殺者』の「おまえの事が好きだから。この地球上の誰よりも。」時。
“原作最終回では、一体何を言うつもりだ、工藤新一!?”と種類が違う目眩だった。

次に、人工頭脳とは言え、自らの活動を停止するノアズアーク。
結局、ヒロキ少年と同じく、大人のエゴによって自分の存在を否定しなければならなかった事実。
子供向け作品としては哀しすぎないだろうか。

最後に列車の屋根から飛び降りる毛利蘭。
さすがに飛び降りるのが2人目となると辛いわ。しかも、ヒロインに飛び降りられた日には…
「ライヘンバッハの滝よ!コナン君!」という台詞もあまりにも突拍子もなく、
飛び降りることが予想できていたとは言え“な、何言い出すの?”とビックリした。
そうは言え、ストーリーテリングとしては、いきなり飛び降りるよりは、
観客にハラハラさせる時間が必要なので、窮地に立たされたコナンから蘭に視線を移すためには、何かしら蘭の決心を表す台詞が必要だったのは事実。
でもなぁ、余りにも突拍子もないのよねぇ…

『自己犠牲』は尊いと言う人もいれば、誉められる物ではないと言う人もいる。
「それ(自己犠牲)をして満足なのは本人だけだ!」と、
映画公開前に『へっぽこ映画予想会議』と称して飲んだ際に、
同席者の一人が言った台詞に、深く肯いた。

『名探偵コナン』という作品では禁じ手ではなかっただろうか?


(今日はここまで)