乾さんちのお姉さん

作:しにを



《前書き、というか予め設置しておく防御壁》  こういう言葉があります。 「間違いだと決定するまでは、それは正しい」 「正しい」というのが強すぎるので「間違いではない」にしておきましょう。  赤い扉を開けるまでは、そこに何が眠っているかは確定していないのです。という事は何 があると想像しても、それは間違いではないのです。開けるまでは。  ここまではよろしいですね?  では、ここまで理解して頂けた処である一人の女性について。  彼女は乾姉、乾有彦の姉という位置づけで存在する一女性。  名はとある事情により無い。いや別な見方をすればあらゆる名前を持つ。または可能性だ けは有している。  秋葉、琥珀、翡翠といった名前にはならないだろうが、確定されていない今であれば、ど んな名前をつけようが、それは「間違いではない」。  と言う訳で、骨壷の中身が干し菓子になるまでの間は、私の脳内世界で乾姉は美紗という 名前に決定。それは「間違いではない」  さらに、その伝で言えば、「現在23才。大学生。乾一族(元は「異縫い」から転じてお り、数々の異なり者が連なっている…)の一人として霊能力に類する特殊な能力があって常 人には見えぬ者を見てしまったりする「目」を持っている。ちなみに有彦は奇矯さの発露の みだが、常人ばなれした人間に馴染む点はやはり血らしい。少し人嫌いな割に変な人脈があ る。文才があってそっち方面でセネプロと化している。普段はだらーっとしているが、きち んとした格好をするとけっこうな美人。ネクタイ愛用」とか勝手に設定を妄想しても間違い であると確定するまでは、それは「間違いではない」。  ただ、今後公的に乾姉について語られたら、これらの駄文は「間違い」になる。  そういうことだ。  以上、防御壁設置終了。                 §   §   §  カタカタとリズムよくキーボードが叩かれていく。  カタカタカタカタ、、、、カタ、カタカタカタカタカタ 「もう拒む事は出来なかった。 拒む必要も無かった。 どうせなるのなら、この選択こそが正しいに違いない、まる」と。  灰が落ちる寸前のタバコを灰皿に押しつぶすと、彼女は伸びをして、作業を中断した。 どうも筆がのらない。  少し頭を切り替えるとするか。  そろそろ、弟が帰って来る気がするし。  根拠が無い勘であるが、まあ間違いではない。 とか思っていると騒がしい物音が近づいてきた。 「ただいまあ、姉貴いる?」 「うーん。珍しく早いじゃ、おっ」  弟の横に見慣れた顔があった。 「遠野も一緒。今日泊まるから」 「おじゃまします」  簡略ではあるが礼儀正しく、ペコリと頭を下げる。 「いらっしゃい、志貴クン、久しぶりだね」  どう見ても弟の有彦とつるんでいるようなタイプには見えないのだが、中学高校とかれこ れ5,6年仲良くしているらしい。  有彦の話によると、実の父親が亡くなったので実家のお屋敷に戻って、しばらく忙しくし てたらしい。学校もしばしば休んでいたそうだが。  今、こうして温和な顔をしているのを見ると、家庭環境の激変を経たようには見えない。 「まあ、あがっとくれ。お茶でも入れよう。私も丁度一休みしようとしてたとこだし」 「普段と全然対応が違うじゃないか」とのある意味もっともな弟の文句に、黙殺で答えつつ、 紅茶とスコーンなどを居間に並べる。  志貴の方を見て思う。よく見るとちょっと変わったかな、と。  外観はそんなに変化が無い。  けっこう整った顔立ちながら何処か周囲に埋没するタイプ。意外とクラスメイトの女の子 からはそれほど評価されないタイプ。どっちかと言うと年上に可愛がられるタイプ。ずっと 彼を見てないと、表面に現れない本質が見抜けないタイプ。  半月ほど前に来た時より、何か雰囲気が変っている。まあどんどん大人びて来る年頃だか ら、少し会わないでいるうちに成長してても不思議ではないのだが。  でも、そんな事より何か劇的な事件を経て前と同じでいられなくなった人間特有の、たと えば自分のような……。  と思っている時に、乾有彦の独演会が始まった。  演題:遠野志貴の優雅な(羨ましい)生活。 「……と言う訳で、あのお屋敷で可愛い妹とメイドさん二人に囲まれて暮らしてるんだ、 こいつ」  多分に志貴からの抗議と訂正を入れつつ、思い入れたっぷりの有彦の話は終わった。話の 途中で志貴の表情が微妙に何度も変る。  性格が奇矯な有彦と、生まれながらの「能力」のせいで特定の人間以外と距離を置く自分。 その二人の処へ好き好んで訪ねて来ては居心地よさそうにしているこの少年もまた何処かは み出ているのかなと、思う。  思えば結構長い付合いになる。  最初に有彦が連れて来た時には、見るからに怯えと警戒心に溢れた姿で、まるで雨に打た れた捨て猫のようだった。特に咎めることもなく好きなだけ泊まっていけと言って干渉し ないでいたのだが、何度か来るうちに志貴は馴染んできたようだった。  そしてあれはいつだったか、有彦が不在の時。  何かの話の拍子で乾美紗にある能力、「自ら望まぬモノを時として見てしまう目」につい て語った時。  何か耐え難いものを抱えて、この少年は泣きだしてしまった。  それは志貴と自分だけの秘密で、有彦には話していないのだが、それ以来変な言い方なが らこの少年の精神的な身内になったようだった。 「それでいながら、なんか不満有るらしいし、俺のシエル先輩にはちょっかいを出すし、贅 沢者だぞ、遠野」 「ほう、有彦、両親不在で仕方なく優しく奇麗なお姉さんに面倒見てもらっている身分で好 き放題やってる生活は不服なのかい?  私だってどうせなら聞き分けの良さそうな友達に自慢出来る弟のいる暮らしが良かったけ どねえ」 「何処に優しく奇麗なお姉さんがいるんだよ」と言いかけて、有彦は寸前で不穏笑顔の姉を 見て止めた。  姉が高校生の頃から実質自分の保護者になってるのは事実であったし。 「美紗さん、今は何のお仕事してるんですか?」  さりげなく志貴が話を逸らした。  社会的には大学生という勉学に勤しんでいて当たり前の身分であるが、いろいろと説明の 難しい仕事を乾姉はしていた。 「拝み屋の手伝いも終わって、今はずっと頼まれてる本の書下ろしがあって、大体構想は出 来てるんだけど今一つ何かとっかかりが難しくてねえ」  ふと、時計を見る。  そうだ、約束があったんだ。 「ちょっと出掛けるから火の元の注意と戸締まりまかせたよ」 「はいよ」  珍しく気合の入った服装で、有彦と志貴を驚嘆させつつ、乾姉は出掛けていった。                 §   §   §  打合せと飲み会を終えて帰宅すると、けっこうな時刻になっていた。  なんだ、電気つけっぱなしで。  居間で二人とも眠りに就いていた。  春先とはいえ、そのまま寝かせておくと風邪でもひくかもしれない。  毛布を引っ張り出して来る。 「ふーん」  志貴の方はまるで死んでるように安らかに眠っていた。血の気が無く、ほとんど呼吸して いる様子もない。 「あらためて見ると、やっぱり可愛い子だねえ」  そっと眼鏡を外してテーブルに置きかけて、知らずに火か氷にでも手が触れた様にぎくり とする。どうってことない普通の眼鏡に見えて、触れた手がぴりぴりするような感覚。  明らかに尋常でないものだ。  そうっと、眼鏡を置き、手を放す。そして改めて遠野志貴の寝顔を見る。  よく考えたら、目を閉じているとはいえ、この少年の眼鏡を外したところなど見るのは始 めてかもしれない。  眼鏡をしていると、どことなく大人しい感じが強いが、外しているとやや精悍さが増して いる。目を開けるとどんな風なんだろうか?  こういう弟なら、もう少しお姉さんらしい事をしてやるのに。  見方によっては志貴にのしかかっているように見える弟の太平楽な締まりの無い寝顔と比 較してあまりの違いに溜息が出そうになる。  やれやれと、引き剥がそうとして、つと動きを止める。  これはこれは。  そのままかがみ込んで、志貴と弟の姿を観察する。  志貴か有彦が目を覚ましていたら、ある種の身の危険を感じるような、邪な光を湛えた目 をしながら。 「いいね、イメージがわいてきた、うん」  ぶつぶつ言いながら、乾姉は獲物を見つけたケモノの目でしばし佇んでいた……。  数ヶ月後、1冊の本が出版された。不良少年と、数奇な運命を背負った少年とのちょっと いきすぎた友情を描いたボーイズ小説で、日常描写のリアルさと巧みなストーリーの組立て で、読者の女の子に好評を得ていた。全寮制の名が知られた女学院の生徒でもそうした読み 物の愛好者はいて、どういういきさつからか、その本はある生徒会役員の少女の手に渡った。  読む人が読めばモデルを容易に特定出来るその本に目を通し……、炎のようになった少女 と兄の間で後々まで尾を引く大騒動になるのであるが、それはまた全然別のお話。 FIN ― あとがき −  けっこう重要なポジションにあるにも関わらず、名前すら語られていない謎の人物、乾姉 についてのお話です。というか「月姫」当事者以外からの視点の志貴君を書いてみたかった のででっち上げたお話です。  あの有彦の姉というだけでも興味を引きますが、志貴とも仲良さげだし(泊りに行ったり、 翡翠との旅行の際も有彦共々同行してもよいかなと思ったりしてる)、きっと尋常でない人 物でありましょう。  TYPE−MOONの掲示板で「幽白」の桑原姉みたいなイメージと武内さんのコメント がありました。「お祭りDISK」での登場を期待します。  今、3/25 22:50。これ、間に合うのでしょうか。  というか時間切れで間のエピソードとかだいぶはしょったのですが、これ意味をなしてい るのでしょうか?  それに私は誕生日だというのに何をしているのでしょうか?  ネロ 「それはおめでとう。ところで私とロアが生命と死、拡散と融合について語りあう 小林泰三ばりの話にすると言っていたのはどうなったのかね?」  シエル「私のトゥルーEND後に遠野家に行く「秋葉さん玉砕」小説はどうなったんです?」  アルク「まだロアに会う前の、占い師に志貴の事を告げられるお話は?」  ……第2回の開催を楽しみにしております、ひろにょり様。 しにを 01/03/25 追記:で、間違いとなりましたとさ。終わり。(10/14)
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