作:しにを
ぽろぽろと体が崩れて灰となっていく。 痛みは既に無い。 ずっと好きだった人に抱かれている事を、 少なくとも今だけは彼の心を占めているのが自分だけである事を、 死への恐怖への引換えとした。 あまりに無惨な形での緩慢なる死の渦中にあって、 この一時だけで弓塚さつきは幸せだった。 だから、最後は心からのありがとうを言いたかった。 恨み言は吸血鬼になった自分が全てぶつけ、それに対し遠野くんは答えてく れたから。 それがたとえ己の死という形であったとしても。 「うん、ばいばい遠野くん。ありがとう―――それとごめんね」 別れの言葉。 感謝の言葉。 謝罪の言葉。 これで言い残した言葉は無い。 短い言葉の中に自分の万感の想いを込めて、最後に遠野志貴に告げる事が出 来たから。 それで弓塚さつきには、未練は無い筈だった……。 弓塚さつきが灰となっていく様を見届けると、志貴はのろのろと立ち上がっ た。体も傷つき疲労していたが、何より心が擦り切れていた。 まるで死人のような姿で、志貴は帰るべき処へ歩きはじめる。 ここにこれ以上留まれば、どうにかなってしまいそうだった。 弓塚さつきの残した最後の言葉が何度も心に甦る。 自分なんかには受取る資格の無い言葉。 唇を噛み締め、その言葉に耐える。 沈鬱とした心とは別の存在であるかのように、体だけが機械的に動き、歩き 続けた……。 生ける者全てが去った後。 まるで何事も無かったように。 静寂が訪れた。 わずかに弓塚さつきであった残滓だけが残っていた。 ・ ・ ・ 吸血鬼と噂される猟奇事件が頻発している今、繁華街とはいえ深夜近くとも なると既に人の姿はほとんど無い。 まして光もほとんど射し込まぬ路地裏などには、普通の人間は好んで足を踏 み入れない。 しかしそこに、一人の少女が立っていた。 どこか少年の様な風貌。 黒ずくめの服装。 まったく恐れ気もなく、平然と闇に囲まれている。 もし第三者がその姿を見れば、むしろ違和感無く立つその少女に対してこそ、 ぞくりとするものを感じたかもしれない。 普通ではないと。 そしてそれは正しい。 そもそも彼女は人間ではない。彼女という呼び方すら正確には正しくない。 死した人の魂を次なる場所へ導く、そういう役割を担う存在。 それがその少女。 時には、素直に昇天せずに留まっている死者の魂を見つけに地上へ訪れるの も役目の一つ。 理由無く霊体としてぷらぷらとしている者、遺された者への想い故に昇天で きぬ者、そういった者達を。 今、彼女が迎えに来たのも、そんな魂。 死してなお、思念のみが現世に留まっている者、……弓塚さつき。 「うーん。一向に現れないと思ったら。そんなになってまで、素晴らしい妄念 だね」 うんうん、と虚空に向って頷く。 暗いこの空間に見えるのは彼女独りだと言うのに、会話らしきものが行われ ている。 「問答無用で連れ帰ってもいいんだけど、というかそろそろどう頑張っても時 間切れなんだけど……」 ここで迷った顔つきで顎を押さえ、うんと頷く。 「いいや、こっそりと。どうせもう何日も遅れているんだから。……どうも彼 以来タガが外れたかな」 そう言うと、彼女は屈んで手を差し伸べる。 風がその手をかすめる。 「誰に会いたいの? 連れて行ってあげる」 虚空に向って呟き数瞬の後頷くと、ふっと少女の姿が闇に消えた。 同刻、凶々しい熱夢の中。 夜の校舎を舞台としての、七夜志貴と遠野秋葉の尋常ならざる死闘は続いて いた。 序盤の探り合いを終え、どちらかの死をもってしか止まぬであろう終局へ。 万物の死を顕在させる眼と、人間離れした動きを武器とする志貴。 人外の力を振るい、視界に入るもの全てを触れずして滅する秋葉。 共に常人を遥かに超えた力を持つ存在であったが、圧倒的に不利な状況にあ るのは志貴の方だった。 絶対的な攻撃可能距離にあまりに開きがありすぎる。 志貴には何も出来ぬ間合いから、秋葉は致命的な破壊を与えられる。 通常であれば、近寄ろうと足掻く間に志貴の死を以って事は決する。 志貴が己の死という結末を覆すには、何か別の要素で秋葉を凌駕する必要が あった。 秋葉を上回る要素。 ……ある。 殺し合い、という行為に対する純粋な技術の練度の差。 手にする武器はあまりに強力なれども、それを振るうべき使い手は未熟、そ こに秋葉の陥穽は存在する。 それを戦いの中で見出す事が唯一の勝機。 まずはどう動く? 持てる運動能力全てを以って距離を0と詰めるか、それとも一度引いて次の 手を打つか? 戦士としての志貴の思考が、後者を選ぶ。 己の立つ位置を頭に入れ、素早く志貴は後ろへと間合いを取る。 そして死闘が再開される。 次のやり取りで、志貴の左手がまず死んだ。 秋葉の能力を確認する為に、あえて投げ出した犠牲。 代償をもって得た貴重な情報を基に、瞬時に戦略を修正する。 冷静に距離をつめさせず、あえて挑発の言葉を投げかけ秋葉を激昂させる。 秋葉にその場で力を使わせ、赤い髪がまとわりつくと同時に飛び退き、切断 する。 ダメージを最小限に抑えつつ、同じ動きを踏襲する。 そして、……ここだ。 志貴は繰り返していた後ろへの動きから一転、大きく横へ跳んだ。 この僅かに稼いだ時間を最大限に活かす……。 「!!!」 秋葉は一瞬で姿を消した兄の動きに、完全に意表をつかれた。 慌ててその姿を追うが、階段の空間を飛び降りて逃れる志貴の足を僅かにと らえるのみ。 怒りに唇を噛み、次いで目に感嘆の色を浮かべる。 「さすがは、兄さん。楽しませてくれるわね」 どう転ぼうが勝敗の行方は確定している。 ならば、一息に片づけてしまうより、兄の悪足掻きにつきあうのも悪くない。 兄さんは知らないだろうが、二人の命は繋がっていて何処に居るのかは離れ ていてもおおよそは分かる。外へ逃げる様子はない。どこかの教室に入って待 ち伏せ、というところか。 秋葉は志貴を追い、下の階へと向かう。自然に速くなろうとする足を、あえ てゆっくりと抑えながら。楽しみを少しでも後に取っておくかのように。 イメージとしては紅い髪。 広い校舎のそこかしこに走り瘴気を発している。 うねうねと蠢くが如く縺れたそれは、無数の蛇のようにも見える。 人たる身には触れども見えぬ、ただ熱の奔流としか感知されない結界。 突如そこに姿を現した少女はその光景を見て、さして感銘を受けた様子も無 く呟く。 「これは凄い。つくづく人の妄念とは恐ろしい……。でも夜の校舎といったら もっと淫靡な舞台であってしかるべきかな」 平然としながらすたすたと歩いて、ぴたりと足を止める。 「ここでいいのかな?」 目の前には、着物姿の少女が倒れていた。 廊下の床に打ち捨てられたような姿、胸から流れ出た血が辺りを染めている。 かろうじて生きてはいるが、この様子では時間の問題だろう。 黒服の少女の手からふわりと煙のようなものが舞う。 路地裏から少女が手にしていた一握の灰。 弓塚さつきの最後の欠片。 それが雪の如く、倒れ伏した紅い少女……、琥珀に降り積もる。 まだ流れる血に、灰は溶けていく。 その上にまた灰は重なり、消えていく。 灰が消失し、しばし時が止まったように静寂が支配する。 そして、それは始まった。 時計が逆巻くかのように動き始める。 流れ出た血は、琥珀の傷口へとずるずると這い戻り、痕跡を消す。 琥珀の体がピクリと動く。 眼を見開く。 ……紅い瞳。 のろのろと手を床につき、力無く立ち上がる。 ふらりと立ち、まっすぐ前、階段の方を見つめる。 「……。助けなくちゃ、遠野くんを助けなくちゃ」 小さい声で呟くと、歩き始める。 機械仕掛けの人形のようなぎこちない動き。 空ろな表情。 血の気は引き、命無き死者のように見える。 ただ、その歩く姿は鬼気迫る懸命さを帯びている。 階段までのそう長くはない距離を必死に、しかしもどかしい程の歩みで進む。 あと少しというところで、がくりと膝をつく。 「ここまで。もう力が……。お願い、遠野くんを助けて。私の命は全部あげる から遠野くんを……。もう、だ……め……」 かくりと倒れそうになる。 目も閉じられ、意識を無くした様に壁にもたれる。 ・ ・ ・ 数瞬の時が流れ、琥珀の目が再び開く。 何も映し出していない目で辺りを見て呟く。 「志貴さんと、秋葉さまをお止めしないと」 紅かった目は普段の琥珀の瞳の色に戻っている。 胸の痛みに顔を歪ませながらも、さきの人形のようなぎこちない動きではな く、弱々しくはあっても確かな足取りで階段より下の階へ向かう。 「血を啜り一度彼女の体を乗っ取ったんだね。そして体の傷を治し、行動意志 を刷り込む。 きみが出来る精一杯の事をしたんだね……、残りの命全てを使って」 傍観していた少女は、いつになく僅かながらも感情を込めて言葉を口にする。 命を使い果たし、ようやく吸血鬼としての生を終えた弓塚さつきに向って。 弓塚さつきの方は、僅かな意志だけが残留した一握の灰……、という姿を喪 失し、あるべき姿に変貌している。 現世から次の場所へと向かう、肉体を持たぬ霊体としての姿に。 輝く白い光で形作られた生前の弓塚さつきの姿に。 「弓塚さつきくん。少し興味があったんだ、灰と化してなお完全なる死を拒否 して、現世に留まる理由は何かとね」 「私、遠野くんに何もしてあげられなかったから……」 「それが、心残りだったと? だから、あの少女を救って遠野志貴を助けに向 わせたのかい。……どうやら間に合ったようだね」 「よかった……」 二人の眼に、床を透かして階下の様子が眼に入る。 秋葉と志貴の戦いの結末。 琥珀が二人の刃を持つ手を、止めた光景を。 「遠野くんは、私の分も幸せになってもらわないと駄目だから」 「そうか、そうだね。逝く者はせめて遺された者の幸福を願うしかないからね」 少女は目の前のさつきではなく、その背後に何かを見る表情をしている。 「これで、もう思い残すことはないの?」 「うん、もう大丈夫。私、もう行かなくちゃいけないんでしょ?」 「ああ。きみはもう生者の中には留まっていてはいけない。あるべき処に行か ないと……」 さつきは頷き、ちょっと首を傾げる。 「うん。そうだ、あなたの名前を聞いてなかった」 「私? 私の名は、かがり」 「かがりさん、ありがとう。お願いを聞いてくれて。遠野くんを助けてくれて」 「何もした憶えはないがね。死者の魂を導くのが私の役目で、その途中でちょ っとだけ寄り道をしただけだよ」 さつきはもう一度志貴の姿を見つめる。ぼろぼろになって、でもかろうじて 命を拾ったその姿を。 志貴の姿を哀しみと喜びと優しさを湛えた瞳で見つめる。 「さようなら、遠野くん。大好きだったよ……」 その言葉を残してさつきの体はぼやけ、空へと消えていった……。 つかの間、弓塚さつきの姿があった空間をかがりは見つめ、溜息をつく。 「次はもっと……。いや、言うべきではないな」 生者しかいないここには彼女のやるべき事はもう残っていない。 次なる死者を導く為に、かがりもまた姿を消した。 《FIN》 あとがき――― しかしさっちんに優しいSS書いてないなあ。 ええと、かがりという登場人物ですが、PCソフト『Lien 〜終らない君 の唄〜』にちょっとだけで出てくるキャラです。拡大解釈しつつ登場させちゃ いました。 オリジナルの天使とか死神でも良かったのですが、出したかったので。 ところで、『Lien』は良いですよ。まだの人はぜひプレイして下さい。 『月姫』および『歌月』楽しめる人なら受け入れられると思います……多分ね。 ソフマップで新品1,980円とかで売っているのが不憫でなりません。 『月姫』より安いんです……。 定価は3倍以上するのに。 かなり独り善がりになってるような気がしますが、ちょっとでも楽しんで頂 ければ幸いです。 しにを(2001/9/5)
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