来訪者

作:しにを



 穏やかな午後。  遠野家の面々は遅めのお茶の時間を楽しんでいた。 「部外者がいるようですけどね……」  聞かせるべき相手の耳に届く程度の大きさで秋葉が呟く。   「琥珀さん、こっちのクッキーも焼き方が絶妙ですね」 「少しザクザク感を高めてみたんです。あ、シエルさん、もう一つケーキは如何ですか?」 「うーん、ではそのモンブランをいただきます」  もっとも、言われた方は聞こえたのかどうか、まったく斟酌していない。 「あら、太ってしまうとか心配はなさらないんですか?」  にこやかに秋葉が問う。  一見、悪意の無い様子。  この言葉には琥珀から小皿を受け取りながら、ピクリとシエルが反応する。 「普段運動量が多いですから。秋葉さんはもう少し……」  皆まで言わずシエルもにっこりと笑みを浮かべる。  ……お肉つけたらどうですか、部分的に。  その口にしなかった部分を正確に耳にして、秋葉はカップを音を立てて置く。  何か言い出そうとした秋葉の横に琥珀がすっと近寄り、シエルへの視線を遮る。 「秋葉さまはお茶のおかわりは如何ですか?」 「……いただくわ」  こぽこぽと香気が注がれる。 「志貴さんはケーキもう一ついかがです」  今度は志貴のもとへ。  シエルと妹の様子にはらはらしていた志貴は、さりげなく水を刺した琥珀に、「ありがと う」という目配せを送る。 「うん、もういいや。でも琥珀さん、なんで全部種類が違うの?」 「誰が何を選ぶのか見てると面白いんですよ」 「ふーん」  紅茶を啜りながら、志貴は初めて気がついたというように、シエルを見つめる。 「そう言えば先輩、眼鏡どうしたの。学校ではかけてたのに」  制服姿の時は眼鏡という固定観念があった為か、日常でのシエルの素顔が志貴には妙に新 鮮に見える。 「はい、ちょっと留め金の部分が弱くなってしまって。授業中は騙し騙し使っていたんです けど、こちらに来る途中で眼鏡屋さんに修理をお願いして来たんです」  シエルはニコリと笑って答えた。 「眼鏡と言えば、遠野くんのは普通のお店では手におえないでしょう。今までどうしていた んです?」 「今までって、何が?」 「フレームの修理とか、交換ですよ。」 「え? ……そう言えば曲がったとか壊れた事って覚えがないな」 「そうですか。まあ、平穏な生活していればそうそう壊れるものでもないでしょうけど。  でも、子供の頃から魔眼封じのお世話になっているんですよね」  志貴はシエルの言葉に頷き、指折り数えてみせる。 「うん。怪我してからだから、かれこれ8年前の小学生の頃からだな」 「じゃあ、何度かフレーム替えたりしたんでしょう。当然遠野くん成長しているんですから、 サイズが合わなくなっているはずですよね」 「……いや。あれ、でも変だな」  志貴は頭を捻る。  そんな憶えはない。  だいたい眼鏡が無い状態をどうやり過ごしていたのか?    物音。  扉が開くかすかな軋み。  つかつかと近づいて来る足音。 「志貴、眼鏡貸して」 「はい」 「代わりにこれをつけてて」  眼鏡を渡して、不思議な感触の布で眼を覆う。  つかの間見えた線で頭が少し痛む。 「ああ、眼鏡が無い時はそうやっていた訳ですか」 「ちょっとの間だからね」 「ただの布、じゃないですね」 「けっこう由来のあるの一品だよ。志貴、大方は見えるだろう」 「はい、少し薄ボケるくらいで支障は無いです」 「あの、お茶をおいれしました。ケーキは何になさいますか?」 「そうね、オペラが美味しそうね。それを貰おうかな」 「はい、脇においておきますから、気をつけてくださいね」 「ありがとう、ええと、……琥珀さん」 「いえ、どういたしまして」  二階より、翡翠が下りて来る。 「アルクェイドさまをご案内致しました。二階のお部屋にいらっしゃいましたので……」 「あ、志貴。珍しい格好だね」 「なんだ、アルクェイド、また窓から来てたのか」  素早く琥珀が席を作り、アルクェイドを招き入れる。 「アルクェイドさん、アップルパイと蒸しパンのチーズクリーム添え、どっちになさいます か?」 「えーとねー、そっちの白い奴がいいな」 「はい。お茶もすぐ、お持ちしますね」 「うん、ありがとう」  椅子に座りながらも、アルクェイドはどこか落ち着かない、といった風情を見せていた。 「ねえ、志貴」  しばらく志貴らの様子を不審そうに眺めた後、恐る恐るといった口調でアルクェイドは訊 ねる。 「何だ、不思議そうな声出して」 「うん」 「よしと、ちょっと当ててみて。どうかな?」 「……。心持ち少し緩いような」 「そうか、板バネは元ので良いみたいだな。ではもうちょっと微調整するから」  志貴はまたアルクェイドの方を向く。 「で、どうしたんだ?」 「ええとね」 「うん? どうしたんだ、アルクェイドが言いたい事言わないなんて珍しいな」 「何でブルーがこの家にいるの?」 「え?」 「ブルー?」 「誰?」 「ええっ」  アルクェイドの声に居間にいた皆が奇異の声を上げる。  今、初めて気づいたというように、テーブルの一角に座る見知らぬ人物に目を向ける。  注目を集めた主は、細いドライバーを片手に志貴の眼鏡の柄の弾力を確かめていた。  一人頷きつつ、薄手のティーカップを傾ける。 「やれやれ、見つかったか。子供には勝てないなあ」  アルクェイドの方を困った奴と言う様に見る。 「あなたは誰です。いつの間にこの家に入って来たんです」  秋葉が当惑しながらも、精一杯の威厳を持って問い質す。 「これは失礼。蒼崎青子だよ、遠野秋葉さん。  一応は扉を叩いて声を掛けて挨拶はすませている。……まあ、誰にも認知できないように していたけど」 「認知誤謬、不可知の作用、魔術ですか……」  呟くようにシエルが言う。 「なんだ、破壊だけでなくてそんな技も使えるんだ」  アルクェイドは言葉に僅かな敵意を含む。 「さっさと用事を済ませて退散するつもりだったけど、そこの吸血鬼のお姫様に『王様は裸 だ』って叫ばれて呪縛が解けちゃった。  ああ、それと別に見ず知らずの他人という訳ではなくて、そこの……」 「先生」  搾り出すような声で志貴がようやく言葉を発する。  せんせいがせんせいがせんせいがいるめのまえにいるなぜほんものいやこれはせんせいだ なんでめのまえにとつぜんせんせいがこれはゆめだろうかゆめでもせんせいがめのまえにあ あなにをいえばいいんだいいたいこともたずねたいこともいっぱいいっぱいあったはずなの になによりあのときいえなかったことがあったなんだったっけああこんらんしすぎてあたま がはれつしそうだともかくなんでもいいからゆめでもまぼろしでもいいからせんせいに、 先生に……。  混乱の果てに言えたのはただその一言だった。他には何も言えなかった。  志貴は立ち上がり、近づくと消えうせるのを恐れるように一歩一歩ゆっくりと青子の前に 向かう。線が駆け巡るのも気にせず、視界を遮る魔法の布を目から外す。  青子も秋葉との話を止め、正面から志貴を見る。  周りはあまりの緊張感の高まりに言葉を発する事を止めていた。 「久しぶりね、志貴。少し大きくなったわね」  志貴の爆発しそうな状態をよそに、青子は冷静だった。  眼鏡を布で拭くと、志貴に手渡す。 「……」 「うーん。最後に会ってからかれこれ一年ぶりだけど、やっぱり育ち盛りだなあ」 「あれからどれだけ会いたかったか。先生のお蔭……、一年ぶり?」 「うん、そのくらいかな。前の時は有間の家だったわね」 「……なんで先生がその頃の事知っているんです」 「そりゃ、毎年一回は顔を見ているんだし……」    信じられないものを見る目で志貴は青子を見つめる。  何を言っているのかまったく理解できなかった。  やはりこれは夢で目の前の先生は幻だろうかという疑念が胸に満ちる。 「そんな、あれから一回も会っていないじゃないですか」  恐る恐るといった口調で志貴は問い掛ける。 「私は会ってるよ、今みたいに何度も」  とうとう絶句した志貴を、青子は苦笑して眺めて説明口調で続ける。 「よく考えてごらんなさい。さっきそこの埋葬機関のお嬢さんが言ってたけど、子供の頃に 作った眼鏡が、そのまま何年も使える訳ないでしょう?  魔法の眼鏡じゃあるまいし……、いや、魔法の眼鏡なんだけど。  レンズは破壊不能、フレームも特殊加工して手を加えてあるから、そうそう壊れないけど ね、逆にそういう造りだから、その辺の眼鏡屋さんに持っていっても幅合わせのメンテナン スとかは不可。それじゃ困るでしょ?」 「ええ、そうですね」 「だからね、だいたい一年に一回は志貴の処尋ねて直しているのよ。感謝なさい」 「先生にはどれだけ感謝しても足りませんけど、あれから何年も経ってるけど、会ったのは これが初めてですよ」 「そりゃ、志貴に認識できないようにやっているから。さっきみたいに。」  再び衝撃を受けた顔で志貴の体が揺らぐ。 「なんでです。俺に会うのが嫌だったからですか?」 「ええ、会いたくなかったわね。……いい年して泣きそうな顔をしないの。嫌いな子の為に わざわざ私は出張って面倒なことなんかしないわよ。  眠っている間にこっそりと来たり、今みたいに見ても認識できなくして目の前で作業した り、記憶を消したりしたのは、私と志貴が会ってはいけないから」 「会ってはいけない?」 「こんな魔法使いに何度も出会うような事はいけないと思っているから。  本当はね、君には私が生きているような領域とは縁の無い普通の生き方をして欲しかった の。無理は承知でね。  子供の頃は「仕方ないな」と溜息ついて見ていたけど、だんだん人がましくなってきたの を見て、内心良かったと思っていたのよ。  今回来てびっくりしたけどね。いったい、どこをどうやったらこうなるのかわからないけ ど、もはや手遅れみたいね」  青子は、志貴の周りの女性群をゆっくりと見回した。  真祖の姫君、埋葬機関の吸血鬼狩り、遠野家の面々、部屋の隅でじっとこちらを見ている 黒猫。 「今こうして会った事も、消されてしまうんですか?」 「ええ、そうよ。私が消えたらすぐに今までの事は消えるわ」 「どうしてもなんですか」 「うん。もう入ってきた瞬間にそういう効果の中にあるから」 「そうですか……」 「世界には奇跡みたいな偶然が満ちあふれているの、気づかないだけでね。あなたがあの時 私に出会ったのも、そうした一つ。  だから、私はその偶然を大切にしたい。  これがただの奇跡なのか、必然だったのか。後者ならば、いつかまた会うことが出来るか もしれない。それでいいと私は思う。  あなたがこういう人達と付き合っているのなら、いずれ会う事もあると思うわ。確率的に ね。どんな形でいつ何処で会うのかはわからないけれど。」 「……」 「そうしたら、きちんと再会を喜びあいましょう。それまで、さよならね」  言葉だけでなく青子の目と態度とで、志貴は自分が何を言おうとそれは覆る事は無いのだ と悟った。  ならば、それに従うしかない。  志貴にとってこの幼き頃に出会い自分を救ってくれた魔法使いの言葉は絶対だった。  彼女が今は会えないと言い、後で再会しようと言うのなら、それが正しいのだ。 「はい、先生。じゃあ、今はあの時言えなかった言葉は、言わないでおきます。  さようなら、先生。お元気で。……絶対また先生に会います」  志貴の目を真っ直ぐに見つめてその言葉に頷く。  そして背を向けて歩きかけ、青子は立ち止まった。  トランクを落とすと、青子は志貴に駆け寄りぎゅっと抱き締めた。 「志貴、また会いましょうね」 「はい、先生」 「できれば、このまままっすぐ大きくなって欲しいな。せっかく素敵な男の子になれたんだ から」  普段なら、騒ぎ立てたであろう秋葉らも邪魔してはいけない雰囲気に何も言えず黙って見 守っていた。 「またね」  今度こそ、きっぱりとした歩みで青子はトランク片手に去っていった。  扉が閉まった後も、志貴は見えなくなった後姿をじっと見つめ続けた。  しばらくして、自分が何を見ていたのかわからなくなるまで。  懐かしい面影も声も頭からすっかり消え失せるまで。 「お茶冷めちゃいましたねえ。いれ直しますね」  琥珀の声に志貴は我に返った。  あれ、何をぼんやりしていたのだろう。  何か心が暖かい。 「ええと、何の話だったっけ。あ、眼鏡か。  うーん、先生が作ってくれたものだからきっと特別製なんだよ」 「随分と遠野くんには特別な存在なんですね、その先生は」 「ふーん、あまり会いたい存在じゃないけどね」  アルクェイドがぶつぶつと呟く。  ただ、前に志貴とのやり取りで絶好を言い渡されそうになったのを憶えていたので、正面 切ってはブルーの悪口は避ける。    ふっとトランクを手にした青子先生の姿が志貴の脳裏に蘇る。  今しがたまで目の前にいたように鮮明に。  いつか、会えますよね、先生。まだボクはせんせいにありがとうを言っていないのだから。  いつか、いつかきっと……。  そっとその先生に向かい志貴は囁いた。  志貴の目に映る青子先生は肯定するかのように微笑んでいた。 《FIN》 ―――あとがき  一万HIT御礼と言う事でお題頂いてのSSです。八色さんより『遠野志貴主役・青子先 生来襲モノ』という事で。  ええと……、青子先生来襲?  個人的に「月蝕」でのやり取りは、最後を飾るに相応しい名シーンだと思っているので、 その前に二人を再会せたくないし、「その後」ならはじけっぷりがたまらない作品は他の方 が書かれているので、たとえばこことか、結局、こういう反則技になりました。  眼鏡ネタは何かに使おうと思っていたのでちょうど良かったり。  情報が少ないキャラは難しいです。浅上の面々とか。  何だかよくわからない作品ですがお楽しみいただければ(はなはだ疑問)幸いです。      by しにを(2002/1/20)   
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