花火

作:しにを



 遠くで花火が上がっている。  赤、青、黄、緑、輝色の破片が舞い、夜空に広がり消えて行く……。  間近で仰ぎ見るのとはまた違った趣き。  音が聞こえないだけに臨場感は無いが、そのかわり夢を見ているような幻想 感が漂う。  連発で小さな花が乱舞した後は、枝垂れ柳が夜空に広がる。  合間の漆黒の空白。  そしてまた咲き広がる、僅かな命を輝き散らす夜の花。  こうしていると、時の経つのを忘れてしまう。  心をとらえている悩み事などちっぽけで取るに足らぬ事のように思えてくる。  ・  ・  ・  それにしても、此処は何処なんだろう……?。  ……ああ、駄目だ。また現実が戻ってきた。  何故こうも靄でもかかったように何も思い出せないのだろう。  気がつくと草と花が転々とする原っぱに立っていた。  それは憶えている。  どちらを向いてもどこまでもそんな光景が続いていた。  どこまでもどこまでも……。  こんな馬鹿みたいに広がった場所はいったい何処なのか。  いつどうやってこんな処に来たのかなどまるで記憶に無かった。  その前の事をいくら思い出そうと試みても何も浮かんでこない。  何か大事な事を忘れているという、もどかしい感覚だけが在る。  地平線を越えて歩く気力は生まれず、途方に暮れていると、突然肩を叩かれ たのだ。  ぐるっと頭を一回転させても猫の子一匹いなかった筈なのに。  驚いて振り向くと、自分より頭一つ以上は大きい女の人が立っていた。  長い銀髪、灰色の服。手にした細い棒。  どこから? 誰? という疑問以前に感じたのは、恐怖と安堵という相反する 感情。 「会ってしまった」という恐怖。 「会う事ができた」という安堵。  女の人はじっとこちらの目を覗き込むように見つめると、かるく頷き、唐突 にとんと手にした棒の先で胸を突いた。  突然の行為に、バランスを崩して倒れかけ、そして……。  そして気がつくと今度は川辺に立っていた。  太陽は消え、夜になっていた。  そして、幻想的と言うより非現実的な打上げ花火。  あまりに異常な事態に頭がついていけず、ぼーっと花火を見つめる。  夢のような現実からの、ささやかな逃避。  花火が上がっていると言う事は誰かいるのかな、と思い至るのまで、どれく らい心を奪われていただろうか。  きょろきょろと辺りを見回すと、少し上流の岸辺に佇む少女が眼に入った。  夏らしい浴衣姿。  夏……?  そういえば夜とは言え、少し暑いな。風が心地よい。  少女は時折手にした団扇を使いながら、花火に見入っている。  近寄って行くと、その浴衣姿の少女の姿がはっきりとする。  知っている少女。  なんで彼女がこんな処に? 「弓塚さん?」  呼びかける声に弓塚さんは振り向き、笑顔を見せる。 「あ、遠野くん」  弓塚さつき。高校のクラスメート。あまり話をした事はないが、クラスでも 人気のある彼女の事は見知っている。  ……?  それだけだっただろうか?  彼女とはもっと何かが……?  当惑している俺を見て弓塚さんが話し掛ける。 「ねえ、遠野くん。座らない?」  草の上に二人で並ぶ。  花火がまた目に入る。  空で散るその様も奇麗だが、こうして見ているとゆらゆらと揺れる水影が素 晴らしい。  ふと横を見ると、弓塚さんも魅せられたように空と水面とを見ている。  事態が飲み込めない状況は変わらない。なのに一人でない安堵感故か、不思 議に心が和む。  弓塚さんの横顔を見て、可愛いなとぼんやりと思う余裕が出たほどに。 「ねえ、遠野くん」  唐突な言葉にびくりとする。  無遠慮に見つめていたのを咎められたのかと思う。 「遠野くん、私の事憶えている?」 「……」  先に自問したのと同じ答しか出ない。クラスメート、そして?  弓塚さつきは……。  なんでそんな質問を?  そして、その何か言いたげな目は? !!!  思い出した。  そうだ、憶えているどころの話ではない。  俺は、弓塚さつきを、この手で、殺したの、だから。 「……思い出してくれたんだね」  弓塚さんは優しく笑っている。 「弓塚さん、俺……」  言葉につまる。何を、何を言えばいいのだろうか。  死んだ筈の弓塚さんが何故……、といった疑問より何より、あの時の悔恨の 重さで胸がいっぱいになる。 「いいよ、遠野くん。何も言わなくて。それより遠野くん、なんで此処に来た のか憶えている?」 「……」  さっきからの疑問。もちろんわからない。   「ここに来るまでの事も何も憶えていない。……そんな顔だね」  確かに、何も憶えていないし、思い出せない。  ただ、弓塚さんの言葉に、何か心がざわめくものを感じる。  聞いたら取り返しがつかなくなる……。そんな予感。 「じゃあ……」  言い辛そうに弓塚さんは言葉を紡ぐ。  言わないでくれ、と叫びそうになるが、一方で弓塚さんの言葉を待っている 自分がいる。 「何故死んだのかも、やっぱり思い出せない、遠野くん?」  呪詛の如く、その言葉に凍り付く。  一瞬の空白。  そして頭の中に決壊したダムの如く記憶が溢れ出す。  目の前の弓塚さんを殺し、秋葉と学校に行き、夜の街をさまよい、殺人鬼の 夢に侵食され、夜の学校に向い、部屋で衰弱して寝込み、秋葉達に歓迎会を開 いてもらい、琥珀さんの薬を呑み、シエル先輩と殺し合い、夜の街で一人の殺 人鬼と語らい、自分の出生の秘密を知り、己の正気を疑い、怯え、シキと戦い、 秋葉と戦い……  そして最後に、屋敷の森でシキに殺された。  そして最後に、部屋に篭って心音を止めた。  そして最後に、夜の学校で秋葉に殺された。  爆発するような記憶の奔流に頭が焼き切れそうになる。  ありえない、ありえない、そんな事は。  明らかに矛盾している記憶が同じ現実感を持って脳裏に甦る。  わからない。  ワカラナイ。  わからない。  ワカラナイ。  これは、一体、何なんだ……。 気が狂いそうに頭が混乱している。  どう発現したらいいのか分からない感情が消化出来ぬまま爆発し、涙がぼろ ぼろぼろぼろと、こぼれ出す。痛みでも悲しみでもない、意味の無い涙。  鳴咽すら洩らして、その涙にすがる。  頭が破裂するのを押さえるようにして、うずくまる。  胎児の姿に近かったかもしれない。  そっと何か暖かいものが背中にあたった。 「大丈夫、大丈夫だよ、遠野くん」  耳元でささやく声。  弓塚さんの優しい声。  不思議だ。その声で少しだけ落ち着きを取り戻す。  弓塚さんが後ろから俺の頭を抱きしめてくれている。  その暖かさにつつまれ、しばらくじっとしている。 「わからない。わからない。これは何なんだ……」 「遠野くんが何を思い出したのかは分からないけど、まずこれだけを受け入れて」  子供に教え諭すようなゆっくりとした口調で弓塚さんが答えてくれる。 「遠野くんはね、もう……、死んでいるの。私と同じ様に」  その言葉をゆっくりゆっくりと頭の中で消化する。 「そうか……」  死んだのか俺は。  そうだな、意識を失うまでの断末魔をこれほど何度も味わっているのだから、 死んでいるのは間違いない。だが……。 「遠野くんはね、今ここにいる遠野くんはね、いろんな選択の中から途半ばに して倒れてしまった遠野くんが一つになった存在なんだって。……言ってる事、 分かるかな?」  頭では弓塚さんが何を言っているのか理解出来ない。  だが心は納得した。 「分かる、ような気がする。  あの記憶の奔流は、全部本当の事なんだな、あれは……」  複数回の死がもう一度脳裏に蘇る。  そうか、こうやって何人もの俺が死んだのか。  不条理な事実を、真実と受け止めていた。  涙は止まったが、まだ顔を上げる事が出来ない。  しばらくそのまま弓塚さんの腕の中に守ってもらっていたが、俺がとりあえ ず落ち着いたと見たのか、背中にあたっていた柔らかい感触が離れる。 「ありがとう、弓塚さん。少し落ち着いたよ」 「ううん。私のせいで苦しませちゃったみたいだから」  隣に座って、弓塚さんが俺の顔をじっと見つめている。 「じゃあ、ここは死後の世界? なんか想像してたのと全然違うんだな。こん なに閑散としてるとは思わなかった」 「ええとね、此処は死んだ人が次へ進む前に、少しの間だけ留まるのを許され ている処なんだって。この辺りは私一人。私もここで目が覚めて途方に暮れて いたら、銀髪のすっごく大きな女の人が現れていろいろ教えてくれたんだ。  ここで待っていれれば、遠野くんがやって来るからって」  ああ、あの人か。俺には何も言ってくれなかったけど。 「あれ、でも弓塚さんが、その、死んでから何日も経っている筈だけど、ずっ と待っててくれたの、俺を?」 「うん。あ、でも時間はここではあまり関係無いんだ。正直、ここに来てから 10分もたって無いのか、何年も過ぎているのか、ほとんど感覚が無いから」 「そうか。時間なんて無いのかな。確か秋だったのに、ここは夏みたいだし、 弓塚さんのその格好も……」 「あ、似合わないかな」 「そんな事無い。可愛いと思うよ。似合ってる」  正直に言うと、ぽっと赤くなってしまう。やっぱり弓塚さんは可愛いと思う。 「そ、そうかな。遠野くんも眼鏡してないと、いつもと違った感じだね。ちょ っと精悍な感じというか、私そちらも……」  語尾がごにょごにょと小さくなって聞こえない。  眼鏡をしていない?  手をやると馴染みの感触が無い。  えっ!?  無い。目を開いている限りなくてはならない眼鏡が無い。  なんという事だろう、まったく気がつかなかった。  いや、気づかなくて当然かもしれない。  何故なら死の線は、まったく視界の中に存在していないから。  眼鏡をしている時と同じく、何処を見ても死の顕在した線も点も今は無い。  直死の魔眼も遠野志貴共々死んでしまったのか、あるいは死後の世界らしい ここには、逆に「死」という概念が喪失しているのか……。 「そうか、ここは違うんだな……」  何よりも今の境遇の異質さを、これで納得出来たような気がする。  ああ、なんて新鮮な感覚だろう。  もう思い出せないほど昔には、当たり前の事だったのに……。 「遠野くん?」  「あ、いや、何でもないよ」  どこか遠くへいってしまった遠野志貴を、心配そうな顔で弓塚さんが見つめ ている。 「ええとね、ここは在って無い場所だから、ここにいる人の想いで好きなよう に変えられるんだ、例えば……」  ふっと、明るい陽射しを受ける並木道に周囲が変る。  周りには満開の桜の木。  さーっと風がふくと薄紅の桜の花弁が周りを踊る。  桜が消え、どこかの山並みに景色が変る。  紅葉が鮮やかに眼に映える。  足元には折り積もった葉。ひらりと落ちるいちょうの葉を手に取ってみる。  夜の街並み。  かしこに洩れる光に照らされしんしんと舞い下りる雪片。  いつの間にか弓塚さんもコート姿に変わって空を見上げている。  掌に雪がひとひら落ちてきて、消える……。  夢幻感漂う光景の変化に心奪われていると、また夏の夜に戻った。  気がつくと俺も弓塚さんと同じく浴衣姿になっている。 「私、夏が好きなんだ。生まれたのが夏だからかな。……お揃いにしちゃった」  浴衣姿の俺を見てにこりと笑う。 「私ね、遠野くんと夏祭り行ってみたかったんだ。一度、お祭りで見かけた事 あったんだけど、遠野くんは乾くんと一緒だったし、私も他の女の子達と一緒 だったから、声も掛けられなくて。  でも、今こうやって花火一緒に見る事が出来て、ちょっと満足したかな」  にこりと笑って俺の顔を見て、それからちょっと寂しそうに顔を曇らせる。 「そろそろ行かないといけないみたい」 「行くって、どこへ」 「どこか分からないけど、此処にはいつまでもはいられないの、思い残した事 とか無くなったら、行かなくちゃいけないんだ」 「思い残した事……?」 「遠野くんにもう一度だけ会いたかったなって。やだ、そんな顔しないでよ。  ……迷惑だったかな」 俺と会う事が思い残した事……、胸がつまる。 「じゃ、一緒に行こうよ」 「え、でも遠野くんだっていろいろ心残りがあるでしょ」 「うーん、ありすぎてどうしたらいいのか分からないから。それに今の俺が何 かに失敗して死んだ俺と言うなら、何処かにはうまく成し遂げられた俺もいる んだろ。そいつにまか せるよ、後のことは」  ちょっと意地悪い顔をして弓塚さんの顔を見つめる。 「一人でさよならして消えちゃうなんて、思ってたより冷たいんだな、弓塚さ んは」  口先だけの非難の言葉に、弓塚さんは慌てた顔をする。 「……うん。一緒に行こう。  ねえ、遠野くん。一つだけお願いが有るんだけど……」 「俺に出来る事なら言ってよ」 「私の事、名前で呼んでくれると嬉しいなあって」 「それくらい……」  少し頬が熱くなっているのを感じる。恥ずかしげにこちらを見る弓塚さんの せいかもしれない。 「ええと、さつき……」  う、この後どうしよう。「さつきちゃん」も「さつきさん」もちょっと違う 気がする。 「さつき」  名前のみ呼び捨て。ちょっと乱暴か、と思ったが弓塚さん……じゃなくてさ つきは、ぱっと嬉しそうな顔をする。 「うん、志貴くん」  お互い、てれてれになってしまう。 「最後に、とびきり大きな花火が見たいな」 「うん、いいよ」  ぱっと夜空に光が乱舞する。  大輪の花を咲かせた後、ゆっくりと広がり線が下へと走る。  余韻を残して光糸が闇に消える様を二人で見届ける。 「奇麗だね」 「ああ、奇麗だ」   「じゃあ、行こうか、さつき。……ってどこに行けばいいのかな」 「うん。準備が出来たら扉が現れるって言われてるんだ。どきどきするけど、 志貴くんが一緒だと恐くないよ」 「俺もだよ」  そう言いながらも、ちょっと震えているさつきの手を取る。  驚いた顔をしてさつきはその手をきゅっと握る。柔らかい感触。  ふたり佇んで訪れを待っていると、音も無く大きな扉が目の前に現れた。  前からそこにあったかの如き重厚さが、逆にシュールに感じる。 「どこでもドアみたいだな」 「……そうだね」  手を伸ばしてノブを掴む。  触れるか触れないかというタイミングで、両開きの扉が独りでに音も無く開 く。開けられるのを待っていたかのように。  中には白い暖かい光。  何も他には見えず、その先がどうなっているのか窺う事すら出来ない。  先に何が待つのか分からなかったが、きゅっと握った手が安心感を与えてく れる。 「行くよ、さつき」 「うん、志貴くん」  最後にお互いの名を呼び足を踏み出しかける。  光。  光。  光。  感じる。  あの光の中に入れば、遠野志貴とか弓塚さつきとかいう存在は無くなってし まう。  いや無くなるのではなく、別の何か大きなものと一つになっていくのだろう。  恐怖のようなものは無く、還るべき処へ戻るのだという安らぎがある。  ただ、もう一歩踏み出せば良い。  でも、僅かに遠野志貴という存在が無くなる事に対する恐怖がある。  既に死んでいるというのに。  最後に残った恐怖心。  きゅっと握られた手が強くなる。  さつきも同じ様な気持ちなのだろう。  それで決心がついた。  こちらも少し強く握りかえす。 「行くよ、さつき」 「うん、志貴くん」  もう一度、お互いの名を呼び交わす。  一緒に行くのなら、何が起こっても平気だ。  そして二人して光の中へと足を踏……  ………  ……  …  ・  ・  ・  FIN ―――あとがき  うーん、原作から離れる離れる。さっちん小祭りのトップ絵のさっちん浴衣 姿がいいなあ、というのと、少しで良いから幸せそうなさっちん書こうと思っ たらこんなになりました。  どうやっても私が書くと現世では幸せになってくれないようです。  すまん、さっちん。  個人的に輪廻思想を肯定してますので、キリスト教的死生観でなく、こんな 感じに。  って昔考えたへぼライトノベルの設定なんですが。  ああ、懐かしくも恥ずかしい。 by しにを(2001/9/5)   
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