最初の一歩

作:しにを



 早朝。  トントンと小気味よく音がして、食パンの耳が落とされる。  手際良く手が動き、小さく刻んだホウレン草が彩りを添える玉子の薄焼き、ポテトサラダ などがパンに挟まれていく。  既に切るだけになったハムとチーズとレタスのサンドイッチ、薄く切ったキュウリのサン ドイッチ、ツナサンドは軽く重しを乗せてある。 「あら、また熱心にやってるわね、さつき」  母親の声。ちょっと赤面してるのを自覚しつつ、振り返って答える。 「もう、お母さんはあっちいっててよ」  はいはい、と笑いながら私を台所に残して母親は去った。  気持ちはすぐに料理の方に向かう。後は仕上げだけ。  パンの山を斜めに切断し断面を確かめ、ニコリとする。 「良し。バッチリ」  ラップで包みながら、呟く。 「今日こそは渡すんだから。……遠野くん」  放課後。  夕日浴びる2−Cの教室。  机につっぷしながら、溜息をつく。 「さっちん」  そこに声がかかる。 「なんだ、みーやん」  物憂げに視線だけを上げるとかなり長身の体育着姿のみーやんが立っている。 「その顔は、また駄目だったのか」  答えずに、鞄の中の紙包みを彼女に突き出す。  うやうやしく受取る仕草をして、みーやんは受取ってがさがさと中身を取り出す。 「今日のも美味しそうだね」  本名、八枝木美弥子(やしきみやこ)中学校の頃からの友達、入学時にクラスが同じで名 簿順で隣だったという縁で知り合った少女。  高校に入ってからは他の友達からは「弓塚さん」「さつきちゃん」という呼び方をされて いて、「さっちん」という渾名で呼ぶのは彼女くらいだ。逆にバレー部のエースの美弥子を 「みーやん」等と呼ぶのも、私の他同じ中学出身の一部の子だけ。  クラスこそ違うものの、ずっと仲の良いお友達だ。  遠慮無く自信作のサンドイッチを食べながら、みーやんが落ち込んでいる友人に声をかけ てくれる。 「なんで、お弁当渡す位できないのかねえ。さっちんから、『お弁当作って来たの貰ってく れる……?』とか言われて喜ばない奴いないだろうに」 「今日は、遠野くん、貧血で倒れそうになって4限から保健室で寝てたの。戻ってきてから も調子悪そうだったし」 「おやおや」  最後のハムサンドが消える。  遠野くんに食べてもらう筈だったサンドイッチ……。はあ。 「それは間が悪かったねえ。ま、私は部活前に栄養補給させていただいてありがたいけど。  ところで、最近量が減ってサンドイッチとかパン関係ばっかなのは何で?」 「遠野くん少食みたいだし。お弁当だと食べ終わってお弁当箱が邪魔になっちゃうでしょ。  サンドイッチとかなら、友達と食堂行くとしても一緒に食べてもらえそうだし」 「……そこまで考えてたのか。お見それしました。」 「渡せなきゃ何にもならないよ。今日は勇気出せそうだったのに……」 「……なあ、さっちん。なんで遠野なんだ?」  少し声の調子が変ったみーやんの声に顔を上げた。 「なんでって言われても。昔から気になってて……」  語尾はごにょごにょしてしまう。 「それは前にも聞いた。はっきり言って、かなり人気あるんだぞ、さっちんは。さっちん のクラスの子以外だって、私にも紹介してくれって話来るし、さっちん本人だって何回か 告白された事あるんだろ?」 「うん……、あるけど」 「その中に遠野より良い男なんていくらでもいるだろうに。前も話したけど、うちの男子 バレー部のキャプテンなんてどうよ。けっこう凄い人気だけど、性格も良いし。遠野以外 ならいくらでも選び放題なんだから、実際のところ」 「そんな事言われても」  そう、そんな事言われても、私は…… 「冗談抜きで、遠野は止めておいた方がいい」 「なんで遠野くんは駄目なのよ」 思いがけない言葉に、語句が強くなっている。 「なんて言うか……、あいつはヤバイ気がする。今はそうでも無いけど、中学の頃から何 か普通じゃない雰囲気だった。さっちんは、男運が無いような気がするから、この組み合 せはなんか勧められない」 「でも……」 「いや、無理矢理止めようって訳じゃない」  と言いつつもみーやんは真剣というか、心配そうな表情をしている。  その遠野くんの普通じゃない雰囲気が気になっているんだけど、そう言ったらもっと心配 させちゃいそうだし。  困ったような顔をしてたからかな、みーやんはじっとこっちを見て苦笑する。 「わかったよ。人それぞれだし、上手くいくかどうかなんて試してみなけりゃ分からない。  ずっと想いつづけてきたんなら、どっちに転ぶにしろ結果は出さないとね」  包み紙をくしゃくしゃと丸めながら、みーやんはポツリと言った。 「なあ、さっちん。お弁当作戦も当れば大きいけど、とりあえず朝にでも挨拶する辺りから 始めたらどうだい。0を1にする方が、1を100にするより難しいもんだし、簡単な事か らの方がいいんじゃないかい」 「そうだね。まだ最初の一歩を踏み出してないのと同じだもんね」  そうそう、とみーやんも頷く。  なんだかんだ言って、みーやんはいつも私を励ましてくれる。  そう言うと照れて「食事代だよ」とそっぽを向いてしまうだろうけど。  ありがとう、みーやん、少し元気になった。  遠野くん、明日待っててね。  翌朝。  挨拶……。  昨日はやる気十分で、寝る前にもさんざん練習したのに、朝になったら躊躇いが生じてい る。  確かに何でも無い事なんだけど、いきなり挨拶なんかするの変じゃないかなあ。  大体、私の事なんか遠野くん目に入っているのかしら。  いつもより早い、まだほとんど誰も来ていない教室で、後ろ向きな思考がぐるぐる頭の中 を回る。 と、その私に声がかかる。 「ああ、弓塚、早いな」 「おはようございます、先生」 「おはよう。ふむ。遠野はまだみたいだな」  ビックリ。何で遠野くんの名前がここで出るの。 「すまないが弓塚、遠野が来たら職員室来るように言っておいてくれ」  私の動揺には気がついていないのか、国藤先生は言葉を続ける。 「はい。あの、ええと、遠野くんが、何か」 「うん、大した事じゃないんだが、家の件で確認したい事が有るからって、そう言っておい てくれればいい」 「わかりました」  思わぬところから助けが来るなんて。  なんだろう、今日はついている。  先生ありがとう。  それとも神様にでも感謝した方がいいのかしら。  これで、遠野くんに用事が出来たから、話し掛けてもおかしくない。  さっきまでの気後れが消えて、はやく来い遠野くん、なんて気持ちに変っている。現金な んだから。  遠野くん、体調悪くて欠席とかじゃなければいいけど……。 !!!!!  遠野くんだ。  なんかいつも以上に疲れたような顔しているけど、とりあえず登校してくれた。  そうだ、取り敢えず挨拶。それから、さっき先生が探してたって話をして、その話をきっ かけにして……。 ……大丈夫、大丈夫。 じゃあ、行くわよ、弓塚さつき。 「おはよう、遠野くん」  あ、ちょっとビックリしてる。  ちゃんと話せているよね。自然に、自然に。 「遠野くん、さっき先生が探してたよ。なんかお家のことで話があるとか言ってたけど」 「……ふうん。家の事って、引っ越しについてかなあ」  怪訝な顔で答える遠野くん。  うん、会話になっている。  よし。……えっ!? 『引っ越し』、何よそれ。  え、どういう事なの一体、それ。  聞きたいけど、そんな事いきなり、でも。  ああ、頭がパニック。どうにかなっちゃいそう。 「えっと……おはよう、弓塚」  棒立ちになったままの私を見て、遠野くんの方から声を掛けてくれる。 「うん、おはよう遠野くん。わたしの名前、ちゃんと覚えていてくれたんだね」  嬉しい。思わず顔がニヤけてしまう。 「クラスメイトの名前ぐらいは覚えているよ。その、弓塚さんとはあんまり話をした事はな かったけど」 「そうだよね。うん、だからわたし、遠野くんに話しかけるのはちょっと不安だったんだ」  思わず本音が出る。でも、ちゃんと話せている。  よし、勢いで聞いちゃえ。  引っ越しってどういう事? 「遠野くん……」  午後。  今日は遠野くんといっぱいお話出来たなあ。こんな日にお弁当持ってきてたら勢いで渡せ たかもしれないのに……。  でも、最初の小さな一歩だけど、弓塚さつきにとっては大きな一歩だよね。  0を1にする方が、1を100にするよりずっと難しいんだから。  いきなり高望みしたって駄目。  今に、もっと当たり前みたいにお話出来るようになって、お弁当だって渡して、冬になっ たら手編みのセーターとか送って……。  先走りすぎ?  でも、ありえない話じゃないよね。  うん、まったくの夢じゃない。  一緒に帰れたりするといいなあ。  ばったり、道であったりして。  そう、例えば今、目の前にいるみたいに。  ・  ・  ・  えっ。遠野くん。  落ち着いて。いたっておかしくないんだから。今日はついているんだから。  声をかけて、驚いたふりなんかして、会話を。  ああ、神様ありがとうございます。  これが私と遠野くんの物語の始まりになるんだわ。  もう一歩踏み出しているんだから。  誰も私を止められないんだから。  よし、いくわよ、さつき。  さりげなく、さりげなく声をかけて、そして……。 「あれ、遠野くんだ」  ...To Be Continued「TSUKIHIME」 −−−後書き  なんか悪意ある落ち……、意図的ではないですが。  時間軸で本編につながる辺りを描いたSSなんか読んで、感心させられる事があるのです が(後で伏線張るみたいな行為なので、決まると効果的な手法だと思います)、さっちんで やってみて、予想外の効果。 「月姫」本編での弓塚さつきの運命がある意味一番酷いラストである以上、そこに至るまで の話を作ると結果的に非常に酷い話になってしまうという。  明るい話にすればするほど、「今はこんなに幸せそうでも、プスリとやられてしまうのね」 みたいな感じで。  でも本編の展開を是とすると、過去の話でも書くしかないですし。それで、こんなになり ました。  お弁当を渡す展開とか、阿羅本様のHP掲示板でのやり取りを参考にさせて頂きました。  迷惑でしょうが、御礼申し上げます。 by しにを(2001/8/17)   
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