メイドさんと一緒

作:しにを



「志貴さま、そろそろお目覚めになって下さい」  穏やかな朝の日差しが志貴の瞼にも当たっている。  翡翠の声に反応して、志貴の身体がもぞもぞと動く。  優しい表情で志貴の目覚めを待つが、それきり目が開く気配が無い。  訝しげな表情で、翡翠はもう一度声をかけた。 「……? 志貴さま?」 「翡翠が、キスしてくれたら目を覚ます」  と、目を閉じたまま志貴がポツリと注文を出した。 「………」  どうしようかな、という風にちょっとだけ躊躇し、翡翠はかがみ込んで志貴 の唇に自分のそれを近づける。  軽く触れて、遠ざかった。 「起きてください」 「うわあ」  微かに頬を赤らめつつも翡翠は平然としていたが、命じた方は死ぬほどビッ クリした顔でベッドをずり落ちそうになっていた。 「…本当にしてくれるとは思わなかった」 「じゃあ、私を困らせようとしておっしゃったんですか、志貴さん?」  悪戯っぽく、ちょっとだけ姉を思わせる笑顔を浮かべ、「シエル様がそろそ ろ参りますから」と言い残して翡翠は退室した。  志貴は呆然としてその姿を見送っていた。  遠野の家に戻って、シキとの因縁や異国の吸血鬼騒動を解決する間に、メイ ドと主人という関係から、恋人という関係に転じた(と志貴は願望も込めて思 っていた)ものの、目立って二人の位置関係が変わった訳ではない。  でも、感情表現が豊かになったり、呼び捨ては頑として拒んだものの主人の 「志貴さま」と「志貴さん」を使い分ける様になったり、と少しずつ変化は見 られる。  むしろ戸惑ってるのは自分なのかな、と志貴は思ったりした。 「シエル先輩の往診だったな」  ベッドから出て自分の体を見ると、笑いたくなるほどの包帯だらけだった。  ほんの数日前まではギブスと変な器材で拘束されてた事を思うとこうして一 人で動けるのが奇跡に思える。  傷口や関節部への力のかかり具合で痛みが走り、顔をしかめつつも、志貴は 居間の方へぎこちなく歩いていった。  部屋が無人になってから、窓の外の木がガサリと音がした。 「…なんか入りそびれちゃったなあ」  ちょっと赤面してる金髪の吸血鬼が枝に腰を下ろしていた……。              ◇   ◇   ◇ 「だいぶ良いです。あれだけズタズタにされたのに、やっぱり愛する人の看護 は効くんですねえ」  上半身裸にされシエルの言うままに体を動かして見せながら志貴は「これは 治療なんだ」と心の中で呟いていた。  実際、そのズタズタになった時は、全身裸の状態でいろいろと処置を受けた らしい(意識が無かったので後で聞いた話だが)し、その後も何度と無くシエ ル医師の治療を受けているがニコニコ笑っているシエル先輩に肌を晒すのは恥 ずかしかった。  何でも半ば死んでいる身体を治すために、皆で半狂乱になってあらゆる手段 を講じてくれたのだそうだ、と志貴は聞いていた。  翡翠の力と、琥珀さんがたまたま育てていた本来こんな処にはないしあって はいけない種類の薬草、シエル先輩の秘儀、戦いの途中で倒れた志貴の代わり に最後の始末をつけた秋葉とアルクェイドの働き、といったもののおかげで今 こうして生きていられるらしい。  それ以後、治療に要した「医学常識を超越した技術」を普通の医師に見られ ると面倒との事で、シエル無免許医と翡翠看護婦ないし琥珀看護婦が志貴の面 倒を見ていた。  「な、何だよ、それ。シエル先輩の治療のおかげだよ」  ちらと傍に控える翡翠に「案外冷たいですねえ、志貴くん」などと言葉を向 けてから、また真面目な顔に戻ってシエルは言った。 「もう包帯は取っちゃいましょう。まだ筋肉がつっぱったり、痛みが出たりし ても、それは治りつつあるという事ですから、我慢してください。今日秋葉さ んと琥珀さん戻って来るんでしょう。元気な姿を見せてあげて下さいね」 「せっかく身体の自由が効くようになったのにねえ」と意味ありげに呟いてか ら「では夜また伺いますね」と言い残してシエルは遠野の屋敷を後にした。 「そうか、秋葉と琥珀さん今日戻るんだな」  どうしても仕事の関係で数日間遠方へ行かねばならず秋葉はお付きを連れて この数日留守であった。 「もっと、翡翠に甘えとけばよかったなあ」 「秋葉さまは志貴さんのこと、凄く心配なさりながら出掛けたんですよ」  ちょっと非難めいた口調。 「それは分かってるけど。秋葉が帰ってきたら半壊した館の修繕も始まるし、 立て込んで来るなあ」 「でもなんであのとき屋敷から火が上がったんでしょう?」 「館物ではメイドさんと結ばれるエンドでは、お屋敷炎上という決まりがある からね」 「?」 「いや、冗談だよ」              ◇   ◇   ◇  翡翠と志貴とで出迎えたのを見て、秋葉は顔いっぱいに歓喜と落胆の表情を 前後して浮かべるという器用な真似をした。 「兄さん、治ったんですね。……治っちゃったんですね」 「なんだ、その治っちゃったんですね、ってのは」 「いえ、私もちょっとくらい看病してリンゴ剥いたり濡れタオルをのせて上げ たりしたかったですから。翡翠が許してくれたら」 「それなら、私もお粥食べさせてあげたりしたかったですね、翡翠ちゃんのお 許しが出たなら」  翡翠は真っ赤になって俯いたり志貴の方を見たりしていた。 「翡翠が許してくれたら、って言い方はやめてくれ」 「でも、ねえ琥珀」 「そうですよねえ、秋葉さま」  何がどうなのか分からないが、秋葉と琥珀は頷きあっては志貴と翡翠をわざ と意地悪そうな目で見たりしていた。 「私たちが不在なのをいい事に、よもや高校生にあるまじき行為を行ってはい ないでしょうね、兄さん?」 「つい昨日まで包帯とギブスつけてた人間に何が出来るんだ?」 「じゃあ、大丈夫になった今……、 さてと御馳走作らないとね」  志貴と翡翠の非難の目に琥珀は厨房に退散した。 「さてと、夜は相手するのに体力を使う方が参りますから、私も部屋で少し休 みます。翡翠、留守中兄さんと屋敷を守ってくれてありがとう。兄さん、元気 に立ってる姿を見て本当に嬉しいです」  二人きりになって、志貴はどうしようか?と言う風に翡翠を見やった。 「私は、姉さんの手伝いを。料理は駄目ですけど、いろいろ支度の準備があり ますから。  志貴さまはお部屋で少し横になられた方が良いのでは」 「そうだね、そうするよ。帰ってきて早々琥珀さんも大変だなあ」 「けっこう毎日暇だったので、料理したいって言ってましたけどね。では時間 が来たらお部屋に参りますので」 「うん、よろしく」              ◇   ◇   ◇ 「お招き頂いてありがとうございます」 「いえ、良く来て頂きました。どうなさいました、シエルさん?」  困った顔をしてシエルは秋葉を見た。 「実は、招かれざる客が」  扉の後ろから声がした。 「ひどいよ、シエルだけ呼ぶなんて」 「あの、秋葉さま、アルクェイド様が……」  はあっと溜息をついて秋葉とシエルが顔を見合わせる。 「門の所で待ち構えてたんです。今日は武装もちょっとだけだし、遠野のお屋 敷の中で彼女と戦う訳にも行きませんし、秋葉さんに御判断いただこうかと」 「仕方ありませんね。まあ、あの時は助けてもらった訳ですしね」 「ああなった原因は彼女ですけどね」  こうして、死の淵から帰還した志貴を祝うパーティは始まった。 「琥珀さん料理お上手なんですねえ」 「へえ、妹も翡翠も料理は駄目なんだ」 「お父様もとうとう開けなかったとっときの逸品、栓を抜きましょう」 「でも、あれだけズタボロになって良くくっついたよねえ。私やシエルならと もかく」 「ささっ、おめでたい席だから、翡翠ちゃんも一杯」 「姉さん、多すぎ」 「そう言えば、今日の朝、志貴ったら凄かった」 「見てたのか、お前見てたのか?」 「そう言えば遠野くんと翡翠さんが結婚したら、秋葉さん、小姑ですねえ」 「ははは、小姑、小姑。ま、今だってそんな感じじゃない、妹は」 「!!! 小姑……、小姑……」 「あ、そうなると私、志貴さんのお姉さんになるんですね。わあ、なにかいい ですねえ」 「遠野くん、アルコールに逃げないで下さい」 「小姑……」  全然酔ってないようだが、何やら会話が噛み合わなくなったアルクェイドと シエル、鬱々としている秋葉、珍しくトロンとしている琥珀、といった面々を 残して、志貴は中庭に足を運んだ。 「やっぱり、ここにいたんだ」 「志貴さん」  姿が無いなと思っただけで、特に用がある訳ではなかった。  翡翠も、問いただすでもなかった。  黙ったまま、志貴は翡翠の隣に腰掛けた。  しばらくそうして静かな刻が流れた。 「月が奇麗ですね」 「うん」 「私、志貴さんが帰って来て、あんな短い間にいろんな事が一気に起こって、 何だか夢のようです」 「遠野の家に帰って来た時には想像もしなかったよ」 「志貴さんが遠野に戻らなければ、私幸せとか不幸とか考えなくてよかったん ですけど。  血まみれで意識をなくしてしまわれた時は、人生で最大の幸せから不幸せの どん底まで落とされたんですよ。一緒に死んじゃおうかと思ってたくらい……」 そっと志貴の手が翡翠の手を握った。 「じゃあ、責任を取ってこれからはずっと幸せにしてあげるよ」  真っ赤な顔をしつつも、志貴は翡翠の目を見つめながらはっきりとした口調 で言った。  翡翠はこくりと頷いた。  照れが限界になったのか、志貴はまた夜空に目を向けた。  その横顔を笑みを浮かべて見つめてから、翡翠も志貴の向いている方に目を 向けた。  つかの間の静かな二人の時流れていった…。 −FIN− ―――後書き―――  うわあ、恥ずかしい。  他人の書いた二次創作とかのラヴラヴ話の作者コメントとか読んで「なんで こんな良い話書いてるのに、照れてるんだろう」とか思ってましたが、行為自 体が恥ずかしいんだ。  公開羞恥プレイ。  ええと、琥珀さんに終盤を持っていかれてしまう翡翠さんのお話です。凄い 説明不足ですが、翡翠シナリオではなく勝手に妄想したシナリオを背景として います。遠野サイドの話にアルク&シエルやロア他も絡んで、最後は志貴の死 (生きてますが……)に皆で一致団結して強大な敵を打ち倒して大団円といっ た感じのアナザーストーリーの後のお話……、翡翠とは結ばれています。  まあ「殻の中の小鳥」には存在しなかったエンドが続編の「雛鳥の囀り」に 続いているようなものです。  一応誤字はチェックしましたが、自分で冷静に読み直せないので、おかしな 言い回しとかありましたら見逃して下さい。 by しにを 01/3/18   
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