わたしの唇が憶えています。
 舌が
 指が、
 掌が、
いえ、頭の先からつま先まで、あらゆるところが憶えています。
 志貴様を。
 志貴様の体を。
 志貴様の熱くて逞しい男性自身を。
 忘れるはずがありません。
 何度も何度も。
朝も昼も夜も思い出しているのです。
頭の中で何度も繰り返し繰り返し
 志貴様にご奉仕しているのです。
 お仕事の時には、それを意識して消してはいますが、
それでも泡沫の如く浮かんで、
わたしの想いを、志貴様の感触を、よりいっそう強くしていくのです。

 
華 娥 魅 (果)

 何故あんな事をしたのでしょう。  今となってはあの時の熱夢にも似た衝動は、わたしにはありません。  何処かから混ざり込んだパズルのパーツのように。  それはわたしの中にはぴたりと嵌らないのです。  まるでわたしがわたしでなかったような。  お酒のせい?  秋葉さまにおつきあいしたから。  それを理由にしてしまえば簡単です。  でも、 わたしは姉さんが妬ましい。 わたしは姉さんが大嫌いだ。  あの圧倒的な感情。  あれはアルコールが作り出した偽りの思いなのでしょうか。  違います。  奥底に潜むそれを今のわたしは自覚しています。  でも、それならば逆に、  今も姉さんに対して持っていてる負い目、 たった一人の肉親である姉さんに抱く感情、 それは偽物で、 アルコールであっさり消え去ってしまうものなのでしょうか。  それも違うと思います。 少なくとも偽物ではないと思いたいわたしがいます。  でも、姉さんを、志貴様に愛されているわたしと同じ貌をした琥珀を わたしは求めました。  志貴様に愛された姉さんの体にわたしは触れ、恥かしいことをしました。  姉さんが慌て、驚き、わたしのする事に翻弄されるのが、 心地よく 楽しくて 嬉しくて とても興奮させられたのです。  いつもいつもわたしをリードして動かす姉さんの常ならぬ姿。  それはとても可愛いものでした。  怯え、惑い、受身になる姉さん。  笑みを浮かべ、翻弄し、従わせるわたし。  いつもと逆の役割。  いつしかわたしは姉さんになり、姉さんはわたしになりました。  琥珀が翡翠に、   翡翠が琥珀に。  一夜だけの幻のような入れ替わり。  事実、翌日には幻は消え、現実に戻りました。  姉さんは琥珀であり、  わたしは翡翠でした。  志貴様に愛されるのは琥珀であって、翡翠ではありません。  でも、あの一夜は姉さんの何かに火を点してしまったようでした。  それから数日後。  わたしは、姉さんに誘われるままに、志貴様との逢引きの場について行き、はしたない 真似をしました。  志貴様の体に触れ、  志貴様に胸の先を吸われ、  志貴様の男性をにぎり、しごき、こすりあげ、  志貴様を口に含み、舌を這わせ、舐め上げて、  志貴様が滴らせるえぐみのある雫をすすり上げ、  志貴様に口で達していただき、    志貴様に、貌も髪も胸も何も白く染め上げていただき、 そしてわたしはそれだけで志貴様の目の前で、イってしまったのです。  思い出しても夢のよう。  でも夢なんかではない。  こんなに克明に、強く、確かに わたしは憶えているのだから。  志貴様の何もかもをはっきりと、少しも欠ける事無く、憶えているのですから。  あれが夢ならば、わたしのこれまで生きてきたことも全て幻です。    あの淫らな夜が明けて、  恐々と志貴様を起こしに向かった翌日の朝。  ゆっくりと頬に赤味をさして、目を開いた志貴様。 なんて言われるのだろう。 いやらしい女と、侮蔑を含んだ目で見られるのでしょうか。 姉さんを見るような眼差しで見ていただけるのでしょうか。  胸をドキドキトさせながら、志貴様のお顔を見つめていました。  逃げ出したくなって、でも見惚れる様な志貴様のお顔から目を離すことは出来ず。  そして、志貴様は目覚め、わたしに気付き、  一瞬だけ感情のない目でわたしを見つめました。  そして微笑まれました。  おはよう、翡翠。  そういつものように、声を掛けていただいて、わたしも遅れて志貴様に朝の挨拶をしま した。  拍子抜けするほど、普通の朝と変わらずに。  あれは夢だったのだろうか。  少なくとも志貴様はそう思っているのだろうか。  そんな事を考えた時に、志貴様はわずかに問い掛けるような目でわたしを見つめました。  何か言いたげなお顔。  口にするのを迷うような表情。  それでわかりました。  志貴様もわたしの顔をじっと見て、ああ、と納得されたご様子でした。  あれは、間違いなく起こった事だと。  でも、お互いに一言もその事について口にはしませんでした。  いつものように、そのまま朝のお仕度をして頂き、私は志貴様の部屋を出ました。  半分はがっかりとして。  でも、半分は安堵して。  それからも、今までと同じように志貴様にお仕えしました。  今朝も、普通に朝を迎えて、志貴様はまだ眠いなあ、などと仰られて、着替えを始め、 わたしは下へと降りました。  下には、秋葉様がいらっしゃいました。  今日も、志貴様をお待ちになっていました。  きちんと身支度を整えられて、優美なお姿で。  とても遠いところにある学校へ行かねばならないのに、秋葉様はぎりぎりまで志貴様を 待って、そして出掛けます。 「秋葉さま」  姉さんに頼まれ、わたしは新しいティーカップを前におきました。  そして既に空になってしばらく経つティーカップをお盆に載せました。  秋葉様はお茶をじっと見て、それから私の方に顔を向けられました。   「兄さんは?」 「もう、お出でになるかと思います」 「そう」 やや、文句のありそうな顔つき。 わたしがもう少し早く志貴様を起こす事が出来たら、と不可能な事を思わず考えてしまう。 でも、秋葉様はちらりと階段に目をやって、仕方ないと言いたげな表情をなされた。  秋葉様……。  志貴様と、そして姉さんとの間で起こった事は、わたしは良くは知りません。  姉さんが言葉を選びながら教えてくれて、秋葉様が断片的に洩らす言葉で穴を埋めて。 それでもわたしにはよくわかりません。  ただ、結果として、秋葉様の志貴様への恋慕の想いは実らず、志貴様がお選びになった のは姉さんである、その事実だけはわたしにもよくわかりました。  秋葉様が志貴様を見つめる目。  毅然となさったお姿の中にひそむ揺れのような想い。  それは、わたしにもわかる。  それはわたしの中にあるものと多分近いものだから。  わたしにわかるという事は、明敏な秋葉様にもわかるということ。  だからだろうか。  秋葉様がわたしを見る目は前よりも親しいものになっている。  傷を舐めあうのではなく、それでも似た者に対する親近感のためでしょうか。  それをわたしは乱しました。  秋葉様を裏切ったつもりはありません。  でも、秋葉様を差し置いて、志貴様のお傍に侍りました。  秋葉様が願って止まぬ行為を、志貴様に対してわたしは行いました。  そんなわたしを秋葉様はどうお思いになるだろうか。  目が合いました。  じっと強い視線が私を捉えています。  後ろめたい。  秋葉様の、どこか問い掛けるような眼差しが、怖い。 「秋葉さま?」  ただ、それから逃れたくて思わず声を出しました。  そのまま目を見つめられていたら、わたしの痴態がそのまま見取られてしまう気がした のです。  でも、そんな疚しい想いを抱いているわたしを、秋葉様は、変にお思いにならなかった でしょうか。 「何でもないわ」  幸いにも、秋葉様は、私が何か用事を訊ねたとでも思ったのでしょうか。  そう言うと、手の中のティーカップを見つめて、物思いの中に沈まれました。  何を考えていらっしゃるのだろう。  目をそのまま逸らしたかったけれど、何故かそう出来ませんでした。  秋葉様が視線を落とされているのを良いことに、わたしはじっと秋葉様のお姿を眺めて いました。    夜。  一人の部屋で、誰にはばかる事無く、志貴様を感じていました。  ベッドの上で、  指を這わせていました。  唇に。  頬に。  首筋に。  小さな胸に。  剥き出しの腿に。  そして、ほとんど触れた事のない谷間に。  仕事を終えたそのままの格好で、 ただカチューシャのみを外して、メイド服を着たままで。  下着と服の布地の上からでも、胸がはっているのがわかります。  指で触れるたびに疼くような刺激に溜息が洩れます。  窮屈な胸の先が尖り、手で揉まれるたびに擦られていきます。  直接触りたい。  手で胸を握り締めて、 痛いほどつんとなった乳首の先を摘みたい。  志貴様がしてくれたほどの感電するような刺激には及ばないけれど、 思い出して、  乳首を口に含まれた時の痺れを、先を舌で擦られた感触を、甘噛みされた時の悲鳴をあ げそうな衝撃を、ねぶられた時の気持よさを。  それだけで達してしまいそうです。  でも貪欲にわたしは、もっともっと思い出すのです。  志貴様の逞しい体つきを。  傷跡の残る胸を。  その下の股間を。  一度見ただけだというのに、何度も反復をしているので、 あの熱をもった掌を伝わる脈動も、 赤黒くそそり立つグロテスクですらあるのに、目を離せぬ男性も、 くらくらするような雄の匂いも、 目の前に志貴様がいるかのように感じられます。  口の中には、志貴様の味がします。  体が火照っています。  急に着ている服が違和感をもたらせます。  肌が敏感になっているのか、無数の小さな手で撫ぜられているような不思議な感覚。  ショーツに手を伸ばします。  すでにぐっしょりと濡れています。  あさましい。  触れてもいないのに、こんなに。    ショーツの上から指をあてました。  くちゅと湿り気を帯びた布地。  指を突く押しても、僅かに沈むものの阻まれてしまいます。  それでも指の刺激でじんわりとした快感が広がります。  夢中でショーツを擦りました。  志貴様のことを考え、姉さんと行った痴態を思い出し、 志貴様にお風呂で頂いたお情けを反芻し、 私は興奮し、はしたなく声を上げていました。  頭にいろんなものが浮かんでは消えて行きます。  志貴様の広い背中。  姉さんの濡れた谷間。  精液の匂い。  浴室の湯気。  胸に触れた志貴様の髪の感触。  志貴様の逞しいものをしごいた時の熱さ。  掌に伝わる脈動。  口の中で爆ぜた時の激しい動き、勢いある射精の瞬間。  どろどろとふりかかった牡のエキス。  姉さんの唇。  志貴様の声。  姉さんの悪戯っぽい笑い。  志貴様の大きな傷痕。  そして、何故か秋葉様の顔が浮かびました。  責めるような、  問い掛けるような、  悲しそうな、  信じられないようなものを見る目。  朝の秋葉様の目がそれほど印象的だったのでしょうか。  こんなメイド服のままで自慰に耽っている姿を。  姉に嫉妬し、裸になって絡み合い、貪りあうあさましい姿を。  志貴様に、秋葉様の想い人に、肌を晒し陰茎に触れおしゃぶりする背徳の姿を。  秋葉様に見られている様を想像して。  わたしは 声を上げて 達しました。  ただでさえ濡れていたショーツを、どうしようもないまでにぐしょぐしょに汚して。  シーツもメイド服もしとどに濡らしてしまって。  それでも強い罪の意識ゆえに、 いつもよりずっと感じて、 涙さえ浮かべて、 私は果ててしまったのです。  それから少しして、まだぼんやりとしていた私を姉さんは訪ねてきました。   「翡翠ちゃん、お手伝いして欲しいんだ」 「お手伝い?」 「そう、駄目かな」 「……志貴様?」  姉さんの目はいつものそれとは違っていました。 その笑みは本当に心から出た笑いで……。 「そうよ、嫌?」  否定など考えていない顔。  そしてわたしはいかに逡巡しても、頷いてしまう。 「秋葉様……」  ぽつりと呟いた声を姉さんは聞き逃しませんでした。 「秋葉様ね」  謎めいた顔をして、同じ様に呟きます。 「翡翠ちゃんにいいもの見せてあげる」 「いいもの?」 「ええ、とっても面白いもの」  そう言って、くすくすと袂で口元を押さえながら愉快そうに笑いました。  どこか見る者を落ち着かなくさせる嫌な笑み。  全てを掌握している絶対者が、気まぐれに何かを思いついたという顔。   「じゃあ、行きましょう、翡翠ちゃん」 「はい」  姉さんは先に立って歩き始めた。  わたしはそれに従いました。  何処へとはあえて訊く事をしないで、ただ黙って。
- Fin -
15th. Aug. 2002 by しにを

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