兄さんではなくて

作:しにを



「最近、兄さんどこか変じゃない?」  夕食後の一時、団欒の時間の中で、ぽつりとそんな事を尋ねてみた。  当の兄さんは、乾さんと用事ができた、と連絡があってまだ帰宅していない。  私の言葉に、琥珀と翡翠はそれぞれ思い当たる事があるような顔をする。 「最近、朝のお目覚めが早いです」  翡翠が首を傾げながら言う。  そう、それはあるわね。  私が朝食を取っている間に食堂に現れたり、食事を終えて兄さんの起きてくるのを待と うとすると程なく階段を降りて来たり。出掛けに少しでも兄さんと言葉を交わせる時間が 取れるのは本当に嬉しい。  先日なんか一緒に朝食を取る事が出来た。 「何も朝から幽霊でも見たような顔しなくっていいじゃないか。あ、邪魔だったら待って るよ。俺の方はだいぶ時間あるし」と笑っていたけど。  あれは、夢かなと嬉しくなっていただけですよ、兄さん。 「翡翠ちゃん、何か起こし方変えたの?」  琥珀の言葉に翡翠がかぶりを振る。 「お部屋に行くともうお目覚めだったり、声をお掛けするとすぐに目を開かれて。どうし てかは分からないのですが」 「ふーん。どうしたんでしょうねえ、志貴さん。ここの所いつも比較的お目覚めの時間が 早いなあとは思ってたけど」 「まあ、遅刻ぎりぎりまで眠っている方がおかしいのであって、やっと兄さんにも遠野の 家の者の自覚が出来てきたという事でしょう。琥珀は何か変化を感じてる?」 「そうですね。あの秋葉さま、最近志貴さんと言争いというか口喧嘩なさった覚えがあり ますか?」 「……ないわね」 「やはり。私から見て最近お二人の仲が非常によろしいように感じます。どちらかと言う と志貴さんの秋葉さまに対する接し方が柔らかいと言うか優しいというか……。  秋葉さまを見る目がどことなく優しいと言うか熱がこもっている感じですね」  琥珀が言葉を選びながら言う。  ちょっと言われて表情が緩む。頬も少し紅くなっているかもしれない。  翡翠も琥珀の言葉に頷いている。  私だけの気のせいじゃなかったのかな。  どこが、という訳ではないけど最近兄さんが優しい気がする。  何か特別な事をしてくれている訳ではないのだけれど。 「ところで、志貴さんが何か?」 「ううん、何でもないの。二人から見てどうかなあと思っただけ。最近は心配かけるよう な事もなさっていないようだけど」 「そう言えば、夜や休みのお暇な時などは、パソコンを弄っておられますね」  思い出したように翡翠が言う。  そうだ、そんな事もあったっけ。  兄さんが珍しく頼み事をしてくれたのだ。  いつもの様なとても承諾しかねる事ではなく、欲しいものがあるとおねだりに類する事を。 「あの、秋葉。欲しいものがあるんだけど」 「何です、兄さん。……あの、別に必要なものとかであれば堂々と要求なさって結構なん ですから、そんな卑屈な顔をしなくても」 「なんかこうなっちゃうんだ。ええと、パソコン欲しいんだけど駄目かな?」 「パソコン、ですか?」  ちょっと兄さんらしからぬ思いがけないモノを。 「……やっぱり駄目か」  落胆の表情に、慌ててかぶりを振る。 「いえ、ちょっと意外だっただけです。兄さん、お使いになれるんですか?」 「少しは。有彦の家、というかイチゴさんが持ってるからいじった事はあるし。でも自分 で持ってていろいろ勉強しないと使えるようにならないだろ。今時ぜんぜん分かりません というのも何だと思って。まあ、高価なものだからおいそれとは」 「値段など気になさらないで下さい。そういう事なら反対する理由などありませんよ。  ……だからなんでそんな意外そうな顔をなさるんです」 「だって、いつもがいつもだし。でも嬉しいよ、ありがとう秋葉」  そんな会話があって数日後、兄さんの机にノートパソコンが設置された。  琥珀と電話線がどうとか話したり、何やら夜などいろいろといじっているようだった。  正直私はそういった方面に興味が無いので、あまり良くは分からないけれど。  まあ、兄さんがカタログを検討なさったり嬉しそうに手提げを抱えて帰宅なさったのを 見ると嬉しかったし、新しい玩具を手に入れて楽しそうだといった感覚だけ。 「もしかして、秋葉さまとお会いする為に早起きされてるんでしょうかね」  ちょっとぼんやりとしていたら、唐突に琥珀がとんでもない事を言う。 「そ、そ、そんな事がある訳が」 「そうですかねえ。志貴さんて何か目的が無いと行動パターンを変える様な方ではありま せんし、学校にお出掛けになる時間自体は今までとさして変わらないわよね、翡翠ちゃん」  翡翠がこくりと頷く。 「秋葉さまがお出掛けになった後は逆にのんびりし過ぎて走って行かれる事もあります」  ……駄目、完全に顔が紅潮している。 「まあ、よろしいのではありませんか。兄妹で仲良くされるのは。私の見たところ、いま まで気づきもしなかったものの価値が分ったというか……、うまく言えませんが、何か秋 葉さまに対する御認識が変わられたようにのは確かのように思えますし」 「そ、そ、そうかしらね。でも兄さんだから単なる気まぐれでしょう」  そっけなく言ったつもりだが、琥珀は「分かってますよ」と言いたげに笑っているし、 翡翠まで妙にくすぐったそうな顔をしている。  それに何か二人の私を見る目に微妙な色が入っている。羨望のような何か。  そんな話をしてから、数日後。  もう夜も更けて翡翠と琥珀も下がった後、何とはなく居間で寛いでいると、ふらりと現 れた兄さんとお茶を一緒にして言葉を交わした。  特にどうって事無い話だったけど、今だけは兄さんを一人占めしているようなそこはか とない満足感があった。  でも、兄さんはちょっと放心したり逆に私を見つめて何か言いたげにしながらまたふっ と力を抜いたり、やや挙動不審だった。  何度か噛み合わない会話が繰り返される。 「あの、兄さん。……どうなさったんです。兄さん?」  正面から私を見ているし声が届いている筈なのに、兄さんは額に皺を寄せて黙っている。 「兄さんか……。なあ、秋葉、おかしくないか?」 「何がです、兄さん?」 「それだよ。何で俺は兄さんなんだ?」 「え?」  ど、どういう意味なんだろう。  私の兄である事に何か疑問か不満を持っているのだろうか。  もちろん血の繋がりが無い事は二人とも承知しているが、それでも兄と妹という関係を 強く心に刻んでいた筈。  それが嫌になってしまったのだろうか。 「俺はいつから兄さんになったんだ?」 「いつって正確には分かりませんが、お父様に連れられて……」 「違う」  強い否定。  その言葉に足元が崩れるような恐怖感を覚えた。  遠野志貴が遠野秋葉の兄である事を否定するのであれば、二人の関係は砂の城のように 簡単に崩れ去る。 「俺にはほとんど記憶が無いけれど」 「はい……」  ああ、声が震えている。 「昔はお兄ちゃんだった筈だ」 「……はい? あの兄さん、何を」 「確か昔は自分で『秋葉の兄ちゃん』とか言ってた気がするぞ。そう言った場合、妹のお 前だって俺の事お兄ちゃんと呼んでた筈だ」 「……」 「だいたい、シキの事は兄さんと呼んでたかもしれないけど、それだと俺と区別つかない だろ。名前で区別する事も出来ないし。だからお兄ちゃんの筈なんだ。違うか、秋葉」  何を訳の分からない事を力説しているのだろう、この人は?  人をこんなに脅かしておいて何を言っているのだろう。  不安や恐怖の感情が、怒りへと転換していく。 「何を言うのかと思えば、下らない事を。それがどうしたと言うんです」 「下らないとは何だ、大事な事じゃないか。……何を怒っているんだ、秋葉?」  私の表情に気づいて訝しげな顔をする。 「何でもありません。で、何が言いたいんです」 「いや、だからその、秋葉に『お兄ちゃん』て呼んで欲しいなあって、駄目?」 「い・や・で・す。前にも言ったでしょう。兄さんはお兄ちゃんなんて顔ではありません と。さて、明日も早いですから、私はもう部屋に戻ります。お休みなさい、兄さん」  兄さんを後に残して私は振り返らず歩き去った。  良く考えると何だか八つ当たりのような気もするけど、そもそもの原因は兄さんだし。 本当にびっくりしたんだから……、兄さんの馬鹿。  次の日、朝食を終えて居間に戻ると琥珀がお茶を持って来て、話し掛けた。 「あの、秋葉さま」 「何?」 「志貴さん、凄くがっかりされていましたよ」  一瞬、何の事を言っているのか分からず戸惑う。  って、思い当たるのは昨夜の事しかない。 「な、なんで琥珀、昨日の事を」 「え、たまたま通りかかったもので。たまたまです。それで出るに出られずついお二人の 会話を漏れ聞いてしまいました」  しれっとした顔で琥珀が言う。  何て油断ならない。いったい何時の間に……。  でも、琥珀の言う言葉の方が気になった。 「兄さん、そんなに?」 「ええ、あんなに気を落とされているご様子も珍しいですね」 「だって、別に私何もしてないわよ」 「ある種の男の方にとって可愛い妹にお兄ちゃんと呼ばれたり甘えられるのって至高の夢 らしいですよ。志貴さんがそうなのかどうかは別として、あっさり拒絶されたらそれは大 層なショックでしょうねえ」 「……そんなものかしら」 「ええ。逆に呼んで差し上げればどれだけお喜びになったか、と」 「だって、それどころじゃなかったし。でも、兄さん何で急にそんな事を言い出したのか しら?」 「そうですね。確かに唐突のような気がしますね」  一向に話題の兄さんは現れる気配が無い。  そろそろ行かないと今日は生徒会の用事が朝からあるし。 「じゃあ、そろそろ学校に行きます」 「はい、鞄をお持ちしますね」  そんなやり取りがあってまた数日経った。  兄さんは特にあの日の事に触れないが、時折こっそりと私の方を見て溜息などついてい る事がある。  そんな姿を見ると……。  でも、今更……。  だけど兄さんが……、でも。  私の中の葛藤。 「久々の何も無い時間なんだけどな……」  私は珍しくぽっかり開いた空き時間を持て余していた。  何とはなく思い立って屋敷の中の巡回などしていると、自室から出て来たらしい琥珀に 出会った。 「あら、秋葉さま、どうなされたんですか?」 「うん、別にどうもしないけど、暇だから屋敷の見回りとか。あちこち見たけれど、琥珀 も翡翠も本当に良くやってくれているわね」 「それは、お褒め頂いてありがとうございます」  琥珀は嬉しそうに頭をちょこりと下げる。  本当に良くやってくれていると思う。翡翠にも見掛けたら声を掛けてあげないと。  ふと、琥珀が手にしているものに目が向く。 「ところでそれ、兄さんのノートじゃないの?」 「はい。ちょっと動作不良があると言われたので中身を確認してみたんです」 「琥珀、そんな事出来るの?」 「まあ、簡単な動作確認とかソフトを弄る位でしたら。部品レベルとかだと修理に出すし かないですけどね。屋敷のセキュリティ関係の管理もありますし、こう見えてもけっこう 前からパソコン使ってるんですよ。部屋にも2台ほどありますしね」 「知らなかった……」 「秋葉さま、志貴さんがパソコンで何なさっているか興味はありませんか?」  琥珀はちょっと考え込んだ後、邪気の無い笑顔で言った。 「何なさってると言われても、私良く分からないし」 「いいですか、秋葉さま。あの年頃の男の子がネット環境と自分のパソコンと個室なんて 与えられたらやる事は決まっています」 「と言うと?」 「きっと夜な夜な怪しげなサイトを廻っているに決まってます。え、あの、冗談のつもり だったんですけど。……分かりました、そう難しい顔なさらないで下さい、動作確認とい う事で、一緒に見てみましょう、秋葉さま」  琥珀を引っ張って居間の方へ行く。  翡翠は買い物で不在、兄さんは乾さんの処へ出掛けてしまっている。  何とはなく琥珀の意図に乗ったような気がしないでもないが、琥珀に操作を命じる。  素直に従いかけて、琥珀は真顔で私の目を見た。 「ここに志貴さんの秘密が隠されている筈です。でもよろしいのですか。 人の心の深奥を覗き込む行為に、そこで目にする何かに恐怖を覚えませんか?」 「構わないわ。そんな……」  大した事では……。ちょっと躊躇しないでもないが、今更止められない。  琥珀も警告するだけはしましたよ、といった風情で作業に取り掛かる。 「でも、最悪の事考えてバックアップ取るように言っておきましたし、散々他人の手に渡 す時は大事な個人ファイルは消し去る様に指導してありますから……、ああ、きれいさっ ぱり何も無いですね」  琥珀が一つ一つファイルを確認していく。  残念そうな声。 「ネット関係の履歴は、と。あ、これもだ。意外と志貴さん用心深いですねえ。こっちは どうかな」  画面が変わる。  パスワードがどうのと表示が出て、琥珀は何の躊躇いも無く入力している。  ? 「ねえ、今のパスワードの入力なんでしょう?」 「そうですよ」 「なんで琥珀は兄さんのパスワードを知っているの?」 「えっ」  一瞬何を言ってるのか判らないという顔をして、それから琥珀は意味も無く笑い顔を浮 かべる。 「ええと、そのう、あっ立上がりましたよ。初期画面はどんなのかな、なんだ検索ページ ですねえ。意外と面白味が無いなあ」 「……」 誤魔化しにも何もなっていない。 それにしても、気がついたら身包み剥がれて路頭に迷ってるという事が無いように肝に 銘じておこう。  何事も無かったように琥珀は楽しそうに画面に見入っている。 「さすがにお気に入りのページとかまで削除はしてなかったようですね、志貴さん。ツメ が今一つですよ。ふうん、幾つかフォルダで区分けしてるんだ。  これは、と。はあ、なるほど。志貴さんて刃物フェチな所がありますものねえ」  海外のページだろうか、いろいろなナイフがずらりと掲示され値段が表示されたHPや、 博物館みたいなHP。兄さんらしいと言えば兄さんらしい。 「ふうん、山海堂なんてのもお気に入りに入ってる」 日本刀や映画とかで見るような古めかしいボウガンや剣が画面に並んでいる。 「なんで、これ日本語なの?」 「だって鎌倉のお土産物屋さんですから」 「ふうん……」  銃刀法とか言うものが日本にはあったと思うんだけど。よくわからない世界だわ。 「ええと、後は、こちらは旅行関係、こっちはアルバイト関係のページですね」 「また、兄さんから性懲りも無く」 「無理も無いと思いますが……。ええと、吸血鬼関係、カレー、そしてこっちのフォルダ は、ああ、やっぱりありましたねえ」 「こ、これは……。信じられない。兄さんがそんな」  画面の中ではブロンドの女性がにっこり笑っている。……一糸纏わぬ姿で。 「やっぱり男の子ですねえ。あ、こっちなんか無修正で凄い」 「何を呑気に。貸しなさい、これも、これも、これもそうなの」 「あ、この方は日本人ですね」 「もう、兄さんたら不潔だわ。何に使っているかと思えば、こんないかがわしい事に。ま ったく、こうなったらこんな物取り上げて……」 「秋葉さま」 琥珀が少し強い口調で口を挟む。 「な、何よ」 見ると琥珀の顔が笑みを消している。 「それは、いけません」 「な、何を言うの」 「いろいろと法律上差し障りがあるのも確かですが、志貴さんの嗜好や私生活にとやかく 言う資格は秋葉さまにもございません。  むしろこうして志貴さんの内世界にズカズカと断りも無く踏み込んでいる秋葉さまと私 の方が遥かに悪趣味で下劣な行為をしています。  志貴さんも普通の男の子ですから、こうしたものに興味を持ったからといって責められ るいわれはありません」 「……」 「それに、秋葉さまにがこんな事なされたと知ったら志貴さん、再起不能なまでに傷つか れますよ」 「知らぬ振りをしろと?」 「はい、それが賢明かと……」 「分ったわ」  ちょっと二人の間に気まずい雰囲気が漂う。  最初に琥珀に「いいのか」と聞かれた訳が分かった。  こんな事するべきじゃ、ふと琥珀を見ると何事も無かったかのようにマウスをクリック している。 「後はこれか。『2ちゃんねる』ですか。やっぱりこーいうのも見て……、なんですか秋 葉さま?」 「こんな行為は悪趣味で下劣じゃあなかったの?」 「そうですよ。じゃあ、秋葉さまはもう止めますか?」 「……」 「まあ、乗りかかった船と言う事で」 「ところで、そのページは何?」 「説明しますとね、『2ちゃんねる』っていって混沌とした膨大な匿名掲示板の集合体な んです。いろんなジャンルで括り分けされていて、その中に細分化されたスレッドという 掲示板があるというイメージで。いろいろ面白いものもあるんですよ。  で、一度見た事がある板やスレッドは色が変わってしまって、何処を覗いた事があるっ て分かっちゃうんですよね」  嬉々として説明する琥珀に、なんで、こんな事に詳しいのかしらと少し呆れる。 「志貴さんは、と。やっぱり旅行関係とか、人生相談、B級グルメ、あらエロゲネタ板? これは意外な……」 「何、それ」 「ええと、秋葉さまは知らない方がよい事です。でも志貴さんもこんなのやってないのに、 間違ったのかしら……、ああ、なるほど」 「どうしたの?」 「うーん、最近の志貴さんの言動がちょっと理解出来たような……。ご覧になります?」 「これ? ……何よ、これは」 「妹スレとか言われているものですねえ。妹好きの方々が集まって自分の妹話をしたり、 それに感想書き込んだりとかする処です」 「何でそんな事まで知ってるのよ」 「まあまあ。でも、これで分かりました。此処に居ると、妹属性が皆無な人間ですら洗脳 されるっていう話ですから。志貴さんも何かの拍子に迷い込んだかしたんでしょうねえ。 まして、志貴さんには非の打ち処のない可愛くて良く出来た妹がいるんですから、見る目 が変わるのも頷けますね」 「……」 「あの、秋葉さま?」 「……」 「そんなに、熱心に、秋葉さまってば」 「……、いいなあ」 「……」 「……。? な、何か言った?」 「あの、気に入られました?」 「な、な、何を馬鹿な事を。兄さんが何に興味を持っているのかちょっと興味を持っただ けです」 「はあ、そうですか」  こちらを見透かしたようにも見える笑い顔。  ちょっと没頭しすぎたかしら。 「でも、こんなに妹って欲しいものなのかしら」 「まあ、私には分かりかねますが。秋葉さまだって自分の事慕ってくれる可愛い弟とかい たらいいなあ、とかちょっとは思いません? 」 「それは、ちょっとは思わなくもないけど」 「志貴さん、有間のお家でも妹みたいな年頃の女の子がいたそうですし、秋葉さまの後輩 の方とも仲が良いですし、潜在的に妹みたいな保護欲をそそる存在が好きなのかもしれま せんね」 「……兄さんには、れっきとした妹がいるじゃないの」 「可愛い妹さんがいらっしゃいますね。でも、その妹に『一緒にお風呂入ろう』とか『一 緒に寝よう』とか言って断られるならともかく、『お兄ちゃんと呼んでくれ』と言ってけ んもほろろに断られたんじゃ意気消沈しちゃいますよね」 「あっ、……」  確かに……。  黙り込んだ私を尻目に琥珀はてきぱきと片づけを始める。 「でもまあ、そう気になさらなくてもよろしいではないですか? 別にお二人は喧嘩なさっ たとかでは無いのですし」  それは、そうだけど。  でも、私は一つの決意をした。そう大した事ではないけれど。大した事では……。  居間で兄さんがぼんやりとしている。  見回すと琥珀も翡翠もいない。  ちょうど良い。  そうっと背後から近づこうとしたが、あと2,3歩の処で兄さんが振り向いてしまう。 「うん、どうした秋葉、忍び足で」 「……」  なんだってこういう時に限って目ざといというか勘が良いというか、間の悪い人……。  顔が見えなければと思ったのに。 「うん?」  ああ、顔が紅くなるのが分かる。  黙ったままの私に、兄さんが疑問符の浮かんだ顔をする。  や、やっぱりやめようかな。  でも、これくらいで兄さんが喜んでくれるんなら。いや兄さんではなくて。 「お兄ちゃん……」  言えた。わ、言っちゃった。  うわあ、恥ずかしい。  顔、真赤だと思う。声もかなり上ずっていた。  兄さん、どう思っただろう。  兄さんは……、呆然としている。  驚愕と言うか、信じられぬモノを見たような表情。  見るとぶるぶると震えている。 「お兄ちゃん」  あ、今度は少しは自然に言えたかな。  兄さんの顔が紅く染まっている。 「あ……、あ、きは。な、な、何を……」 「こう呼んで欲しいんじゃなかったんですか、お兄ちゃん?」  少し言い馴れた。  でも兄さんの方は、私が「お兄ちゃん」と呼ぶ度にショックを受けたような顔をする。  何か変かしら? 「そ、そうだよな。でも断られたと思ってたから……」 「良く考えたら、せっかくのお兄ちゃんのお願い事でしたから。変に意地になって断わっ てもいけないかなって。だから私、お兄ちゃんに」 「……もう、いい」 「え、もういいって」 「頼む、やめてくれ、秋葉。いつもの、兄さんでいい」 「? わ、わかりました。変だったかしら……」 「馬鹿、そんな事あるものか」  兄さんがダンとテーブルを叩く。 「え、は、はい」 「あ、ごめん、突然大声出して。あの、凄く嬉しいんだけど、秋葉にお兄ちゃんて呼ばれ ると、破壊力が強すぎるから、普段は兄さんでいい。いや、残念だけどお兄ちゃんはやめ てくれ、秋葉。これ以上続けたら……、俺は壊れる。」 「は……、はい」  良くは分からないけど。喜んではくれた……、んだろうか。 「嬉しかったぞ、秋葉。ああ、お兄ちゃんか。やっぱりいいよなあ」  言いながら兄さんは立ち上がり、拳を握り締めて意気揚々と部屋に戻ってしまった。  満面の笑みがちょっと嫌。  でもまあ、喜んでもらえたみたい。  何か兄さんの見ちゃいけない部分を覗き込んだような後悔が少し。  それと疲労感を覚えて、溜め息をついた。 「秋葉さま、凄い効果でしたねえ」  背後から琥珀の声。 「琥珀、いったいいつの間に」 「え、つい先程から。お二人がいたのでお茶でもお入れしようと思ったんですが、良い雰 囲気だったのでお邪魔しちゃいけないなあ……と」 「それで様子を伺って立ち聞きしていた訳?」 「違いますよう。たまたま聞こえてしまったんです。でも、聞いてて赤面しちゃいました」 「……」 「それにしてもあんなにお酒を呑んだ栗鼠みたいになった志貴さんを初めて見ました」 「そんなに喜んでた?」 「ここぞって時に『お兄ちゃん』て呼んでお願いしたら何でも言う事を聞いてくれそうな 感じですね。凄い武器を手に入れましたね、秋葉さま」 「別にそんなつもりじゃ……」 「よろしいじゃないですか。志貴さんもきっと今日は良い夢を見られるでしょうね」 琥珀はお茶を置いて戻ってしまった。  単に兄さんを喜ばせたかっただけなんだけど、まあ確かに思いがけない効果ね……。  でもちょっと引っ掛かるものがある。  妹か。  私って妹でしかないのかな……。  兄さんが望むなら何でもするけれど、それはもうお風呂でも添い寝でもスクール水着で も何でも、でも妹である事を強調しすぎるのも、されすぎるのも、何か割り切れない。  贅沢な想いだろうか。  ……。  まあ、お兄ちゃんと呼ぶくらいなら、また今度不意打ちしてみようかな。  もう遅いし、寝るとしよう。  おやすみなさい、お兄ちゃん……。 FIN ―――後書き  なんか得体の知れないSSに。  パソコンとかお兄ちゃんとか短く軽い一発ネタものにした方が良かったような。 「月姫祀」の帰り道に思いついてちょこちょこ書いてたもの捻くり回したんですけど。  何でこんなの思いついたのやら。  ちょっとネタ偏ってますねえ。  勢いで書き切れなくて間を置いたのでちょっと辛い。  ちょっとメタフィクションに持ってこうとして止めたり。  こんなの書いといて何ですが、個人的には実妹持ちな為に妹キャラに萌えるという感覚 が理解不能な人間なんで、「お兄ちゃん」て言葉の真の力は分からないんですよね、残念 ながら。そんな人間でも転がりそうになるんだから凄いですよ、妹スレ。そしてそんな妹 属性無い人間を制圧した秋葉も凄いと思います。 BY しにを(01/10/21) 参考文献。「From dust till dawn」beaker様の日記と妄想選手権参加作品群、2chエロゲ ネタ板の妹スレと関連スレ。
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