地上最強の生物

作:しにを



 何かが激しくぶつかり合う音。  何かが風を切る音。  何かが地面に叩きつけられる音。  何かが軋む音。  何かがぐしゃりという嫌な音と共に呻く音。  何かが苦痛に満ちた声を洩らす音。  聞いていて背筋が寒くなるような音だった。  何かが……、いや正体は知っている。シエル先輩かそれとも……。  向こう側での音が止み、恐る恐る顔を覗かせようとした時。  建物の角からアルクェイドが現れた。  服はかなり土や血らしい染みがつき、僅かに疲労の色が見える。  だが、見たところ目立った外傷など存在せず、二本の脚で平然と歩いている。 「アルクェイド」 「あ、志貴。終わったよ」  俺の顔を見てアルクェイドはにこりと笑う。  俺が手にした救急箱を目にして言う。 「はやく行ったほうがいいよ」 「と言う事はおまえの勝ちか」  だが、アルクェイドはやや苦笑混じりに顔を振る。 「わたしの負け。だからいいよ、敗者はひとりで顔でも洗ってくるから……」 「おまえは怪我とかないのか?」 「怪我? わたしが? あ、でも心配してくれるのは嬉しいな。平気だよ」  無事を証明するように軽快に走り去ってしまう。  まあ、大丈夫そうだな。  俺はまた、歩き始めた。  裏庭の一角。 「うわあ、凄いな、これは……」  思わず声が洩れる。  地面にはぼこぼこと穴や裂け目があり、真っ二つになった大きな石や折れた木の枝が転 がっている。  何も無い空き地であるここでこんな惨状だとすると、何かあった場合にはどんな惨状が 生まれ……。  いや、今はそんな事を考えてる場合じゃない。 「先輩、シエル先輩……」  俺は中央で立ち尽くしている勝者に声を掛けた。  両手をぶらりと前に垂らし、首もかくんと前に傾いている。  しかしそれでいながら、足は大地を踏みしめている。  何より身にまとったその闘気。  意識を失っているようにも見えて、なお近寄りがたい気を発している。 「……遠野くん?」  顔が上がる。 「先輩……、大丈夫?」 「勝ちましたよ。愛の力です」  答えになっていないが、その光溢れる目を見れば、まあ平気だろうとわかりほっとする。  先輩はニ、三歩こちらに歩いて来て、がくりと膝を崩しそうになる。  慌てて走りよって、力の抜けかけたシエル先輩の体を抱きとめる。  柔らかいな。  こんな時なのに、そんな事をちらと想ってしまった。 「すみません、ちょっとダメージが残っていたみたい。あ、遠野くんの服が汚れちゃう」 「そんなのどうでもいいって。いいから、ちょっと木陰でも行こう。  草の上で悪いけど、ちょっと休んだ方がいいよ」 「はい……」  屋敷の中に入れたほうがいいのだけど、今はアルクェイドがいる筈だし、こういう姿を 秋葉たちに見られるのをあまりシエル先輩は好まない。  肩を貸して、ゆっくりと目的地に向かう。  そっとシエル先輩の体を下ろした。  ぺたんと座り込んだシエル先輩。  上半身を俺に預けてじっとしている。 「一応、救急箱あるけど……」 「いえ、大丈夫ですよ。でもありがとう、遠野くん」  さっきのアルクェイドみたいな台詞で返される。  確かに、みるみる疲労した顔が血色を取り戻し、手首の痣や割れた爪が元通りの綺麗な 指先に戻る。  きっと衣服の下や、体内の骨や内臓レベルまで、急激に回復しているのだろう。  既に再生機能は無いけれど、さすがに教会の秘儀とやらで常人とは違う。   「痛みがほぼ……。あ、眼鏡忘れてました」 「ああ、あるよ。拾っておいた」 「重ね重ね、すみませんね」  壁の隅に置かれていた眼鏡と袋入りのカレーパンを渡す。  シエル先輩は汚れを拭うと眼鏡をかけた。  そして何やらごそごそと。  びりびり。  もしゃ、もしゃ。  って食べてるのかい。 「あの、先輩?」 「あ、欲しいですか。うーん、遠野くんですから、四分の一、いえ思い切って三分の一な らあげますよ」 「いえ、遠慮します。そんなの食べて平気なの?」 「そんなのとは何ですか。体を内側から治す特効薬じゃないですか。ついでに勝利の美酒 の代わりですね」 「……」  ともかく心配はないようだ。  幸せそうな先輩を横目で見る。   「ところでさ、先輩」 「はい」 「先輩とアルクェイドって、その変な質問だけど素手だと……、いやこれだと少し意味が 違うか。人間レベルで戦ったら……、これも語弊があるな。えと……」 「武器はもちろん、魔法とか特殊能力を抜きにして、って言いたいんですか? 要するに 普通の格闘技レベル」 「そうそれ。それだとどっちが強いの? 今はシエル先輩が勝ったんだよね」 「条件付ならば互角ですかね」 「条件付?」 「アルクェイドが本気を出さなければ」 「えっ?」  それはおかしい。  力をセーブしてなんて事するなら、どっちが強いなんて事に意味がないじゃないか。 「不思議そうな顔をしていますね」 「だってそれってアルクェイドの方が強いって事じゃないの?」 「ええ。でも今みたいに勝負するのなら、互角になります。現にさっきもアルクェイドが 負けてわたしが勝ちました」 「ああ、それも不思議で。負けた方が立って歩いていて、先輩が燃え尽きそうになってた じゃないか」 「でも勝負が決した瞬間には倒れていたのは彼女で立っていたのはわたしでしたよ。  人間とアルクェイドが戦うとしたら一定のルールの中でしか出来ないんです。遠野くん と知り合う前、何度か彼女と戦うというか殺し合いをしましたけどね、その時だってお互 いに本気じゃない……、いや総力戦ではありませんでした」  いつものシエル先輩とは違う硬化した話し方。  昔の事を話すときはよくこんな感じになる。  何度も断片的に二人から聞いているが、殺し合いという言葉にはドキリとさせられる。 「彼女は完全にキレて暴走するのを、自分でも恐れていますし」 「何で?」 「理性の拘束がなくなった時を悔いているから、彼女はロアを追い求めていたんです。無 制限に力を振るって辺りに血臭が満ちている時、乾いた吸血鬼がまだ死にきれない人間を 見つけたら……、本能は何を命じると思います?」 「なるほど」 「わたしも本当にアルクェイドを殺そうとするなら、第七聖典はもちろん教会の秘儀をあ りったけ用いて、綿密な罠を仕掛けて、後は神の御加護を期待して勝負をしたでしょうけ ど、そこまで及んだ事はありません」  第七聖典か。一度あれで殺されかけたっけ。  無骨な兵器って感じの武器。  気が狂いそうな胸の痛みが少し甦る。  アルクェイドにすら使われなかった最終兵器を、俺は向けられた訳か。うーむ。 「それにですね、今は抑止力がありますから」 「抑止力?」 「遠野くんですよ」 「俺?」 「ええ。アルクェイドをボロ屑みたいにボロボロにしたわたしを、あるいはわたしを再起 不能なまでに壊したアルクェイドを遠野くんは許してくれないでしょう。  だから自然とルールが出来ているんです。どこまで力を使っていいか、どこまでで勝敗 が決するのか」 「へえ。見境なくやってるのかと思ってた」 「そういう事もありますけどね。でも本気でわたしとアルクェイドが暴れたらここのお屋 敷は何回も全壊してると思いますよ。よっぽど秋葉さんの方が後先考えないで力を振るっ てますね」 「そうだな……」  まあ、自分の家だし。  でも秋葉を怒らせるのはアルクェイドか先輩な、まあいいか。 「もっとも争いは遠野くんが原因となっている訳で、きっぱりとアルクェイドや秋葉さん をはね除けてわたしだけを見てくれればもっと平穏だと思いますけどね」 「……」 「最近勝ちにくくなっていますしねー」 「そうなの?」 「ええ。基本的にわたしは身体上の能力は常人を遥かに凌駕していますけど、アルクェイ ドはさらにずっと上を行っている訳です。それを何とか埋めているのは人間の叡智です」 「叡智? あまりこういう時に出てくる言葉じゃないね」 「いえいえ。確かに身体技能は重要ですが、格闘技の技術と言うのはそれを伸ばし、例え 自分より勝っている者でも倒せるようにと編み出されているんですから。世界のあらゆる 地域に歴史の長短はあれども固有の武術が生まれて、幾つかは研鑚を加えて今に残ってい るんです。日本なんて凄いじゃないですか」 「まあ、そうだな。俺も自覚はないけど七夜の暗殺術が動きのベースになっているし」 「そうです。けど、アルクェイドはそんなもの何にも知りません。少なくとも習った事も 修練した事もありません」 「そうだよな」 「ええ。虎は虎であるだけで強く、獅子は獅子であるという事実故に他を圧するのです。 速く、力があり、耐久力もある。打たれ強くどんなダメージを受けてもけろりとしている。 反則ですね」 「そうだなあ。あの時も……」  アルクェイドと敵として対峙した時の恐怖と、圧倒的な力を前にした時の無力さを思い 出す。  あれには勝てない。 「でも変な話、アルクェイドは戦いについては経験がありますが、未熟なんです」 「未熟?」 「ええ、誰よりも速く拳を振るい、一度掴んだら相手を引きちぎる。そういう破壊力の比 べっこならいいですけど、相手の動きを如何にして読むか、どう利用するか、相手の間隙 を如何につくか、いやどう隙を作り出すか。そういう技術に欠けています。彼女には必要 ないですから」 「ふうん」 「例えば、ボクシングを例にしてみましょう。一定の狭いスペースでの両手しか攻撃手段 を持たぬ限定の戦い」    先輩が立ち上がり、すっとファイティングポーズを取る。  凄く決まった、変に力まず、力の抜け方が素人の俺にもわかる形……、もう回復? 「遠野くんも。試しに思い切り打ってみて下さい」  ちょっと興味を引いたので従う。  それらしい格好をして間合いを取る。  先輩は足を止めて動かない。眼だけがこちらを見ている。  よし、軽くフェイントを加えて左。    え。  拳を突き出した瞬間、いや出そうとした瞬間に先輩の体が動いた。  前に踏み出した俺の前に、先輩の拳が迫り……。  悲鳴を上げかけたところでピタリと止まった。  当たっていたら一撃でぐしゃりと顔が潰れていただろう。 「こんなカウンターですとか、こういう……」  すっと先輩の構えが変わる。  ガードしていた片手が胸の前から横腹辺りに下ろされる。  ヒットマンスタイル。  びゅっ。  顔を掠めそうな一撃。 「うわっ」    見えない。  右、左。  破壊力よりもスピードを重視した手数を主眼としたフリッカージャブ。  しかし振るっているのがシエル先輩だ。  スピードも尋常でなければ、破壊力もきっと桁外れだ。  この空気がひしゃげそうな音。  体を揺すり、変則的に腕が伸びる。  どこからどう拳が迫るのかがまったくわからない。 「単純に見える戦いでも人は無数に技術を生み出しているんです。まして素手でありさえ すれば良いフリーファイトであれば、腕の取り合い、捌き方、相手の攻撃を無効にしてこ ちらが優位に立つ技術は多数存在しています」 「じゃあなんでアルクェイドが強くなるの。そういうの知らないんだろ?」 「順応しちゃうんですよ。昨日決まったフェイントが見破られる。こうやって手首を取ら れた時に後ろへ逃れるとむしろ思うツボだとか覚えて別な逃げ方をする。それに見よう見 まねでこっちの技使ったりするんですよ」 「それは怖いな」 「今まではそんなもの必要なかったし、勝つだけなら今も必要ないんですけど、私が彼女 のスキルアップに貢献しているのは確かですね。不本意ですが……」 「何? わたしの陰口?  せっかくお茶いれるからって二人を呼びに来たのに」  アルクェイド、いつの間に。  むうと口を尖らせている。 「別にあなたの悪口なんて言いませんよ」 「本当に?」 「ええ、だってわたしがあなたについて話すのは全て真実で……」 「アルクェイドって強いよなって話をしていたんだ」  先輩の喧嘩を売ってるような言葉に割り込んだ。  アルクェイドの興味がこっちに向く。 「わたし? それはそうだよ」 「随分自信満々だな」 「だって、その為にわたしつくられたんだもの」  ……。  これは、ちょっと胸に響く。  別に含むものの無い当たり前の事実を述べた口調なだけに。  にこにことしたアルクェイドの笑顔を黙って見つめてしまう。  横で先輩も何か言葉に詰まった顔をしている。 「え、どうしたの、二人共」  黙ってしまった俺と先輩にアルクェイドは首を傾げる。 「いや、何でもない、な、シエル先輩」 「ええ。行きましょう、琥珀さんがお茶の準備をしてくれているんでしょう?」 「そうだな、皆でお茶にしよう。先輩もアルクェイドも一緒にさ」  うん、とアルクェイドが頷く。  ちょっぴり嬉しそうに笑う。 「じゃ、先に言ってるね」 「おい、別に……、行っちゃった」 「遠野くんの獲得権を勝ち取りましたからね。遠慮しているんでしょう」 「なんでアルクェイドがそんな地上最強なんだろうな」 「そうですね。でも遠野くんのおかげで楽しそうですから」 「うん……」 「さ、行きましょう。秋葉さん達も待ってますよ、きっと」 「そうだな、今は楽しく過ごそうか。アルクェイドも先輩も秋葉たちも一緒にな」  先輩はちょっぴり複雑な顔で、それでも笑みを浮かべて頷いてくれた。  そして二人してお茶会の場へと向かった。       《FIN》 ―――あとがき  もともとは『天抜き』用だったのですが、どうやっても二十行以上になるので、逆に膨 らませてみました。  なんで最後の方はしんみりしてしまう?  もっと馬鹿な方向に走ればよかったかな。  一応シエル先輩誕生日おめでとう記念。どこが?   by しにを (2002/5/4)
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