まだ夕食の時間にならないのかなと思って時計を見ると、いつもであればと うの昔に翡翠が呼びに来る時間を過ぎていた。  どうしたのかなあと思いつつ部屋を出て下へ向かう。 「琥珀さん、ご飯まだなの?」 「あ、志貴さん、すみません。夕飯の支度はだいたい済んでいるのですが、秋 葉さまのお帰りが遅れているようで。  お先にお召し上がりになりますか?」 「そう言えば生徒会の会議だかで遅くなるとか言ってたっけ。さっきチョコ食 べたし、秋葉の帰りを待つよ。  どうせなら一緒に食べたいしね」 「そうですか。その方が秋葉さまも喜ばれますよ」 「ところで、それって何?」  居間のテーブルに山と積まれているそれ。  琥珀さんと翡翠で、郵送物や宅急便の箱や袋からせっせとそれを取り出して いる。  それは小さな小箱を色とりどりの包装紙やリボンで……。 「チョコレートだよね」  琥珀さんが答える前に自分で正解を口にする。  そうか、本人に贈るのが恥かしいから俺の家に送りつけてくるとは……、い や、それはないな。 「ああ、志貴さんにも届いてますよ」  はい、とけっこう大きな包みを一つ渡してくれる。  差出人は書いていない。 「誰から?」 「有間の方から志貴さまにと」  黙々と何かしていた翡翠が顔を上げて答える。  早速開けてみると啓子さんと都古の連名のカードが入っていた。 「去年までの数少ないチョコくれた女性陣だったからなあ」  ちょっと遠方に向け伏し拝む格好をする。 「じゃあ、そっちは秋葉に、か」 「ええ」  感心した様子で琥珀さんもその山を見つめる。  ここまで多いと確かに感心するしかない。 「女子校だものなあ」  多分に偏見に満ちた台詞を吐く。 「一応、点検の為開封して、包装紙の方に贈り主の方の名前をメモっていたん ですよ」 「そうか」 「ただいま」  秋葉が戻ってきた。  どこか疲れた表情。  手に大きな手提げ袋を持っている。  溜息などつきながら居間に入っ来てて、俺と顔を合わすと、何故か驚いた顔 をする。 「に、に、兄さん、いらっしゃったんですか」 「ああ。秋葉を待っていたんだ」 「そ、そうですよね。もう夕食の時間ですものね」  どことなく俺に対しておもねる様な物言い。珍しいな。  さりげなく手にしていた手提げをそうっと後ろ手に隠してしまう。  そのまま後退りしかけた処に、声をかけた。 「秋葉」 「な、なんですか、兄さん」 「いや、凄い数だな、チョコレート。けっこう人気あるんだなあ、秋葉って」 「な、なんでそれを……、ああっ」  びっくりした顔で俺を見て、ついでテーブルの山に気づいたのか、呻き声を 出す。 「どうしたんだ、変だぞ。あ、手に持ってるのもチョコか。全部合わせると大 したものだなあ」  あらためて感心する。  ちょっととは言え俺も貰っていたから良いけど、そうでなければかなり落ち 込みそうな光景ではある。  しかし秋葉は恥かしいものを見られた様に真っ赤になる。 「違うんです、これは。私はそんな。断じて私にはそんな趣味は……」 「何を慌ててるんだ? 女の子でも運動部のキャプテンとかやってると後輩の 子からチョコ貰ったりするけど、秋葉もけっこう慕われてるんだな。ちょっぴ り安心したぞ」 「え、ええ、まあ。兄さん変な事考えたりしてませんよね?」 「……変な事ってなんだよ? 別におかしい事もないだろう」 「そうですよね。ええ、何でもありませんわ。……そうか、今は寮じゃないか ら直接こちらに送るってケースもある訳か。うかつだったわ」  そう言いながら、既に開封済みの物とまだ選別前の物を次々に手にとって頷 いたり難しい顔をしたりしている。  よくはわからないが、何か秋葉の中で解決は図れたらしい。 「あれ、瀬尾からだ。なんでわざわざ自宅に。さっきまで生徒会の仕事とかで 一緒だったのに」  書類送付用封筒を手にして秋葉は呟く。  アキラちゃんからも来たのか。  首を捻りながら秋葉は引っくり返す。   「遠野志貴様か、なんだ、兄さんにか……」  秋葉の動きが一瞬止まって、そして何事もなかった様にアキラちゃんのチョ コを手提げ袋の奥底にしまい込もうとする。 「ちょっと待て、秋葉、それ俺宛だろう」 「気のせいですよ」 「気のせいなものか。返せ」 「きっと瀬尾が直接私宛に出すのが恥かしくて兄さんの名を」 「あ・き・は」  しぶしぶ秋葉はチョコを俺に渡した。  そうかアキラちゃんも用意してくれたのか、嬉しいなあ。 「アキラちゃんもくれるとは思わなかった。嬉しいな。後でお礼は言うけど、 秋葉からも学校ででも会ったら俺が喜んでたって伝えといてよ」  それを聞いて秋葉の眉が吊り上る。 「瀬尾から貰ってそんなに嬉しいのですか、兄さん」 「当たり前だろう」  あれ、秋葉が不機嫌な顔を。  自分はあれだけ貰っておいて、人が貰うの見て文句つける気なのか? 「ふーん、瀬尾から貰って嬉しいのか、そうですか。それは良かったですね」  ちっとも良かったと思えない言い方。   「良かったよ。今年は凄いなあ。シエル先輩に翡翠に琥珀さん、都古にアキラ ちゃん。5個もちゃんとしたチョコレート貰えるなんて思ってもみなかったよ」  しみじみと述懐。  往年を思うと夢のようだ。 「5個……?」 「凄いだろ。いや、秋葉から見れば大した事ないかもしれないけど、本当に嬉 し……」 「5個ですって?」 「ああ。義理チョコ位は貰ったけど、去年なんかも1つも。いや、宛名が無い チョコが一つだけ机に入っていたっけ。  遠野くんへってカードがあったから悪戯じゃないだろうけど、あれは誰……」 「何故です。何で兄さんが他の女子からチョコを貰えないんです」  秋葉の言葉に遮られる。  どうしたって言うんだ?  あっけに取られて秋葉の顔をまじまじと見つめる。  いったい何が逆鱗に触れたのか、秋葉はさっきより怒りを露わにしている。 「どこに目をつけているんです、兄さんの周りの女は。いえ、悪い虫はいない にこした事はないけど、兄さんがそんな屈辱を味わっていたなんて」  屈辱って。  いや、そうだけど。  そうきっぱり言い切られると惨めな気分が……。 「秋葉さまも複雑ですねえ。志貴さまが山とチョコレート持ち帰られたら、そ れはそれで心穏やかでなかったでしょうけど」  琥珀さんがそっと小声で囁く。  ううむ、今ひとつぴんと来ない。 「なんで兄さんに……、わからないわ」 「うーん、志貴さんにチョコレート渡すのって確かに勇気がいりますからね」  琥珀さんのその台詞、似た様な事をシエル先輩にも言われたっけ。 「そんなに俺って怖いかな?」  その俺の何気ない言葉に、琥珀さんのみならず秋葉と翡翠もまじまじと俺の 顔を見つめる。  沈黙。 「そうね……」  どこか不思議な目で秋葉は呟いた。 「確かに普通の子では兄さんには……」  その先は言って貰えなかった。 「では兄さん、真打の登場です」  気を取り直したように秋葉が宣言する。  秋葉は今度は鞄から細長い包みを取り出した。 「本当は手作りしたかったのですが、時間が無くて」 「秋葉からも貰えるのか。ありがとう。いいよ、忙しい中で秋葉が選んでくれ たってだけでもありがたいよ」 「選んだ? いえいえオーダーメイドですよ。ちゃんと本場で修業した菓子職 人を雇って作らせました」  うわあ。  おまえ、何処のお大尽様だよ。 「そうか、何と言っていいかわからないけど、ありがとう」  早速中身を見てみる。  楕円形のチョコが並んでいる。  蓋を開けただけで何ともいえない香りが漂う。  甘い、そして嗅ぐとくらっとくるような芳醇……、ああ、洋酒の香りだな。  手にとって口に放り込む。  滑らかな舌触りのチョコ、噛むとお酒が、いやそのままでなくてお酒を含ん だ柔らかい何かが口に広がる。  美味しいと言えば美味しいのだけど、それより何か凄いものを食べたという 感じが残る。  味もさる事ながら、馥郁たる様が味わったことのない感覚を呼び起こす。 「この香り、秋葉さま、もしかしてあれを」  琥珀さんが呟く。  もう一つ食べてみる。  チョコじゃないみたい。  自分だけ味わうのがもったいなくて、秋葉達にも箱を差し出す。   「やっぱり。秋葉さま開けてしまわれたのですね……」  何か長ったらしいフランス語か何かの名前を琥珀さんは口にした。 「ええ。兄さんに食べて貰うチョコですから」  無い胸を張る様に秋葉が言う。 「なあ、翡翠。今のってこのチョコに入ったブランデーか何かのお酒の話かな」 「そうです。槙久様の大事になされていたコレクションの一品でした」 「何か貴重そうな感じだけど、何万円とかするものなのかな」  翡翠はちょっと上を向いて考え込む。  そしてためらいがちに問いに答えた。 「良くは存じ上げませんが」 「うん。だいたいで良いよ」 「多分桁が二つほど違うかと思います」 「ええっ」  驚いてまじまじと手にしたチョコを見つめる。  そりゃこれにン百万が全部入っている訳でもないだろうけど。  手が震えている。 「残りはどうなされたのです?」 「私の部屋にあるわよ。眠れない夜にナイトキャップにしようかと思って」  いわくのある品なのか、琥珀は心なしか動揺した口調で秋葉に問い、秋葉も いつになく琥珀の視線から顔を逸らすようにしている。  まあ、飾っておくために作られたお酒じゃないのだろうから、死蔵したまま より生きた人間が味わった方が良い のだろうけど、これ一個で学食での食何回分くらいにはなるのだろう。  そう考えると複雑な気分だ。  ちょっと次の一個をすぐに食べるのがためらわれ、アキラちゃんのチョコも 確認する。  破かない様に包みを開けて、と。  へえ、アルファベットを型取ったチョコが並んでいる。  A、K、I、R、Aの5文字。  これ、自分の名前並べると「私を食べて下さい」の意味だとか聞いた事があ ったような無いような……。  いやいや、まさかね。  Aを取り上げてぽりぽりと齧る。  うん、少し甘ったるい位のミルクチョコレート。こういう普通のもこれはこ れで良い。  ほっとするなあ。 「ああ、兄さん、なんで私のを差し置いて瀬尾の何なんか食べているんですか」 「あんなのぱくぱく食べられるか。大事に食べるよ、ゆっくりと」 「そう言う事でしたら……」 「じゃあ、まとまったところでお夕飯に致しましょう」 「着替えがまだだったわ。兄さん、すぐに参りますから」                ◇   ◇   ◇  夕食をすませてしばらく皆で話し込んだ後、また部屋でベッドの上でごろご ろしていた。  チョコの箱を並べて、ちょっとにやりとしたりして眺める。  なんだかんだでこんなに貰えるとは。  やっぱり嬉しいものだな。  その時だった。  ぞわりと背筋に寒気が走った。  それと同時に窓ががたがたと音をたてる。 「な、なんだ」  目をやるが特に何も無い。 「風かな?」  そう呟いた時。  ぽっと小さな明かりが二つ。  え、何だ。  すーっと窓が開いた。  そして影が部屋へと侵入する。  悲鳴が洩れそうになる。 「え、ああ、アルクェイドか。脅かすな」  それはアルクェイドだった。  しかしいつもと様子が違う。  戦闘状態の様な鬼気を伴って立っている。 「うかつだったわ」  苦い口調。 「どうした、まさか死徒が」  アルクェイドはそんな些細な事どうでもよいと言う風に、首を左右に振る。  ではどんな非常事が……。  我知らず緊張感が高まる。   「こんな呪法が公然と行われているなんて。気づくのが遅ければ間に合わない 処だった」 「呪法?」 「志貴、それもう食べたの?」 「それって……、チョコの事か? ああ、一通りは。何かまずいのか?」 「見たところ手遅れじゃないわね、まだ」  なにかはなはだ物騒な事態のようだ。 「いいわ。これで全て塗り替えてみせる」  すっとアルクェイドが差し出したものを受け取る。  これは……。  えーと、板チョコ。わりと何処でも見かける大手菓子メーカーのやつ。  なんだろう、これは。  一見こんな外観だけど、何か凄まじい力が? 「アルクェイド、何、これ」 「いいから食べて」 「あ、ああ」  もう歯を磨いたんだけどなあ。  アルクェイドの迫力に押されて銀紙を開ける。  ばきり、もぐもぐ、ごくん。 「食べたよ」 「うん。じゃ……」 「……」 「あれ、どうしたの志貴?」 「どうしたって、それはこっちが聞きたいよ。何が起こるんだ、いったい」 「変だなあ、何も感じない?」 「……特に変化はないけど」 「今日チョコレート食べさせるとその人の事を魅縛出来るんだよね」 「え?」 「だから、志貴は私のチョコレート食べたんだから、私のものなの」  勝ち誇ったようにふんぞり返った姿。  中指を立てたポーズが決まりそうな雰囲気。   「何だ、それは」 「だってマンガとか本とかにいっぱいあったよ。2月14日は日本中で呪法が 行われてるんでしょ。チョコレートに呪いをかけて好きな男の人に渡して、男 の人はそれを食べたら、術者に従うという儀式が無数に行われてて。  心を奪うとか魂を虜にとか、恐ろしい語句が並んでるからびっくりしちゃっ た。 日本てそんな魔法とか呪法が氾濫している処じゃないと思っていたのに。  私はこんな事したくないけど、どうせシエルあたりから無理矢理チョコレー ト食べさせられてるだろうから、せめて私が食べさせて私のものにしようかな って。志貴の事ずっと想って、好きだって念じてたチョコだから、効き目は高 い筈。それにもうすぐ14日も終わるから、これさえ過ぎれば安心だわ」  自信満々に言うアルクェイドの言葉に水を刺す。 「おまえ、それ何かいろいろ間違っている」 「ええっ、何で」 「うーん。……明日でもゆっくり教えてやるよ。今日はもう寝るから」  急に疑問符でいっぱいになっているアルクェイド。  説明すると長くなりそうだから、今日はお引取り頂きたい。 「う、うん。じゃシエルにも妹にもおかしな事されてないんだね」 「ああ」 「なら、いいけど」 「おまえも安心して戻っていいぞ」 「うん。じゃあ、おやすみ。志貴」 「おやすみ、アルクェイド。チョコレートありがとうな、一応俺の事心配して 来てくれたみたいだし、それはそれ で嬉しかったぞ」 「えへへ」  ちょっと納得いかない顔をしていたのが、一転して破顔一笑といった按配に 変わる。  こういう処は素直に可愛いよな、こいつ。  じゃあねと手をひらひらさせて、すっとアルクェイドはまた窓から消えてい った。 「やれやれ」  歯を磨いて寝るか。  そう思いながら窓を閉めた。                  ◇   ◇   ◇  ・  ・  ・  あれ、なんでこんな処にいるんだろう?     一面に広がる裸麦のさざなみ。  雲が低く低くたれこめた広大な空。  見えるのはそれだけ。  それと部屋にあった筈のベッド。  非常にシュール極まりない。    当惑していると、ふと一人でないことに気がついた。 「やあ、レン。その姿では久しぶりだね」  コクリ。  黒ずくめにリボンが可愛い少女。  普段は猫の姿でしか現れないが、時折夢の中でこの姿で会う事がある。 「と言う事は、これも夢の中か」  コクリ。  レンが手を引っ張る。 「うん? なんだい」  とん、とベッドから降りて屈み込み、レンと目線を同じにする。  レンが小さな何かをそっと前に出す。  レンの髪と同じ色の細いリボンがつけられた紙箱。    ――あげる  そういう小さな声が聞こえた気がした。 「俺に? あ、もしかしてチョコレートかな」  コクリ。  レンの見守る中、包みを開ける。  中には猫の形のチョコレートが幾つも入っていた。  なんだかそのセンスは微笑ましくも可愛らしい。 「ありがとう、レン」  頭を撫ぜてやる。  あ、嬉しそう。  しばらくそうしていたら、レンはすうっと消えてしまった。  一人取り残され、黒猫のチョコを手にして口に放り込む。  何とはなくほんわかとした暖かい気持ちになった。 「でも、ずっとここにいなくちゃならないのかな?」  まあ、いいか。  ベッドの上に仰向けに寝転ぶ。  空が見える。  凄いシチュエーションだなあ。  とりあえず眠気はそのままだし、眠ろう。  起きれば、本当に起きられるだろう。  夢の中でまた眠るというのも変な感じだけど。  目を閉じた。  今日は良い一日だったなあ。  幸せな気持ちで聖バレンタインデーの一日を終えるのだった。  おやすみなさい。 「ホワイトデーが楽しみですねえ、遠野くん」 「私たちの手作りって処にどれだけ志貴さんが価値をつけたか興味あるよね、 翡翠ちゃん。普通は三倍返しとか言うそうですけど」 「私は……、でも……」 「お返しにデートのお誘いくらいあっても罰は当たらないですよね、兄さん」 「そうか、一月後に志貴から代わりのものをもらって、それでこの呪詛は完成 するのね、なるほど」 「にゃあ」  ……等とそこかしこで思惑が膨らんでいた事など知る由も無し。  先の事なんか考えも及ばなかった。  幸せな気分に浸っていて、一月後に何が待っているのかなど、まったく気が ついていなかったのだった。  《つづく》 かは未定……。 ――あとがき  はい、二月の定番行事バレンタインデーでのSSです。  もともとTOPページでやってるようなショートのお話というか会話ネタを 幾つも羅列する形にしようと思って いたのですが(『天抜き VD』とかタイトルつけて)結局、塊を串団子の如 く並べてくっつけて一つにしてしま いました。  だから構成はちょっと難ありますね。やっぱり分割した方が良かったか。  またはメインキャラ全部出す総花式にしないで遠野家のみに絞るとか。  との言い訳がましい作品ですが、楽しんでいただけたら幸いです。    BY しにを  2002.2.13   


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