やくそく

作:しにを



―――そうして、正面から秋葉の体を抱きしめた。  不思議そうに首をかしげる秋葉。  秋葉は嬉しそうに抱きかえして―――俺の首筋にガチリと歯をつきつけた。  秋葉はヒトのカタチをしたケモノと変わらない。  秋葉は離れない。  秋葉はただ一心不乱に噛みついてくる。  抱きしめたまま、秋葉の『線』にナイフを当てる。  ―――ナイフは音もなく、   恐らくは傷みさえなく、   優しく秋葉の命を止めた。  紅葉が散っていく。  或る一つの出来事が、終わった。  ・  ・  ・  ・  ・  月の下で意識が揺らぐ。  体が冷たい。  なんで、こんな事になってしまったのだろう。  秋葉が、自分が何をしたというのだろう。  望まぬ姿になって、己を喪失して、ヒトでなくなる。  ヒトとは異質な、忌避されるべき危険な存在になってしまう。  そうなったら、生きていてはいけないのだろうか。  この選択しかなかったのだろうか。  ・  ・  ・  ?  何かが、頭をかすめた。  何か大事な、忘れてはいけなかった事。  何か痛みにも似た一瞬の。  知らず独り言がもれる。 「でも、今度は約束を守れたよ…」  誰にとも無く呟く。  誰にとも無く?  今度は?  ・  ・  ・  閃光のように一つの名前が現れた。  そうだ、何故忘れていたのだろう。  ほんの数日前の事だったというのに。  あれほど心と体が痛んだというのに。  いや、分かっている。  今ならばわかる。  秋葉との運命の果てに、或る終局を予感させられたから。  忘れたのではなく。  だから、彼女の事を思い出さなかったのだ。  弓塚さつき。  なんて、なんて、似ているのだろう。  鈍感で気の回らない遠野志貴なんかの事を、ずっと一途に想っていてくれた少女。  何をするでもなく、ただ隣にいるというだけで喜んでくれた少女。  望まずして、ヒトとは違ったモノに転じた少女。  人の血を求める少女。  まったく逆では合ったけれど一方的に交わされた約束。 「ピンチの時は助けてね、遠野くん」 「約束してください。もし私が変わってしまったら、貴方の手で殺してくれるって」  助けたくとも、助ける術は遠野志貴にはなく。  ただ、手にした刃と、常ならざる『線』を見る目しかなく……。  抱きしめ、自分の血肉を啜ろうとする少女を……。  救うと言い換えた破壊・殺害・消去。  …………同じ結末―――死。 「うん、そんなトコ、誰よりも好きだった。  中学校からずっと遠野くんだけを見てたから――― そんな誰も知らないことだって、 わたしはお見通しだったんだから」 「秋葉は兄さんが帰ってきてくれただけで、ほんとはものすごく嬉しいんです。  ……それを、わずかでもいいですから覚えておいてください」  弓塚さんと秋葉の姿が浮かんで消える。  ごめん、弓塚さん。  ごめん、秋葉。  どれだけ謝っても足りない。二人が許してくれたとしても、足りはしない。  何より遠野志貴が自分自身を許せない。  でも。  それでも、正しい事をしたのだと思わなければならない。  増えた傷痕がふさがる事無く、絶えず血を流し続けながらも、後悔をしてはいけない。  それでは、あまりに二人が哀れだから。  それでは、あまりに遠野志貴が哀れだから。  秋葉の為に、そして弓塚さんの為に、知らないうちにまた涙が流れていた。  視界が柔らかくぼやけて、雫が頬を滴るのを感じる。  月は煌としつつも、深く深く昏く昏く、紅葉散る中でいつまでも。  そうしたまま、去る事など考えもせず、佇んでいた。  いつまでも。  そう、いつまでも。  《了》 ―――――後書き  ええと、秋葉ファンの方、すみません。  余韻あるエンドを捻じ曲げてしまいました。個人的にはトゥルーエンドと思っている位 好きなんですが。(本来のトゥルーエンドは歌月込みでグッドエンド扱いという事で)  あと、弓塚さんファンの方、すみません。 「さっちん出てこないじゃないか」まったくです。さっちん祭りなのに。  最初は台詞すら無かったんで、あんまりだと思って加えたんですけど。  さっちんとの結末を迎えた時は、あんなに衝撃を受けているのに、中盤からわりとあっ さり消え去っているのが、不満といえば不満だったので、こういう話を創ってみました。  これ書くのに、「暗黒唇痕」とかも含めていろいろやり直してみたのですが、今更なが ら引き込まれました。「志貴くん」という呼び方が、ナイフを刺してから「遠野くん」に 変わる処なぞ、深読みかもしれませんが、「うわあ、切ない。絶妙」と感銘受けたりとか。 by しにを(01/7/21)  
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