指ヲ弄ブ


  作:しにを

 


 穏やかに日が射す午後。
 外へ出ればそよぐ風が心地良いだろう。

 だが、二人がいるのは仄かに薄暗い部屋の中。
 閉ざされた部屋では、空気もまた停滞する。
 
 翡翠は、志貴の指を舐めていた。
 ベッドに浅く腰掛けた志貴の手を取り、伸ばした人差し指にゆっくりと舌を
這わせていた。
 唇は触れていない。
 小さな舌だけが動いていた。
 さっきまでは爪の先だけをちろちろと丹念に舐めていたが、今は爪全体に舐
めた跡を残していく動きに変わっている。
 指の腹と関節までを、舌先でくすぐり、擦り上げる。
 舌の側面の僅かに硬い部分で指を蛇行させる。

 僅かに息が洩れて、志貴の指を撫でる。
 どうしようもなく舌を伝うに唾液が、指先を濡れ光らせていく。

 最後にぺろりと猫のように舌を動かし、翡翠は僅かに腰を曲げた姿勢を正す。
 顔を上げて背筋をぴんと伸ばした、いつもの姿。
 ハンカチを取り出し、志貴の指を拭おうとする。
 唾液塗れの指を拭おうとする。

「翡翠……」

 主人の声に、視線を向ける。
 問い掛けるような眼で、命じる言葉を待つ。

「もう終わりなの?」
「はい。まだ仕事が残っております」

 そっけない言葉。
 冷たいまでの瞳。

 志貴は鼻白み、次の言葉を口にできない。
 じっと翡翠はその様子を見つめている。
 何を考えているかわかりにくい無表情な顔で。
 しかし、すぐに退室して仕事に戻る素振りは見せず、あくまで志貴の次の指
示を待っている風情。
 それを感じ、志貴は言葉を続けた。

「もっと、して欲しいんだ」
「はい」

 翡翠の返答は、素直に頷き志貴をほっとさせた。
 にべもない拒絶を予期していただけに。

 しかし、翡翠は佇んだまま動かない。
 志貴は顔を曇らせ、恐る恐るといった様子でまた声を掛ける。

「あの……、翡翠?」
「何でしょうか?」
「ええと……」
「志貴さまは、何をわたしにお望みなのでしょうか?」

 当惑の表情の主人に、表情を変えず翡翠は対している。
 そして、逆に問い返す。

「ご指示をいただけないと、どうしたらよいのか……」
「指を……」
「指を?」
「もっと俺の指を翡翠に舐めて、しゃぶって欲しいんだ」

 志貴が恥かしげに翡翠に答える。
 視線が僅かに、正面から自分を見つめる翡翠のそれと外れていた。

「そんな事でしたら、いくらでもいたします」

 忠実な使用人の言葉。
 しかし、僅かに、ほんの僅かにそこに愉悦の色は混ざっていた。
 志貴に懇願の言葉を口にさせた事にか、それともその言葉の内容ゆえにか。
 ともあれ、志貴はほっとし、顔に喜色を浮かべる。

 再び、翡翠は両手で志貴の手を取った。
 唇が近づく。
 翡翠の柔らかい唇が、志貴の指先に触れた。
 手を動かし、顔も動かし、唇の合わせに指を滑らせる。
 最初はそろそろと触れるだけの感触。
 二度三度と繰り返すうちに、少し力が入れられる。
 乾いた唇の内。
 瑞々しい感触のそれに、指先が触れる。
 僅かに濡れた摩擦が加わる。
 人差し指から小指までが、唇に触れる。
 まるでどれにしようかと、選ぶかのごとき動き。

 と、その動きが止まる。
 選ばれたのは、さっきも舌で触れられていた人差し指。
 唇の真ん中。
 その窪みに指先が止まっている。

 志貴は軽く息を吐いた。
 僅かな期待を含んだ軽い溜息。

 志貴の人差し指が呑まれていく。
 第一関節。
 第二関節。
 軽い圧迫を感じながら、翡翠の手によって中へと押し込まれていく。
 そして根元まで翡翠の口の中に潜った。
 指の内側に温かく湿った舌が触れている。
 そして舌は指を押し上げ、外側をぬめぬめとした上蓋部に押し付けた。
 翡翠が口をすぼめた。
 全体がぎゅっと収縮し指に圧力がかかる。
 舌がより密着し指に押され形を変じる。
 指が舌に包まれるように沈む。

 じゅると吸われた。
 そうされて初めて、志貴は翡翠の口中で温かい唾液に浸っている状態なのだ
と認識した。
 舌が動き、接触面が動くのがわかる。
 柔らかい摩擦。

 翡翠が嚥下した動きが伝わる。
 そして翡翠の舌が動き始めた。
 さきほど外に出してちろちろとしていたのと同じ動き。
 しかし口中ではまったく受ける刺激が違う。
 当然、外とは動ける空間に違いがある為だが、それでもまったく別の何かが
指を這っているとしか志貴には思えない。
 
 やがて舌先だけでなく、舌全体が指を這い始めた。
 指を支柱として絡みつき這い登り、またぬめるように落ちてくる動き。
 
 触れられて性的な刺激を受ける場所は、他に幾つかある。
 しかし、鋭敏な感覚を持つ事では、指や手の方が高い。
 それ故に、今何をされているのかが、わかる。
 見えずとも、翡翠の小さな口中でどれほど多彩な舌の動きを受けているのか
がわかる。
 見えないことが、かえってぞくぞくするような感覚を生む。
 
 ただ、舌が動くのではなく、口全体が志貴の指を吸っていた。
 空気と共に、唾液と共に、そして何もなくなった状態で。
 
 口からの呼吸がほとんど出来ないため、形の良い鼻梁が僅かに膨らむ。
 声とも吐息ともつかぬ呼気音が口から洩れると共に、鼻から息が洩れる。
 生温かい空気が手をかすめる。

「ん…ふぅ……」

 どれだけ口に含まれていただろうか。
 始まりの行為を逆にしたように、根元にあった唇の輪から志貴の指が外へと
現れる。
 ただ、始まりとは違い、今の志貴の指は濡れて皮膚はふやけていた。
 指先が完全に出た時に、翡翠の舌がぺろりと舐め、唾液の糸が垂れ落ちるの
を防いだ。
 
「志貴さま」
「な…、なに……」

 口中だけとは言え、志貴の指への奉仕をしていた翡翠には何ら乱れは無い。
 しかし志貴は、息を荒くして幾分ぼんやりとした目になっている。

「これでよろしかったでしょうか?」
「あ、ああ」

 二度三度と小さく頷く。
 まるで機械人形のような反応。

「……」
「翡翠?」

 それでは、と背を向けるかに思えた自分付のメイドがまだ佇んだまま動かな
いのを、志貴は戸惑った眼で見つめる。

「もう、よろしいのですか?」
「え?」
「満足なされたのですね。よもや、人差し指だけではなく、中指などに対して
もご奉仕する事を命じられると言う事は……、ございませんよね?」
「翡翠」

 身を乗り出す志貴に、翡翠は冷静なまま。
 僅かに目元に暖色のない笑みが浮かんでいたが、志貴は気づかない。

「して。中指もしてよ。お願いだ……」

 言葉の途中で、唇を翡翠の細指で触れられ、志貴は止まった。

「わたしは志貴さまのメイドです。
 お願いなど不要です。ただ命じて頂ければ、このように……」

 言いつつ、身を屈める。
 翡翠の唇が言葉を紡ぎつつ自分の指に近づくのを、志貴は目を見開いたまま
見つめた。
 さっきと違い、翡翠は跪いていた。
 そして志貴の手をおし抱くように受け、中指を口に含んだ。

「ふぁっ」

 志貴の口から声が洩れる。
 人差し指の時とはまったく違った感触。
 唇の軽い締め付けを感じながら挿入した先程とは違い、今回は軽く開かれて
いて、さしたる障壁となっていない。
 ただ、翡翠の口に指を入れる時に、その柔らかく擦られる感触は心地良い。
 さっきまでの冷然とした表情は消え、どこか柔らかい従順さで志貴の指を受
けいれている。
 不思議な、ぞくぞくするような官能の波が志貴の体に走った。

 すっぽりと指が全て潜ると、今度は積極的に舌が這い寄ってくる。
 人差し指は主として舌の表を用いて、包むかのように動きで歓迎されたが、
中指にはそれとは異種の感触が供せられた。
 舌の縁の僅かに硬い部分が指をぬめぬめと擦り、そして舌の裏側が覆い被さ
るように指を撫でる。

 普段、自分のものですら、舌の裏や付け根の造りなどあまり見た事がない。
 だから、志貴には自分の指が翡翠の舌の裏に潜り込んでいるとはわかっても
どこがどうなっているのかはわからない。

 舌の表面とは違った柔らかさ。
 少しごつごつとして、でも粘性を持って形を変える感触。
 明らかな温度の差。
 唾液が溜まり絡みつく潤み。
 下口蓋に押し付けられ擦られる時の何とも言えない感覚。
 
 それらをただ、指に次々と与えられる甘美な刺激として感じるだけ。
 ただ言えるのは、気持ちいいという明らかな事実。

 指をしゃぶられているだけなのに、なんでこんなに気持ちいいのだろう。
 もっと直截的な行為にもまったく引けを取らないほどの快感を、志貴はうっ
とりと享受しつつも不思議にすら思う。

 翡翠だからと言うのもあるのだろうと思う。
 この、ことそういう方面に関しては疎く、志貴としてもその可憐さを愛でて
いる少女が見せる、アンバランスな行為であり、積極性。
 メイドの少女に体の一部を口に含ませ奉仕させているという、日常を乖離し
たような状況も、翡翠相手であればより際立っている。

 でも、単純な肉体の快感も尋常ではない。
 なんで翡翠は、こんなに……。 
 指だけでなく体全体で、指しゃぶりの快美感に酔っている頭では、志貴には
結論が出なかった。
 
「っふぅ……、んッッ」
 
 翡翠が口を開け、ねっとりと唾液に塗れた指がいったん外へ出る。
 そして、今度は翡翠は誘いも、許可もなく、指を口に含んだ。
 人差し指と中指を二本まとめて。

 ぎゅっと口をすぼめては緩めを繰り返し、強く、弱く、しゃぶる。
 さっきからすれば単純なほどの動き。
 だが、それでも口の動きで舌が押し付けられては少し擦れる感触、強く奥へ
と吸われる感触は、決して先程の玄妙な刺激に劣るものではなかった。

 志貴は身を委ね、そして何度となく指をしゃぶられるのを黙って受け入れた。
 もっと余裕があれば、翡翠の行為を注意なり叱責なりして、からかっていた
かもしれない。

「翡翠、随分と熱が入っているね」

 そんな風に声を掛けると、翡翠は指を咥えたまま、驚いたように細めていた
目を大きく開き……。
 こちらを上目遣いで見て、そして自分が何をしているのか初めて気がついた
ように、動きを止め……。
 押し頂くように主人の手を両の掌で包んだままで、狼狽した表情を見せ……。

 ああ、そんなのもいいかもしれない。
 志貴の頭が蕩けた夢想をする。

「ああ、志貴さま……、申し訳ありません。
 わたし……」
 
 もっともっと言葉で苛めて困らせたくなるような仕草と顔の翡翠……。
 ああ、たまらないな。
 でも……。

 一瞬でも、突然指を包む濡れた温かい翡翠の口の感触を、志貴は奪われたく
なかった。
 下手な事を言って、冷たく翡翠に「申し訳ありません」と言われて去られて
しまったら……。
 その喪失感を思うと身震いが起きる。

 志貴の思惑に関係なく、翡翠のおしゃぶりは続いていた。
 熱心に、休む事無く。

 単調なしゃぶり方が少し変化し、大きく効果を変えた。
 二本の指である事は同じだが、今度は指と指の間に、舌が割り込み、サンド
イッチ状態でまとめて指がしゃぶられた。

 その新たな感触に志貴は酔った
 余計な事はいらなかった。
 体全体が官能に酔い、高まっていく。

 そして翡翠に指を弄ばれる至福。
 ずっと浸っていたい痺れるような快美。

 しかし、指だけでなく全身にまで届く愉悦故に―――、終局が迫った。
 さすがに、志貴は幾分夢から醒めたような顔をする。
 もぞもぞと志貴の体が、腰の辺りが動く。

「もう、ダメだ、やめて……、翡翠」

 切迫した主の声。
 翡翠は問うような仕草ひとつしなかった。
 まるで何もかも心得ているように。
 そして、命に従い口から指を離した。

 志貴の声が悲鳴じみたものになり、途切れる最後の瞬間。
 そのほんのわずかコンマ数秒前に。

 ぴたりと震えを止めた志貴の股間にちらりと目をやる。
 間に合ったのかどうかは翡翠にはわからない。
 けれど、僅かに、気をつけて見たとしても誰にもわからぬ程ほんの僅かに、
翡翠の唇は形を変えていた。
 ……笑みの形に。

「それでは、失礼致します、志貴さま」

 深く一礼をして、放心状態で身を強張らせたままの主を残し、翡翠は部屋を
去った。
 

 《了》









―――あとがき

 いや、こういうの書いていると幸せなもので。
 翡翠の指しゃぶりだけで一本書けるかなあとかちょっと考えていたのですが、
Moon Gazerさんの掲示板で「攻め翡翠」の話題が出てるのを見て、なんとなく
形になりました。


 なんというか、まっとうに『月姫』とかキャラクターを愛している人って、
こういうの見るとどう思うのだろう?

 こんなの翡翠じゃない?
 そうですね(深く頷き

 お読みいただきありがとうございます。

  by しにを(2002/11/25)

 

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