開かれた行政(オープンガバメント)に向けて
沖縄返還に絡む密約
1972年5月に沖縄の領有権がアメリカ合衆国から日本に返還されたが、この沖縄返還が合意される際に
両国間で密約が交わされていたことが明らかになった。密約は沖縄が返還される前に交わされたもので、
既に約40年が経過している。真実は「沖縄返還をめぐる密約訴訟」で元外務省局長が東京地裁の法廷で
証言して明らかになったが、その証言は米国の公文書館が密約文書を公表したことが影響して、これ以
上は秘匿することはできない事態になったから法廷での証言となった。
その後、こうした密約は他にも存在していたことが判明した。核兵器の持込に関して1969年当時の首相
である故・佐藤栄作氏の遺品の中から見つかった密約文書や1972年当時の外相であった故・大平正芳氏
が交わしていた密約の存在が外務省の調査で確認されている。これら密約の存在を知って、国民の安全
を左右する重要な情報の公開のあり方について真剣に考えさせられる。
◇ 密約の内容 ◇
・ 沖縄返還協定には、沖縄の米軍用地の現状回復費用は米国側が自発的に支払うと記述されているが、密約書では、本来なら米国が負担すべき軍用地の復元補償費400万ドルや米国ラジオ短波放送局
(VOA)の移転費1,600万ドルは日本が負担することを約束している。沖縄返還協定には、
日本が負担するのは3億2千万ドルと定めているが、実際には密約によって、それを上回る負担を
していることが判明した。
・
「核抜き本土並み」返還を求めていた日本に対し、米国は緊急事態の際には事前協
議を経て、核兵器の沖縄への再持ち込みと通過を認めるよう文書による合意を要請していた。当時の
首相である故・佐藤栄作氏とニクソン米大統領は、1969年11月にホワイトハウスにおいて最高級の機
密で取り扱う合意事項として、米国の要請を受け入れる合意文書に署名をした。その時に交わした秘
密の合意文書が故・佐藤栄作氏の遺品の中から見つかった。
・
日米安保条約では米軍の装備などに変更がある場合は事前に協議することを定めているが、密約により米国の核兵器を搭載した艦船の入港・停泊は日米の事前協議を必要としない、停泊は母港化に伴
う長期も認めている。これにより核兵器を搭載した状態で米国の艦船が日本に入港・寄港することが
可能となり、1973年空母ミッドウエーが横須賀基地に配備された。密約は、当時の外相であった故・
大平正芳氏が1972年に米国務次官と交わした。
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