2005年9月12日
2005年8月9日
実家にあるびわの木の下に行くとご覧のとおり。アブラゼミの抜け殻が大量に葉についている。根元を見ると蝉が抜け出してきたと思われる無数の穴が開いている。近くの別の木を見るとアブラゼミが10匹くらい張り付いて鳴いている。ここ数日間は夜中でもセミの鳴き声がするという。今まであまり経験がなかったことだけにびっくり。このセミが地中で生まれたときの天候が知りたい。もうずいぶん昔のことになるだろう。こうしてまた何年か後には大量発生するのだろうか?
2005年8月4日
この前、山に子供の保育園の友達家族とカブトムシを取りに行った。丁度強雷が発生して不気味な雷鳴や放電の中での採集となったが自分では取れなかったが他のお父さんがたくさん採集することができた。しかし、採集した直後雷はさらに激化し、車で現場を去ろうとした時に激しい雨が降ってきて危機一髪だった。山にはたくさんカブトムシが居るが自分のうちの近所には居ないのか? 自分が小さい頃採取した木のある場所は残っているが私有地のため近づくことはできない。それならば自宅の近くの朽ちた栗の木に桃やスイカ、バナナなどを仕掛けたらカブトムシは来ないのか? ということになり早速毎日セッティングすることにした。そして朝と夜に確認するのである。設置後すぐにカナブンや蝶々が寄ってきた。これらはカブトムシの居るところにも居るので根気良くやっていればカブトも来ると確信した。そして3日ほど経った今日夜に確認に行くとカナブンに混じって小クワガタのメスと立派なノコギリクワガタが居るではないか。果物を置いた木からはカブトの良くいる木かが発する特有の甘酸っぱいにおいがしていた。人工的に餌場を作ってもクワガタがやってくるのだ。家族一同大感激であった。今度はカブトムシが大好きな市販のカブトムシゼリーを仕掛けようともくろんでいる。
2005年7月22日
久しぶりに平日に上京して気がついたことはラッシュが済んだ電車ではマナーの悪いお客が目に付くということ。まあ、ラッシュ時でも良くいるが、人前で平気で化粧をする年配の女性。すいているホームで駅のコンビニで食べ物を買って立ち食いしてそのままホームに置き去りにして行くオヤジ。しかも、わざわざホームの先端に行ってゴミを置き去りにして気まずいのでまたホームの中央に戻ったりしている。それならゴミ箱に入れればいいのに・・・。それから電車の椅子のテーブルに足を乗せてくつろいで?いるオヤジ。(どう見ても短い足であんな高いところに足を乗せて楽なわけが無い)落ち着き無くいろんな席に行ったりきたりしている。思うに年配の人のマナーの悪さが目立った。非常に見苦しい。
有楽町、丸の内界隈は丁度お昼休みごろだった。結構、東京−有楽町間のガード下には店があって賑わっていた。結構ノーネクタイのクールビズ姿多かった。それにここでも歩道にはビックスクーターの路駐多かった。
東京は暑いといっても海に近く風が結構ある。コンクリートの放熱もあるが内陸部よりは涼しく感じた。
久しぶりの上京でだいぶ気分転換になったが見苦しいものもだいぶ見てしまった。今度は休日に行くことにしよう。
2005年7月14日
この夏はリフレッシュ休暇が取れるので比較的多くの休みを取ることができそうだ。たまりにたまった自宅の環境整備ができそうだ。火気は一切使っていないが電気火災の心配があるところに煙感知式の火災報知器を取り付ける予定でいる。これがあったために就寝中の火災に気づいて命拾いした人も居る。それと、生ごみ処理用のコンポストの整理、車の清掃や点検など挙げたらきりがない。それから子供をつれて旅行にでも行って自分の命拾いもしたいななんて思っている今日この頃。
2005年7月6日
神奈川県逗子市は原付の二人乗り特区申請を行ったそうだが・・・
なんでも朝夕は車が多く渋滞が慢性化していてそれの打開策のひとつらしいが・・・でも、原付は二人乗りをするようには作られていないし、自動車の免許持っていれば乗れるわけだから二輪車の教習も受けてない人が乗る。これは、相当危険でしょう。それに、原付に二人乗りしたからって渋滞がそう簡単になくなるとも思えない。自動車で通勤している人は少なくとも4人は乗れる車に1人しか乗っていないんじゃなかろうか? そんな状態で原付に二人乗るのだろうか? わざわざ特区申請しなくても原付二種(50cc以上125cc未満)なら二人乗りできるように作ってあるし、自動二輪免許が必要だからそれなりの運転法も教育されているし問題ないと思う。だが、あまり二人乗りしてる人は見かけない。それよりも二輪車で通勤する人が優遇されるように特区申請したらどうかな?
第二次オイルショック以後は「あと何年で石油が枯渇する」などと石油依存への危機感ありで省エネムードが高まっていたがいつの間にか「あと何年」とか「省エネ」とか言う言葉はバブルの頃には影を潜めてめちゃめちゃ燃費の悪い車でも売れた時期があった。低燃費を狙った車もあったが当時はほとんど売れなかったと思う。バブル崩壊後は次々に環境や燃費性能をうたった車が出現し消費者の関心も高くなり燃費の悪い車は売れなくなってきている。鉄道業界でも「この電車は・・年前の半分の電力で走っています」などというステッカーが貼られているように燃費が悪いことは経済的にもかなりの損失だというイメージが大きくなった。家電製品の省エネ化も目覚しい。自動車業界でも脱石油化技術もいよいよ現実味をおびてきた。それに最近のアジアの高成長による石油消費の増加と中東不安定による原油高だ。それも高止まるばかりで下がる気配が無い。今後以前のようなガソリン1リッター¥100以下なんて夢の話になるかも知れない。先日の一気に4円という値上げも驚かなくなってきた。エンジンのついた車に乗れなくなる日も近くなって来たような気がする。モビリオの次に乗る車にはエンジンがまだついているのであろうか?
2005年6月22日
出勤途中で自転車と接触しそうになった。狭い田んぼ道を抜け道で自動車がバンバン通り、通学の中学生や高校生が通る。おまけに障害物も無いのに道がくねくねと曲がって造られている。正面から来る車を左によけて交わし、対向車が来ないのを確認して前方を走っている自転車を十分な余裕をもって右から追い越そうとした瞬間! 自転車がバイクに幅寄せしてきて右側はもう避けるスペースが無く田んぼに落ちるしかないという状態。「あぶないっ」と大声で叫んでしまった。接触すれすれの状態でしばらく平行したが自転車は何事も無く左へ寄っていった。正直自転車を巻き込んでの転倒を覚悟したのだが幸い接触せずに済んだ。これが4輪自動車だったらどうしたのだろうか? 後ろは気にならないのか?相当なエンジン音がするのに気がつかないのだろうか? 高校生や中学生の気まぐれな運転にいつもヒヤヒヤさせられる。幹線道路を左右確認したり止まったりせず、涼しい顔で突入してゆく奴もいる。まさしく自殺行為。勘弁してもらいたいものだ。正直対車より対自転車のほうが圧倒的に危ない思いをしているし実際に接触して双方が転倒したこともあった。
車社会になって学生は車を運転できないのになぜかバスも通っていないような郊外に学校を移転することが多いそのため十何キロも自転車で通ってくるのは当たり前の地域。正直弊害が多すぎる。
2005年06月21
最近、JR西日本の脱線事故をはじめ航空機、三菱のリコール隠しでの事故など交通機関での安全が脅かされてきている。それは、大企業だけの問題ではなく自分の身近なところでも言える。「自家用車の車検がまだだからタイヤが減っていてもいいや。」「まだ動くからバッテリーはいいや」などと結構気にしていないことが多いのでは? 車も走る凶器。重大な事故を引き起こしかねない交通器具だ。最近の車は故障など少なくほおっておいても走れてしまう。もし、タイヤの空気圧を見ていなかったがために高速道路でバーストして乗員が外に投げ出されて後続の車にはねられて死亡なんてことになったら考えただけでも地獄絵図だ。私も一人で冬山を往復する機会が多かったのでそんな時何かトラブルがあったら大変と車両保険の加入や緊急脱出機器、非常用具の常備、日常点検をするようになった。安全対策にはかなりの手間と費用がかかり大変なことだが一度事故やトラブルに見舞われるとそれ以上の手痛い打撃になる。実際に自分の周りにもそういう事例が多々あった。バイクも「250cc以下だったら車検が無いので楽でいいや・・・」と、思いがちだが、そのバイクには第三者の目が入らないということになる。当然自己責任で管理しなくてはならない。ある意味車検のあるバイクのほうが強制的に検査がある分安心かもしれない。ブレーキやタイヤ、エンジン関連など常に自分で判断して整備して行かないと大変なことになる。4輪車のように厚いフレームに覆われておらず生身で不安定な状態で乗っているバイクは即、大怪我や死亡に結びつく。プロテクタ入り衣服やパーツ交換など結構費用がかかるしそれを考えると意外と気軽な乗り物ではないような気がする。
2005年6月20日
今日は日曜日の出勤の振り替えで休みだった。17年度の試験の願書を出願したり、家のワックス塗りをやったり、バイクのブーツの中敷を直したりといろいろあった。平日の休みはあっという間に過ぎてしまった。しかし、まだまだやることはたくさんある。いくら休みがあっても足りないくらいだ。
2005年6月14日
夏場になるとただでさえ暑いのに自動車、エアコンなどの熱の放出がさらに加わって気温が上がり、それが夜になっても下がらない。暑いからエアコンをつける。さらに熱を放出する・・・という悪循環に至り、東京の新橋界隈では夏の気温がかなり上昇傾向にあるという。汐留にできた高層ビル群によって海からの風が断たれ熱がこもってしまうとのこと。都市の気候はますます温暖化に向かう。それとは逆に我が家では深夜、CO2ヒートポンプから冷気が大量に放出されている。隣にはエアコンの室外機があり熱風がでるがヒートポンプの冷気廃熱を冷房に導けば外気が過熱されること無く室内は冷えるので効率が良いと思われる。蓄熱槽を作って冷気で冷水を作ってそいつを冷房に使ってもいいと思う。実際にビルでは「エコアイス」など深夜電力で氷を作って昼間冷房に使うことをやっている。それと違うのはお湯もできるということ。ただ、CO2が室内にもれると酸欠を起こしてしまいかねないということでCO2を使ったエアコンが無いのかな。エアコンと同じような仕組みで90度近くのお湯ができるのはすごい。それだけ熱交換ができるということはその逆で冷たい冷気ができるということだ。朝、室外機を見ると延々とドレン排水が流れて川のようになっている。周りの空気が冷やされて凝結したものだ。正直この冷気もったいない。
2005年6月10日
先日、楽天で買い物をしていたらメールアドレスの欄にiswebのIDが入っていてそのまま送信してしまいメール受信不可となってしまったので買い物先にメールアドレスを訂正するとともに楽天から削除した。そしたらiswebのホームページも何もかも消えてなくなってしまっていた。旅の窓口もそうだが最近何でも楽天がからんできていろいろ関連性がよくわからなくなってきている。すべてひとつでできるのは良いことだが複雑で範囲が広く使用法が良くわからない。逆に考えればひとつの削除ですべて失うこともできるのである。昨日急遽サーバーを比較的安全なBIGLLOBEへ移動した。
2005年6月3日
どこまで続くのでしょうか?この原油高。たまに下がることはあっても高止まり傾向が続いています。やはり中東の不安定、中国の需要の伸びが影響しているのでしょうか。去年我が家の乗り物を自動車とバイク一台づつに絞りましたが自動車はコンスタントに10km/L以上の燃費がでるし、バイクは毎回27km/Lは出ます。バイクの場合は二週間に一度で5L程の給油なので数円程度の上昇ならほとんど問題ないレベルだが30Lは給油する自動車に至っては深刻です。アメリカでは原油高の影響もあってかハイブリットカーが売れているそうです。ハイブリットカーはモーターとエンジンの制御が難しいらしく他のホンダを除くメーカーはトヨタから技術を導入するとか自社開発はあきらめムードです。先日、経営再建中の三菱自動車が純粋電気自動車で行くと発表してました。本来電気だけなら制御も簡単で構造も簡単にできるはずです。モーターのトルク特性でホイールインモーターで直接タイヤを駆動すればトランスミッションはいらないと言います。まだまだバッテリーの問題はありますがハイブリットの複雑な制御を開発することから考えれば三菱グループは電車を作っている電気屋もありますからあまりお金をかけずに開発できるということなんでしょう。いくらガソリンを余り食わないと言っても、まったく食わない自動車にはかなわないでしょう。私も排気ガスの全くでない車、乗ってみたいです。
2005年6月2日
新型の草取り鎌と薬剤噴霧装置を考案しました。特許に比べて実用新案のほうが取得しやすいとのことですが出願に際して代行を頼むと多額な費用がかかりますね。自分でそこそこできるのであれば自分でしたいが、時間と手間と費用がかかるとなると自分だけ便利に使っているのが良いのかなと思ってしまいました。ビジネスというのはなかなか大変ですね。しかし、自分で1から10までする自営業の方はすごいエネルギーが必要だと思いました。雇われて流されている私にはとうていできませんね。
2005年5月30日
週末に爬虫類や両生類好きの長男を連れてジャパン・スネークセンターに行ってきた。ここは小さいころ小学生の遠足スポットとして有名だったが20数年ぶりに訪れた。建物や施設は当時とかわりなく老朽化が激しかった。園内や蛇の屋外ピットの樹木は巨大になり時の流れを感じさせた。入り口の通りの食堂やらみやげ物店はシャッターを降ろし最近のどこの温泉街にもあるようなさびれたかんじがした。しかし、長男は大興奮。苦労して連れて行ったどこの動物園や水族館より喜んでいた。ニシキヘビと写真を撮ろうのコーナーで白いニシキヘビと一緒に写真をとったが長男は怖がることもなくニヤニヤしながら写っていた。ニシキヘビは肉厚で少し冷たくて夏はこいつを枕にしたいほどちょうどいいかたさだった。ニシキヘビ調安眠枕欲しいです。
2005年5月19日
自宅を建てた直後に環境緑化用の花の種を庭に蒔いた。花菱草(カリフォルニアポピー)で確か1kg入りくらいのでかい包装だった。秋口に土に混ぜてただ蒔いただけというのに春先4〜6月の間は毎年このようになる。手入れもまったくせず、寒くて乾燥して凍る場所でありながらこのとおりである。本当に手間要らずできれいですばらしい花です。今度はぜひ、学校を花の都にしたいと思っています。たいした労力も使わずにです。(笑)
2005/03/09
現在では天気予報の現場ではコンピューターによる数値シュミレーションでの予報が主力になっている。今の風の状態、水蒸気の状態、温度の状態、太陽放射の状態などを求めて時間積分して未来を予測する。ところで、道路の渋滞の予測はどうなっているのだろうか? 今の渋滞予測はどうやって求められているかわからないが高速道路の渋滞予測は過去の事例の統計的な予測のように思われる。これをVICSを用いて合流する各道路での車の台数、走行速度、信号の待ち時間などの要素を求めて過去の統計を元に時間積分で30分後、1時間後というふうに求められないだろうか? 気象学では大気の非線形運動やら観測誤差などにより予測が難しいにもかかわらず3日後くらいまではかなりの精度で予報できる。交通渋滞などはもっと単純なモデルで計算が可能になるのではないか。そうすれば車に汎用コンピューターを組み込んで予測に基づいたルートを案内し事前に渋滞にならないように流量を制御できるのではないかと思う。・・・と思っていたら日立がそれに近い技術を開発しましたね。鋭い。
車には今エンジン制御用のコンピューターとかオートエアコン用のコンピューターとか、ナビなど別々にいくつものコンピューターが積んであるが、これを一台の汎用コンピューターでエンジン、エアコン、ナビなどを制御すると共にメーター部分を液晶画面にしてメーター表示を現在の機械式から完全デジタル式にする。そうすればナビの画面になったりメーター表示になったり、あるいは両方表示できる。画面はひとつで済む。また、コンピューターのカスタマイズやバージョンアップが容易になり簡単にエンジン制御やナビの書き換えができるようになる。ナビに連動したエンジン制御も可能になりカーブで出力を絞るなんて芸当も簡単に可能になるのではないかと思う。現在の家庭パソコンのようにマルチな利用法が可能である。
今使用しているオフ車のSL230は車体が軽くて細いのが特徴で自転車が通れる程度の隙間なら入ってゆける。渋滞での機動力は抜群だ。おまけに一般道における加速力はスポーツカー並み(少々オーバー)であり、無敵の速さ(他のスポーツバイクには劣る)を誇る。しかし、不便な点も多い。トップケースを付けたとは言え、荷物の積載量は多くはできない。また、雨の日は足にものすごく水がかかるためにスーツでの通勤は無理が生じる。靴も選ばなくてはならない。それらの条件を満たすにはやはり将来的にスクーターにシフトして行くのかなと思う。細くて背の高いコンパクトなスクーターは限られる。大体は外車に限られイタリア車、韓国車、台湾車しかない。国産ではどれも背が低くて幅も広く背筋を伸ばして立ち気味に乗るポジションがない。イタ車のジレラランナーVXRが一番条件に近いがメンテナンスやパーツの問題が浮上する。国産ではホンダのフォーサイトが低価格で小回りがきいて高速も走れて4輪車に近い用途ができると思うが足を投げ出して低い姿勢で乗ることと幅が少し広いことが渋滞ではネックになる。その分荷物を積めるのが利点だが機動力と積載性どちらを優先するかということになる。メンテナンス性は現在の頻繁なチェーンの給油もなくなり油脂類やブレーキーの減り、ベルトのへたりなどを見ていればSLよりは楽になる。なによりも靴の防水に力を入れなくて済むので服装面でもかなりの違いになってくる。しかしながらSLはタフで故障もなく燃費もいいバイクなので少々の不便さは仕方のないところ。当面の間は現在の通勤スタイルに変化はないと思う。
2005年2月14日
先日の3連休に長野の北志賀竜王で雪板隊の仲間と滑ってきた。前日に子供が体調を崩して出発が遅れて現地には15時頃着いてしまった。宿がゲレンデのただ中にあるので迎えに来てもらうのだがセンターハウスで待っているとスノーモービルがやってきた。荷物を載せてスノーモービルのシートにまたがってゲレンデを走ってゆくと冷たい雪煙が顔にかかってきた。雪のにおいがした。とても気持ちがよくて普段のいやなことなど忘れてしまった。宿に着いたら夜までのんびりして夕食後ナイターに出撃! 体が硬くなっていてよく滑れなかったが一度体で覚えた滑りは忘れません。3本目くらいから思い出してきた。翌日も朝は雪が舞っていたものの少し積もった深雪を蹴散らしながら滑るのはまさに天国だった。生きててよかった。そう思える瞬間だった。今シーズンはこれで滑走は終わるが来シーズンはもう一人子供が生まれているので雪遊びくらいには行きたいと思っている。冬はやはり雪景色が一番である。
2005年1月2日
あけましておめでとうございます。初詣に行ってきました。昨年は年末ジャンボも全滅で年初めのおみくじの大吉はまったくの幻に終わったのでした。で、今回は吉。学業は努力すれば達成できるとのこと。そんなのは当たり前の話ですね。やはり、自分次第ということでしょうか。まもなく16年度第2回の気象予報士試験の受験票が送られてきます。そろそろ結果を出したいな。しかし、努力という点では勉強不足が続いているので足りていない。勉強しなくてはならない時にはやる気なし。勉強をしたい時には時間なし。なかなか難しいです。
2004年12月31日
数日前には雨の予想だったが一転して雪になった。10センチほど正午から18時くらいまでの間に積もった。この後、西高東低の気圧配置になりさらに北陸などの日本海側では雪が降る。暖冬とは言われながら関東地方では12月中に2回も雪が降った。今年はいろいろな災害が多い年であったが、ここへきてさらにインド洋での地震の被害が出たり日本でも大雪が降っている。なんかこの先は悪いことばかりなんじゃないかと思われるくらい未来は暗い感じですが、先は何があるかわからない。誰が宝くじに当たらないと断言できようか。誰が明日美しい女性と知り合いになれないと断言できようか。人生はカオスの世界なのです。(最近カオス理論が面白くて仕方ない)そんなことを思いながら行く2004年を過ごしています。さて、来年は何が起こるのか? いや、何を起こそうかな。(笑)
2004年12月28日
12月26日前後は一級の寒波が到来しやすい時期だといわれている。スキーヤーの間では「クリスマス寒波」と呼ばれている。どんなに暖かい冬でも大体この時期ゲレンデではまとまった雪が降ることが多い。年末年始のスキーシーンに間に合うのだ。今年は異様に暖かい一年で心配だったがクリスマス寒波により一応雪がゲレンデに付いた。暖冬の年は太平洋側で雨が降りやすい。冬型が強いときはなかなか天気の崩れを許してくれないのだが雨が降りやすいということはちょっとした加減で雪も降りやすいということになる。明日は関東地方でも雪の予報だ。31日には雨が予想され、なんと山沿いではなだれの恐れがあるという。せっかく積もった雪も年内で溶けてしまうのではもったいない。低気圧が日本海に入って大荒れになるのは春先の現象だ。やはりこの冬は暖かいのであろうか。
2004年11月22日
毎年この時期になると東京で仲間とボーリングをして宴会をしてきます。年々皆様方も忙しくなるようで参加者が減ってきているのは寂しいのですが年に一度のお楽しみです。最近では年に2回の試験のための上京と宴会の上京の3回しかなくこの機会を利用して気象予報士試験用の参考書の探索に行きました。今回は丸の内の旧国鉄本社ビルの跡地にできた丸の内オアゾの丸善書店の探索です。広くて明るくてきれいな店内でSUICA決済もできるのでいいですね。ただ、気象庁の試験機関である気象業務支援センターの出版物が置いてないのでやはり取り扱っている八重洲ブックセンターになってしまいました。しかし、私のお得意な山手線東半分エリアは最近おしゃれなスポットと化してきましたね。丸の内、八重洲、新橋、品川・・・秋葉原も変わろうとしているし10年前では考えもつきませんでした。しかし、よく利用する上野駅は宇都宮線と高崎線が新宿方面に迂回して横浜へ直通するようになり本数が減って不便になりました。新宿や渋谷が苦手者にとってはつらいところです。
2004年11月18日
今年の4月に現在の職場に転勤となり毎度のことのようにいろいろ一からやり直さねばならず慣れないこともあって結構疲れている。5月から7月というのが一年で一番めげる時期でそれと重なって少雨、猛暑が続き心身共に疲れきってしまった。9月ともなるとさわやかな日も出てきて例年だと調子が出てくる。それが今年は台風や雨続きで気温も高い。11月になっても季節風がほとんど吹かずに雨の日が多いし暑い日まである。冬好きの私としてはなんともやりきれない11月である。半そでで汗をかきながら1年から6年までと特別教室にストーブを設置したがいつから稼動できるのであろうか? 台風、噴火、地震、猛暑と異常気象に事欠かない今年でしたが最近無い言葉に「豪雪」がありますね。私はこれを警戒しています。昭和38年の三八豪雪以来豪雪という言葉は聞きません。暖冬傾向とは言え、普段より温まった海上に寒気が入れば温度差があればあるほど不安定になって雪の量は増えるのです。去年の12月末に強い寒気が入ってめったに雪の降らないこちらでも吹雪に見舞われました。こういうこともあるもんだなと思ったものです。今年度最後に大雪で除雪作業で苦労するんじゃないかと思ってしまっています。私生活ではスノーボードをやっているため雪はあるものだということが前提になってますからある程度の準備はできてます。まもなく自動車のスタットレスタイヤ交換時期です。さて、この冬はどうでしょうか?
2004年3月4日
2003年度は病気との闘いでした。子供が断続的に風邪などにかかり、その合間を縫うかそれと同時にこちらも高熱を出したりすることもあった。また、偏頭痛でのた打ち回る苦しい日もあった。自分の意思にかかわらず体が突然悲鳴を上げる。特に生活に何の問題もないがなんか空虚な感じがする。不可能と思われていた欲しいものは大体手に入れたがやはり最後に浮上してくるものがある。自分のやりたいことを仕事とすることである。今まではそれを打ち消すだけの魅力とパワーがあるスノーボードというものに打ち込むことで糧としてきたが、いよいよそれが無理となるとやはり手をつけなければならない問題なのである。今となってはもっとも解決が困難な問題である。今から10年以上前にビルの変電所で働いていた3年間がもっとも厳しいが充実した日々だった。勉強の毎日だった。それなりに今でもその頃の経験は役に立っているのであるが最新技術に触れたり学べたりという風では無いのだ。失われた10年間をこれから取り戻せるかどうか、気象予報士チャレンジはその布石である。まだ電気も学びたいし、自動車の整備も勉強したい。自分のやりたいことが仕事である。こんな幸福なことはないと思う。少々の困難でも苦にはならないであろう。最終にして永遠のテーマであるかもしれない。
2004年1月13日
昨年暮れ、クリスマスを前にしてスキーの友人が脳血管障害で死亡した。忘年会で会って2週間後のことだった。去年の初めにはやはり一人の友人を同じ病で亡くしている。私はお葬式に出る機会が多い。職場関係が多いが、年にかならず2〜3件は出席する。そんなことなのでもう慣れっこになってしまっているのか・・・友人が亡くなってもなぜか涙が出てこない。でも、なんとも思わないんじゃなくて、いいままで一緒に楽しんでいた人が居なくなるのだからとても悲しいことだというのは感じている。なぜか慣れてしまっている。あまりにも循環器系の病気で若くして亡くなる例が身近にありすぎるのはとても残念である。いとも簡単に人は死んでしまうのである。自分はあらためて生という平均台をおっかなびっくり渡っているだけなのだと実感した。外へ出れば交通事故。ゲレンデで滑れば常に転倒や衝突の危機。たまたま病気にならないのかも知れないし、紙一重だ。あの世から出てきた以上いつかあの世に帰らなければならないし、生きているうちはやりたいことをやって100%命を使い切るのがベストだと思った。最近、つまらないことで意気消失している場合ではないと自分に言い聞かせています。
2003年11月27日
気象予報士試験第二回チャレンジが1月25日に迫っている。参考書の類は最低限揃ったが、さあ、問題を解こうとするとどの問題集も過去の試験1回分しか載っていない。おまけに高校などの問題集と違い高いときている。1回分が2000円以上する。たくさん問題が載っている問題集は答の解説がいまいちで良くわからない。以前にアマチュア無線を受けた時に試験用問題集のパソコンソフトが売り出されておりそいつを使って覚えて受かった。同じようなものはないかと探していたら試験を管轄する気象業務支援センターのホームページからリンクがあり「タイロス」というメーカーから同様の教育用ソフトが発売されていることを知った。平成14年以前の過去問題が学科、実技とも全て入っている。また、模擬試験もできたり、試験結果や苦手な項目の統計をとることも可能。過去問題の問題用紙のPDFで収録されているという優れもの。すぐに注文して今月頭から活用している。問題集を鉛筆で何度も書き込んでは消すより効率が良く本を置くスペースもとらない。画期的だ。すでに自分の弱点の統計もとれて以前の試験でうる覚えだった項目も徐々に完成度が高まってきた。実技試験はこれという決定的な解が出せないので通信添削を利用している。結構厳しい財政事情でいろいろ犠牲にしての投資だが果たして回収できるのであろうか?
2003年10月17日
良く寝る子
去年の4月に生まれた私の息子の1歳6ヶ月検診がこの前あった。妻と共に会場へ行き小児科医からいろいろ指導があったそうである。うちの子はおなかと背中に少しボツボツがあり、いつもかいていて少し赤くなっているところを指摘されたようです。かかりつけの小児科医で薬を出してもらって1日2回薄く塗るようにといわれてそのようにはしていた。会場の小児科医は肌の管理ができていないとか、薬はたっぷり塗らないといけないとか、挙句の果てにはこんな症状では夜泣きがひどくて眠れないだろうと言われたそうです。実際はそんなことはなく朝までノンストップでよく寝ています。しかし、お医者さんいわく、「お母さんが寝ちゃっているからわからないんじゃないの」とかそのような意味合いのことを言われて非常に悔しい思いをしたそうです。一番子供に近い母親の言うことを聞こうとはしないとか持論を押し付けてくるようでは小児科医としてどうかと思います。子供によって個性が様々だったり家庭環境が様々だったりするのは当然のことですからそれを聞いてもらった上でいろいろアドバイスしてもらいたいものです。
2003年3月1日
おばあちゃんバイバイ
冬のこの時期になると体が弱くなったお年寄りが毎年多数亡くなって行く。葬儀が終わり、火葬場に向かうが。私の小さい頃は火葬場といえば銭湯のような建物で中は薄暗く、タイル張りで冷たいイメージ。火葬炉の蓋は金庫みたいな黒くて重厚なものだった。私がようやく物心ついた頃ひいばあちゃんが亡くなった。葬式の時はまだなんだかわからず騒いでいたように思う。ただ、火葬場についてゆき、目の前でおばあちゃんの入った棺が焼かれているのはショックだったようで青い顔をしていたと後で聞いている。
今の火葬場はそんな雰囲気は一切なく、施設もきれいで清潔。火葬炉もエレベーターのようなドアになっていてバーナーを点火するときのあの嫌な音もしない。煙突もないから煙がでない。死というのはそんなに奇麗事でいいのだろうか? おとといくらいまで生きていた人がこの瞬間から焼かれて灰や骨になってしまうというのに。
私は故人との別れは火葬されてその炎が煙になって立ち上ってゆく時だと思っている。火葬炉の扉が閉まる時、バーナーが点火されるとき、本当にこの人とはお別れするんだという気持ちが実感できる時だと思う。
ひいばあちゃんの時私が青い顔をした火葬場にはその後、私のばあちゃんの時もお世話になったが今から数年前に近くに新しい火葬場ができたためになくなってしまった。そしてじいちゃんの時はその最新設備の火葬場で火葬された。遺体はエレベーターに乗せられるように自動扉の向こうに消えていった。あのバーナーの音も煙もでなかった。なぜか、扉を閉じるときの胸の締め付けられるような感覚はなかった。
2002年12月9日
この時期にしてはめずらしく雪が降った。幸い気温が高めで積雪はそうでもなかったが、これで2〜3度気温が低かったら大変なことになっていたろう。数年前に帰りの通勤時間帯に大雪が降り各地で道路や他の交通機関が混乱した時があったがその時の教訓があまり生かされていないような気がする。12月になったらいつでも雪が降るもんだと思っていたほうが妥当である。あわてて前日や当日になってタイヤショップに駆け込むのは前回の大雪の時と同じことである。もう、1週間も前から週間天気予報が出ているのだから。今回はノーマルタイヤでも事が済んだが次回も済むとは限らない。こういう年は十分な心構えをしておかなければならない。
2002年9月8日
先月に続き本屋に行くために上京した。今回は神田の三省堂ではなく八重洲ブックセンターに寄った。ここは気象予報士のコーナーがあって問題や資料などが多数揃っていて欲しいものはすべて手に入るかのようだ。地元では気象予報士の問題すら売っていない。ブックセンターではラジオ天気図用紙やら用語の解説書など1万円近く買い物をした。こうして地道に上京して資料を自分の目で確かめて手に入れるしかない。本棚の下の段にスノーボードやスキー雑誌でお馴染みの山と渓谷社から出ている「雲と空」という雲のカタログのような本があった。この手の本は高校時代に一度買ったことがあったがこちらのほうがいっぱい写真が出ているので気に入って衝動買いしてしまった。最近、仕事中でも運転中でも空が気になってしょうがない状態だ。人は変かと思うかも知れないが本人は大真面目である。話は変わるが冬に入って日本海側に雪が降るときに雷がなるそうだ。これは冬季雷と呼ばれるそうだ10年以上前に電気の雑誌で見たことがあるがぜひ、見てみたい。この冬季雷がくることで我々スノーボーダーの季節がやってくるのだ。冬に生きる人間としては一度は見てみたいと思う。
2002年8月27日
いよいよ要塞が出来上がり完成検査、引渡しが来月はじめに迫った。新学期の始まりと共に引越しの準備が本格化する。また、大変な負債もかかえることになってプレッシャーもある。しかし、大きな目標が片付いてしまったので。今後の生活の柱になるものが欲しいところだ。子育てや生活もそうだがそれらの事柄をめげないようにするためにはぜひともなにか他にも必要なのである。それは何かこれから考えようと思っている。
2002年8月22日
北海道の大雪山系に初雪が降った。平年よりかなり早い初雪だそうだ。これまで続いた酷暑はどこに行ったのだろう。勉強を始めて数週間だが、雲のことや気圧配置による天気の変移など少しづつわかるようになってきた。ただ、勉強の範囲が広大でつかめず全然先が見えない状態だ。少しづつ進んでいることは確かだがどこまで行ったら大丈夫なのか見通しは遠いものがある。受験勉強はインターネットなどで受験者がどんな勉強をしたかなど参考にしているが未知の部分が多すぎる。これからは実際に問題集を用意してそこからピックアップして覚えるしかないのだろうか?9月からはラジオ天気図の記入も始める予定。
2002年8月13日
気象予報士を目指すべく勉強を開始した。先日の上京もそのためだ。天気は日常非常に重要である。特に冬のスノーボードは天気の把握は必要である。また、普段でもバイク通により天気の移り変わりには敏感になっている。この時期、毎日出現する雷雲を気象の本で勉強したことは本当だろうかと見上げて観察している。事実そのとおりの動きをするから面白い。この後秋になるとまた違った天気を見ることができる。楽しみだ。冬の天気と夏の夕立は素人でも10年余りの体験を元にインターネットのレーダーやひまわり、各種資料を使っておおよそ把握できる。しかし、最近になって雷雲が発生するものの天気予報で0%の降水予報がでるのはなぜか? 雲が発生するということは数%でも確立が存在するのではないか? そして、見事に雷雲がなくなり降水はないのである。この0%の予測ができない限り気象予報士の合格はないのではないかと思っている。今はまず、基礎をしっかり叩き込むことが先決。目標は1年後。どこまでがんばれるかだ。
2002年8月4日
久しぶりにスポーツと書籍のメッカ。神田に行った。やはり欲しい本やスノーボード、スキーなどを探すのは神田に行くほうが早い。田舎に住んでいると東京とのリズムの違いが顕著である。人が歩く速度。電車の乗り降りのスムーズさ。エスカレーターの秩序ある乗り方。現代人、特に都会の人はマナーがなってないと言うが私に言わせると田舎のほうがそういった公共の場でのルールさえ知らない人が多いだけにやっかいである。電車では人が立っていてもイスに荷物を置いておく。学生だらけの電車は無法地帯。エスカレーターも通路を開けない。キャッシュコーナーの一列での順番待ちはない。など。外に出ると自分の周りの状態が見えてくるのである。3年間都内で働いていた私にとっては社会人の原点がそこにあるだけにたまに上京すると、とても心地いいリズムなのだ歩く速度もいまだに衰えてないし、乗換えだってスムーズだ。専門書コーナーに行くといろいろな刺激があってやる気も戻ってくる。なにかまた新しいことを始めたい気がしてきた。
*上野駅の当時よく入った焼きそば屋がスターバックスになってしまった。レストランじゅらくだった場所はお客様相談センターになっていた。時の経つのは早いものである。
2002年7月28日
頚椎ヘルニア(疑)の経過が悪い。秘密要塞建設の要のユニット搬入日によりによってまたもや突然頭痛に襲われる。業者さんとの話の途中で急に悪寒が体中に走り、脂汗がだらだら流れた。吐き気も伴ってきた。しかし、便意をもよおしたので翌日は人間ドックで検便をしなくてはと思い、冷静に容器を取り出してトイレに行く。しかし、検便はついにできずに嘔吐を繰り返した。業者さんが帰ってそのまま以前に脳のMRIを撮った脳外科に連れて行ってもらい、念のためCTを撮り、吐き気止めと思われる点滴を2本打つことになった。病院についたのはお昼過ぎ。15時を過ぎて2本目の点滴に入ってまもなく、医療用ベット付属のみょーに四角い枕のせいか再び頭痛が。吐き気もしてきた。看護婦さんに伝えて点滴を中止し、今度は嘔吐防止の座薬を入れてもらう。その後待合室で待っている時間のほうが全然体が楽だった。薬を出してもらって帰るころにはすっかり気分も良くなってきた。17時ころようやく現場に戻ったころにはクレーン車の姿はなく監督と鳶、電気の職人さんだけが残っていた。すでに要塞のエネルギーの要である太陽電池も屋根への設置が終わっていた。ついに現物を見ることなく終わってしまっていた。その後家に帰って今回の病状を考察してみると炎天下デジカメを細いひもで首に下げていたのが原因ではないかと思った。仕事上常に炎天下にはいるし、水分も取っているし、今回は仕事をしているわけでもなかった。首にはものをかけたり背負ったりしてはいけないと悟った。しかし、この微妙な症状は今後のスノーボード生命にどう変えてゆくか不安である。いつ発作が起こるかわからないというのは行動を消極的にさせてしまうのだ。今後、健康な体を取り戻すための努力が重要になってくるのは確かである。現在、治療法や予防法。トレーニング法などをリサーチ中である。