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曽宮よしひさ

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つれづれ

「遠賀郡誌」 考

中央公民館に「遠賀郡誌 上巻・下巻賀郡誌」が所蔵されています。
増補改訂版で、昭和36年8月25日の発行です。
所蔵印が押され「遠賀郡岡垣村公民館」とあります。

村が図書館を持たない時代は、公民館がその役割を果たしていたでしょう。
サンリーアイ図書館でなく、中央公民館に所蔵されているのは、その名残であってそれはそれで意義のあることと思います。
一種の貴重な文献扱いかもしれません。
一般貸し出しはしない、その筋の人にしか見せない、二度と刊行されないものだからだろうと思っています。

旧遠賀郡は、東は戸畑から西は岡垣まで、北は若松、南は中間までを合わせたものであったということを知っている人が、段々少なくなっているのではと思うがどうだろうか。
現遠賀郡は4町であるが、「遠賀郡誌」推薦者として戸畑・八幡・若松・中間・芦屋・水巻・遠賀・岡垣の首長の名前があがっているのは、福岡黒田藩の時代の郡域がその範囲であったからです。

遠賀郡誌 目次


執筆者の名前の中に刀根博愛氏の名前を認めて、そのときの苦労話をお聞きする機会があればと思っています。
氏は今もお元気ですから。
戸畑の麻生(麻生渡福岡県知事)と岡垣の麻生は関係ありやなしや。
遠賀郡の差配を黒田藩の重役として任されていた、初代郡長の井上周防守道伯の墓所がなぜ岡垣の高倉龍昌禅寺にあるのか。
興味はつきない。
郡誌の中に記された、明治の合併前の村名なども地名として、また学校名として残っているのも興趣を誘う。



手元に遠賀郡4町の史誌があるが、合わせて読み比べると何か発見があるかもしれないと、背表紙だけながめている。
岡垣は昭和36年「岡垣村」であった。
「岡垣町」になったのは昭和37年である。

見方を変えて

昭和46年、就職しました。
初任給40,000円。
このHPの「岡垣町決算の歴史」の初年度が、昭和46年であるのは、私の実感としての「お金」の基準が、はじめて働いて得た一月分の「給料」を目安としているからに他なりません。
当時、円対ドルの比較では、1ドル308円でした。
就職した年、連合赤軍・浅間山荘事件がテレビで実況放送されたことが思い出されます。
その前年、三島由紀夫氏が東京市谷で割腹して果てたことも、いまだに謎多くしてその理由についての論評が折に触れてされています。
1971年のことですから、あれから40年になります。
当時の岡垣町の人口17、070人   平成22年 人口32、695人
世帯数4、361世帯    同じく12,685世帯
役場職員数104人      現職員数・条例定数185人 実数161人
派遣2人、再任用6人、計169人

当時の一般会計決算歳出 684,672,785円を1ドル308円で表すと、2,222,964ドル
平成21年度決算歳出 8,674,676,130円を1ドル84円で表すと、103,269,954ドル
単純比較は出来ませんが、 46.5倍 になります。
これをどう見るか。

昭和46年の初任給40,000円は130ドル。
当節の平均的初任給を180,000円にして、ドルでは2、143ドル。
2、143÷130では、16.5・・・・・16.5倍
これをどう見るか。

国際通貨といわれるドルを基準にして、町が46.5倍、豊かになったのか。
私の暮らしが、若い世代の暮らしが16.5倍豊かになったのか。
実感として豊かさを享受しているかどうか、そこが問われている昨今ではないかと思う。

目安として「お金」でこの40年を比べてみたが、この40年の間に生まれて来た若い世代にとっては「当たり前の豊かさ」なのではないかと思うと、また見方を変えなければと。
いろんな見方が出来て、面白いと思いませんか。

つれづれスナップ

川べりでカワセミと遭遇。
小魚を狙っています。
カワセミは「町の鳥」です。
海老津県道そばの川のゴミです
定期的に花咲き商店街等の皆さんが
清掃してくれています
捨てる人、始末する人。
役割分担が違うんではないですか?
これじゃカワセミも近寄りません
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