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曽宮よしひさ

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今わたしは

 

団塊の世代

18歳当時の気持ちは変わりなく・・・

昭和24年(1949年)生まれの私を含めて同級生達は、世間的(こんな言い方があるのか)には退職を迎えて、第二の職場で勤められている方がほとんどではないかと思っています。
団塊の世代といわれ続けて来た最終ランナーもすでに退職して、それぞれの道を。

しかし現役でなくなったわけではない。生涯現役であり続けるのが人の一生であるから、第二、第三の職場を勤め上げて引退し、帰農しようが職を持たずにブラブラしていようが生きている限り現役である。

この現役を離れた「現役」の呼び方を誰か考えてくれないかと思う。

65歳を過ぎると「高齢者」、75歳を過ぎると「後期高齢者」とは解かりやすい言い方ではあるが、それを熟年だとか長寿だとか言い換えてみても、「生きている、活きている」現役のイメージは涌いて来ない。

50歳台でも62歳になる今も、気持ちの中では18歳当時と変わりないと思っている。
肉体的に体が思うように動かない、目がかすれて文字を追うのに時間がかかる、話す時の舌のすべりが悪い、しかしながら精神的には危機回避能力(君子危うきに近寄らず)が向上したとか、加齢により経験知が増したとかの自覚はしていても、気持ちは今も18歳と変わらない自分がいるとも思っている。
多分、歳を重ねて70歳になろうが80歳になろうが、その18歳の気持ちだけは変わらないのではと思う。
加齢による世間様との付き合いの仕方は変わってきても、気分は18歳、「現役」と思う自分は変わり者であろうか。

昨年学生時代の友人と、卒業以来の酒席で話すことがあった。話し方、元気度は、当時のままであって、職業・経験からくるものが加味されてはいても18歳そのものであった。
退職して第二の職場での勤めをしながら、一定責任を果たしたところから来るのであろう、安堵の風情の中で、酒を酌み交わしながら18歳の自分たちを静かに確認し合ったのではないかと思っている。

どう思われますか? ご同輩。

「加齢臭」があるなら「加齢衆」「加麗衆」があっていい。

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