世田谷区における国の小田急線の複々線化工事許可を取り消した地裁判決について
まず、簡単に何が争われたのか説明します。小田急線を世田谷区で複々線化することに関して、
・国側の主張:高架にしたほうが安上がり。
・住民側の主張:地下の方が安いし、騒音も少ない。
要するにこういうことです。もちろん現実の裁判では双方とももっと複雑に主張、立証をしたのですが、とりあえずこれだけ理解していただければここでは結構です。
で、東京地裁はこれについて
「地下の方が安い。よって国は高架方式について認可を出したことには落ち度があった。だから取り消す」
単純化すればこのような判決を出しました。今回はこの裁判をする意味について考えたいと思います。
この判決が出た時点で、高架工事は7割がた完成していました。もっとも、認可が取消されたからといって、この完成している部分を取り壊して、一から地下工事をしなければならないということはありません。それ以後の工事ができなくなるだけのことです。
ただし、本当に取消されるかどうかは判決が「確定」するまで分かりません。この場合具体的に言えば、国側と住民側、双方がこの判決を受け入れ、高等裁判所に持ち込んだりしない、ということです。確定して初めて、裁判はその効力を生じます。上級裁判所に訴える前に効力が出てしまったら、そもそも上級裁判所を設ける意味がありませんからね。これは基本的にどんな種類の裁判についても言える、訴訟法の原則です。
問題はここからです。この裁判は、国の権力によって決められたことの効力を争う裁判でした。このような裁判については通常の民間対民間の裁判の場合に用いられる「民事訴訟法」とは異なる、「行政事件訴訟法」という法律によって裁判が行われることと、法律で定まっています。
この行政事件訴訟法の特徴の一つが、執行不停止の原則です。簡単に言うと、裁判が起こされても、問題とされたことについて中止して様子を見たりする必要がありません。例外的に停止できるとする規定もありますが、しかしその場合でも内閣総理大臣が停止について異議を申し立てると、執行停止はできなくなります。要するに、国側が「どうしてもやる」と言い出したら裁判所でもそれを止められないのです。
これが通常の民事訴訟だと、そもそも地方裁判所で裁判が始まった時点で「仮処分」という手段があって、原告が裁判所に申し立てれば、裁判所は事態の進行を止めるよう命令することができます。
さて、それでは。この小田急線の場合はどうなるかといいますと、国が徹底的に争うつもりなら最高裁の判決が出るまで、工事を止めさせることができません。最高裁の判決は基本的に、当事者が受け入れなくても確定判決ですから、ここで「処分を取消す」判決が出ればさすがに国でも逆らえなくなります。
この、最高裁判決が出る時期がネックになってきます。多くの方はすでにご承知のことと思いますが、日本の裁判というのはかなり長くかかります。
この間に多分、残り3割の工事を完成させることって、できますよね。特に最近は不況ですから、ゼネコンから末端の労働者まで、工事をやりたがる人はいくらでもいます。突貫工事も、早めに代金がもらえるのでむしろ喜んでくれるかもしれません。
というわけで実はこの裁判、国にやる気さえあれば、終わったころには結果がどうであれ立派な高架の複々線路が完成しているんですよ。実際工事は現在も継続中だそうですし。
それはまあ、一度出来上がったものでも取り壊すことが不可能ではありません。ただ、そのためにはまた莫大なお金がかかるし、その間小田急線は相変わらずのラッシュだし、と、現にやろうとすると極端に難しいことは明らかです。そして行政事件訴訟法もこのような場合を想定して、処分が違法であると裁判所が認めても、それを取消さないでおくことも可能である、という規定を置いています。この工事の場合で言えば、100%完成してしまえばもう、取消しはまず無理です。後は損害賠償など、お金で解決するしかありません。
この裁判、誰のために、あるいは何のためにやっているんでしょうね?
とりあえず国が好きでやっているのではないことだけは確かです。受けて立っているだけですからね。受けて立たないという選択肢がありえないとは言いませんが、そんなことをしたら担当者はほぼ間違いなく左遷でしょうから、現実的な可能性としては非常に低いです。
それでは住民の人たちは、そういう結果を望んでいるのでしょうか? 長い時間をかけて反対した挙句、できるものはできてしまう。そんな結果を…。
お金が欲しいだけなら、他にもっと楽な方法はあるんです。できあがってしまってからゆっくり、騒音で被害を受けたと損害賠償を請求すれば済む話です。それでは納得ができないから、とにかく高架に電車を通したくないから、工事そのものの認可の取消しを求める裁判にしたと思うんですが、違うのでしょうか?
まあ、結果はどうあれともかく裁判所に国のやっていたことが違法だと認定させたい、と言うのならそれもありでしょう。しかしそれだけのために、何年も裁判をやる価値が本当にあるのでしょうか? 原告らによるホームページを見るとそのように書いてありますが、それが百人以上にもなる原告団に一致した意見なのでしょうか。
原告の代理人になった弁護士は、そういうことも含めて住民に説明をしたんでしょうかね。厳しい資格試験を突破した上でようやくなれる専門職の人間として、裁判の見通しを含めて説明する義務が当然あると思うのですが。しかし弁護士は弁護士で、こういう裁判であまり高い費用を請求できないでしょうし、儲けにはならないでしょう。
そして最後に裁判所…というか、裁判官。このような事情を考慮した上で、それでも「取消し」にしたんでしょうかね。取消しなど食らったら国はほぼ間違いなく控訴してきます。そうすると結局、勝たせたはずの住民側が長引く裁判にあたらなければならなくなるんです。一方国の側は定期に人事異動がありますから、人間の物理的・精神的エネルギーという面ではほぼ無尽蔵ですよ。
それよりは、上で書いたように違法であると認めたうえで取消さない、という判決を出しておいて、それを受け入れるかどうかは両当事者に任せる、という方が現実的だったのではないでしょうか。まあ、裁判官にこれまでの国のやりかたのまずさをアピールするという意図があったのなら、取消し判決のほうがインパクトは強いと思いますが。しかし高等裁判所などでひっくり返されてしまうと、これはただの先走った判決になってしまいます。
最後には、誰もが「疲れた…」という感想だけを残して終わることになるような気がしてなりません。
そもそも執行不停止原則を定めた法律が間違っている、という意見もあるでしょう。しかしそれをアピールして変えさせるための手段としては、裁判はあまりに時間もお金もかかるやりかたなのではないでしょうか?