空の山通信  清水行人


空の山(解題)

明けましておめでとうございます。

 鷲峰山(表紙の山 鳥取県東部にそびえる921mの秀峰,)。勤務している学校のホームページにそれに関する記事を載せたら,「『因幡富士』というのは何か根拠がありますか」と言う問い合わせがあった。いつかテレビで『因幡富士』と言っていたような気がしていたからそう書いたのだが,確かなことではないので「近くの人はそう言っています」ということで了解してもらったが,なかなか面倒だ。でも,富士と言おうが言わまいが,私にとっては大切な山。なかなか険しい山である。

 気高郡のほとんどの地域でその山容を見ることができ,姿も整って美しい。いかに地元の人に親しまれているか,小学校の校歌を見れば明かである。

   南に高き鷲峰の雄々しき姿仰ぎ見て (逢坂小学校)

   窓より仰ぐ鷲峰の羽ばたく姿日々に見て (勝谷小学校)

   鷲峰の谷に雲わき 河内川瀬の音響く (小鷲河小学校)

   わしがねをはるかに望み 海がなるみどりのおかに(浜村小学校)

   鷲峰の峰雲流れ 明るい日ざし受けながら(青谷小学校)

 いずれも私が勤めたことのある小学校の校歌の一節である。呼び方はいろいろだが鷲峰山が詠み込まれている。子どもたちはこの歌を歌い,6年間学ぶ。鷲峰山を見て育つ。

 私が30年以上前に出した小さな詩集に『空の山』がある。

   たくさんの日々がぼくらの中で過ぎた

   ぼくらは何をしなければならないか

   ぼくらの中でかすむ山がある

   ぼくらは背負わなければならない

   ぼくらは登らなければならない

   ぼくらの出発はいつでも始まっている (以下略)

  この中にある「山」は私にとっての原風景とも言える鷲峰山である。

 人は誰でも原風景を持つ。しかし,いま子どもたちにわたせる原風景はあるか,これがこのページの課題である。

 このページを通して話し合うことができ,思いを伝え合うことができたら,私にとって大きな幸せだと思っている。