そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.105 京の秋1 

 「京都の秋の旅」を計画した。
 修学旅行ではたびたび行ったが,夫婦二人では,7・8年前の夏に観光タクシーで高台寺,貴船神社などを訪れたことがある。そのときは雨の京都だったけれど,楓の鮮やかな緑を目にして,秋の紅葉をどうしても見たいと思ったものだった。
 昨年の還暦旅行のように観劇も入れたかった。しかし席が取れない。旅行業者に当たってもらったが難しい。あきらめて新聞を見ていたら「大レンブラント展」(京都国立博物館:写真)に行き当たった。昨年の同じ新聞社の企画「カラバッジョ展」がよかったから,まず間違いないところだろう。これを起点にして,11月4・5日秋の京都観光実施。

「大レンブラント展」はさすがによかった。17世紀のオランダのこの巨匠には肖像画が多く,実にリアルに,立体的に描かれている。肖像画を描いてほしいとの注文が,失意と困難の晩年にも耐えなかったということが納得できる。約50点の作品に見入っていた。

 国立博物館を出て,すぐ前の三十三間堂に入った。千体仏がすごい。
「…中央の本尊を中心に,左右に五百体ずつ五段の段上に二列にならべられた等身に近い十一面千手観音は,まことに人海作戦ならぬ仏海作戦のように,金色に輝いて堂々あたりを威圧する。仏像の量産工場にはいったような,また,仏さまのラインダンスを見るような思いにもひたらせる。…」(松本清張・樋口清之著『今日の風土記1京都の旅』 光文社)
 
 近くに方広寺,豊国神社,耳塚があることは調べて知っていたので歩いてみる。方広寺には大きな鐘があった。鍵がかかっていて入れなかったが,「国家安康,君臣豊楽」の8文字が刻まれているという。
 耳塚は,文禄の役のときの記念塔だそうだ。その戦いで日本軍は,敵の将士の鼻をそぎ豊臣秀吉に送った。その数5万といわれる。それを葬った塚で,「鼻塚」が誤って「耳塚」になってしまったらしい。
 七五三参りの時期であるがもう夕方で寒く,豊国神社にもお参りの人を見ることはなかった。

 夕食の場所を求めて駅前ビルをうろうろしていると,「竹久夢二の世界展」(美術館「えき」KYOTO)に行き当たった。美人画はもちろん挿絵,表紙絵,版画,絵葉書,封筒など実に多くの作品が集められていた。思わぬ収穫だった。(次号に続く 2002.11.10)