そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.110 合併・統合 

 市町村合併については以前にも触れた(No.91参照)が,気高町の場合遅々として進まない。なぜか理由はわからない。どんな形の合併であれ,合併と相俟っておそらく学校統合の問題が浮上してくるだろう。

 私が現役時代勤めた学校は全部で9校ある。最初の学校は八頭郡郡家町の上私都(かみきさいち)小学校であった。その本校のある麻生から6キロメートルほど上った所にある明辺(あけなべ)分校,姫路分校が私の勤務地であった。赴任したのは昭和39年の春。バスの横に高く積もった雪を今も覚えている。
 3年間勤めたその分校は,児童数の減少により明辺は昭和48年度,姫路は49年度に廃止となり,本校に通うようになった。そして本校も児童数の激減から昭和56年3月で新設郡家東小学校に統合することになる。

 気高郡青谷町の中郷小学校,青谷小学校には8年ずつ勤めた。中郷小学校は現在の校舎ができた年で,体育館も新しくなった。青谷小学校では2回の校舎建築を体験した。自分で言うのもなんだが,一番充実した時期だったのかもしれない。研究会もよく引き受けた。
 青谷町の学校統合は既に決定していて,平成18年か19年と言われている。青谷小学校という名前は残るのかもしれないが,これまでとは違う学校として生まれ変わる。

 次は気高町の浜村小学校で4年,今のところ統合の具体的な話は聞こえてこない。鹿野町の小鷲河小学校は3年,この学校は現在もうない。羽合町の羽合東小学校,東郷町の桜小学校,泊村も加えて町村合併が決まっているこの学校も,当然統合の問題が起こるだろう。事実東郷町の3小学校は統合がほぼ決まったようだ。

 鹿野町の勝谷小学校ももう存在しない。こうして見てくると,私の勤めた半数以上の学校が既に廃校になっていたり,それが決定していることになる。
 もちろんその当時の子どもたちは卒業生として変わらないから,40年も前の教え子から同窓会の連絡があったり,年賀状のやり取りがあったりする。どこかでばったり会うと,「先生,覚えていますか」などと声をかけられて,うろうろしてしまうこともある。教え子とはうれしいものだ。

 さて気高町の場合である。前述した通りどんな形の合併であれ学校の統合問題は出てくる。なぜなら,児童数の減少が統合をせざるを得ない条件としてつきまとっているからであり,それが今確実に進んでいるからだ。
 こうしてまた,私の勤務した学校が消える。(2002.11.20)