そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.117  

 
 「大きな歌」(♪♪大きな歌だよ…)の作者が先日気高町公民館で公演をした野田淳子さんの夫だということを,彼女の口から聞いた。その中で,「教科書に載せていただいたのはいいのですが,教科書会社が勝手に後のほうをカットしてしまったのです」とも彼女は言っていた。なるほど,2番・3番あるいはそれ以上ある歌で,歌われなくなっているものがたくさんあるような気がする。

「蝶々(てふてふ)」(「小学唱歌集 初編」明治14年11月24日刊」)の2番は次の通り。
♪♪おきよ おきよ ねぐらのすずめ あさひのひかりの さしこぬさきに ねぐらをい
 でて こずえにとまり あそべよすずめ うたえよすずめ〜〜 
「遊べよ雀 歌えよ雀」と自由を謳歌していることは1番と変わらないのに,これが歌われることはほとんどない。春爛漫の感じを歌い上げた1番に対し,冒頭の「起きよ 起きよ」があまりにも現実を感じさせるため,歌いたくない気持ちにさせたのだろうか。

「国歌 君が代」は,♪♪君が代は ちよにやちよに さざれいしの 巌となりてこけのむすまで〜〜の後に,「うごきなく 常盤(ときわ)堅磐(かきわ)に かぎりもあらじ」と続き,さらに2番がある。
♪♪君が代は 千尋の底の さざれいしの 鵜のいる磯と あらはるるまで〜〜が現在歌われている1番に対応する歌詞で,「かぎりなき みよの栄を ほぎたてまつる」と続いて終わる。しかし,1番の初めの部分以外だれも歌うものはいないし,知られてもいない。
 卒業式の定番「蛍の光」にも3・4番があるが,歌われることはない。

 反対に,3・4番どころか66番まである歌もある。「鉄道唱歌」だ。
♪♪汽笛一声新橋を……〜〜に始まり,神戸まで沿線の風景を読みこみながら延々と続く。当時これに類する歌が次々と作られたようだ。一つの情報を唱歌という形で提供し,人々はそれを歌うことで自分のものにしたのであろう。現在でもこのような記憶術は使われることがある。

「会社が勝手に」ではないが,お上の力で歌えなくなったものや,歌わされたものもある。戦時中にはそんなことも多かったようだ。だが,そんなことが長続きしないことはだれでも知っている。

 作曲家の平井康三郎さんが亡くなられた。「日本のシューベルト」といわれるくらいに多くの作曲をした。その数5000曲とも言われる。「トンボのめがね」や「スキー」など多くの人に親しまれているものを,ふと口ずさんでみる。いい歌は残る。(2002.12.6)