そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.118 年賀状 

 
 年賀状書きも年中行事の一つといえよう。去年までは,冬休みにならないと書く時間がとれなかった。郵便局は12月○○日までに出してください,というが,勤めの人はなかなかできないのが現状だ。しかし,今年からはなんとかなるかもしれない。葉書は早々と買い求め,印刷も済ませた。

 ここ数年はパソコンにとりこんだ写真を使っている。昨年からは,インクジェット紙の葉書にしたので,きれいな画面が得られるようになった。どの写真を採用するか,1年間に撮りためたものをじっくりと眺め,選ぶ。去年も今年も海外旅行のものにした。妻と二人うまく収まっているものとなると,どうしても限られてしまう。
 
 住所録もパソコンに入力したので,ずいぶん楽になった。
 もちろんこれは毎年手を加えていかなければならない。住所が変わった人はその都度入力するか,1年間まとめて整理するかすること。「喪中につき」の方については11・12月に集中して葉書が来るからまとめて整理し,その旨を入力しておかないと,翌年わけがわからなくなることがある。さらに,1年手を抜くと元の木阿弥だ。
 以前ワープロで住所録を作っていたとき,横着をして更新しないことがあり,結局使わなくなってしまった経験がある。住所管理を年々きちんとしていけばこれほど便利なものはない。

 ただ,すべてパソコンで行うと個性がなくなる。パソコンに入っている見本もたくさんあって,それをベースに作れば楽なのだが,書き手らしさや相手に対する気持ちが表せなくなってしまう。だから「手書きの部分を多くとってほしい」との妻の要望も出てくる。そのあたりに配慮した紙面の工夫が必要だ。

 さて,今年いちばん分からないのは何枚必要か,ということだった。昨年より少なくなることは予想できるが,何枚減らせばいいのだろう。考えた末20枚だけ減らした。教育関係が減ることは確かだが,新しい人間関係だってある。まあ,多少あまるかもしれないが,足りないといって困るよりいいか。

 ぼちぼち表書きにかかる。時間はまだたっぷりある。今年の1月に来た年賀状を見ながら,その人のことを思い出しながら,裏面にもちょいちょいと文をつけたしていこう。
「年賀状は虚礼だ」という人もあるが,必ずしもそうではない。考えよう,作りようによって,立派な礼儀となる。(2002.12.8)