そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.121 言葉考6「から方言」から 

 
  鳥取地方に「から方言」がある。
 ふつう格助詞「から」は,【@時間的空間的な起点と経由するところ。手段,理由を示す。 「ここカラあそこまで」「今カラ夕方まで」「ここカラ侵入した」「ダンゴは米の粉カラ作る」「腹が立ったカラなぐった」A物事の続き具合の関係を示す。「木が枯れたカラにはしかたがない。切ってしまおう」「見るカラに弱そうな体」。主だった用法は大体以上のとおりである。】(古田恵紹著『因伯俚言』昭和47年刊より)

ところが,鳥取地方では【動作の行われる場所を示す。で。「道から拾った」「公園から遊んだ」】(小学館『日本国語大辞典』より)のように使っている。他の地方の人が聞くと奇異に感じるらしい。これを「から方言」と言っている。
古田氏は,この「から」を「因幡独特のことば」としており,国府町の医師森納氏も『とっとり言葉・あるザイゴ医者の覚書』(昭和63年刊)の中で「因幡一般に通用している」と述べている。しかし,私が耳にした範囲では県中部でも使っていることは間違いない。因幡と伯耆の一部でも使っている方言だと思う。

 方言は地域の文化であり,調べればさまざまな地域性・人間性などの興味深いことが出てくると思うが,ここではそれを話題の中心にしていない。「から」から話を進めたい。
 接続助詞「ですから」という言葉がある。『日本国語大辞典』によると,【助動詞「です」に助詞「から」がついて自立語化したもの】とある。常体で言えば「だから」に置き換えることができ,多くの文献にも当たることができる。

 ところが,ほぼ同じ意味を持たせているのか「ですので」という言葉が最近使われている。れっきとしたテレビ局のアナウンサーが使っているのである。
 助動詞「です」に接続助詞「ので」がついたものと思われるが,どうも不自然である。前述「ですから」と「ですので」は若干のニュアンスの違いはあるにせよ,同じような意味を持つと考えてよかろう。最近の言葉の中から考えれば,「なので」を文頭に使う表現に近いのではないか。「なのだ」は断定の表現だがそれではなく,因果関係を表そうとするときの言葉と思われる。
 こうして見ると,「ですから」「ですので」「なので」は同義語といえるようだ。

 しかし,「ですので」「なので」は文法的にどうも説明がつかない。常体を考えたとき「だので」なんて聞いたこともない。日常の若い人の会話の中で,前の文を断定できず,後の文につないで判断を先送りする,つなぎの言葉の一例ではなかろうか。
「から」から最近の言葉を考えてみた。(2002.12.14)