そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.126 カレンダー 

 年末,いろいろなカレンダーが手に入る。夏ならうちわ,しかし,うちわはかなり少なくなったように思う。どちらもほとんどが商売人からのもので,中元・歳暮代わりといったところだろうか。

「日めくり」は少なくなった。それでも2・3ある。学校で学級担任をしていたころは,毎日の係りの仕事として,子どもに割り当てたりしたものだ。
 年間1枚もの,月ごとのもの,2ヶ月ごとのものが主流であろうか。私の家でも数カ所に貼っておく。曜日が知りたいし,休みが知りたいし,見通しを持ちたいからだ。
 そんなときには,書き込みのできるものが便利なことも多い。これもさまざまで,1年間が1枚になっていると,小さくて書き込みができなかったり,馬鹿でかくて貼るところに困ったりすることもある。月ごとの,書き込みができるものが使いやすいように思う。

 六曜の入ったもの,干支,方位吉凶の入ったものなどもある。迷信だとかなんとか言って,こういうことを排除しようとする人もあるが,カレンダーについてはあまり変化がなく一般に出まわっている。葬式だ,結婚だと言えば結局そんなことを気にしてしまうことは,昔も今もあまり変わらない。「明日は友引だから葬式はしないだろう」などカレンダーを見ながら思ってしまうのは,まだ古い感覚の名残だろう。 

 印刷技術が発達して,美人画や風景画,名所の写真が出まわるようになった。花やイラストも自由にとり込んである。大きさもまちまち,立てかけるタイプのものもある。場所に合わせて用途に合わせて使えばよい。
 私は,詩人の詩を版画にしたものを2年ばかり歳暮でもらった。こういうのは味があってよい。そんなカレンダーは書店で販売されているから,自分の好みに合ったものを買うのがよいかもしれない。

 コンピュータで作るカレンダーもいい。今使っているこのパソコンも5年になるが,使い始めのころ,自作のカレンダーができたときにはうれしかった。パソコン学習を兼ねて,子どもたちにそんな経験をさせるのもよかろう。
 外国土産のカレンダーにもいいものがある。発展途上国のものは,手作りに近いものが多く,民芸品的な感じがする。
 ただし,カレンダーとして使うことはあまりできない。日にち・曜日は万国共通だが,祝日や記念日が異なっているからだ。

 今年も残りが少なくなって,新しいカレンダーを開くころとなった。(2002.12.24)