そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.128 本は友達・敵・味方? 

 2ヵ月間図書室で本を相手にしてきた。
 教科書は発行年度順に遡って「教科書センター」に配架した。小学校で昭和36年度まで,中学校で46年度までは大体の教科書がそろっていたが,それ以前のものは欠けるものが多いので年度順はそれまでにした。高校については発行が複雑で,採用も各学校に任されているということで,平成になってからのものにとどめた。

 それ以前のものももちろんあるが,小・中学校のものについては教科ごとに,やはり「教科書センター」に配架した。高校の教科書は数が多いので,図書室にまとめた。
 これで「教科書センター」は,その名前の通りの機能をかなり果たせると思う。なお,明治・大正時代の古いもの(復刻版も含めて)は,歴史的価値を重視して図書室保管とする。

 次に教育関係図書の整理にとりかかった。私は司書の資格があるわけではない。しかし,多少の経験と,知識はある。それを搾り出してここにある書庫の整理をする。
『なんでこうなるの』という言葉があるが『なんでこうなの』の世界である。一万数千冊の図書は,受け入れ時にはきちんとしていたであろう分類・記号・番号が正にごちゃごちゃの状態なのだ。

「おい,なんでこんな所にいるんだよ。」
 なんとなく私は本に話しかけてしまう。それは決して本のせいではない。人間のだれか,多分教育関係者のだれかがそこに置いたのだ。ああ,そう言えば図書館指導をこの年代の人たちは受けていないかなあ。
 捨てることは簡単だが,結構価値のあるものもありそうだ。とにかく分類にしたがって並べ直すことにした。
 古い本は埃がいっぱいで手がすぐに黒くなってしまう。何度も洗うので最初のころ手が荒れて困ったが,最近は慣れた。手の皮が厚くなったのかもしれない。

 番号順に並べてみると,最近のものほど乱れが多い。人のいない図書室で,貸し出し,返却が利用者に任されているので,いい加減になってしまっているのだろう。「学校図書館に人を」と学校現場にいたときには訴えてきたものだが,『センター』と言うぐらいのところなのだから,学校現場に先駆けて司書を配置しなくてはならないのではなかろうか。人がいなくては,学校支援も利用者へのサービスもできないと思う。
 利用者が少ないのは現場が忙しいから,だけではないようだ。
 とりあえず,今年の仕事はここまで。(2002.12.27)